13
ようやくテジェリアに戻ってこれた時、セシリオは十七歳。海を渡ってから実に九年もの年月が経っていた。
オグバーン国王の体調が思わしくないと言っていたのは完全には嘘ではなかったらしく、彼は二年前に亡くなった。
国王としての最後の仕事とばかりにテジェリアに戦を仕掛けようとしていたオグバーン王が亡くなり、そのオグバーン王をこき下ろしていたテジェリア王も譲位して王位を退いたことで、冷戦が終結した。
新たに即位した両国の国王は友好派で、いろいろな根回しを経た上でようやく国交が回復。セシリオは母と共に久しぶりにテジェリアの地を踏んだ。
セシリオはその足ですぐにナタリアのところへ駆けつけたかった。だけど新国王への挨拶やら何やらやらなければならないことがたくさんあり、まずは王都へ戻るしかなかった。
セシリオは一抹の不安を抱えていた。それと同時に非常に焦っていた。
ナタリアは十六歳になっているはずだ。テジェリアでは婚姻できるのは成人する十七歳からと決められているが、準成人とみなされる十五歳で社交界デビューするのが一般的で、婚約も可能になる。もしかしたらナタリアにそういった相手ができてしまっているかもしれない。
ひとまず王都でやらなければいけないことをこなしつつ、情報を探った。
そこでセシリオはなにやらおかしいと感じることになる。すでに社交界デビューしている年齢のはずのナタリアなのに、見たという人がほとんどいないのだ。ナタリアの悪い噂はちらほら聞くが統一性がなく、情報もあやふやで、どれが真実なのかよくわからない。
これは実際に訪れるほうが早い、と思いながら王宮を歩いていたときだった。セシリオは銀髪の少女に呼び止められた。
「ルシエンテス伯爵家が大変なことになっています」
十歳に満たない少女からいきなり言われ、眉間に皺が寄る。だけど一番知りたい情報でもあった。
詳しく話したいが、ここでは……という彼女に従って場所を移す。
それから彼女から聞いた話は驚くべきことだった。
ナタリアの母が亡くなっていること、ナタリアの父と再婚相手が家を取り仕切っていること、その二人にはパウラという娘がいること。ナタリアは使用人のように働かされ家から出されず、社交界ではパウラとその母が悪い噂を流していること。
正当な後継者であるナタリアが虐げられ、伯爵家が乗っ取られようとしていること。
「なぜそのような内部のことまでご存じなのですか?」
「使用人に扮してわたくしの手の者を伯爵家に紛れ込ませております。それに、わたくしは……」
侍女や護衛にも聞こえないように耳元で小さく告げられた事柄に、セシリオは目を見張った。
「すぐに信じろとは言いません。ですが、協力していただけませんか」
セシリオはすぐに行動に移した。
まずは舞踏会に参加して、パウラと接触した。彼女の首元にナタリアに贈ったはずのネックレスを見た時、湧き上がってきた怒りと共に、少女の言い分が事実なのだと理解した。パウラを問い詰めたい気持ちを必死に抑え、好意があるように見せる。
そしてルシエンテス伯爵家に入り込むことに成功した。
伯爵家の状況は、思った以上にひどかった。
「ナタリア嬢にも挨拶させていただきたいのですが」
伯爵家に来た日。セシリオがそう切り出すと、ナタリアの父ディエゴとミゲラ、パウラはそろってそれに反対した。少し変わっているので……から始まって、礼儀知らず、セシリオに嫌な思いをさせるから、何を言っても聞いてくれずに困っているのだと、そのようなことをつらつらと述べ、必要ないと言ってくる。常に自分たちは見下されているのだと、まるで被害者のように訴えられた。
それでもパウラの姉なのだから挨拶は必要だと説き伏せると、ナタリアは引きずられるようにして連れてこられた。
明らかに合っていないドレスにボサボサの髪。なにより細すぎる身体。
あまりの状態に、咄嗟に何も声が出なかった。
ナタリアは内気で人見知りなところはあるけれど、人懐っこい笑顔をいつも浮かべていた。それが今は怯えるような目をして、動くこともしない。
