第87話 劣等Ⅴ 2つに1つ
「はっきりとした情報がまだ出揃っていないイングルシアはともかく、クラリゼナについては東部地区が単独で派遣した諜報員からの報告で大体の状況はつかめてる。クラリゼナではもともとクラリゼナにいた【時空】以外にも【原素】【幻想】【次元】【強化】の4つもの概念魔法が確認されている。
つまり、8つあるとされている概念魔法のうち、実に半分以上が1つの国に集結しているってわけだ。それだけ多くの概念魔法が一箇所に集まっていると当然、ちょっとしたいざこざがすぐに魔王継承戦争に発展してしまうリスクがある。でも……それと同時に対策を立てやすくもあるんだよ。つまり、1箇所を叩くだけで魔王継承戦争によって滅ぼうとしている世界を回避することができる。それにあたって、どの概念魔法を1番最初に押さえたらいいかクレア君はわかるかな? 」
「……やっぱり【時空】かしら。なんでクラリゼナに漆国七雲客が集まっているのか知らないけれど、やっぱりクラリゼナの『勇者』が思想的に一番危険でしょ」
完全にラミリス様のペースに飲まれていることに対する不満を隠そうともしないで答えるわたし。でもラミリス様は嬉しそうにニコニコしている。
「ビンゴ。僕も、というか東部地区全体としてもそう考えている。だから僕はクラリゼナ王国の先代『勇者』が各国の漆国七雲客を次々と撃破していっていた10年前に開発が進んでいたものの、先代勇者の死によって開発が凍結していた対時空要塞の開発を再開、完成させた」
「対時空要塞……」
「そう。対【時空】用に水面下で建造をしていた超弩級兵器――対時空要塞ラミクロス。もともとは300年前の魔王継承戦争で全滅の危機に瀕していた人類が種を保存するための『方舟』を不戦条約締結以後に三賢帝連合東部地区が引き取って漆国七雲客を駆逐する戦艦として改装した代物。
漆国七雲客に魔法で大きく劣る一般人が科学の力で概念魔法【時空】を制圧し、概念魔法並みの圧倒的な力でクラリゼナを黙らせる、東部地区の、ひいては三賢帝連合の切り札。三賢帝連合のうち、兵器製造を担当している僕達の最高傑作だよ」
とっておきのおもちゃを見せびらからす子供のように嬉々として語るラミリス様に、わたしは悪寒すら覚えていた。
かつて【原素】を戴いていたはずの三賢帝連合には確かにもう100年近く漆国七雲客が誕生していない。だから当たり前だけど、わたし自身は概念魔法それ自体を目の当たりにしたことはない。
でも、知識としては300年前の漆国七雲客の暴挙を知っている。天の雲を消失させ、大陸を1つ沈ませ、大海を干上がらせ、時間を捻じ曲げる。数万、数十万単位の人の命が紙切れのように消費された概念魔法と概念魔法のぶつかり合い、それが漆国七雲客の戦いで、魔王継承戦争。それに漆国七雲客以外の力を持てない人類が対抗できる兵器。それは素晴らしい発明なんだろうけれど、使い方次第では漆国七雲客と同じくらい手に負えない代物になることは容易に予想ができた。
「そして」
そこでラミリス様は先ほどまでの楽しそうな表情から一変して真剣な表情に戻る。
「それを使うには中央地区の賢帝であるあなたに相談しておかないといけないことがある。そのラミクロスを動かす燃料路に必要なパーツを1つ、三賢帝連合で一番人口の多い中央地区にお願いしたいのよ」
「じゅ、重要なパーツって……」
震える声で尋ねるわたしにラミリス様は表情を一切変えないまま答える。
「それは【転生者】だよ。あれだけ人がいる中央地区なら、1人や2人くらい、【転生者】がいるでしょ。転生者のこの世界の物理法則・魔法法則を超えた【呪詛】と【祝福】の力。それを消費しきることで、力を持たない人類は概念魔法と渡り合う力を手にすることができる。科学は力を持たない人類に羽根を授けてくれる。それって、ものすごく素敵なことじゃないかい? 」
