第83話 劣等Ⅰ その日、わたしから『1番』を奪った彼女は消えた
今回からの劣等編は、新キャラのクレア視点です。
大陸西部に広がる《三賢帝連合》は、その国名の通り、その州で最も優秀な官僚が就任する行政庁のトップ『賢帝』によって治められる3つの州の連合体だ。賢帝になれるのは最難関の試験を突破した官吏達の中でも更に出世競争に勝ち抜いたその州で最も優秀な1人のみだった。
三賢帝連合中央地区で生まれ育ち、代々中央地区の官吏の家系で過去に何度も賢帝を輩出してきた一族に生まれたわたしにとって、『賢帝』になるのは子供の頃からの憧れだった。別に官吏の家系だからと言って親から『賢帝』になれ、と命令されたわけでもなければそうなることを期待されたわけでもない。お父さんもお母さんも、自分の生きたいように生きてほしいと言ってくれた。だけど、心からの自分の意思で、わたしは狭き門である『賢帝』になることを志したのだった。
『賢帝』になるため、わたしは必死に努力した。他の子達が遊んでいる時もひたすら勉強に明け暮れ、軍の最高指導者も兼ねる賢帝としてふさわしいように戦闘訓練も積んだ。そしてその甲斐あってわたしは史上最年少で官吏登用試験に合格、三賢帝連合の官吏としての道を歩み始めた。
――この調子なら、本当に賢帝になれるかも。
そう思っていたけれど……。
「君も17歳で官吏に登用されたんだ! 良かったぁ、あたし1人かと思って、不安になっちゃったよ」
その年。史上最年少で官吏となったのはわたしだけじゃなかった。もう1人の少女――エマ・ヴェルテルもまた、史上最年少で官吏登用試験に合格したのだった。
そんな彼女が、わたしは最初鬱陶しくて仕方なかった。彼女は『同い年』『同じ史上最年少で合格』と言った共通点だけで、やたらとわたしに付きまとってきた。ただひたすら賢帝を目指し、他の官吏となれ合うつもりのないわたしからしたら、彼女は目障り以外の何物でもなかった。でも。
最悪なことに、エマは化け物級の天才だった。後から聞いた話だとあの世界最難関と言われる官吏登用試験でさえ、対策など一切せずにふらっと受けたら受かってしまったらしい。そんな彼女と、同じ史上最年少で官吏となったわたしはことあるごとに比べられた。客観的評価としてわたしも十分すぎるくらいに優秀だったと思う。でもそんなわたしは『天才』の前では霞んでしまう。いつも出世はエマの方が先でそれを追う形でわたしも出世する。そんな傍から見たら異例のスピード出世を続け、でも当人であるわたしからしたらイタチごっこのような出世競争の末。わたし達が20歳を迎えたその年に、実に30年ぶりの賢帝の交代が決まり、賢帝に選ばれたのはやはりというかエマだった。そして賢帝に選ばれなかったわたしは統括次官――中央地区のナンバーツーに就任することになった。
それが決まった日の夜。わたしは悔しくて悔しくて、枕ががびしょびしょになるまで1人ベッドの上で泣きじゃくった。
ーーエマさえいなくなればわたしが賢帝になれていたのに……いっそのこと、殺しちゃおうかな。
そんな考えが頭をよぎったのなんて1度や2度じゃない。でも、わたしは必死に堪えた。ここで情動に駆られたら賢帝どころか良くて国外追放、悪ければ死刑になるかもしれない。まだ賢帝になれていないのに、そんな愚策を冒すわけには行かなかった。せめてエマよりも長生きして、エマの次の賢帝になる。そのことだけを生きる希望にして、わたしは日々の業務に打ち込んでいった。
そんなわたしの野望を露ほども知らないエマは賢帝になっても、一番の側近であるわたしにフランクに接してきた。
「クレアがいてくれると仕事が早く終わるね。クレアが優秀なおかげかな」
そう屈託のない笑みを浮かべられる度にわたしはむかつき、殺意が湧き起こってきた。こっちはお前が早死にすることを望んでるのよ、なんでそんな相手に微笑むのよ、って。
ただまあ、わたしが何を考えたところでエマとわたしのこんな関係はしばらく続くんだろうな。そう簡単にエマがぽっくり死なれたら、それはそれで問題だし。そんなことを半ば諦めたように考えていた。その時のわたしは、まだ一度も肉親と死に別れたことがなかったから頭ではわかっているつもりでも本当にはわかっていなかったんだと思う。人って言うのは案外あっさりと消えてしまい、言いたいことは言える時に言っておかないといつ取り返しがつかなくなるかわからないんだ、って。
