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第56話 仇敵Ⅲ 今のあたしには何もない

 今回、全編ミレーヌ視点です。

 また、時系列的には第49話-第53話の来訪編の裏、第55話仇敵編Ⅱの直前です。ややっこしいですがお付き合いいただけたら幸いです。

 ヘンリエッタが自分の領地に帰るにあたってアリエルを連れて行った。

 その話はヘンリエッタがあたしの屋敷を発った日の夜にはあたしの耳に届いていた。昨日のお茶の席でのヘンリエッタの言葉。あれはあたしをからかって遊んでただけじゃなくて本気だったんだ。そうわかった途端、目の前が真っ暗になった。


 ヘンリエッタとは長い付き合いだからわかる。彼女は自由奔放で何にも考えていないように見えて、気配りができる女の子。ヘンリエッタを女性恐怖症に対象としてさえ見ないようにできれば、今のアリエルにとって一番タイプな女の子のはずだ。ヘンリエッタって顔もいいし。そして、アリエル様が魅力的な人だって言うことは十年近く思い続けてきたあたしが一番よく知っている。そんな2人が出会っちゃったら、『特別』なものなんて何も持っていないあたしが入り込める隙間なんてもう何もなかった。


 ――別にいいじゃん。今のアリエルのこと、別に恋愛対象としてなんて見てなかったんでしょ。『初恋を諦めるまでの物語』って自分で言ってたじゃん。


 そう自分で自分を納得させようとしてみる。でも無理だった。ヘンリエッタとアリエルが一緒にいるところを想像しただけで胸が苦しくなる。それと同時に自分の首を絞める方へ絞める方へと不用意に発言しちゃう自分が自分で嫌になってくる。でも、今更いくら後悔したり反省したりしたところでもう遅い。あたしが変わり果ててしまったとはいえ初恋相手と2ヶ月間を一緒に過ごせたこと自体が奇跡だったんだ。そんなチャンスは、もう二度とやってこない。


 そう思うと、もう全てに対して投げやりな気持ちになってくる。理想の領主だとか公務を頑張るだとか、そういうのってアリエルに振り向いて欲しくてやってたんだし、アリエルがもうあたしに振り向いてくれないことが確定したなら頑張るのを辞めちゃってもいいよね。いや、頑張らなくちゃいけない時にアリエルに勇気をもらったんだっけ? その前後関係も今となっては曖昧。まあ、そんなのどうでもいっか。もう頑張りたくない。それが、今のあたしの本心。


 まだ夜7時だというのにベッドに倒れ込んで天井を見上げる。ほんと、魔女様の所に訪れたあの日から調子が狂っちゃったな。これこどれも、全部魔女様のせいだよ。いや、あたしがどんなに努力しても手に入れられないものを苦労もせずに手に入れちゃうヘンリエッタがアリエルのことを奪ったからいけない? いやいや、そもそもアリエル様がアリエル様のままでいてくれたら、あたしの気持ちがこんなにぐちゃぐちゃになることなんてなかった。純粋にあなたのことを愛して、素直に思いを告げられていたのに……。


 誰かに責任を擦り付けるような言葉ばかりが溢れてくる。そんな醜い自分に自嘲が漏れ出ちゃう。本当のあたしはいい人でも優しい領主でもなんでもない。すぐ人のせいにしちゃって、なんの『特別』も持っていない、誰の『特別』にも慣れない救いようのない女の子。アリエル様みたいに明るくて優しい領主は本当のあたしなんかじゃない。女騎士様に憧れ、並び立ちたくて、下手ながらも演じていたまがい物の存在。そんな金めっきはすぐに剥がれ落ちちゃう。


 ――ほんと、自分のことが自分で嫌になる。もう死んでしまいたい。


 そんな自責の念に駆られながらあたしは1人、枕を濡らした。




 いつの間にか寝てしまったらしい。目を覚ますと開け放たれたカーテンから初夏の厳しい日差しが容赦なく差し込んでいた。気怠いけれどずっと寝ている気にもなれなくて、重い体を無理やり起こす。鏡の前に立つと


「うわ、酷い顔」


そんな独り言が自然と出ちゃう。ピンク色の髪はぼさぼさ、目元は赤く腫れていて頬には幾筋もの涙の痕がある。とてもとても、人前に出せるような顔じゃないね。まあいっか。もう全てがどうでもいい。公務なんて知らないし、それなら誰かの前に出ることなんてないでしょ。そう思った時。


 ドンドン、と乱暴にドアがノックされる。


「ご主人様、ご主人様。起きてますか? 起きてるなら、早くドアを開けてください。」


 聞こえてきた声から、どうやらドアを叩いているのはソラみたい。それが分かった途端、うげっ、という気持ちになる。屋敷の中ではあたしが一番心を許せる存在だったはずのソラでさえ、今は疎ましく感じちゃう。だって、ソラだってあたしが演じてた『理想の辺境伯』であるあたしのことを慕い、好きになってくれてたんだもん。こんな醜いあたしのことなんか失望されるに決まってる。そう思うと、ソラにだって今は会いたくなかった。会うのが怖かった。


 このままだんまりを決め込んだら帰ってくれないかな。そう期待していたけれど、十分近く経ってもソラが立ち去る気配は一向にない。このままだとドアが壊れちゃいそうだった。


 ――仕方ないな。


 そう観念して、あたしは恐る恐るドアを開けた。急にドアを開けたものだから、ソラは前のめりに倒れ込んでくる。それにちょっとだけ心が痛んだけれど、謝罪の言葉などは言わなかった。


