第88話 劣等Ⅵ 第三の選択肢
それから1週間の間。ラミリス様がわたしの前に現れることはなかった。そしてわたしと明日奈には一見、それまで通りの日常が戻ってきたように見えた。でもあの公開討論の日以来、わたし達の間には1つだけ変わったことがあった。
例えばある日の午前中のこと。いつも通り執務をしている時にいきなり明日奈は右目を押さえたかと思うと。
「今日の午後、第十七区画の農地で農民反乱が起きます」
右目を光らせながら明日奈が言う。その目をみてわたしははっとし、それから明日奈の【祝福】がいたたまれなくなって俯いて答える。
「わかったわ。今すぐ第十七区画に憲兵を派遣させるとともに農業省の官吏を派遣させて話し合いによる解決を図るわ」
そう、あの日【祝福】に目覚めた明日奈はあれ以来、ランダムに【祝福】を使うようになった。
ラミリス様の見込み通り、明日奈の能力は【未来視】だけじゃなかった。右目が光ると【未来】を、左目が光ると【過去】を、そして両目が光ると【現在の世界全て】を見通すのが明日奈の受けた【祝福】。殆ど無意識に発動するけれど、明日奈は段々と意識的にも使えるようになっていった。それによって賢帝としての仕事が何か劇的に改善されたわけじゃない。でも【祝福】によってわたしや中央地区が色々と助けられているのは事実。そのことが明日奈は嬉しいのか、少しだけ明日奈は自信が出てきたような気がした。明日奈が前向きになれたのは嬉しい。でも、どこか明日奈がどこか遠くに行ってしまうような不安もまた、感じてしまった。
その時もそんな不安に駆られたわたしは不意に明日奈に抱き着く。
「明日奈、明日奈はわたしを置いてどこか遠くに行かないでね」
「い、行きませんよぉ。私は先輩がいないともう生きていけないんですから」
明日奈はそう言って無邪気な笑みをわたしだけに向けてくれる。
明日奈の【祝福】。この力さえあれば、【時間】と【空間】という反則級の概念を司るクラリゼナの『勇者』を確かに制圧できるのかもしれない。でも、正直に言ってわたしは明日奈にこれ以上【祝福】を使ってほしくなかった。その力は、わたしが面倒を見てあげないと何もできなかったはずの明日奈を『わたしがいなくても生きられる』明日奈へと変えてしまう気がした。自分勝手なのは分かってる。でもこの気持ちはどうしようもなかった。ましてやその明日奈を変えてしまう【祝福】を使って明日奈に戦わせるなんて考えられない。
――でも魔王継承戦争が近づいているのは事実。三賢帝連合を、明日奈と一緒にいられる居場所を守るためにわたしに何ができるんだろう。万年ナンバー2で、何の特殊能力も持たないわたしに。
ふとした瞬間にわたしはそんなことを考えていた。そして――。
「君の方から訪ねてくるってことは、どちらを選ぶか決まったのかな」
三賢帝連合・東部地区。そこにあるラミリス帝の執務室でわたしはラミリス帝と2人きりで向かい合っていた。
「はい。――結論から言うと、わたしに1ヶ月の時間の猶予をくれませんか? 」
わたしの返事にいつも余裕のあるラミリス帝がぽかんとした表情になる。それを気にしないようにしながらわたしは言葉を続ける。
「やっぱりわたしは【転生者】の命を犠牲にすることも、明日奈に戦わせることもしたくありません。だから、違う手――わたしに仕えるありとあらゆる手段を用いて、魔王継承戦争を回避します。他国と同盟を結んで包囲網を作り、クラリゼナが戦争を起こす気を失くすくらい明日奈のことを強力な賢帝だと思わせ、戦う力を持たないわたしの交渉力・話術をフルに活用して戦わずして魔王継承戦争を回避します。そのために1ヶ月、1ヶ月はわたしなりにやらせてください。それが失敗に終わったら、ラミリス帝の好きな方を実施に移して頂いて構いません」
わたしがそこまで言い終わると。ラミリス様は心底おかしそうに笑い始める。
