第85話 劣等Ⅲ 変化
明日奈を見るわたしの目が変わってきている。そのことに気付いたのは明日奈がこの世界にやってきてから1週間ほど経ってからのことだっただろうか。
最初、明日奈に対するわたしの思いはわたしにとって目障りで、でもこの世界の誰よりも尊敬して、敬愛すらしていたエマを奪った『敵』というものが強かった。そんな憎くて憎くて仕方ないはずの相手なのに、いつも頼りなくて、ついつい手を焼いてしまう。そんな風に思わせてくる彼女が余計に嫌いだった。エマを奪ったのならせめてエマより何らかの意味で『優秀』であってほしい。せめて堂々としていてほしい。そんな願望に近い私の思いに、彼女が答えてくれることはなかった。だからいつも調子が狂いながらも、『ぱっとしない』新米賢帝をわたしは支え続けた。
そしてそのように支え続けると流石の明日奈でも少しずつ仕事を覚えてくる。「やったわね」、何かできるようになる度に、そう感情の起伏なくでも一応褒めてあげると、明日奈は決まって目を輝かせてすごく嬉しそうな表情を向けてくる。そんな明日奈のことをどこかかわいく思えて、そんな明日奈の表情をもっと見るために明日奈を支え続けたい。そんな風にだんだんとわたしは思うようになってきた。
その思いに気付いた時。わたしは正直戸惑っていた。
――だってあいつはエマを殺した【転生者】よ? なんでこんな感情を抱いているの? それに、彼女はわたしが敬愛していたエマとは真逆の性格をしてるのよ……?
そう思うと、明日奈にどんどん魅了されていく自分が自分で怖くなってくる。でも明日奈はわたしの心の中の葛藤などお構いなしに褒めたりできなかったことができるようになるたびに、無邪気な笑みをわたしに向けてくる。甘えベタなくせにわたしに甘えてこようとしてくる。その度にわたしはつい明日奈のことを微笑ましく思ってしまって甘やかしてしまう。
――ほんとどうかしてるな、わたし。
そう思うと苦笑しか湧いてこなかった。
そして明日奈がこの世界にやってきてから1ヶ月ほど経ったある日のこと。
「不味いわね……」
とある案件を目の前にしたわたしは一人、自室で頭を抱えていた。わたしを悩ませている原因、それは月に1回、賢帝が自らの治める地区の市民で行う20分間の公開対談だった。
わたし達の住む3賢帝連合は東部地区・中央地区・西部地区の3地区をそれぞれ『賢帝』と呼ばれる実力採用の最高指導者が治めている3地域の連邦だ。そんな指導者である賢帝は月に1回、それぞれが治める住民の前で10分のスピーチをし、そのあと10分間、住民と意見交換会をすることになっていた。普段明日奈とわたしはほぼ2人きりで仕事をしてるから、明日奈が何かドジを踏んでもそれが露見することはない。でも、今回のは賢帝が治める地区の住民の目がある明日奈にとっての初めての、絶対に失敗することが許されない仕事だった。
もしその場で賢帝が明日奈に入れ替わっていることが露見したら明日奈はどうなってしまうのだろう。それは想像しただけでもぞっとする。市民を騙していたことの罵詈雑言を明日奈は一身に受けるだろう。何だったら、三賢帝連合の支配体制自体さえ揺るがしかねない。何より。
「せ、せんぱーい、わ、私が数百人の前で何か話すなんて無理ですよぉ。しかも、『完全無欠の賢帝』なんて本来の私とは真逆のキャラクターを演じるなんて。仮病を使って休めませんかぁ? 」
明日奈に公開対談の話を持ち掛けた直後。涙目になりながら明日奈が言ってくる。そう、明日奈は前の世界で受けたパワハラで必要以上に自己評価が下がり、コミュ障になっている。そんな彼女は、極度に失敗を恐れていた。そんな彼女はプレッシャーでそのままにしておくと潰れてしまいそうな気さえした。
わたしとしては転生者である明日奈が潰れようが何しようが気にする必要がないはずだった。無理矢理にでも明日奈にエマを、完璧な賢帝を演じさせる。エマのことを消した明日奈に拒否権なんて一切ない、それだけのはずだった。でも。
気づいたらわたしは震える明日奈の自分より大きな体を安心させるように抱擁していた。
「大丈夫、大丈夫だから。ちゃんと明日奈が賢帝に見えるようにわたしが全力でサポートするから。明日奈はちゃんとできる子。だからわたしを、自分自身を信じてあげて」
