19
そうなるだろうな、と何となくナタリアは思っていた。
貴族区域にナタリアが今使っている部屋はない。でもその事実が王女に知られるのはまずいはずだ。それならば代わりの部屋をナタリアのものだということにするしかないけれど、客間には私物がない。着替えるために部屋に行くのに、服も装飾品もなければあまりに不自然だ。
そうなればミゲラかパウラの部屋しかない。年齢的にナタリアに近いパウラの部屋になるのは必然だ。
後ろについていたエマが先回りをして扉に手をかける。ミゲラを確認してから開けようとした瞬間、声が響いた。
「お母様!」
「パウラ!」
パウラとミゲラの声が重なった。お互いに何をしようとしているのか、何が言いたいのか、すぐにわかったのだろう。
「パウラ、黙っていなさい」
ミゲラはいつにない剣幕でパウラに言った。ディエゴもミゲラも、いつだってパウラを甘やかしてきた。怒られ慣れていないパウラはそれだけでビクッと身体を揺らし、今にも泣きそうな顔になっている。
エマがパウラが今使っている部屋の扉を開けると、フランシスカに続いてナタリアも部屋に入る。さすがにセシリオは女性の部屋に入るのは気が引けたのか、扉からチラッと中を覗く程度でその場に留まった。
ここは元々ナタリアの部屋だった。だけど入るのは久しぶりだ。物を盗まれたら困る、という理由で入るのを禁じられていたからだ。初めて入るはずのフランシスカと同じようにきょろきょろと見回してしまう。
「あら、いいお部屋ね。散らかっていると言っていたけれど、整っているじゃない。それで、服はどちら?」
フランシスカはナタリアに向かって聞く。だけど咄嗟には反応できなかった。たしかにナタリアの部屋だった場所だけれど、もうそれは数年前の話だ。
「ええと……」
「こちらです、殿下」
戸惑ったナタリアに代わり、ミゲラがクローゼットの扉を開けた。その中には溢れんばかりに色とりどりのドレスや服が並んでいる。
「なんだ、たくさん持っているじゃないの。こんなにあるのに、どうしてその服なのかわからないわ」
フランシスカはナタリアを上から下まで順に見下ろし、それから服を選びに入る。一枚を手に取ってナタリアの身体に当て、うーんと唸ってから戻す。それを何度か繰り返した。
途中で「こちらはどうですか」とミゲラが何枚か提案していたけれど、フランシスカは即座に却下していた。それらの服をパウラが着ているのを見たことがないので、たぶん彼女が気に入らなかった服なのだろうとナタリアは思った。
「うん、これがいいと思うわ」
フランシスカが決めたのは、水色のふんわりとしたワンピース。それを緩く畳んでナタリアに持たせると、今度は装飾品選びに入った。
宝飾品のケースを開けると、中にはぎっしりとネックレスが詰まっていた。耳飾りや髪飾りはまた別のケースに入っているらしい。
「たくさんもっているのね……」
思わずといったようにフランシスカが呟く。ナタリアもその量に驚いていた。いつも何かしらつけているなとは思っていたけれど、こうしてまとめて見るのは初めてだ。
「ミゲラ夫人、どうしてこんなにいろいろな種類があるのに、ナタリアは同じ物しか身に着けないのかしら?」
「さ、さぁ、なぜでしょう。気に入るものがあるのではないかと思ってナタリアの為に用意しているのですけれど……」
「あなたがナタリアのために用意したの? それは大変だったでしょう」
「いいえ、大したことではございません」
ミゲラはすっかりナタリアのために尽くす良い継母であるかのような振る舞いをしている。
ナタリアは宝飾品ケースに以前セシリオからもらったネックレスがないかと少し期待したけれど、残念ながらそこには入っていなかった。
いくつかの装飾品を選び、クローゼットから出た。
フランシスカは部屋の中に控えている使用人たちに目をやる。
「着替えを手伝ってほしいのだけど、ナタリアの侍女はどなた?」
部屋の中には侍女長とエマの他に三人の使用人の女性がいる。それぞれ目を見合わせて、どうしたらいいか探っている。
「ここにはいないの?」
そもそもナタリアに侍女などいない。ミゲラがエマに視線を送っているのが見えた。エマはそれに応えて一歩進み出る。
「私がお手伝いいたします」
エマの手伝いでワンピースに着替える。少し大きい。小柄で痩せているナタリアに対し、パウラはナタリアよりも身長もあるし、太っているとまでは言わないがふくよかだ。
ごまかすように腰紐できゅっと締めると、次にエマは髪を直してくれた。
顔色が悪いのを隠す程度にほんの軽く化粧をして、ネックレスと耳飾りをつけ、最後に靴を替える。
「……っ」
ピリッと足に痛みが走った。合わない靴を履いて歩き回ったせいか、靴擦れができたらしい。エマはそれにすぐに気が付いたようで、さっと布を巻いてくれた。
パウラの靴はナタリアには少し大きい。布を巻いてくれたおかげで普通に歩けそうだ。
支度が終わって鏡を覗き込む。いつもと違うナタリアがそこにいた。
貴族の令嬢としては着飾ったうちに入らないかもしれない。だけど、こうして令嬢らしい恰好をしたのはいつぶりだろう。もう思い出せない。
服を替えただけ。中身のナタリアが変わったわけではないけれど、それだけでもなんだか力が出る気がした。
「ナタリア、どうかしら。嫌ではない?」
「嫌だなんてとんでもないことです。ありがとうございます」
エマがナタリアの姿を見て泣きそうな顔をしている。ミゲラはその後ろにいるので、エマの顔は見えないだろう。
「さすがわたくし。とても似合うと思わない? どうかしら、ミゲラ夫人?」
「えぇ、とても似合うと思いますわ」
「それにしても不思議ね。わたくしが選んでいる間も着替えるときも、ナタリアは一度も文句も嫌だとも言わなかったわよ。先程までの服しか着ないと我儘を言い、癇癪を起こすなんて嘘みたいだわ」
ミゲラは一瞬だけ気まずそうな顔をして、ニコリと笑った。
「それはきっと、殿下の前ですから緊張しているのでしょう」
「ふーん、そうかしら。そういうことにしておくわ。さ、ナタリア、早くお茶にしましょう。わたくし喉が渇いてしまったわ」
フランシスカに続いて部屋を出た先にはセシリオがいた。着替えの間、待っていてくれたようだ。
「お兄様、どうかしら。ナタリアはとても可愛くなったでしょう?」
「んっ、ああ、そうだな」
「もう、似合う、くらい言いなさいよ」
七歳の少女に怒られて、セシリオは苦笑しながら「似合う」と口にした。
フランシスカに言わされたのはわかるけれど、それでもナタリアは嬉しいと思った。
お茶を飲む場所は先程の応接室だ。なんだかんだと一緒に入ろうとするディエゴやミゲラをセシリオが入口で制し、フランシスカとナタリアだけが部屋に入る。
部屋の準備をしていた使用人が下がると、入れ替わるようにセシリオとエマが入ってきた。どうやらセシリオは同席するようだ。
「エマ?」
「給仕をしてもらうように、僕が頼んだんだ。フラン、かまわないか?」
「えぇ。扉を閉めてくれる?」
ディエゴとミゲラが「わかっているな」という目をしている。それが扉に閉ざされて見えなくなると、室内には四人だけ。
ガチャ、と閉まる音がしたその瞬間だった。
フランシスカがむぎゅっとナタリアに抱き着いた。
 