「よいしょ、っと。おもーい」
「そんなバカみたいに積み上げて一気に持とうとするからでしょ。と、いうか書類の運搬なんて他の人にやらせればいいじゃない」
いつもと変わり映えのないある日。甘えたようにそう言ってくるエマに脇目も振らず、わたしが自分の向き合っていた書類に視線を落としながら返した時だった。
鈍い音に気づいて振り向くとエマは書類に埋もれて床に倒れ込んでた。そんなエマを見て無意識にため息が出る。言わんこっちゃない。こんな見た目おバカにずっと負け続けてるなんて情けなさで死にたくなるからやめてほしいんだけど。
「ほら、手貸してあげるからさっさと立ち上がりなさいよ」
気怠げに言いつつ書類の山を崩して絵馬を掘り起こし、エマと目が合った時だった。
なぜかエマはわたしのことを怯えるように見つめ、それから。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
許しを乞うようにそう連呼して必死に床に散らばった書類を片付けようとするエマ。でもそんなエマはらしくもなく鈍臭くて、むしろ余計に散らかるばかり。
そんな彼女に、わたしは段々とイライラしてきた。
「エマ、ふざけてるの? いい加減ウザいんだけど」
ギロッとわたしが睨むとエマはまだふざけているのか身を縮こまらせる。
「ご、ごめんな……って、エマって、だ、誰のことでしょうか……? 」
消え入りそうな声で尋ねてくるエマ。そこでわたしははじめて気づく。
――まさかエマ、本気で言ってる……?頭を打った衝撃で記憶喪失にでもなった?
そう不安になったわたしは、エマに幾つか質問してみる。
「あなた、自分の名前は言える? 住所は? 」
「わ、私は村上明日菜。22歳、神奈川県川崎市に住んで、ます……」
返答はビクついていながらも迷いは見受けられないし、彼女に嘘を吐くような勇気があるようには見えない。と、言うことは記憶喪失って線はないか。って、言うかカナガワってどこよ。そんな異世界みたいな地名、聞いたこともないんだけど。
そう、心の中で悪態をついた時だった。
……え、異世界?
そこでわたしはとある都市伝説を思い出す。この世界には時たま、異世界【日本】から来訪者がやってくる。【転生者】と呼ばれる彼女らはそれまでこの世界の住人として生きてきた人間の肉体を乗っ取って、まるでこの世界の住人であるかのようにこの世界の社会に溶け込んでいく、って。
数十年に一度しか入らない、半ば都市伝説のような話。でも、今の状況はその【転生者】の目撃報告と悔しいくらいに一致してる……。
――あのわたしから『賢帝』を奪った女は、こんな頼りない女に消された、ってこと?
そうわかった時。すぅっとわたしの頭から血の気が引いていく。わたしの中に込み上げてきた感情はわたしから『賢帝』を奪ったエマが消えた喜びじゃなかった。気づいたらわたしは、あの憎らしい女の体をした【転生者】の胸倉を掴んで叫んでいた。
「ざっけんな! あの女には、エマにはまだ負けっぱなしで言ってやりたいことも打ちまかしてやりたいことも山ほどあったのよ。だから、わたしからエマを奪わないでよ。エマのことを、返してよ……」
叫びは途中から嗚咽に変わる。そんな自分の中に自分のことをどこか冷めた目で見る自分がいた。
――わたし、本当はエマのことが大好きだったんじゃん。
そう自覚しながら、わたしは殆ど初対面の転生者の前にもかかわらずぼろ泣きしてしまった。そんなわたしを見て、転生者の女性はおろおろとするばかりだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。お読みいただいたように、5章は他国のお話になります。
そのトップバッターは官僚制と科学の国・三賢帝連合。賢帝という名前ですが、試験によって選ばれる行政庁のトップで、一昔前の日本でも言われていた官僚主導を極限まで突き詰めたら? という思考実験の末に生まれたのが三賢帝連合という国になります。
クレアは最終的にはもちろんアリエル達とも絡むキャラですが、劣等編は普段の幕間みたいに独立性がある程度高い話なので、クレアと明日奈、そしてエマの物語として楽しんでいただけますと嬉しいです。