【2024百合の日特別編Ⅰ】この先、あるかもしれないお話 前編
※本エピソードは本編よりも少し先、いろいろと情勢が落ち着いてアリエルもチェリーも少し大人になった時の、あるかもしれない未来のお話です。
今回、全編チェリー視点です。
――たぶんあたし、今でもアリエルちゃんのことが好きなんだ。
ラインベルトの温泉街で変わり果てたアリエルちゃんと再会した後。一度は自分の大好きだった人がもうこの世界のどこにもいなくなってしまった事実に、あたしは一度は絶望した。本人の前ではみっともないあたしで居たくなくて、なんとか感情を抑え込んだ。けれど、アリエルちゃんと別れた後は、彼女のあまりの変わりようがショックすぎて、あたしは廃人同然だった。
そんなあたしはとっくに見限られてもおかしくなかったのに、キーウィはあたしを見限らずに、ずっとあたしの側にいてくれた。それどころか、キーウィは絶望しきったあたしのわがままを聞いてアリエルちゃんの代わりになろうとしてくれた。感情の起伏のなくなったあたしの心を動かすために、様々なところに、時には無理やり腕を引っ張ってくれた。
「なんでキーウィは、こんなにあたしに優しくしてくれるの? 今のあたしは勇者でもなんでもないのに」
その疑問は何度口にしたかわからない。そしてキーウィはあたしがそう尋ねると決まって嘆息混じりにこう答えるのだった。
「何度も言ってるでしょ。あたしはこれまで"大人"に人生をめちゃくちゃにされてきたあなたに、誰よりも幸せになってほしいの。だから教えて。あなたの本当にしたいことを」
キーウィに尋ねられたその問いに、あたしは長いこと、すぐに答えられなかった。でも。
キーウィに手を引かれ、国中を回って美しい光景に出会うたびに。やっぱりあたしの脳裏に浮かんでしまうのはアリエルちゃんの顔だった。
この場所に、今度はアリエルちゃんと来てみたい。アリエルちゃんに恋人として隣を歩いてほしい。その想いがまた、だんだんと膨れ上がってくる。
そして、キーウィに拾ってもらってからちょうど4つの季節が巡った頃。
「あたし、やっぱり今でも、アリエルちゃんのことが好きなんだ」
ぽろっと口をついて出てしまった、包み隠しようもない本音。それを漏らした時。キーウィは自分のことのように喜んでくれた。
「ようやく素直になれたわね。そして自分のやりたいことに素直になれたのなら――もうあたしの傍で立ち止まってちゃダメ」
「え?」
最初、あたしはキーウィが何を言っているのかその意味が理解できなかった。いや、理解することを脳が拒んでた。けれど。
「そろそろあたし達は別れよう、って言ってるの。あなたの隣にいるべきはあたしじゃない。それは、もう今のあなたならわかってるでしょ」
残酷なほどはっきりとキーウィは言った。解釈の余地がないくらい、はっきりと。
あたしはそんなキーウィに反論しようと口を開きかけて、すんでのところで言葉を飲み込む。なぜなら、キーウィの頬に一筋の涙が煌めいていることに気づいたから。
1年間も一緒にいたんだもん。互いにかなりの愛着が芽生えているし、キーウィだって本当は別れたくて別れるわけじゃない。でもキーウィはあたしのためを思ってこう言ってくれてる。あたしは精神的に弱くて、キーウィと一緒にいたらきっといつまでもキーウィに依存して、本当にしたいことから目を背け続けちゃうから。
それなら、あたしだって答えてあげなくちゃ。
そう思って、あたしは泣きそうになるのを堪えながら頷く。
「これまでありがとう。キーウィのおかげで、一度は迷いかけてた自分の気持ちに気付けた。もう迷ったり、諦めたりなんてしない。どんなことがあっても、あたしの手で絶対に大好きな人を取り戻してみせる」
と、そこでキーウィはそっと、あたしの背中を押す。いきなりのことに思わず振り向こうとすると、キーウィは強い調子で「振り向かないで!」って言ってくる。
「振り向いちゃダメ。振り向いたら、せっかくの決意が鈍っちゃう」
嗚咽混じりに言うキーウィに「ごめん」という言葉が喉の奥まで出かける。
けれどすんでのところでその言葉を飲み込む。卑下や謝ってばかりじゃダメ。それは、キーウィと出会ったばかりの時に言われたことだ。キーウィとの最後の瞬間に口にすべき言葉はそれじゃない。
あたしは泣きそうになって強張っている頬を無理やりほぐして、無理に笑う。水たまりに反射したその笑みは全然うまくなく笑えてなくて、今にも泣き出しそうな表情だった。
そして振り返らずに別れの言葉を口にする。
「うん、ありがとう。――行ってきます」
「ええ。行ってらっしゃい。そして、世界で誰よりも幸せになって、またあたしに会いに来てね」
その時のキーウィもきっと、泣きそうになりながらも無理に微笑んでいたんだと思う。そうであってくれると嬉しいな、なんて思った。
◇◇◇
それから。あたしに発現した概念魔法【空間】の一形態である空間跳躍を駆使すれば、ランベンドルト領――今のアリエルちゃんが暮らしている街――へと来るのに一日もかからなかった。
ランベンドルト領の旧領主邸。そこに、アリエルちゃんはいる。そう意識した途端。緊張で体が強張る。
――会うのは半年ぶり以上になるけど、今のアリエルちゃんはどんな風になってるのかな。まだ男の子の格好のままなのかな。そんなアリエルちゃんを目の前にして、彼女のことを好きと言えるのかな。