そんな様子にミゲラたちは挨拶すらできないと蔑んだ目を向けて言う。そんなはずがないのだ。幼い頃にちゃんとできていたのだから。その頃すでにセシリオよりもずっと丁寧な言葉遣いができたし、上手にお茶が飲めたし、綺麗なお辞儀もできた。それが何もできないはずがないではないか。
顔色が悪い、と言ったのは本心だった。ふっくらとしていた頬がこけていて、血色がない。どれだけ無理を重ねたのだろう。いや、重ねさせられたのだろう。
ナタリアが退出してからも、彼女に対する暴言は続いた。
「ナタリアは本当に何もできなくて、恥ずかしい限りですよ。それに比べてパウラは……」
ナタリアの父であるはずの人がナタリアをこき下ろす。そしてナタリアを下げることでパウラを持ち上げて、いかにパウラが可愛らしく優秀であるかを語ってくる。パウラは当然のような顔で聞いているので、これがいつものことらしい。
怒りで震えたのは久しぶりだった。それを何とか顔に出さないように、笑みを顔面に貼り付けつつ拳を握りしめた。
セシリオはパウラたちに都合がいいように振る舞いながら、ルシエンテス伯爵家を探った。
ナタリアに直接会うことはできないが、内部の協力者を通じて一度だけ接触することができた。ナタリアは弱っていたけれど、瞳の色も仕草も以前と変わっていなかった。やはりパウラ達の言うように「狂っている」わけがない。
いっそ連れ出して逃げてしまおうかという衝動に何度も駆られた。もしかしたら幼かったあの日のように、行くぞと言えばついてきてくれるような気もした。だけどそれが根本的な解決になるはずもない。
エマが機転を利かせて「絵を描いている」と言ってくれたので、それを覗き込むように見せて、ナタリアに自分が味方であることだけは伝えた。常に誰かに監視されているので、会話をすることもできなかった。
それ以来、ナタリアを見かけることがなくなってしまった。エマによれば、セシリオと会う事を禁じられ、使用人区域をあまり出られないらしい。
なんとかナタリアの今の状況を改善できないかとも思った。けれど下手に口を出すと警戒されてしまう恐れがある。まだ調べなければいけないこともたくさんあるし、見つけなければいけない証拠もあるのだ。
エマは偶然を装って、たまにナタリアの状況をこっそり教えてくれる。だけど正直なところ、エマをどこまで信用していいのかもわからなかった。エマとは面識があるし、疑いたくはない。だけど彼女はディエゴやミゲラと共にいる時間が長く、彼らから信用されていた。どこまでが演技なのか、本当に寝返ったのか、数日では見分けがつかなかった。
逆にエマのほうも、セシリオを探っているような感じがした。
セシリオはミゲラやパウラとお茶を飲み、ディエゴの自慢話を聞いた。そうして過ごすうちに、彼らはセシリオを身内であると思うようになったらしい。この家に婿入りすることを前提に話を進めれば、本来ならば部外者には知らせないようなことまで簡単に聞き出せた。
探れば探るだけ、ひどい状況が明らかになった。
当主の仕事をしているはずのディエゴは領地経営をまともにしておらず、サインだけはディエゴのものでも、重要な書類を実際に書いているのはナタリアだった。もちろんナタリア一人でそれがこなせるはずもなく、一部の使用人などが手を入れていた。
それでもまだ未成年の子供ができる仕事では本来ない。だからこそ国に届け出る書類も一部がおかしい状態だった。
ディエゴたちにとって幸いだったのは、誰もが隣国との冷戦に目を向けていたことだ。王宮でも混乱が起きていて、書類が少しくらいおかしくても受理されてしまっていた。王都で過ごしている貴族ならまだしも、領地でどのように過ごしているかまでは注目されなかったこともディエゴたちを後押しした。
セシリオの従者や護衛の一部は、それに扮した王宮の調査官だ。彼らと共に調べた結果は即座に王都へ送られている。わずか一月ほどの間でいくつもの証拠が見つかったが、まだ弱い。確実に逃げられないようにしなければならない。