第73話 再会Ⅱ 越えられない恋仇
*6月11日、話数カウントを間違えていたためそこだけ修正しました。
ミレーヌ様に背中を流してもらったくだりから先のことはよく覚えてない。恥ずかしがりながらもされるがままに洗われて、勢いで「み、ミレーヌ様の体はぼくが洗います! 」なんて見切り発車して、結局恥ずかしくてお嬢様の肌に触れることができなくて、お嬢様に笑われたような気がする。まあともかく色々乗り切った末、ぼくとミレーヌ様は湯船に体を沈めていた。
「ふぅっ。温泉なんてはじめて来たけど、これはいいものねぇ」
そう言って大きく伸びをするお嬢様。そんなことをされると胸元がお湯の外に出ちゃって見えそうになるから控えてほしいな……そんなことを思いながらぼくは全力で視線を逸らす。
「それにしても、アリエルの肌ってほんとにすべすべで、絹みたいよね。その……アリエルって前は戦士だったわけじゃない? 勝手にもっとがっしりした体つきなのかと思ってたんだ。だから繊細な肌で、ちょっと意外だった」
ふと思い出したかのようにミレーヌ様は呟く。
「アリエルってスタイルもいいし、肌もきめ細かいし、ほんと女の子として羨ましいなぁ。隣にいるあたしが自信なくなってくるくらい。少なくとも自分の身体に対して自分で思ってるほど卑下することなんてないと思うよ」
そのミレーヌ様の言葉は聞き捨てならなかった。ぼくは気持ちが抑えきれなくなって浴槽から立ち上がっちゃう。
「そ、そんなことないです。ぼくから見たらミレーヌ様のお体の方が遥かに魅力的で、う、美しいと思います! 」
「それ、自分よりスタイルがよくて胸の大きい女の子に言われても説得力ないんだけどなぁ」
そう言って微笑むミレーヌ様。そう言われて、ぼくは自分の発言が皮肉になってなかったか不安になるけど、ミレーヌ様を見ている限り、別に怒っていたりはしなさそうだった。……って。
「も、もしかしてミレーヌ様。まさか今のぼくのことが好きなのって、ぼくの体目当てだったりしますか……? 」
自分で言っておきながら怖くなって、ぼくは自分の身体を抱くようにして小刻みに震える。何が怖いって、結局ぼくの体目当てだと言われたら『今のぼく』じゃなくて『昔のわたし』と同じ体だから求められてると分かっちゃうことが怖かった。だってそれは、『今のぼく』は要らないって言われているのと同じようなものだから。
いきなり震えだすぼくをミレーヌ様は驚いたような表情で見る。それから。ぽん、と震えているあたしの肩に手を置いて言う。
「そんなことないわよ。確かにアリエル様のお姿はかっこいいと思っていたし、それと同じ素材なんだもん、アリエルの今の体に全くときめかないかと言うと嘘になる。それを否定したらあたし自身の初恋を否定することになっちゃうから、ときめかないなんて言うことはできないよ。
でも、あたしはちゃんと『今のあなた』のことも見て、今のあなたが居なくなったらそれはそれで寂しいかも。あなたの体は二の次。それでも、あなたには自分の体のことも好きになって、自信を持ってほしいな、とは思う。自分の大切な人には、自分の好きなものを好きになってもらいたいものだから」
「……好きになんてなれるわけがありませんよ、こんな女の子っぽい身体」
ぼそっと言ったぼくの言葉にミレーヌ様はそれ以上言い返してくることもなく、「そっか」と呟いただけだった。
お風呂から上がると、ぼくとお嬢様は浴衣に着替えた。紫の朝顔が大きくあしらわれた白い浴衣姿のミレーヌ様を見た途端、ぼくは
「綺麗……」
と思わず嘆息を漏らしちゃった。そんなド直球のぼくの感想にミレーヌ様は頬を朱に染める。
「あ、ありがとう。アリエルも似合ってるわよ」
長い髪を掻き上げながらそう言ってくれるミレーヌ様は凄く画になった。
「えっと、まだお夕飯まで時間があるし、お土産物屋さんでも軽く見に行きましょうか」
照れ隠しのようにミレーヌ様はそう言った。
自由都市ラインベルトはもともと魔族領域から逃げ延びてきた人々がクラリゼナ王国に作った街。だから浴槽なんて元々存在しないクラリゼナでは珍しい温泉の文化や和装の他にも、他地域では見かけない不思議なもので溢れていた。ぼく達が立ち寄ったこじんまりとした小物屋さんもそう。アクセサリーみたいなのが棚にひしめき合ってるけど、その中にも真珠ほどの珠を繋ぎ合わせたブレスレットとか、ダッシュマークみたいなネックレスとか、見たことのないものが溢れていた。ミレーヌ様が最初に手に取ったのもそんな真珠みたいなものと白銀の剣をかたどったミニチュアが繋がれたアクセサリーだった。珠の色は緑と黄色で、ぼくの髪と瞳の色にそっくりだった。
「なんかこのアクセサリ、アリエル様みたいだね。凛々しい魔法騎士だった頃のアリエル様みたい」
慈しむような表情になって言うミレーヌ様。それを聞いて、ぼくの脳裏に数日前にミレーヌ様の部屋で見た長い緑髪の女の子の人形が過ぎる。
――そう言えばミレーヌ様が不安で不安で仕方がない時に抱きしめてたのもあの女のお人形だった。ミレーヌ様はあたしに『特別』を求めながらも、やっぱり不安な時に縋るのはあの女なのかな。
そう思うと、ぎゅっと心臓が締め付けられるような気持ちになる。
――だいたい、なんであんな女の話なんかするの、ミレーヌ様。これ、せっかくのデートなんだよね? じゃあ、ぼくが大嫌いな女のことなんか考えるのはやめてよ。ぼくだけを見てよ!