「おはようソラ」


「おはようって、今何時だと思ってるんですか、ご主人様」


「そんなの知らないし、どうでもいいよ。――ソラは仕事をしないあたしのことを諫めにでも来てくれたの? まあ、ソラはこの屋敷の筆頭執事だもんね」


 ああ、まただ。また、思ってもいない人を傷つけるような言葉がすいすいと滑り出しちゃう。いや、本当に思ってないことなのかな。少なくとも半分くらいは本心。今のあたしは『辺境伯』を頑張る気なんてもうなくなっちゃった。そんな無責任の自分のことを包み隠さずソラには見せたい。見せて、ソラに諦めてほしい。今のあたしは、きっとそんな風に思っていた。


 挑発するようなあたしの言い方に、ソラはぷるぷると拳を震わせる。


「……ご主人様、なんでそんな思ってもいないことを言うんですか? 」


「思ってもないことじゃないよ。今のあたしの方が、きっと本当のあたしに近いんだよ。辺境伯を頑張って、なんだったら最初にソラに手を差し伸べたあたしだって、あれはアリエル様から一方的に貰って、アリエル様に近づきたくて創り上げた虚構の自分。本当のあたしは弱虫で、誰かが救いに来てくれるのを待ってばかりで、助けに来てくれなかったりしたらすぐ人のせいにする。ソラだってそんな虚構のあたしのことを慕ってくれていただけで、今のあたしを見て失望したでしょ。演じてないあたしなんて要らないんでしょ」


 投げやりな言葉が出てくる。でもその時、ここ数日ではじめてあたしは本心を口にできたような気もした。


 ――ソラにはこれまでも情けない所を見せてきちゃったけれど、『演じてないあたし』を見せるのはこれが初めてだったはず。だったら、今のあたしを見て失望して、もう放っておいてくれるはず。


 内心で乾いた笑い声を立てながらそう算段している時だった。


 パチン、と空を切り裂くような音がした。あたしは最初、それが何の音かわからなかった。それから数秒のタイムラグがあって、じんわりとした痛みが頬から伝わってくる。そして、目の前には今にも泣きそうなほどに瞼に涙をたっぷりと貯めたソラが、怒りで体を震わせていた。


「そんな寂しいこと言わないでくださいよ……本当のご主人様は今の自分? これまでのは全て演じていた? そんなわけないでしょう! 」


「そんなわけないって……ソラが勝手に決めつけないでよ。あたしのことなんか何も知らないくせに」


「なにも知らない? そんなわけありません! だってボクはあなたに拾われて以来、あなたのことを『好きな人』としてずっと目で追いかけてきたんですよ? 」


 えっ、好きな人として……? その言葉にあたしは唖然としちゃう。


「ーー嘘。そんな素振り、これまでどこにもなかったじゃん」


「そんな素振りを見せるヘマなんてするわけがないでしょう。だって出会ったその時点からご主人様は、恋する乙女だったんですから。ボクを助けてくれたご主人様になるきっかけがその初恋相手だなんて知ったら、そんなの諦めるしかないじゃないですか。でも、そんな演じてない恋する乙女としてのご主人様のことも含めて、ボクはご主人様のことが更に愛おしくなっちゃったんです」


「演じてない恋する乙女としてのあたし……? 」


 思わず反復しちゃうあたしに、ソラは大きくうなずく。


「きかっけはもちろん、何処にも行き場所のないボクに居場所をくれた、っていう『演じられたご主人様』に惹かれたからでした。でも、ご主人様のすぐ傍に居るうちに、そうじゃないご主人様のこともたくさん知った。ご主人様の新たな一面を知る度に、ボクはご主人様のことが更に愛おしくなっていった。ご主人様の優しい所も、弱さも、乙女なところも、そう言う全てを含めて、ご主人様のことがボクは現在進行形で好きなんです。そんなあなただから、我慢なんてせずにあなたが望む一番の幸せを手に入れてほしい、そう思ってるんです。それに」


 そこでソラは一呼吸おいて優しく微笑む。


「ご主人様の優しさはもう『演技』なんかじゃないですよ。ご主人様が目指した理想はこの数年間で、確実に嘘偽りないご主人様になっています。それは、ボクが太鼓判を押します。だから、お嬢様に『特別』がないなんて、そんな悲しいこと言わないでください」


「……それって、自分に自信を持って、ちゃんとアリエルのことを取り返しに行け、ってこと? 」


 自信無さげにあたしは聞くけど、ソラの回答は曖昧だった。


「それはどっちでもいいです。ご主人様が魔法騎士じゃなくなったアリエルを自分のものにするのが幸せだって言うならボクはそれを全力で応援しますし、そうじゃないならそれはそれで都合がいいです。ワンチャン、ボクの初恋が実る可能性がありますしね」


「それ、自分で言う? 」


 そう言いながらあたしは小さく噴き出しちゃう。まだアリエルとヘンリエッタのことをどうしたらいいか、その結論は出ていない。でも、ソラにひっぱたいてもらったおかげで少しだけ、前向きな気持ちになれた気がした。と、その時、


「お、お取込み中すみません! なんでも勇者パーティー御一行がミレーヌ様との面会を望んでいるようでして……」


 ドアの外からメイドの声がして、あたしとソラは顔を見合わせる。勇者パーティー……アリエルを追い出したあの一団が、今更何の用があってこの屋敷に訪ねてきたって言うの?

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