第97話 密約Ⅰ アルテミスの密約
今回、全編クレア視点です。
三賢帝連合・中央地区第2の都市アルテミス。そこにあるサンデブラッド宮殿の大会議室には三賢帝連合とラミリルド皇国両国の重鎮が鎮座していた。
三賢帝連合からは東部地区を治める賢帝のラミリス帝・中央地区の賢帝で三賢帝の中でも形式上はトップを務める明日奈、そして中央地区のナンバーツーである統括次官のわたしが続く。その一方でラミリルド聖教はラミリルド皇国中興の祖であるフウ教皇代理と血濡れの処女の序列第3位のミサさん、そしてフウ教皇代理の秘書官が並んでいた。
そんな圧の強い面子に囲まれてるのだ。わたしの隣に座った明日奈はガチガチに固まっている。そんな明日奈の右手に、わたしは他の人に見えないようにテーブルの下で重ねて明日奈にしか聞こえないように小声で言う。
「そんなに緊張しなくていいのよ。今日はわたしから全てを話すから。明日奈はそこにいてくれるだけでいい」
それで少し緊張が和らいだのか、明日奈は少しだけ強張っていた頬を緩めてわたしの方を見てくる。そんな明日奈が可愛すぎて変なスイッチが入りそうになるけれど、今はラミリス帝がいるどころか他国の要人もいるため、全力でその気持ちに蓋をして、わたしはこほん、と小さく咳払いをする。
「本日はようこそおいでくださいました、ラミリルド皇国の皆様。今回皆様をお招きした理由は他でもありません、最近の国際情勢に対する二国間の意見交換――もっと単刀直入に言うと三賢帝連合とラミリルド皇国で侵略国に対抗するための同盟を結ぶためです」
わたしの言葉を聞いて明日奈は顔色を変える。でもラミリス帝はともかくとして、ラミリルド皇国の面々も予想通り、と言った風に頷いていた。
「ちょ、ちょっと先輩、わたし、聞いてませんよぉ」
「いいから明日奈は黙ってて! それにわたしの提案は全て明日奈の意見を代弁している、っていう体なんだから、ちゃんと胸を張って自信たっぷりな風にしなさい。まずは背筋から! 」
情けない声で耳打ちしてくる明日奈にそう注意して明日奈の逃げ腰みたいに曲がった腰を軽くたたくと、明日奈はピーンと背筋を伸ばした。ちょっと面白い。そうちょっと明日奈とじゃれ合っていると。
「あの、幾つかご質問がありますがよろしいですか」
フウ教皇代理に手を挙げられ、わたしは一瞬にして仕事モードに引き戻される。わたしが小さくうなずくと、フウ教皇代理は指折りしながら話し出す。
「まずは、この提案は三賢帝連合の中央地区賢帝・エマ帝からのご提案で、三賢帝連合内での合意はとれているということでよろしいのですよね? 」
「ええ」
「では、なぜまず最初にわたし達の神聖国家・ラミリルド皇国にお声がけになったのでしょうか。確かにわたし達も最近の不穏な国際情勢は把握しております。長年自国の漆国七雲客を『勇者』と呼んで他国侵攻を繰り返すクラリゼナや、現時点最強の概念魔法【原素】の動向、そして最近になって現れた『魔王』を名乗る存在の出現。そのような脅威に対し、正直に申し上げますと一国での対処に不安がないかと言えば嘘になります。でも――なぜ最初に声を掛けたのが、わたし達だったのですか? 」
もっともな意見にわたしはすぐに返事ができなかった。そのうちに教皇代理は言葉を重ねる。
「『勇者』を擁するクラリゼナや『魔王』の出身国だと思われるイングルシアは論外だとしても、他にもあなた達には4か国の選択肢があった。その中でなぜ最もイデオロギーの異なるわたし達を選んだんですか。きわめて現実主義的で実務的なエリートが国家の支配を一手に握り、【概念魔法】に対してもさして思想を持っていなかったあなた達の三賢帝連合に対して、わたし達の神聖国家ラミリルド皇国は宗教によって統治される国家で、あなた達と違い【概念魔法】【漆国七雲客】を宗教上の理由で強く忌避しています。現実主義の三賢帝連合と宗教を重んじるラミリルド皇国。ちょっと考えてみると水と油のように思えるのですが」
「それは……」
「まさかと思いますが、御国に伝わるはずの概念魔法【原素】を100年近く放置した挙句、【概念魔法】というこの世界最大の軍事兵器を使えなくなったあなた達でも、同じく概念魔法【幻想】がロストして久しいわたし達なら御せるとでも思ったんですか? まあ、【幻想】がいたところで彼女に頼る気はわたし達にはさらさらないですけど。それはわたし達の教義に反しますし、何よりそれで7年前に痛い目を見てますけれど」