そんな言葉を掛けながら自分で自分に驚いていた。わたし、なんで明日奈に対してここまで入れ込んでいるんだろう、って。
それからはわたしによるスピーチの猛特訓が始まった。自信の欠片もない明日奈が堂々と話せるようになるまでわたしは何十回、何百回と練習を繰り返させた。普通の人なら逃げ出してもおかしくないほどの徹底的なスパルタ教育。それにも関わらず明日奈は弱音や許しを乞うような言葉を吐きながらも、決して辞めることはなかった。それと同時にわたしはスピーチの後の数分間の住人との意見交換についても考えられうる想定問答を叩きこんだ。そんな血のにじむような努力の末。ハリボテだけれどもなんとか明日奈はエマのような賢帝を演じられるようになった。
そして迎えた週末。わたしは冷や冷やしながら臨んだ。場合によってはかなり無理な言い訳をして明日奈のことをフォローしてあげなくちゃ。そう覚悟していたけれど、蓋を開けてみるとそんなわたしの不安は杞憂だった。明日奈は練習通り、堂々とした完璧な賢帝を演じ切った。その完成度は練習にあれだけ付き合い、普段の明日奈を知っているわたしでさえ、一瞬エマが戻ってきたんじゃないかと思っちゃうくらいだった。そしてスピーチを終えた後の市民とのやりとりも想定問答の通り滞りなく進んだ。
そんな明日奈を見守りつつ、わたしはほっと安堵する。でも、それと同時に少し寂しい気持ちもこみあげてくる。その気持ちに、わたしは自分で驚いていた。
――なんで?あれだけ帰ってきて欲しかったわたしの望み完璧なエマが帰ってきたんだよ? なのに、この心に何かがつっかえたような気持ちはなんなんだろう。
ーーまさか、自分に頼ってくる明日奈がいなくなって寂しいなんて感じてる?
その思いに気づいた時、わたしははっとする。そんなことはない、そう自分に思い込ませたい。思い込ませたいはずなのに、うまくいかないーー。と、その時。
白いローブを被った少女がまっすぐに手を上げてくる。
「賢帝。最近隣国では『魔王』を名乗る強大な魔法使いの存在が噂されています。実際、空位列卿イングルシア帝国が次々と版図を広げているという事実もありますし、クラリゼナ王国では4つの概念魔法が集結しているという話もあります。それに対して、漆国七雲客がもう100年も出現していない我が国の安全保障について、陛下はどう見ておられますか? ――もっと具体的に言うと、300年ぶりの魔王継承戦争の戦火に我が国は巻き込まれると思いますか? 」
「え、ええっと……」
想定していなかった問答に素の明日奈が出てしまう。そんな明日奈にわたしは胸を撫で下ろしつつ、うなじに冷や汗が浮かぶ。
まずい、というかなんでそんな訳わからないことを聞いて来るのよ。とにかく明日奈にすぐに耳打ちでもしてフォローしないと。そうわたしが動こうとした時だった。
突然明日奈の目が赤く光って、何かに憑かれたかのように淡々と語りだす。
「仰る通り、他の国が何も手撃たなければ今から3ヶ月後、世界は『勇者』を擁するクラリゼナ王国と『先代魔王』を擁するイングルシア帝国を中心とした世界観戦争が勃発し、私達3賢帝連合も戦火に巻き込まれるでしょう。それは現在の確定した未来です。私には視えます」
これまでの堂々とした賢帝としての演技とも、素の明日奈とも違う、神秘的な雰囲気を纏った明日奈の言葉にその場の空気は静まり返る。俄かには信じがたい、でも嘘をついている風には見えず信じざるを得ない気にさせられる明日奈の声に、その場にいる全員が息を呑む。しかしその直後。
「ふえっ? わ、私、何をしてたんですっけ? 」
妖しい赤い光が目から消えた後。明日奈の気の抜けた声でその場の空気は一気に弛緩する。そのタイミングを見計らってわたしは無理矢理宣言する。
「今月の賢帝に対する質問はここまでとします! これ以外のご意見・ご要望は手紙でお申し付けください! 」
こうして、明日奈にとってはじめての外部に向けた仕事は無事に成功したのだった。
ちょっとクレアちゃんチョロインすぎるかもしれませんがクレアの気持ちが明らかに変化し始める劣等編第3話でした。
今回の劣等編はもちろん軸としてクレアと明日奈の関係性があるのですが、ファンタジーパートとしては新たな転生者の出現があります。転生者も転生者でそれだけで十分政治の道具になりうる途方もない力を有した存在。そんな明日奈の片鱗が垣間見れるエピソードでしたら幸いです。