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 ある夜、セシリオはナタリアの父であるディエゴの私室で二人で酒を飲んでいた。二人で、といっても護衛は外せないので、セシリオの護衛が一人だけ、部屋の中、扉のすぐ横に控えている。


「いやぁ、あなた様に婿入りしていただけるなんて僥倖ですよ。パウラもゾッコンのようですし、これからが楽しみですなぁ。もっとも、父としては娘が取られるようで寂しいところもあるんですけどね」


 しばらく雑談を交わしつつディエゴにしっかり飲んでもらった。

 酒が入って上機嫌なディエゴはぺらぺらと話しながら、赤い顔でハハハと豪快に笑う。

 セシリオはディエゴのグラスに酒を注ぎ足しつつ、なんでもないように装って本題を切り出した。


「でも、本来ならば伯爵家を継ぐのはナタリア嬢なのでしょう? そこはどうするのです?」


 ディエゴは一瞬顔をしかめてセシリオを見たあと、扉前の護衛を横目でチラッと確認した。さすがに大声で言える内容ではないとでも思ったのだろう。


「あぁ、彼は僕が婿入りすることになったらおそらく一緒にこちらに来る護衛ですから、気にすることはありませんよ」

「そうか?」


 ディエゴはグッとグラスの中の酒を煽ると、指をクイッと自分の方に動かして近寄れという合図をした。セシリオが顔を近づけると、ディエゴはニヤッと笑って酒臭い口を開く。


「伯爵家はパウラに継がせる」


 酔っているからか、顔を近づけた意味がないほどに声が大きい。護衛にも充分に聞こえているだろう。

 セシリオは少し離れ、驚いたという顔をしてみせた。


「そんなことができるのですか?」


 ディエゴも顔を離し、自分の顎を撫でた。


「忌々しいことに実際はできないのですよ。だからこそアレをここに置いている」

「アレ?」

「ナタリアですよ」


 爵位を継承するためにはいくつかの条件がある。その一つが血筋だ。


 テジェリア国の継承が可能な爵位は、通常は当主の息子が継ぐ。息子がいなかった場合は娘、もしくは孫に男児がいれば直接孫が継ぐこともある。とにかく直系が最優先だ。 


 もし当主に子がいなかったり何らかの事情で継承できなかった場合、血筋のある傍系から選ばれることはある。しかしそれにも厳しい条件があり、ちょっとでも血が混じっていればいい、という話ではない。厳密に継ぐことができる血の濃さが決まっている。

 いかに親密であろうとも、また、養子縁組などでその家系の一員となったとしても、血の繋がりがなければ爵位は継承できない。それがこの国の決まりだ。


 ちなみにもし条件に当てはまる人がいなくなってしまった場合は、領地も爵位も国に返還されることになっている。


 ルシエンテス伯爵家の当主はナタリアの祖父からその娘、つまりナタリアの母であるアデリナに引き継がれ、ディエゴは入り婿だ。そのため彼はもちろん、ミゲラとの娘であるパウラもルシエンテス家の血を引いていない。その時点で爵位を継ぐことは不可能だ。


「爵位がアレに渡ってしまうのは、残念ながら避けられません。本当に忌々しい」


 本来ならば、当主のアデリナがなくなった時点で、直系であるナタリアに爵位が移る。だけど当時、ナタリアはまだ八歳だった。テジェリアでは爵位は成人を迎えないと正式に継承することができない。そのために父であるディエゴが『伯爵代理』としてナタリアが成人するまでの間、彼女を支え導く、ということになっている。


「でもいいのですよ。アレを外には出さなければいいだけの話です」

「ナタリア嬢は社交界に出ない、ということですか?」

「そうです。理由はなんとでも言えましょう。例えば、そうですね。……偏屈で我儘、極度の社交嫌いで表に出ようともしない。困ったものです。……とまぁ、こんな感じですよ」


 ディエゴはわざと大げさに演技っぽく言ってみせる。


「そうして我々は今と同様に伯爵家を取り仕切る。もうそれは実質パウラが継いだことになるでしょう?」

「それでは、ナタリア嬢は?」

「なに、今まで通りここで、伯爵家のために、たっぷり働いてもらえばいいことです。領地のための仕事ですからね、アレがやるべきことをやってもらうだけですよ。正しく当主の仕事なのだから、アレにとっても本望でしょうな」


