第65話 幻想Ⅳ 無能な僕は残酷で
6月10日、話数カウントを間違えていたためそこだけ修正しました。
わたしが概念魔法【原素】を引き継ぐと決まった途端、お母さんの行動は迅速でした。なんでも概念魔法を引き継ぐには頑健な肉体と高い魔法適正が必要なようで、それらが足りない場合は訓練によって補わないと概念魔法に食い潰されてしまうようなのです。
「まあ実際にレモンに【原素】を引き継ぐのは数年後になるだろうけれど、早いうちにレモンの体のことについて知っておくのは大切だからね」
そう言って鑑定魔法でわたしのステータスを確認し出すお母さん。でもその表情はすぐに少しだけ影が差します。
「あれ、うまくレモンのステータスが読み取れない」
最初はそう首をひねって、まだどこかおどけている様子がお母さんにはありました。でも数分後にはそんなおどけた調子は消え、真顔になって「なんで読み取れないの。流石におかしい」と独り言のように呟きます。それから更に格闘すること5分ほど。ある可能性に気付いたのか、お母さんの表情ははっとし、その瞬間、お母さんはわたしから距離をとるように大きく後方に飛び跳ねました。
「な、何かあったの、、おかあさ」
「そう気安く呼ばないで、この詐欺師! 」
そう鋭い声で叫ばれてわたしはつい口を噤んじゃいます。その時のお母さんはこれまでわたしが見たことのないような怖い表情をしていました。えっ、何が起きちゃったの……。そう不安で胸が押し潰されそうになりながらも、わたしは努めて明るく言います。
「なんか今日のお母さん、怖いよ。そんなに怖い顔をしてたら、幸せがびっくりして逃げちゃ」
「だからもう二度とわたしのことを『お母さん』だなんて呼ばないで、って言ってるでしょ、この人でなし。数か月も人のことを騙しておいて、わたしのことを利用しておいて。いや、それだけならまだいい。わたしにとって命よりも大切な、蒼弓をよりによってあなたなんかに渡したい気持ちにさせるなんて、どれだけ考えが下劣なのよ」
「騙す? えっ、本当にお母さん、何を言ってるの……」
訳も分からずにお母さんに罵られ、わたしは瞼に涙をたくさん溜めてしまいます。いつもだったらわたしがそんな顔をするとすぐにお母さんは優しく抱きしめてくれました。でも、今のお母さんは抱き締めてくれるどころか。
「あくまで白を切るつもり? ほんと、ふざけないでよっ! 」
と追撃してきます。そのお母さんの逆鱗にわたしは身を縮こまらせちゃいます。
「あなた、【幻想】だったのよね。精神干渉系魔法の最上位にして【原素】に並ぶ概念魔法の1つ。その力でずっと、わたしの心を操っていたのよね。純真無垢な女の子の振りをしてわたしに取り入って、わたしに娘だと思い込ませてわたしが持つ概念魔法【原素】を手に入れようとした。今だって鑑定魔法に干渉して自分のステータスを隠しているんでしょう? 」
「なんでそんな意地悪なことを言うの? お母さんはそんな酷いことを言わないよね? わたしのこと、『家族』として好きだって言ってくれたよね? 」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら必死にわたしは訴えます。今目の前にいるお母さんの剣幕は正直、怖くて怖くて仕方ありません。でもここで引いたらせっかく手に入れた全てを失っちゃう。きっとお母さんは何か勘違いをしているだけ。そう自分を奮い立たせて、みっともなくもそう訴えました。
でも。お母さんはゴキブリでも見るかのような蔑んだ目でわたしのことを見降ろすだけでした。
「わたしがあなたのことを家族として好き? 人の心を【幻想】で操って作り物の感情を植え付けておいて、よくそんなことが言えたものね。あなたの【幻想】で精神操作されない限り、わたしがあなたみたいな漆国七雲客のことを好きだなんて、ましてや家族だなんて思うわけないじゃない」
お母さんのその言葉に、わたしは頭が真っ白になります。
――お母さんがわたしを『好き』って言ってくれたのは、わたしが【幻想】でそう言わせていたの? わたしが信じた『家族の愛』はやっぱりここにもなかったの?
