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「お母様の、生まれ変わり……?」
ナタリアはセシリオとフランシスカの顔を交互に見た。
セシリオは冗談を言って笑わせたりしてくる人ではあった。あくまでずいぶん前の、子供の頃のことだけれども。だけどこの状況でそれをするとは思えない。
だからといって、この少女が母ですと言われてすぐに信じられるだろうか。
フランシスカは泣きそうな顔をしながら、それでも戸惑いを隠せないナタリアを見てふふっと小さく笑った。
「セシリオ、どうやらあなたは疑われているみたいよ?」
「当たり前だろう。誰がそんな話をいきなり信じるっていうんだよ? ついでに言うなら信じられていないのは俺じゃなくてフランだ」
「あら、わたくしはきっと、すぐに信じてもらえるわ」
セシリオはフンと鼻をならす。フランシスカは自信があるのか、セシリオに向かって胸を張ってみせた。
「ナタリア、あなたは母と最後にどんな話をしたか覚えている?」
「もちろん、覚えています」
「あの日は雨が降りそうな天気だったわね。わたくしはもう起き上がることができなくて、あなたに窓を閉めてとお願いしたの。その時はナタリアとわたくし以外誰もいなかった。だからわたくしは、話をするなら今しかないと思ったのよ」
忘れるはずのないあの日。たしかに雨の気配がして、ナタリアは窓を閉めた。その記憶があるから、そんな天気の時は今でも苦手だ。
「伯爵家を継ぐのはあなただとわたくしは話したわ。それから当主の部屋について話をしてからあなたと約束したの。絶対に誰にも教えてはいけない、と。約束は守れていて?」
あの時、ルシエンテスの当主にしか伝わらない話を母から聞いた。書庫の奥に当主だけが知る秘密の部屋がある、という話だ。
ナタリアはハッと口を押さえた。
内緒だと言った母がそれを誰かに言うとは思えないし、そんな時間も残されていなかった。だから母とナタリアしか知りえないはずの話だ。それをフランシスカが知っている。
フランシスカは心配そうにナタリアを見る。誰にも教えていないと言いたいのに言葉が出ず、そのままコクコクと頷いた。
「それならよかったわ。ナタリアならば約束は守ろうとしているだろうけれど、何らかの事情があって、もしディエゴやミゲラにもし伝わってしまっていたら大変だと思ったのよ。今でもナタリアしか知らないのね?」
ナタリアはただ頷く。ナタリアは言っていないし、閉じ込められる場所は今でも書庫だ。もし知っていたら書庫にはしないだろう。
フランシスカは次にエマに顔を向けた。
「エマ、あなたとの思い出もたくさんあるの。例えばわたくしがお菓子を作りたいと言って挑戦したのはいいけれど、見事に黒こげにしただけでなく火事を起こしかけて思いっきり怒られたこととか」
あのとき作ったのはレーズン入りのパウンドケーキだった、と母は言う。
それからフランシスカはいくつか、ナタリアも知らない話をエマにした。エマの目がどんどん丸くなっていく。
「結婚が決まって泣き腫らした日、あなたはわたくしに『私は一生アデリナ様の側にいます』と言ってくれたのよ。自分にはいくらでも文句を言っていい、八つ当たりしてもいい、と言って一緒に泣いてくれて、わたくしは救われたわ」
エマは信じられないという顔をしながらナタリアと同じように口を手で覆った。その表情だけで、それが事実だったのだとわかる。きっと二人しか知らない、二人だけの過去の話。
「それからナタリア、あれはあなたが五歳くらいのことだったかしら……」
「フラン、たっぷり語りたいのはわかるけど、今はあまり時間がない。今のでナタリアもエマも半分くらいは信じたと思うよ、たぶん」
セシリオがナタリアをチラッと見た。その視線は感じたけれど、ナタリアには返事をできる余裕が全くない。
フランシスカは少し口をすぼめてセシリオに不満を表明した。その顔は少女らしく、母だとは思えない。だけどふとした表情は、母だと言われるとたしかにそんな顔だった。