 ディエゴはニヤニヤと笑いながら酒のつまみを口に放り込んで、ソファに背をもたれさせた。


 仕事だけ押し付けて、権力は自分たちのものにしようというのか。

 セシリオは平静を装いながらナッツに手を伸ばした。自然と力がこもってしまい、殻が割れて実がディエゴの目の前まで飛んだ。

 どうせなら目に直撃させればよかった。

 心の中でそう毒づきながら、なんとか笑みを浮かべて見せた。


「すみません、不器用なもので。飛んでしまいました」

「いやいや、かまいませんよ」

「ところで、ちょっと不安に思ってるんですけどね、それって伯爵家を乗っ取るとはみなされませんか?」


 少しだけ気分を害したのか、ディエゴの眉間に皺が寄った。


「人聞きの悪いことをおっしゃる」

「ほら、以前にそのようなことで騒がれた家がありましたでしょう? あの時はたしか、実は当主は亡くなっていて、それを隠していたのでしたっけ」

「死んでないのだから大丈夫ですよ。これまでも死なないようにだけは気をつけてきたんですから。アレが生きてさえいれば問題ない」


 セシリオはディエゴのグラスに酒を継ぎ足す。手が震えそうになるのを必死にこらえた。


「では後継者は? パウラ嬢の子は継げないはずですよね。ナタリア嬢にもし何かあったら……」


 ディエゴが顔をしかめたのを見て、セシリオはわざと軽い感じで苦笑した。


「あぁすみません、婿入りをやめたいなどと言う気はないのですよ。ただどう考えていらっしゃるのか、知っておきたいのです。僕とパウラ嬢の将来にも関わりますから」


 現状、伯爵家の血を濃く継いでいるのはナタリアだけだ。傍系に後継基準をぎりぎり満たす親戚はいるにはいるものの、そちらはそちらで伯爵家を狙っている。つまりナタリアがいなくなれば、その親戚に伯爵家を取られる可能性が高い。もしくは国に領地ごと返還することになるか、どちらかだ。

 そうなったときにディエゴたちが伯爵家に残れる可能性は限りなく低い。ディエゴがそこに思い至っていないはずがない。


 だからあえて二人の将来のため、パウラのために不安なのだという言い方をする。ディエゴは納得したようだ。酒の注ぎ足されたグラスを傾け、いい笑顔になった。


「なに、簡単なことですよ。時期がくれば、アレに適当に男をあてがって子を産ませればいい。そしてその子どもをこちらに引き込んでおけばいいのです」

「……っ」

「その子どもさえいればアレは必要ないが、まあでも子のためであれば、より一層働く意欲が高まることでしょうな。こちらの言い分も聞かせやすくなるというものです」


 セシリオはカッと頭に血が上るのを感じた。

 今は使用人や領民を人質にしてナタリアを働かせ、いずれナタリアの意志など関係なく子を産ませ、そうしたら子を人質にして操ろうというのか。ナタリアを何だと思っているのだ。


 セシリオが殴り掛かりそうになっていることにも気が付かず、ディエゴは上機嫌にハハハと笑う。


「あなた様とパウラとの子をその子と結婚させれば、血の繋がりなどなくとも私たちは親族になる。家を乗っ取るのではなく、穏便に繋がりを得るだけですよ。何の問題もありませんでしょう。心配には値しません」


 何が穏便だ。何が問題ない、だ。問題しかないだろうが。

 セシリオは拳を握りしめて腰を浮かせかけた。


「セシリオ様」


 わずかに慌てたような、それでも静かなセシリオを呼ぶ声が聞こえ、扉の前に控えていた護衛がサッとやってきた。ディエゴにも聞こえるくらいの大きさでセシリオに囁く。


「ご歓談中に失礼いたします。お声掛けするように言われていたお時間ですが、どうされますか?」

「……あぁ、もうそんな時間か」


 ハッと我に返り、セシリオは大きく息を吐いた。小さく手を上げて護衛に戻るように示す。


「ずいぶん楽しんでしまったようです。すみませんが、僕はそろそろ失礼させていただきます」

「おや、こんな時間から何かあるのですか?」

「さすがにこの時間には何もありません。明日パウラ嬢とお茶をする約束をしているんですよ。寝過ごしては大変ですし、朝にお酒が残って嫌われては困ります」

「お酒くらいで嫌いになどならないでしょうに」

「そうだとは信じていますけどね。女性を怒らせると怖いですから」


 最後だけは実感を込めて言うと、ディエゴは「違いない」と軽く笑った。


「有意義なお話が聞けました。では、今日はこれで」



 護衛と共にディエゴの自室を出て、与えられている部屋に戻る。部屋の前にミゲラからつけられている侍女がいたが、もう寝るからと下がってもらう。さすがに侍女は部屋には入ってこない。護衛だけを伴って部屋の中へ入ると、ドカッと乱暴に椅子に腰かけ、長く息を吐いた。


「助かった。危うく殴り掛かってしまうところだった」

「いえ」


 護衛に扮した彼に、時間になったら声を掛けてほしい、などと頼んではいなかった。機転を利かせてくれなかったら本当に危なかった。


「セシリオ様の代わりに殴ってやろうかと一瞬本気で迷いましたよ。あれはひどい。マジありえない。クソすぎません?」


 彼もまた苛立ちを堪えていたらしい。その口の悪い言い分を聞いて、セシリオは少しだけ気持ちが落ち着いた。


「しっかり聞いたな?」

「はい、全て」

「これだけ証拠がそろえば充分だよな?」

「充分でしょう。まぁあのクソはいざとなったら『そんなことは言っていない』とか言うんでしょうけど、他の調査官たちも使用人を調べていますし、証言は集まっているようです。今回のこともがっつり報告してきます」

「頼む。ただ、少しだけ待ってくれ。手紙を書く。一緒に届けてほしい」


 セシリオは紙とペンを取り出した。そして先程の内容ではない別の報告を書いたのち、最後に一番伝えたいことを記す。


『一度そちらへ戻る予定でしたが、自分がいない間に何が起こるか不安があるため、しばらくこちらに残ります。できることならば都合をつけて来てほしい。できる限り早めに頼む』

明日の日曜日は更新をお休みします。

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