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セシリオもまた、困ったように首を傾げた。否定も肯定もしない。
それに慌てたのは父だ。
「侮辱だなど、決してそのようなことは……。パウラでは何か不都合がございましたか?」
なるべく平静を装って、優しい声で聞く。フランシスカは父を一瞥すると、セシリオに問いかけた。
「お兄様、わたくし子供だから、違っていたら教えてほしいのだけれど、伯爵代理はあくまで代理なのだから、爵位はないのよね?」
「……そうだね」
「ということは、ミゲラ夫人は貴族ではなくて平民よね?」
テジェリア国の貴族とは、貴族籍に載っている人のことだ。
ざっくりと言うと、爵位を持つ者とその家族……配偶者と子供たちである。それから、まだ爵位はなくとも継承することが決まっている者とその配偶者、子供も貴族だ。
例外もあるが、だいたいはそうなっている。
そして一度貴族籍に載った人は、特別に勘当されたり除籍されたりといったことがなければ、貴族とみなされ続ける。
父ディエゴはルシエンテスとは別の伯爵家の生まれなので、彼の身分は貴族になる。だけど次男だったのでそちらを継ぐことはなく、彼自身に爵位はない。
ミゲラはその爵位を持たないディエゴの配偶者だ。たとえディエゴが貴族であっても、爵位がなければその配偶者が婚姻によって貴族になることはない。そしてミゲラは生まれも平民出身の元メイドである。
つまり、平民だ。そしてその娘も同様である。
「パウラも平民。間違っていて?」
「いや、間違ってはいない……」
セシリオが肯定したことで、父とミゲラが顔を真っ赤にし、パウラは信じられないという顔をした。
フランシスカはそれには気にすることなく、父に向かって首を傾げた。
「伯爵代理、わたくしは確かにまだ子供だけれど、それでも王家の一員としてここに来たの。そのわたくしに、平民とお茶を飲め、とあなたは言ったのよ」
「……っ、それは」
「わたくしは平民を見下しているわけでも、平民とお茶をするのが嫌なわけでもないの。だけど、あなたは他の貴族の家を訪れた時に執事やメイドとお茶を飲む?」
フランシスカは、彼女にとってミゲラとパウラは執事やメイドと同じ身分だと言外に告げる。ミゲラとパウラは顔を赤くしているが、それを言われた父は、赤かった顔を一気に青ざめさせた。その意味がわかったナタリアも指先が冷たくなる感覚に陥る。
父は訪れた王女に対して「使用人とお茶をどうぞ」と言ったに等しいのだ。あまりに失礼過ぎる。
「いずれミゲラ夫人やパウラとお茶をする機会もあるかもしれないわね。でも、まずはナタリアを誘うのが道理ではなくて?」
「わ、私はただ、殿下が不快な思いをされないようにと思っただけでして……」
「あぁ、わたくし、それも不思議に思っていたの」
「それ、ですか?」
フランシスカはぐるっと全員を見回す。
「お兄様、ナタリアはまだ爵位を得ていないとはいえ、伯爵家の主よね?」
「……そのはずだ」
「それならばどうして皆そろってナタリアを悪く言うの? わたくしのお母様は『主人を悪く言う者は無能』って言ってたわ。ここにいる皆の主人ってナタリアよね?」
フランシスカは首を傾げる。純粋にわからない、と言っているように見える。
どこかで「無能」と呟く声が聞こえた。使用人たちが青ざめている。だけど誰も何も答えない。父もミゲラも都合が悪いと思ったのか、いつもはペラペラとしゃべっているのに口を噤んでいる。
「お兄様、誰も何も教えてくれないわ」
「フラン、とりあえずお茶にしたらどうだい?」
むくれるフランシスカに苦笑しながら、セシリオが提案した。父とミゲラがホッとした顔をする。だけどそれは長くは続かなかった。
フランシスカは「それもそうね」とパッと笑顔になった。そしてナタリアを上から下まで見て小さく溜息を吐く。
「ナタリア、お茶の前に着替えましょ! わたくしが見繕ってあげる。だからあなたのお部屋に案内して」
「……え?」
挨拶以外は口にするなと厳命されているけれど、思わず声が出た。
ナタリアの部屋。それは貴族区域にはない。
ナタリアが難色を示したと思ったのか、フランシスカは困ったわという顔をした。
「お気に入りなのかもしれないけれど、その服はお茶には向かないわ。大丈夫、わたくし服を選んだり合わせたりするのはよく褒められるの。まさかその服しか持っていないなんてことはないのでしょう?」
そのまさかである。いや、今着ている服もナタリアのものなのかわからないから、正確にはいつも作業する時に着ている薄汚れた服しかない。そちらの方が今よりさらにお茶には向かないのは確実だ。
ナタリア以上に焦っているのはミゲラだ。
「殿下、ナタリアの部屋は、その、散らかっておりますから、殿下にお見せするわけにはまいりません」
「あら、構わないわ。服を選ぶだけだもの」
「ですが……」
口ごもったミゲラの代わりに父が幼い子を諭すようにフランシスカに話しかけた。
「殿下、通常であれば、私室には立ち入らないものです」
どうにかしてやめさせようとしていることに気が付いているのか、それとも子供扱いされていると感じたのか、フランシスカはムッとした顔を返した。
「伯爵代理、ミゲラ夫人。あなたたちにとって見られたら困るものでもあるの?」
見られたらまずいというか、見せる部屋がそもそもないのだが。
「そういうわけでは……」
「それならいいじゃない。ナタリア、行きましょう」
白くて小さな手がナタリアの手を掴んで引っ張った。見た目と違って意外と力があり、ナタリアは扉の方へ一歩進む。
「殿下……」
「まだ何かあるの?」
フランシスカはあからさまに不機嫌な様子を示す。
父とミゲラが助けを求めるようにセシリオを見た。だけどセシリオはその期待に応えることはせず、ただ苦笑するだけだった。
「フランシスカの機嫌を損ねないほうがいいですよ」
「そうそう、わたくし『我儘がひどくて、少しでも気に入らないと癇癪を起こす』王女なのですって」
フランシスカはむくれた顔のまま、それでも楽しそうに、ミゲラがナタリアについて言ったことを繰り返す。
「ナタリアとどちらがひどいかしら?」
「フラン、そこは競うところじゃないと思うよ。ちなみに僕は、陛下にも王妃様にも溺愛されているフランの我儘のほうがずっと怖いけどね」
セシリオがさらっと怖いことを言う。フランシスカの後ろにはこの国の最高権力者がついていると、そういうことだ。
これにはさすがに父たちも黙らざるを得ない。
父たちは敗北を悟ったらしい。八つ当たりをするかのように、ナタリアをキッと睨んだ。