――そもそも、またいきなり会おうとしたら拒絶されちゃうかな。今のアリエルちゃん、女の子と話すことが怖いみたいだし。
――よしんばアリエルちゃんと普通に話せたとして、あたしは恋慕を伝えていいのかな。あの辺境伯との関係がすでにもう進展しているかもしれないし。だとしたらあたし、人妻を狙う泥棒猫になっちゃうじゃん。
この期に及んで様々な不安が頭の中を駆け巡る。その不安は足枷となって段々と足取りは重くなり、行かなければいけないところははっきりとしているのに一歩も進めなくなってしまう。
――あはは。もう受け身のままじゃなくてアリエルちゃんに意を決して会いにきたはずなのに、結局あたし、弱いままだ。
自然と自嘲が零れ落ちちゃう。
昔は、あたしは選ばれた勇者なんだから強いと信じて疑わなかった時期もあった気がする。でも実際は身も心も、魔法の力だって、あたしは勇者や漆国七雲客を名乗るには程遠かった。大好きな人に思いを伝えることもできない小心者。そんな自分が自分で余計に嫌いになる。
――ほんと、なんで強くなれないんだろ。あたしに「恋」という感情を教えてくれた、あの女の子みたいに。
と、その時だった。
「チェリーちゃん?」
聞き覚えのあるその声音に反射的に振り向く。するとそこには、お使いの途中なのかパンやリンゴがパンパンに詰まった紙袋を抱えている、燕尾服に身を包んだ女の緒が、あたしのことを見つめていた。
透き通るような檸檬色の瞳に肩まで伸ばした若竹色の髪。間違いない。彼女こそが、あたしに『恋愛感情』を教えてくれた女の子。
「アリエル、ちゃん……」
喉の奥から一音ずつ、噛みしめるようにその名前を口にする。
そんなあたしに、アリエルちゃんはいつかのように恐怖で体を震わせることなんてなく。今や懐かしい、天使のような微笑みを浮かべて、嬉しそうに頷いてくる。
「うん、アリエルだよ。久しぶりだね、チェリーちゃん」
「う、うん、ほんとに久しぶり」
アリエルちゃんと対面した瞬間。胸の鼓動が急に早まり、全身に熱い血が廻る。顔も火照ってくる。すぐに分かった。あたし、今目の前にいるアリエルちゃんのことを女の子として意識しちゃってるんだ……。
「温泉街で会った時以来だっけ? ……って、あの時は本当にごめんね。あの時のぼくは色々といっぱいいっぱいで、でも、チェリーちゃんのことを傷つけちゃったよね」
そう言って申し訳なさそうな表情をするアリエルちゃんにあたしは慌てる。
「ぜ、全然! 寧ろあの時はあたしの方こそ、事情を知らなかったとはいえいきなり押しかけてきちゃってごめん。あの時のあたし、きっと怖かったよね。というか、今は女性恐怖症の方は大丈夫なの? それに、その髪……」
テンパって、まくしたてるように言ってしまいながらも、あたしはアリエルちゃんの髪を指さす。
前に会った時。アリエルちゃんはプロムに酷い虐待を受けたトラウマで極度の女性恐怖症になっちゃって、自分の女の子らしい容姿すら受け入れられなくなっちゃったと言っていた。だから髪も、女の子にしてはかなり短くしていた。まるで男の子みたいに。なのに、久々に会ったアリエルちゃんは髪を肩まで伸ばしていた。この前とは対照的な、普通の女の子みたいに。
あたしの指摘に、アリエルちゃんは紙袋を抱えていない左手で「あー、この髪ね」と肩まで伸ばした自分の髪をそっと触れる。
「ミレーヌちゃんも「もう伸びすぎじゃない? 切ろうか?」って時々心配してくれるけど、もうそこまで気にならなくなったから大丈夫なんだ。さすがに昔みたいに腰まで髪を伸ばすことはもうないだろうけど、無理に男の子っぽくならなくてもいいかな、って思えるように最近はなったんだよね。それもきっと、女性恐怖症をだいぶ克服できたから」
「女性恐怖症を克服したって……」
「そういえばチェリーちゃんには話してなかったっけ。チェリーちゃんと再会した後。プロム王女といろいろあって、本当にいろいろあって、最終的には吹っ切ることができたんだ。今でも女の人に怖い顔をされたり暴力を振られそうになるとトラウマが甦りそうになるけれど、普通に話す分には大丈夫。だからチェリーちゃんともこうして、また普通にお喋りできるようになったんだ」
そこでまた天使のようなスマイルを振りまいてくるアリエルちゃん。
ほんとこの子はずるい。そんな表情されたらアリエルちゃんのことしか考えられなくなっちゃうじゃん。でもたぶん、この子は無自覚でやってるんだろうな……。
「せっかく再会できたんだし、ちょっと喫茶店にでも入って話さない? この街ははじめてだよね? おすすめの喫茶店があるんだ〜」
アリエルちゃんの魅力的な提案に、あたしの心はぱっと明るくなりかけて、でもすぐに紙袋を見て不安が首をもたげてくる。
「いいの? 今、アリエルちゃんはお使いの途中なんじゃ……」
「いいのいいの。ミレーヌちゃんはなんだかんだでぼくに激甘だし、ちょっと怒って頬を膨らませたミレーヌちゃんもかわいいから見てみたいし」
いたずらっぽく微笑むアリエルちゃんもまた、最高にかわいくてあたしの心を的確に打ち抜いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。プロムとの対峙やトラウマと向き合うのはこれから丁寧に本編で書いていこうと思いますが、いろいろすっ飛ばして、百合の日特別編として書いてみたいチェリーのエピソードを書いてみました。前後編なので、後編もお楽しみいただけると嬉しいです。