そんな思いを込めた目でぼくはミレーヌ様のことを見つめ、ミレーヌ様の浴衣の袖を引っ張る。いつもだったらきっと、それで十分気付いてくれるはずだった。ミレーヌ様は本当に些細なところまで気を配ってくれているから。でも、この日はちょっと違った。
「気が合うわね! アタシもそう思ってたのよ! 」
いきなり話に割り込んできた人物にぎょっとする。見上げるとそこには純白の修道服に身を包んだシスターらしき女の子がぼく達のことを見つめていた。一見柔和そうな聖職者、でも彼女からは発せられる魔力はとても、常人のそれじゃなかった。この人はきっと強くて怖い女の人。本能がそう警鐘をならして、ぼくはついミレーヌ様の背に隠れちゃう。
それにミレーヌ様もすぐに気づいて、ぼくを庇うように一歩前に出てくれる。
「失礼だけど、あなたは誰? 」
「おっと、そっちの子猫ちゃんを怖がらせちゃったかな。でもべつにアタシは君達と喧嘩したかった訳じゃないんだ。――アタシの名前はロック。とある目的のために各国を回っている流浪の槍兵よ」
各国を回ってる……この世界には人間の住むクラリゼナ王国と魔族領しかないはずだけど、この怖そうなお姉さんは何を言ってるのかな。そう疑問に思ったけれど、口には出さなかった。
「それより! あなた、アリエル様のこと好きなの!? 」
怖そうなお姉さん――ロックさんは興奮気味にそう言ったかと思うと、不敬にもミレーヌ様の手を取る。あんな風に強引にミレーヌ様の手を取るなんて、ぼくだってそんなにしたことがないのに……そう思うと一瞬、女性恐怖症を忘れてロックさんのことを吹っ飛ばしたくなった。そんな圧の強いロックさんにミレーヌ様も
「ま、まあ、アリエル様についての新聞記事を切り抜いて神棚に飾って、アリエル様グッズを全部保存用毎日摂取用・布教用と揃えるくらいには好きよ」
と困ったように答える。うんうん、ミレーヌ様も困ってるじゃん――って、えっ、なに言ってるのミレーヌ様……。
ミレーヌ様の思いもしなかった言葉に唖然としちゃうぼく。その間にも2人の会話は続く。
「奇遇ね! アタシもアリエル様の大ファンなの。あの方は貴族でもないのにあれだけ強くて、数々の魔法を使えて。あの人だったら概念魔法に囚われたこの世界をあるべき姿に戻してくれるんじゃないか、って尊敬してるの」
「――その気持ち、分かるかも」
「そうよね! ねえねえあなた、アリエル様の使う魔法の中では何が一番好き? 」
「えー、迷うな。でもやっぱり一番美しいのは時間系魔法じゃない? あれで何度も敵の【臨界招来】を打ち破ってるわけだし」
「だよね! 神聖霊装なしで不死の魔獣を倒したこともあるみたいだし、ロマンがありすぎる」
「ロックさんはアリエル様のこれまでの戦いだとどの戦いが好き? 」
「そうだなぁ」
最初はロックさんのことを警戒していたミレーヌ様だけれど、段々と水を得た魚のように饒舌になっていく。それを見つめるぼくの心情は唖然から疎外感へと段々と変わっていく。
ぼくの前では決して見せてくれない、ミレーヌ様の生き生きとした姿。そんなミレーヌ様の会話にぼくは決して入っていけない。だってミレーヌ様達の話題の中心はぼくが大嫌いなあの女のことだったんだから。
段々とぼくは悔しくなってきた。ミレーヌ様と楽しそうに話すロックさんに対してじゃない、もうこの世にいないくせに、ぼくには決してさせられない幸せそうな表情にミレーヌ様をさせてあげられる、あの女に負けたことに対して。
――なんで? なんであの女はぼくの邪魔ばかりするの?
その思いはいつしかこらえきれなくなって、ぼくはバンッ、と商品台の上に勢いよく拳を叩きつけちゃう。その音に2人は一瞬にして静まり返る。そこでようやく、ミレーヌ様ははっとした表情でぼくの方を見てきた。でも、もう遅い。
「……お嬢様の目の前にはぼくがいるのに、何であんな女の話するんですか? 」
「あら、あなたってモテモテじゃない。嫉妬されちゃってるけど、そこにいるのはあなたの彼女か何か? 」なんてロックさんは的外れなことを言ってくるけれどぼくは無視した。
「だって! あの女って最悪じゃないですか! バカで、人を疑うことを知らなくて、簡単に騙されて! 挙句の果てに全てを投げ出して逃げ出したあんな女のどこがいいんですか? 目の前にいるのはぼくなんだから、ぼくのことを見てくださいよ……あんな女とぼく、どっちの方がミレーヌ様は大事なんですか? 」
ぶちまけてしまった感情。そんな中でぼくは祈るように目をぎゅっと瞑った。ぼくが欲しかった答えは『今のアリエルの方が大事だよ』という一言だけ。でも、そんなぼくが欲しかった一言は、いつまで経ってもミレーヌ様の口からは出てきてくれなかった。
――やっぱりまだ、ぼくは『昔のわたし』に負けたままで、ミレーヌ様にとっての一番になれないんだ。
そう突き付けられているような気がして、ぼくはまたその場から逃げ出しちゃった。