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連載再開します。
よろしくお願いします。
セシリオが伯爵家に滞在するようになって二月ほどが過ぎた。
予定では一月で一度王都へ戻ると聞いていたが、セシリオはこちらに居続けている。
ナタリアの体調はすっかり良くなっているが、状況はここ数日安定しない。良くなったり、悪くなったりを繰り返している。ナタリアでないと進まない仕事はそのままだが、急に掃除はしなくていいと箒を取り上げられたり、そうかと思えばサボるんじゃないと叱られたりするのだ。
エマからの情報によれば、どうやらセシリオが動いてくれているらしい。ナタリアは伯爵家の一員なのだから相応の待遇にすべき、と彼は言ってくれているそうなのだが、それがナタリアにとって功を奏したり、裏目に出たりしている。
父とミゲラが怒りを溜めている姿が目に浮かんだ。セシリオがいる間はいいが、王都に戻ってしまったらどうなることか。
ナタリアは、はぁ、と溜息をこぼす。だけど今考えても仕方がない。
『ナータ、絶対に僕が守るから』
彼は、自分は味方だと言った。信じて待っていてくれ、とも言っていた。
どういう意味なのだろうかと何度も考えた。だけどよくわからなかった。都合よく解釈してしまいそうになる。
実際に父やミゲラたちに働きかけてくれていると聞いて、嬉しい気持ちもある。だけど侍女長からはセシリオとパウラがどれだけ仲睦まじいかを聞かされていたし、彼がどうするつもりなのかもわからない。信じたい気持ちはあるけれど、期待して裏切られるのも怖かった。
セシリオと書庫の隣の部屋で会ったあの日、やはりミゲラの侍女から報告が上がったらしく、ナタリアはセシリオと会ってはいけないと厳命された。そのために貴族区域の掃除が免除され、貴族区域に行くのは書類仕事の時だけになった。
セシリオに直接どういうことかと聞いてみたいけれど、話をするどころか顔を合わせることもできていない。
その日、セシリオ以来再び「大事なお客様」が伯爵家に来るということで、伯爵邸は朝から大忙しだった。その方とは、七歳だという王女殿下である。名前はフランシスカ。セシリオのことを異母兄として慕っている彼女は、どうしてもセシリオの婿入り先を自分でも見たいのだという。
セシリオがすでに伯爵家に滞在していること、それからあまり王宮を離れることのない王女にとって、貴族の家を見るのは勉強になるだろう、ということで、王家から信頼の厚いルシエンテス伯爵家ならばと特別に許可が下りたのだそうだ。
お客様の前に姿を現すことを許されている上位の使用人たちはしっかり身だしなみを整え、貴族区域へと向かっていく。
ナタリアは裏方の仕事をひたすらこなしていた。なにせ王女の訪問である。セシリオよりももっとたくさんの護衛や従者を連れてくる。貴族階級の世話役から小間使いまで、その方たちの階級に合わせた部屋の準備、食料や日用品の手配から受け取り、それに関わる書類作成、それらが日常業務にプラスされている。
いくらセシリオが何かを言ってくれていようとも、この状況では動かざるを得ない。
ここ半月ほどはもう他に何も考える余裕がないほどに忙しく、朝から夜遅くまでずっと働き続けている。寝る時間もしっかりとれずに常にフラフラだ。
そんな状態で書類に目を落としていると、靴音が聞こえてそのつま先が視界に入った。顔を上げると侍女長が睨みながら見下ろしてくる。
「旦那様がお呼びよ。ついていらっしゃい」
いつものことながら、ナタリアに拒否権はない。黙ってついていくと、貴族区域の部屋の前にミゲラが待ち構えていた。
「遅い! 一体何をしていたの?」
何をしていたと言われても、仕事をしていたのだ。そんなことを言ったところで余計に怒らせるだけなのでもちろん黙っている。
ミゲラは汚い物でも見るようにナタリアの全身を見下ろした。
「そのまま出すわけにはいかないわね」
「えぇ、奥様。すぐに支度させます」
「急いでちょうだい。王女殿下を待たせてはいけないわ」
会話の流れからすると、どうやら今日来ているはずの王女がナタリアを呼んだらしい。セシリオの時と同じように、挨拶だけはと言ってくれたのだろうか。事情はよくわからないけれど、王女の前に出されるということだけはわかった。
小部屋に入ると、使用人がナタリアの服を剥ぎ取りにかかる。ビリッという音がした。これが着れなくなってしまったら困るのに、そんなことはお構いなしだ。