「改めまして。わたくしはフランシスカ・テジェリア。今はこの国の第二王女。だけど、ナタリアの母であったアデリナ・ルシエンテスでもあるの。わたくし自身、不思議な感覚なんだけど……」
それからフランシスカは彼女の生い立ちを話し始めた。
生まれた時はたぶん普通の赤子だったという。たぶん、というのは当然自分の赤子の時の記憶なんてないからだ。王女として生まれたがゆえに、何かできるようになるごとに「この子はすばらしい資質をもっている」といったもてはやされ方はしたようだけれど、まぁ普通の域から大きくずれることはなく育ったそうだ。
フランシスカにアデリナの記憶が現れるようになったのは、五歳の時だという。
「きっかけはわたくしにもわからないの。ただなんだか違和感があって、夢と現実がわからなくなるような感覚と言ったらいいのかしら。気がついたら、行ったこともないはずのルシエンテスの中の様子がはっきりとわかっていたの」
記憶は一気に目覚めたわけではなく、少しずつ鮮明になっていったのだという。そしてそれが前世であるとはっきりと認識したのが一年と少し前、フランシスカが六歳の時だった。
「もう一度ナタリアに会えるのだと思ったら嬉しくて、それからわたくしは少しでもルシエンテスの状況を知ろうとしたの。だけどそうすればするだけ、悪い話が聞こえてきたのよ」
社交界に出る年齢になっているはずのナタリアが全く姿を見せないことや、代わりにディエゴがミゲラとパウラを連れていること。ナタリアに関してはフランシスカの記憶にあるのとは全く別人のような噂が流れている。どうやら良くない状況らしいというのはフランシスカにも分かり、危機感を抱いた。
「それでおかしいとは騒いでみたものの、王女とはいえわたくしは所詮まだ子供。六歳の言うことなどまともに取り合ってもらえなくて、情報もなかなか得られなかった」
それでも少しずつ協力者を増やし、まずは宮廷内でできる限りの情報を集めてまとめ、父と母である国王と王妃に訴えたそうだ。そして正式に調査する許可をもらう。
話を聞いていたセシリオは小さく肩を落とす。
「よくそこまでもっていけたよね」
「そのあたりは可愛くねだって上手くやるわよ。といっても、ちゃんと段階は踏んだわよ。お父様もお母様も、わたくしの言う事ならば無条件に聞くというような甘いだけの人じゃないもの」
「だろうね」
「どちらかというとわたくしの勉強のために、やれるだけやってみろ、って言う感じの許可ね。わたくしがそうするように持っていったのもあるけれど」
フランシスカは歳の離れた末っ子王女だ。父母からも兄からも溺愛されている、というのは聞いていたが、本当らしい。
国王と王妃は政治に関してはとても有能で非常に厳しいという評判だ。娘が可愛いからと言ってなんでも許すような人たちではない。問題があることを認識してちゃんと補佐をつけた上で、フランシスカにある程度の権限を与えたに過ぎない。
それからフランシスカはルシエンテス伯爵家に使用人や業者に扮した密偵を送り込み、内部の状況を探った。
「ナタリアの状況を知った時は、腸が煮えくり返ったわ。そのまま突撃してやろうと思ったけれど、子供の身ではそれもできなくて、もうほんとにっ」
「フラン、気持ちはわかるけど声を落として」
怒りを思い出したのか、フランシスカの声がどんどん大きくなる。見かねてセシリオがそっと窘めた。
「状況を報告してすぐに行きたいって言ったけれど、さすがに許可されなかったの」
「そりゃそうだろうね」
「お父様たちも問題があるのは分かってくれたけれど、それより先にやるべきことが多すぎてすぐには動けない。証拠もまだ足りない。そんな時に戻ってきたのがセシリオだった」
フランシスカはすぐにセシリオに接触した。
動けないフランシスカに代わってセシリオが伯爵家に入り込んで証拠を集め、フランシスカを呼んだ。そして、今に至る。