ラミリス様の言葉にわたしは一瞬耳を疑った。それから、感情を押さえられなくなってわたしは勢いよく屋上の手すりを叩いてしまう。
「ふざけないでください! それって、わたしに明日奈を犠牲として差し出せ、って言ってるってことですか? 」
ラミリス様をきつく睨みつけるわたし。それでもラミリス様は眉1つ動かさない。
「別に君にとってあの【転生者】がお気に入りだったら、あの娘にこだわる必要はないよ。別に【転生者】だったら誰でもいい」
「……だとしてもできるわけないでしょう? わたしは腐ってもこの中央地区のナンバーツーです。幾ら【転生者】だと言っても、彼らだってわたしの守るべき市民の1人です」
「君は何処までもまっすぐだね。確かにそれは一般的には美徳として捉えられるべきだろう。でも、そんなふうに甘っちょろいから君は賢帝になれなかったんじゃないのかな? 国の君主とは、本当に守るべきもののためなら時に非情な決断をしなくてはいけないものだ。エマくんだったら、二つ返事まで切り捨てるべきものを切り捨てただろうね」
「! エマはそんなやつじゃ……」
「いいや、切り捨てたね。君がいい例じゃないか。あの子は無自覚に人を利用し、自分は楽する狡猾さを持ちながら、相手にそれを気取られないで、むしろ相手に自分を依存させる魔性の魅力を持つ危険な、でも独裁者としてはよくできた女だったよ。
実際、彼女は君と対比されることで優秀さをアピールし、計画通り異例の年齢で賢帝に就任することを実現しただろ? 賢帝に就任してからはその名声だけを恣にし、面倒事は全てナンバーツーの君に押し付けただろ。それでいながら、君はうまく取り込まれて口では反発しながらも彼女を失って暫く再起できなくなっていたのは他ならない君自身だろ」
「そ、そんなことは……」
ない、と言い切りたかった。ラミリス帝の言葉はタチの悪い誇大妄想だと言い切りたかった。でもできなかった。ラミリス帝の言葉には思い当たるところがありすぎたから。
「そう考えると君が今あの【転生者】ーー明日奈くんに抱いている感情の方が本物なのかもしれないね、まあ君が本当にエマくんを本気で愛しながらも安安と新しく現れた女に乗り換えるような女だったら、そっちの方が独裁君主として相応しそうだけど」
「……」
「それに、【転生者】はこの世界の人間じゃない。同じ生物種であるかすら怪しい。その上彼らはそれこそボク達が守るべき市民を精神的に殺し、市民に成り代わっている重罪人だ。そんな彼らを守る義理がどこにあるって言うんだい? それは、エマくんを失った君だって痛いほどわかってるだろ」
追撃するようなラミリス帝の言葉にわたしは俯いてしまう。
「って、ちょっと虐めすぎたか。確かに【転生者】を簡単に切り捨てられるくらいだったら、賢帝に成り代わったあの【転生者】を君が始末していないはずがないもんね。君は優しすぎるから。そんな君に、三賢帝連合が生き残るもう1つの選択肢を提示してあげよう」
「もう1つの選択肢……? 」
顔を上げて縋るようにラミリス様を見つめるわたし。でも次にラミリス様の口から出てきた言葉は対時空用の大量破壊兵器の燃料調達と同じくらいくだらなくて、わたしには許しがたいものだった。
「もう1つの選択肢、それはいたってシンプルだ。概念魔法を持たない、なおかつ七大国不戦条約を遵守している三賢帝連合が持ちうる最大戦力――君の所の賢帝、つまり明日奈くんに戦わせるんだよ。彼女の【呪詛】は知らないし、知ったこっちゃないけど、彼女の【祝福】は都合よく【未来視】、もっと言うと、【千里眼】、つまり、過去・現在・未来の全てを見通す概念魔法【時空】と対をなす魔法だ。彼女に戦わせて、【時空】を殺させればいい。まあ、【転生者】に頼っているようでいい気持ちはしないし、最初からこんなことを考えていたわけじゃない。今日、偶然その可能性に気付いたんだけどね」
明日奈に、戦わせる……?