「ははははは。何の力も持たない君が世界規模の戦争を戦わずして回避するぅ? 面白い冗談だねぇ。それができたら苦労しないよ」
「……」
ラミリス様の言葉に歯をぎゅっと食いしばる。そんなことは自分でもわかってる。わかってるけど……。
「でも面白い」
「へっ? 」
思いもよらないラミリス様の言葉にわたしは変な声を出してしまう。
「確かに途方もなく大変だと思うよ。でも、理想を追い求めなくちゃ何も変わらない。それに君はあの優秀すぎたエマ君がいなければ――謀略など以外の全スペック的には――稀代の賢帝になっていたほどの逸材で、この1ヶ月半近く、国民を賢帝がエマ君のままだと連合国民を騙し続けた。そんな君ならこの世界の全てを騙して魔王継承戦争を回避し、独り勝ちすることができるかもしれないねぇ。――具体的なプランは何かあるのかな? 」
「は、はい。まずは神聖国家ラミリルド皇国と二国間同盟を結びます。あの国も概念魔法【幻想】がロストして以来、国家体制が不安定な国なので、彼女らにとって他国との同盟は国の権威付けのために喉から手が出るほど欲しいはずです。それによってラミリルド皇国の最大戦力血濡れの処女たちを手中に収めます」
「ほうほう。確かに血濡れの処女たちの序列第3位は先代の【時空】を手にかけたことは有名だね。彼女達を意のままに操れれば人類史最大最強の戦艦を持ち出さずに済むかもしれないね」
「ラミリルド皇国との関係を築ければ皇国の血濡れの処女たちと私達三賢帝連合の科学力によって、他の小国はなびくでしょう。それによって5か国連合対クラリゼナ対イングルシアの構図を作ります。そうすれば、いくら概念魔法を複数擁している国家と言えど、下手に戦争をする気は起きない」
「あはははは、野望家だねぇ。でも、もしその過程で漆国七雲客と戦いになったらどうするの? 」
「後で援軍を寄越すから、という名目で血濡れの処女たちに戦わせて時時間稼ぎするのがいいでしょうね。彼女らは対漆国七雲客制圧部隊を銘打ってるんだから、どうにかしてくれなくちゃ困ります。もし拒絶したら、その時はわたし達のバックには対時空要塞がついているんだぞ、って脅すつもりです」
「ははははは、まだ燃料がなくて動かない鉄のガラクタをはったりに使って他国に戦わせるなんて! いいねぇ、一国の君主らしい冷酷な女になってきたじゃないか。ボクはそう言うの大好きだよ。正直うまくいくかは君の交渉力次第。成功と失敗が半々くらいだと見込んでいる。けれど、せいぜい頑張るがいいさ。優しすぎる君をそこまで駆り立てたのは、やっぱりあの【転生者】の愛の力かな? 」
からかうように言ってくるラミリス帝に、わたしは居心地悪くなって目を伏せる。
「そんな綺麗なものじゃないですよ。わたしはただ、醜い身勝手な欲望に突き動かされているだけ。――ですから、ラミリス様は西部地域の賢帝にもわたしの計画に口出ししない許可を取っていただいていいですか」
西部地区の賢帝。それは三賢帝連合のもう1人のトップだ。わたしのお願いにラミリス帝は厳かに頷く。
「それくらいはボクがさせてもらおう。――最高のエンターテイメントを期待しているよ」
こうして。明日奈を、三賢帝連合を300年来の戦火の海から守るための最悪の密約が秘密裏に交わされたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。と、いうことで劣等編でした。4章との繋がりが少しずつ見えてくる劣等編第6話となりましたが、いかがだったでしょうか。
クレアが、そして明日奈がアリエル達と対峙するのはまだまだ先になりそうですが、彼女なりの守りたいもののために非情になろうとしているクレアのことも気にしつつ、これからも応援してくださると嬉しいです。全肯定はしにくいキャラではありますが……。