第75話 再会Ⅳ 残酷
*6月11日、話数カウントを間違えていたためそこだけ修正しました。
今回、全編チェリー視点です。
アリエルちゃんを宿泊している宿屋まで運んだ後。辺境伯はあたし達と別れてからのアリエルちゃんがどうなってしまったのかについて話してくれた。それを聞き終えたあたしの感想は『酷い』、のその一点だった。
「あのクソ王女……今度会ったら絶対殺してやる……」
「その気持ちは分からなくはないけど、アリエルの前でその表情を見せるのはやめてよ。今のアリエルが一番苦手とするのは今の貴方みたいな怖い女の子なんだから」
すかさずそう注意してくる辺境伯に、すぐにあたしの心の中にあった復讐の炎は弱まっちゃう。今のアリエルちゃんにとってあたしがしてあげようとすることは全てが裏目に出ちゃう。アリエルちゃんにとって一番幸せなのは、少なくとも今は何もせずに立ち去ることのみ。頭ではそうわかってる、分かってるけどさぁ……。
あたしはアリエルちゃんとのデートの時に買ったアクセサリーに視線を落とす。漆黒七雲客との戦いが終わったら渡せると思って、ずっと渡せなかった、アリエルちゃんに対するはじめての贈り物。でも、これももうアリエルちゃんに受け取って貰うことはできないのかな。そうあたしが弱気になった時だった。
「でも、さすがにあんまりだと思います。だってチェリーはアリエルさんに会うために全てを投げ出してここにいるのよ。なのに、面会謝絶状態だなんて、それはチェリーさんの気持ちをあまりにも踏みにじってると思わないですか? 」
驚いて横を振り向くとキーウィがあたしよりも肩を震わせて必死に訴えていてくれて、あたしは却って冷静になる。そんなキーウィの言葉に辺境伯は物憂げな表情になる。
「そんなこと、あたしにだって分かってるわよ。あたしだってかつてのアリエル様に恋に落ち、変わっちゃったアリエルに一時は初恋が夢破れたと覚悟した1人だから」
その表情は辺境伯と言う身分から解き放たれた、恋する乙女としての表情だった。
「別にあたしはアリエルのマネージャーでもなければ、まだアリエルの彼女でもないから、アリエルが何処までがオーケーでどこからがアウトなのか分からない。その上、チェリーさんはチェリーさん自身が悪いとかそう言うこと関係なく、『勇者パーティーメンバーだった』という事実があるだけでアリエルの心を乱しちゃうところはあると思う。でも、アリエルに無理させない範囲だったら、あたしにあなたのことを止める権利なんてない」
ぐっと唇を噛みがら言う辺境伯。それは明らかにそんなことを言いたくないのに我慢してそう言っている、そんな感じがした。
「……辺境伯は優しいですね。会ったばかりのあたしにチャンスをくれるなんて。それとも、いつも一緒にいる女の余裕って奴? 」
探りを入れるように聞いてみたけど、辺境伯は自嘲したような笑みを漏らすだけだった。
「まさか。ただ物理的に近くにいられるだけで何も持ってないあたしはいつも、アリエルが他の女の子に連れ去られちゃうんじゃないか、って戦々恐々としっぱなしよ。あたしは、あなた達勇者と違って何も持ってないから。それでも、アリエルのことを好きになった人にはチャンスはなるべく平等にあるべきだと思うの。あたしはどこかの狂犬とは違うんで」
狂犬。それが誰のことを指しているのかあたしには分からなかったけれど、そんなことはあたしにとって些末なことだった。
「ありがとう」
「アリエルが目を覚ましたら連絡するわね」
それから連絡先を交換して、その日のあたし達はお開きになった。
そして辺境伯から連絡が入ったのは翌朝のことだった。辺境伯からあたしのことを聞いたアリエルちゃんは少しの間、それも距離を十分に取ってくれたらあたしと会ってもいい、むしろあたしに会っで謝りたい、と言ってくれたらしい。その連絡を貰った直後、あたしは飛び上がりそうなほど嬉しかった。でも、現実はそんなに簡単にいかないことをあたしはすぐに身をもって思い知らされることになった。
アリエルちゃんの部屋にあたしが足を踏み入れた瞬間。あたしは瞬時に自分が招かれざる客なんだな、というのを羽田で感じた。アリエルちゃんや他の誰かがそう言った訳じゃない。あたしが足を踏み入れた途端、身体を小刻みに震わせるアリエルちゃんの震えが一段と大きくなったことから、そう感じちゃったのだった。
あんなに堂々としていつも一番星のような輝きを放ってあたし達を導いてくれたはずのアリエルちゃん。そんなあたしの大好きだったアリエルちゃんの様子は、改めて今の彼女を見ると陰も形もなかった。確かに髪色も、瞳の色も、顔立ちだって変わった訳じゃない。でもあたしを目の前に小刻みに震える彼女は自信無さげで、あたしが知っているアリエルちゃんより一回りも二回りも小さく見えた。
――こんなアリエルちゃんなんて見たくなかった。こんなアリエルちゃんを見せられるくらいなら、今日は来なければよかった。