想像しただけで頭が真っ白になる。あんな泣き虫でいつもびくびくしている明日奈に戦わせる。そんなことを想像することなんてできなかった。そんなわたしの心を見透かしたようにラミリス様は言葉を畳みかけてくる。
「明日奈くんに戦うことなんてできるはずがない、とでも思ってるんだろう? でも、明日奈くんが絶対的に信頼している君が一言命令すれば、彼女は全力を尽くしてくれるはずだよ。明日奈くんは君に全幅の信頼を置き、君の期待に応えることを至上の喜びとしているんだろうから」
「ち、ちがう……」
「何も違わないさ。君達の共依存と言うのはそういう狂ったモノだよ」
「……」
「いずれの手を使うにしろ、東部地区だけではどうにもならない問題だ。それに加え、事実上の中央地区の賢帝である君にボクが命じる権利はない。幸い、3ヶ月の時間の猶予はある。だからゆっくりと悩みたまえ。まだ顔も知らない【転生者】を犠牲にするか、それとも最愛のお人形に戦ってもらうか」
それだけ言い残してラミリス様は回れ右をして帰っていく。そして屋上にはわたしだけが残された。
執務室に戻ると。慌てたように明日奈が走り寄ってくる。
「先輩! どうしたんですか、顔色悪いですよ……」
「心配かけちゃってごめんね。でも何でもないから」
そう言って明日奈の手を振り張ろうとした時だった。
「な、何でもないわけないです! 」
いきなり大きな声を出した明日奈にわたしははっとしちゃう。
「せ、先輩が調子が悪いことくらい、この1ヶ月間ずっと一緒にいた私にはちょっと見ればわかります。先輩が悩んでいることがあるなら、私も一緒に悩んであげたい。先輩が重いものを背負っているなら、私も一緒に背負ってあげたい。私はなんにもできなくて何にも持っていないけれど、それでも先輩のお手伝いをしてあげられるならしたい! 」
いつになく力強く言う明日奈にわたしは呆気に取られていた。
「……って、私なんかが出しゃばりすぎですよね……」
そう言って自信無さげにいつものように目を伏せる明日奈。そんな明日奈を見て、わたしはつい衝動的に明日奈に抱き着いちゃった。
「ちょ、ちょっと先輩!? 」
ーー悔しいけど、ラミリス帝の言ってたことは的を射ているな。明日奈はわたしの言うことはなんだって聞いてくれて、そんな明日奈のことをわたしは可愛らしいと思っちゃう。求めちゃう。
そう自覚しながらも、わたしは溢れてくる言葉を止めることができなかった。
「ありがとう、そこまで言ってくれて。なら、少しだけこのままでいさせてくれないかな。暫くの間、明日奈のことを抱き締めさせてほしい。そうしていれば、心が落ち着くような気がするから」
鏡に映った明日奈は最初、困ったような顔をしていた。でも、すぐに気持ちよさそうに表情を緩める。この笑顔をいつまでも守りたいな。そんなことを思いながら、わたしは明日奈の温もりを全身で感じていた。
ーーそのためにならどんな手も使ってやる。この思いが共依存でもなんでもいい。そのためにならずる賢い独裁君主、ってやつになってやろうじゃない。
そう、わたしは心の中で誓った。
劣等編ってかなり力技で話を進めてるんですけど、クレアと明日奈の関係は割と好きだったりします。特に純情な明日奈は過保護なクレアがなかなか戦線に立たせてあげないし政治パートでも蚊帳の外になりがちですが、お気に入りヒロインだったりします。まあエマに対する気持ちも気持ちで、本当に偽物だったかはまだわからないのですが。
そんな明日奈の【呪詛】もすでに設定はあります。それについてはまたの機会にお話ししましょうか。