理解することを脳が必死に拒んでいました。でも、一度その考えに至ってしまうと、それがもっともらしく思えてしまいます。【幻想】、"お父さん"が自分のことを偽ってまで欲したわたしの力の全貌は、他ならないわたしが一番よく知ってます。
――あー、そうだったんだ。どこからかは分からないけれど、『家族』を欲したわたしは無意識にお母さん――魔女さんの心を操って、自分にとって都合のいい優しいお母さんを演じさせていたんだ。この数か月間、お母さんがわたしに注いでくれた愛情は全て、わたし自身が創り出した偽物。わたしに家族の愛を注いでくれる本当の家族なんていないんだ。
そう思うと再び涙がにじんできちゃいます。偽物の愛情、そんなものをいつまでも覚えているから辛くなるんだ。そう思ってこの数か月間の記憶を、お母さんのことを忘れてしまおうとして見ます。でも。
「――そんなの無理だよ」
できませんでした。だってお母さんと過ごしたこの数か月はわたしにとって本当に奇跡みたいなもので、毎日が凄く楽しかった。生まれて初めて『幸せ』だと思えた。全てはわたしのやらせだったかもしれないけれど、わたしが抱いたその気持ちだけは、偽りじゃありませんでした。
――そんなお母さんとこのまま喧嘩別れなんてイヤだよ。お母さんにこんな怖い顔なんてしてほしくないよ。確かにわたしは無意識とはいえ、いけないことをしちゃったのかもしれない。でも、お母さんにこんな風にこの先一生恨まれるくらいだったら……。
そう強く願った瞬間。わたしの口は勝手に、記憶にない詠唱を唱えていました。
【概念構築_記憶捏造_到達点_4th month ago_対象選択_WWG_再定義開始】
次の瞬間、辺り一帯がまばゆい魔法の光で包まれ、そして――。
「って、あれ? 私、何をしてたんだっけ……」
魔法光が消え去った後。お母さん――魔女様からはわたしに対する怒りも、殺意も一切が消えていました。そう、わたしが択んだ解決法、それは魔女様の頭からわたしと過ごした数か月間の記憶を消し、私と魔女様が出会ったばかりの状況に戻すことでした。大好きだったお母さんに恨まれながらこの先一生生きていくなんて、わたしには耐えられませんでしたから。そこで、ようやく魔女様は目の前にいるわたしに気付いたようでした。
「ああそうか、先日、君のことを隣国の教団から救い出してきたんだっけ。えっと、君の名前は? 」
そう尋ねてくる魔女様はわたしと過ごした3か月間の記憶をすっかり失くしているようでした。あの3ヶ月間を覚えているのはわたしだけ。そう思うと胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなります。でも、この結末を選んだのはわたし。魔女様がわたしと過ごした日々の記憶を持ってこの先も生きて、一生わたしのことを恨み続けるくらいなら、いっそのこと記憶を消してこの人との関係をやり直したい。そう、わたしは選んだのですから。
わたしが気持ちを切り替えて、元気よく答えます。
「はい、レムは、レムっています」
名前を聞かれて出てきたのは本名じゃなくてできのわるい偽名でした。なぜなら本名を口にしてしまうとせっかく記憶消去したのに魔女様が全てを思い出してしまうかもしれないから――と言うのは建前で、『レモン』としてのわたしはもう二度と来ることのないお母さんとの、夢のようなあの3ヶ月の中だけで使いたかっただけなのかもしれません。これまでの3ヶ月私が一緒にいた『お母さん』と今目の前にいる『魔女様』は同じ人であって違う人。だから、わたしのことを『レモン』と呼ぶのはわたしが大好きだったお母さんだけにしたかったのです。
そんなわたしの心中などいざ知らず、魔女さんは穏やかな笑みを浮かべます。
「へえっ。可愛らしい名前だね。――私はキャロ。これからよろしくね」
それから数日も経たないうちに。【魅了】を受けなくなった魔女様は数日後、レムのことを近くを通りがかった冒険者に預けて、魔女様自身の手でレムを育ててくれるようなことはありませんでした。これまで魔女様が助けてくれたその他大勢のように。これが魔女様にとっての普通なのです。
それでも、レムは魔女様が『お母さん』だった頃の記憶を忘れことなんてできませんでした。相手が覚えていないとしても、レモンに――レムに初めてできた『家族』の記憶。それをレモンは、墓場まで1人で持って行こうと決めたのでした。
ここまでお読みいただきありがとうございます第3章幕間の中盤の山場でした。今回明かした通り、今回の幕間は特に3章で露骨に仄めかしたレムの物語になります。彼女がアリエルと出会うまでの物語、もうちょっとだけお付き合いいただけると幸いです。