教皇代理の鋭い指摘にわたしは冷汗が滲む。教皇代理の言葉にはだいぶ被害妄想が入っているけれど、わたしがラミリルド皇国の軍事力を利用しようとしたのは事実だったから。概念魔法に頼れないラミリルド皇国の最強戦力は血濡れの処女たちという暗殺エキスパート達。漆国七雲客暗殺に特化した彼女達の力はそれ自体十分脅威となるものだけれど、所詮はただの人間だから概念魔法みたいな理解不能な理不尽な暴力と違う。敵対したら東部地区の科学技術で十分仕留められる範疇の軍事力だ。そんなラミリルド皇国が、同じく概念魔法と言う名の理不尽に頼れないわたし達にとってある意味『都合が良かった』と言うのは事実。でもさすがにそのことをはっきりと認めるわけには行かない。どうしたものか、とわたしが必死で思案している時だった。
「嫌だなぁ。寧ろ逆だよ。ボク達の国は頼りたくても概念魔法に頼れない。そんなボク達のことだったら教義的に概念魔法を忌避する君達だって信用してくれる。そう、うちのエマ帝は踏んでいたんだよ」
予想外の助け舟を出してくれたのは意外にもラミリス帝だった。
「それに、君達の国家とうちには近しい所もある。自分の意思でかやむを得ずそうなったかの違いはあるとはいえ、概念魔法に頼れないボク達は互いに科学技術によってこの世の理不尽に対抗するためお軍事力を揃えてきた。君達血濡れの処女たちはそんな研究の成果だろうし、ボク達はボク達なりの倫理観から現地人に対する人体実験こそ行わない者の科学技術の粋を集めた大量破壊兵器を主力としている。どちらの技術も三賢帝連合を代表する科学者として素晴らしいものだと言わせてもらおう!
でも、どんなに一国が科学を極めても、厄介な概念魔法は理不尽にもボク達の努力の結晶を水泡と喫してしまう。だから、念には念を入れてここは似た者同士、二国間で協力しないかい? もし拒むのなら、クラリゼナに睨みを効かせる前におたくの全域を焦土に代えてもいいんだけれど」
ラミリス帝と教皇代理の視線が交錯する。そして。
ため息を吐いた教皇代理は再びわたしの方を見てくる。
「今回のお話の実質的なとりまとめ役ってあなた――クレアさんでしたっけ、なんですよね? 2人きりで、ちょっと腹を割って話しませんか? 」
教皇代理の言葉に、わたしには頷く以外の選択肢はなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
バルコニーに出てきて2人きりになってから。
「わたし、どうしてもラミリルド皇国のことを守りたいんです。ラミリルド皇国は今は離れ離れになっちゃっているわたしのお姉様――わたしの恋人が帰ってこられる場所だから」
唐突に自分語りを始める教皇代理にわたしは困惑しちゃう。
「クレアさん。あなたもそうなんじゃないですか」
そう言う教皇代理の目がわたしの内面を覗き込むかのようにわたしの瞳を見つめてくる。そんな教皇代理の瞳は、澄んだエメラルドグリーンの色をしていた。
「……なんでそう思うんですか? 」
「なんなんでしょう、同族のにおいがする、とでも言うんですかね」
そうやらわたしは隠し事が向いていないらしい。わたしは両手を挙げて降伏する。
「そうですよ。わたしは明日奈――中央地区の賢帝のことが好き。確かに三賢帝連合と言う国自体のことも守りたいけれど、それ以上に明日奈の幸せを守りたい。そのためだったら、使える手段はなんでも使って、明日奈が幸せに生きられる場所を守り抜きたい、そう思ってる。だから、あなたが言うように今回の同盟は打算が多分に含まれてるんですよ――こう正直に吐けば満足ですか? 」
既にあきらめムードになって投げやりに言うわたし。でも教皇代理は怒ったりする素振りは見せずに何故か、わたしの右手に自分の右手を重ねてくる。
「わたしも同じです。正直、お姉さまと一緒にいられるラミリルド皇国を残すためなら他の全てがどうなったって構わないと思ってる。そのことはあなたとお揃い。だから、わたしだって今回、あなた達のことを利用するために会議に赴いたんです。だから、好きな人との居場所を守るために、お互いがお互いを利用し合う同盟を結びませんか? 」
「へっ? 」
思わぬ展開に変な声を出してしまうわたしに、教皇代理――いや、フウは悪そうな微笑を浮かべる。
「似た者同士、あなたとは仲良くできる気がするんです」
そうして。7大国家の中で【概念魔法】を持たない最弱国同士の同盟は、それぞれの国の事実上のトップの、私情にまみれた密約によって発効されたのだった。