そしてセシリオに会った時と同じ、趣味の悪いドレスに着替えさせられる。痩せた身体には合わないサイズを無理やり合わせて着ると、今度は髪を引っ張られた。痛いと声を上げれば怒られるのが分かっているので、結われるがまま我慢する。
今日は気合が入っているな、とナタリアは思った。
きっとナタリアがひどい娘だと王女に印象付けたいのだろう。セシリオがナタリアを庇う様子を見せているから、より王女を味方に取り込んでおきたいに違いない。
身支度と言っていいのかわからないが、その着替えと髪結いが済むと、ミゲラはまたナタリアの頭から足まで見下ろし、まぁいいわと呟いた。
ミゲラの後について廊下を応接室までの廊下を歩く。足に合わない靴が痛い。
「いい? 挨拶をしたら、あとは黙っていなさい。粗相のないように。くれぐれも分不相応な態度をとらないこと、余計な発言はしないこと。守れなかったらどうなるか、わかるわね?」
「はい」
「まったく忌々しいこと。おまえを殿下の前に出さなければいけないなんて」
応接室の前には、何人もの人がいた。ルシエンテス家の使用人もいるが、見たことのない顔も多い。おそらく王女の付き人や護衛だろう。
ミゲラが一度ナタリアを睨み、それから外向きの笑顔を貼り付ける。ミゲラはそこそこ美人だったのだろうという顔つきだけど、性格が顔にでてきているとナタリアはぼんやり思った。
使用人が扉を開くと、ちょうどエマが新しいお茶に取り換えているのが目に入った。扉の音が聞こえたのだろう、エマは手早く仕事を終え壁際に下がる。数人の使用人が壁際に控えているのが見えた。
「殿下、大変お待たせして申し訳ございません。ナタリアを連れて参りました」
部屋の中には遅いぞというように睨んでくる父と一人分の座席をあけてパウラが座っており、その向かいの長いソファに少女とセシリオが腰かけていた。その少女の後ろには護衛がピシッと立っているので、彼女が王女で間違いないだろう。
「ほら、早くご挨拶なさい」
ミゲラがセシリオたちからは見えないように、背中をドンと押してくる。合わない靴のせいもあり、前につんのめりそうになりながら、なんとか王女の近くで立ち止まる。なるべくぎこちなくならないようにお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。ナタリアと申します。王女殿下にご挨拶を申し上げます」
通常ならば「顔を上げるように」とか「楽にして」という内容の言葉が出る。そうして初めて挨拶が受け入れられたとみなされ、目を合わせることが許される。あくまで形式上のことであって、実際は挨拶前に目が合ってしまう。だけど挨拶のマナー、特に王家の方への礼儀としてはそうなっていると、ずいぶんと昔に母に教わった。
ナタリアはお辞儀の姿勢のまま、その言葉を待った。
だけどどれだけ待っても許可の言葉が出てこない。
王女を怒らせたかもしれない、とナタリアは思った。この格好で王女の前に出ている時点で不敬なのはわかっている。呼ばれてからここにナタリアが来るまで、王女を待たせたことも要因かもしれない。だからずっと頭を下げていろと、そういうことなのかもしれない。
今のナタリアにとって、お辞儀の姿勢を保つのはそれなりにしんどい。このまま倒れて更なる不敬を重ねるのと、許しが出ないまま顔を上げて不敬を重ねるのではどちらのほうがいいだろう。
そんなことを考え始めた頃、にわかに部屋の中がざわついた。
そしてちょっと困ったようなセシリオの声が降ってきた。
「ナタリア、顔を上げてほしい」
明らかに王女の声ではなかったけれど、これ以上姿勢を保つのが難しかった。ナタリアはゆっくり顔を上げる。そしてざわめきの意味を知った。
王女が顔を歪ませていた。その丸い瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れている。
「おまえ、殿下にいったい何を!?」
「すぐにコレをここから連れ出せっ!」
ミゲラと父の怒声が響く。
何が起こったのかまるで理解できないまま、ナタリアは父の指示でとんできた使用人に腕を思いっきり掴まれた。
原因はわからないけれど、王女を泣かせてしまった。
いろいろな憶測が頭を通り過ぎていったけれど、とりあえず今日は書庫に閉じ込められるだろうな、そこならばゆっくり寝られるだろうか、ナタリアはそんなことを頭の片隅で思った。
 




