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「殿下……?」
いきなり抱きつかれたナタリアは、どうしていいかわからずに固まった。痛いわけではないけれど、フランシスカはけっこうな力でがっしりと抱きついている。人目があまりないとはいえ、まさか王女を振り払うわけにもいかない。
次第にズビッ、グズッ、と鼻をすする音が聞こえてきた。彼女はナタリアの着ている服に顔をうずめるようにしているため、ナタリアから顔は見えないけれど、たぶん泣いている。いや絶対泣いている。
「ナタリア、あぁ……。大きくなったわね」
「えっ?」
フランシスカとは今日が初対面のはずだ。そんな彼女に、しかも自分よりも小さな少女に、なにゆえ大きくなったと言われるのか。
その前に、これは抱きしめ返してなだめるところだろうか?
頭を撫でてよしよしと……するのは不敬ではなかろうか。
その前のその前に、フランシスカはどうして泣いているのだろうか。ナタリアが何かしてしまったのか、それともミゲラたちか? 謝るべきか、でも原因がわからないところで謝っても、と思ったところでハッとした。
「殿下、もしかして、どこか痛かったり具合が悪かったりしますか?」
それならば大変だ。だけどフランシスカはそのままの状態で顔をこすりつけるようにしながら首を横に振った。とりあえずホッとする。
だけどやっぱり状況がわからなすぎて、ぎこちなく首を斜め後ろに回し、そっとエマを見る。彼女もフランシスカを見ていた見開いた目をナタリアに向けた。その視線が「わかりません」と言っている。
助けを求めるようにセシリオを見ると、彼はナタリアと目を合わせて苦笑した。
「フラン、ナタリアが困っているよ」
セシリオが声をかけてもフランシスカが動く様子はない。むしろ余計に腕の力が強くなり、むぎゅっとしがみついた。離れるもんか、とでもいうような意志を感じる。
「フラン? そんなに顔をこすりつけるとナタリアの服が大変なことになりそうなんだけど」
「だっでなだりあがずびっ……ぐずっじょうがないでじょ……」
すべてに濁音がついており、途中で鼻をすするので何を言っているのかわからない。セシリオもそれは同じだったようだ。
「何言ってるかわからない。それにフランずるい。僕がそうしたかったのに」
「それは駄目」
セシリオが何をしたかったのかはわからないが、駄目だというのは聞こえた。
「フラン、感動の再会をしたいのはわかるんだけど、今あまりにも泣いてしまうと顔が腫れてナタリアにあらぬ疑いをかけられる。あとで存分に泣いていいから、今はディエゴの顔でも思い浮かべて泣き止め」
セシリオはフランシスカにハンカチを差し出す。
フランシスカはピクリと動いたと思ったら固まり、そしてハンカチを受け取るとナタリアから離れた。
「一気に涙が引いたわ。セシリオ、もしかしたらあなた、わたくしを泣き止ませる天才なんじゃない?」
「そりゃよかった。ついでに言うなら、フランずるい。僕だって数年ぶりの再会なんだぞ。感動の再会したいのをぐっと堪えている」
「あなたは二ヶ月前に会っているじゃない」
「二ヶ月前からずっと堪えていたんだぞ? こんなに近くにいたのに、話すこともできなかったんだから!」
セシリオは拳を握る。
相変わらず訳が分からず、ナタリアはエマと目を合わせる。エマもわかっていない、ということはよくわかった。あと、フランシスカとセシリオの仲が良さそうだということもわかった。
セシリオは自分を落ち着かせるように長く息を吐いた。
「まずは座ろうか。状況を説明したい。ナタリアも今は何も考えずに座ってくれ。エマ、お茶は後でいいからあなたも来てくれ」
フランシスカが長いソファに腰かけ、隣を軽くたたく。セシリオに従って今は何も考えず、ナタリアはフランシスカが示した場所に座った。エマがその斜め後ろに立つ。
「エマ、あなたも座って」
フランシスカがチラッとエマを見て言う。エマは指示に従うべきなのか少し迷いを見せたけれど、その場に留まった。
「いえ、私はここで……」
「相変わらず融通が利かないこと」
フランシスカが懐かしいものを見るような目でクスッと笑った。
セシリオは一人掛けのソファを動かして近づけ、対面に座る。
「護衛に彼らを近づけないようには言ってあるから大丈夫だとは思うが、聞き耳を立てられている可能性もあるからあまり大声で話せない。近くに寄ってくれ」