つい目を背けたくなっちゃうあたし。でもそれをぐっと堪えた。当のアリエルちゃんだって勇気を振り絞って今、あたしと対面してくれてるんだから。
「チェ、チェリーさん……じゃない、チェリーちゃん。昨日は驚かせちゃってごめんなさ……じゃない、ごめんね」
たどたどしく、それでも一生懸命に話しかけてくるアリエルちゃんの言葉はどこか余所余所しくて、それがまた、あたしの知ってるアリエルちゃんじゃないんだ、ってことを強調されているようでかなり心に来た。
――もうあの頃のあたしとアリエルちゃんに戻れないのかな。
そんな不安が頭を掠める。それをあたしは必死に振り払って、一縷の望みに縋る思いであたしはアリエルちゃんに向かって言葉を紡ぐ。
「うんうん、全然気にしてないよ。――ところでアリエルちゃん、だいぶ髪を短くしたんだね。イメチェン? 」
アリエルちゃんの前でのあたしはいつもそうだった。アリエルちゃんの前では女の子として見られたくて、ファッションとかお洒落とか、そんなこと戦闘しかしな過ぎて何も知らないのに背伸びして、そんな話題ばかり話していた気がする。うん、あたしはうまくやれてる。たとえアリエルちゃんが変わっちゃっても、あたしはちゃんとやれてる。そう自分で言い聞かせた時だった。
「あっ、この髪。ミレーヌ様が切ってくれた……んだ。魔法騎士だった頃の自分が嫌いで嫌いで仕方なかったぼくが最初の一歩を踏み出せるように、って」
再開してから初めて嬉しそうにはにかみながら言うアリエルちゃん。その言葉にあたしの心はざわついた。あの辺境伯の名前が出てきたからじゃない。『魔法騎士だった頃の自分が嫌い』、その言葉が、何よりもあたしの心に響いて、自然と頬に温かいものが伝っちゃう。
「『魔法騎士だった頃の自分が嫌い』……って嘘だよね? だってあの頃のアリエルちゃん、あんなに輝いてたじゃん」
涙交じりに言うあたしに、アリエルちゃんは困ったような表情を見せる。
「そんなことないよ。あの時のあたしはどうしようもなく愚かで、人を疑うことを知らなかった。無自覚に誰にでもいい顔をしてみんなの心をいたずらに弄んで、引っ掻き回した。あんな女、好きになるわけないよ」
あたしの初恋相手のことをそんな風に言わないでよっ!
そう、今すぐに叫びたかった。でも出来なかった。だって、あたしの初恋相手のことをけちょんけちょんに罵ってるのは他ならない、アリエルちゃん自身なんだから。本人が自分を否定することを真正面から反論するなんて、あたしにはさすがにそんなことはできなかった。行き場を失ったあたしの怒りは結局、その場で霧散しちゃう。
「……アリエルちゃんが昔の自分のことを嫌いになっちゃったのは、やっぱりプロムに酷いことをされたから? 」
怒りをぶつける代わりに出てきたのは、そんな疑問だけだった。そんなあたしの問いにアリエルちゃんは首を傾げたままこくん、と頷く。
「今でもプロムのことは怖い。真夜中に1人でいるとふと、プロムが死にきってないぼくのことを殺しに来るんじゃないか、って思っちゃうくらい、ぼくにとってのトラウマだよ。でも、ぼくの愚かさをあの時点で気付かせてくれたのだけは、感謝するべきなのかな、って思わなくもないんだ」
「……そんなことないよ」
「えっ? 」
つい口を挟んじゃったあたしに、アリエルちゃんはぽかんとした表情になる。
「……いくらあなたが否定して、嫌いになってしまった過去だとしても、昔のアリエルちゃんは愚かでも愚図でもないよ。あの頃のアリエルちゃんに救われて、あの頃のアリエルちゃんに帰ってきてほしい、って心の底から思っている人だって沢山いる。あたしは、その1人」
そう一方的にまくしたてると。あたしはアリエルちゃんの体の震えなんか構わずに左手にぎゅっと握っていた、2ヶ月間アリエルちゃんに渡すために持ち続けたアクセサリーを無理矢理握らせる。そのアクセサリーはあたしがぎゅっと握っていたせいでちょっと汗ばんでいた。
「こ、これは……」
「アリエルちゃんが嫌いになっちゃった、他ならない過去のアリエルちゃんのことを思い続けている面倒くさい女がいる、って証。今すぐ戻ってきて、なんて贅沢は言わない。でも、あたしはずっと待ってるから。いつしかアリエルちゃんが過去と向き合って、あたしが好きになったアリエルちゃんに戻ってきてくれる日が来る、って。その時が来たら、改めてあたしはあなたに告白する。その時まで、ずっと、いつまでも、あたしは待っているから」
それだけ言って、あたしは逃げるように宿屋を出ていった。目元からは大粒の涙が零れ落ちて、宿屋の廊下を濡らした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。今回のお話は4月くらいからずっと書きたいなぁと思っていたお話です。願わくばその想いが自己満足だけでなく、読者の皆様にも刺さる何かがあったならば幸いです。