セシリオはエマを手招きする。
エマは少し戸惑いをみせたものの指示に従い、セシリオとナタリアの間にしゃがみ、同じように目線を合わせた。
「フラン、ざっくり僕から説明するけどいいね?」
フランシスカが頷くと、セシリオがナタリアを見る。
「僕たちはナタリアとこの伯爵家を救うために来た。それをまずは信じてほしい。今の状況は明らかにおかしい。爵位継承者はナタリアなのに、伯爵家の血を継いでいないディエゴたちが伯爵家を牛耳っているだろう?」
ナタリアはエマを見てから、小さくコクリと頷いた。
「王都でもおかしいのではないかという話にはなっているんだ。継ぐはずのナタリアが一向に社交界に出てこないし、伯爵家から出される書類も不備が多かったから。それで、僕が調査しにきた」
今まで書類が通されていたのは隣国との冷戦の影響で王宮もバタバタしていたかららしい。王家から信頼の厚いルシエンテス家だからこそ、不正などするはずがないとしっかり調査されることがなかったようだ。
「書類に不備が……。それは申し訳ないことをしました」
「ナタリア、そもそも君がやるべきことではなかったんだ。君はまだ未成年なのだから、本来だったらディエゴたちがやりつつ、ナタリアに教えていくはずだった」
「それをあいつらときたらナタリアに仕事だけ押し付けて自分たちはやりたい放題。伯爵家を私物化した上にナタリアを虐げるとは……許せん」
「フラン、落ち着こうか」
「落ち着いていられますかっての! 七歳はまだ感情のコントロールが難しいのよ」
「気持ちはわかる。十七歳の僕だって堪えるのが難しい」
二人で分かり合っているが、こちらはまだよくわからない。
セシリオは再び大きくゆっくり息を吐いた。
「それで、二ヶ月前に僕がここに来たのは、証拠を集めるためだ。僕と一緒に来ていた従者や護衛の一部は国の調査官で、すでに報告が上がっている」
「調査官……、それでは、ルシエンテス伯爵家は……」
「あぁ、それは安心してほしい。あくまで伯爵家が不正を行っている、ということではなく、ディエゴたちが伯爵家を利用し、乗っ取ろうとしている、という調査と証拠だ。乗っ取りは重罪だからね」
ホッと胸をなで下ろす。書類を作っているのはナタリアとはいえ、ディエゴたちの行動全てを把握しているわけではない。なにか不正があって、ルシエンテス伯爵家が処分を受けるようなことになっては、伯爵家だけでなく伯爵領全体に影響が出てしまう。
それからセシリオは今までのいきさつと状況を説明した。
オグバーン王国から帰国してルシエンテスの不穏な噂を聞いたこと、しばらく王都で情報収集をしていたこと、伯爵家に入り込むためにパウラに近づいたこと、そしてここに来てからのこと。
パウラとは仲が良いように見せていただけで、婚約するつもりなどセシリオには全くないということも聞いた。
オグバーンにいる間にもセシリオはずっとナタリアを案じてくれていたらしい。冷戦の影響でお互いに連絡が取れる状況でなかったことはナタリアもわかっている。だけど帰国してからはパウラと良い仲になっていたのかと落胆していた。話を聞いて、彼を信じ切れていなかったことを申し訳なく思った。
「ナタリアがディエゴたちに虐げられていることも報告が上がっているから、ナタリアにとって悪いようには絶対にならない。僕たちはナタリアと伯爵家を救うために来たって言っただろう?」
セシリオはこちらにいる間もずっと、フランシスカとやり取りをしていたそうだ。そしてフランシスカをここに呼んだのもセシリオらしい。
信じられない気持ちはあるけれど、ひとまず状況は聞いた。だけどナタリアはよくわからなかった。
セシリオがナタリアと伯爵家を救いたいと思ってくれていたのはわかった。子供の時とはいえ面識もあるから、傲慢な言い方になるかもしれないけれど、セシリオがそう思ってくれているのは理解できる。
だけどフランシスカは初対面。まだ子供で、王女という身分の彼女が、なぜ伯爵家とナタリアのためにわざわざ駆けつけてくれたのだろう。
「殿下はどうしてそこまでして下さるのですか?」
ナタリアが静かに聞くと、フランシスカは柔らかく微笑んだ。どこかで見た表情のような気がした。
また泣きそうになっているフランシスカに代わって、セシリオが答える。
「フランはナタリアの亡くなった母上の生まれ変わりなんだって」
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