【バレンタイン特別編】バレンタイン限定の小悪魔
久しぶりの更新になります。はじめましての方もこのエピソード単体でもわかるように書いてみたつもりなので、よかったら読んでやってください。
◇◆◇◆◇◆◇の前後で視点がソラ→第三者視点に変わります。ご主人様に叶わぬ恋をしてしまった使用人の少女のバレンタインのお話です。
僕には好きな女の子がいる。でも、その恋は叶わない。だって彼女には7年間も思い続けた末にやっと両想いになれた、ちょっと頼りないけどお似合いのアリエルがいるから――。
◇◇◇◇◇◇◇
「ごめんね、チョコづくりなんて手伝ってもらっちゃって」
2月某日の深夜。ボクとボクの主人のミレーヌ様は2人きりでキッチンにいた。この日、なぜだかミレーヌ様はボクに「チョコづくりを手伝ってほしい」って頼んできたのだ。
「別にいいですよ。でもなんでいきなりチョコづくりなんて……あ」
そこでボクは一つの可能性に思い至る。ボクの中にはボクではない他人、それも異世界人の記憶がある。そしてその異世界では2月14日に、女の子が好きな人にチョコレートを渡すバレンタインという風習があったらしい、という知識がボクの中にはあった。
2月のこのタイミングで、普段料理をしないミレーヌ様がいきなり手作りチョコを作るなんて言い出した。これはつまり、ミレーヌ様も他の転生者か誰かからバレンタインという異世界の風習を聞き、彼女と初めて迎えるバレンタインのために準備している以外の何物でもない。
気づくとミレーヌ様の頬には朱がさしていた。その反応を見る限り、ボクの予想は図星なんだろうな。そんな、彼女のことを考えて頬を紅く染めるミレーヌ様の恋する乙女のような表情を見た瞬間。ボクの胸はきゅっと締め付けられる。
――ミレーヌ様にはボクだけのためにこんな表情をしてほしかった。
そんな思いが頭を掠めてはっとする。なんで今更こんな気持ちになっちゃってるんだろ、ボク。ミレーヌ様と両想いになることなんて、自分の恋愛感情を自覚したその瞬間に諦めたはずなのに。ミレーヌ様にずっと思い続けている想い人がいることは痛いほど知っていて、その相手に自分なんかじゃかなわないことはよく知ってるはずなのに。
自分で自分に戸惑うボク。そんな自分の気を紛らわせたくて、ボクは無理に明るい声を出す。でも。
「そっか、もうすぐバレンタインですもんね。ミレーヌ様がチョコを贈る相手って……やっぱりアリエルですか?」
自分で『バレンタイン』という単語を口にした途端、胸が更に苦しくなる。こんなの、自分の傷に塩を上塗りするのと同じようなもの。
そんなボクの苦しみを知ってか知らずか、ミレーヌ様は恥ずかしそうに目を伏せて、それから小さくうなずく。
「うん。アリエルには当日まで内緒だよ? アリエル、きっとバレンタインなんて知らないだろうし、サプライズで喜ばせてあげたいんだ」
そんなミレーヌ様はいつもの辺境伯令嬢としての凛とした表情とは対照的に、年相応の恋する乙女のようでものすごく可憐だった。そんなミレーヌ様の愛おしさが更にボクのことを苦しくさせる。かわいい、愛おしい、自分のものにしたい。そんな相手が、手を伸ばせば触れ合えるくらいの距離にいる。
なのに、彼女は絶対にボクの彼女にはなってくれないことが決まってるのだから。こんなの、ボクにとっては拷問にも等しかった。だからかな。
「……でも、アリエルって甘いもの好きなんですか?」
普段は堪えて堪えて外に出ないようにしている意地悪な台詞が、口から飛び出る。こんなの、自分の恋が叶わなかったからってただの嫌がらせだ。誰も幸せになれない。それどころか、ミレーヌ様に嫌われてこの屋敷にすら入れなくなっちゃうかも。こんなこと言っちゃダメ。そんなことはわかってる。わかってるはずなのに、一度口の外に出てしまったらもう止められなかった。
「大体、料理上手のアリエルに手作りチョコなんてハードル高すぎじゃないですか? 絶対アリエルが自分で作った方が美味しいものになりますよ。無謀すぎます。今からやめといたほうがいいんじゃないですか」
自分でも反吐が出そうなほど嫌悪感の湧く科白。でも、幸か不幸か、アリエルのことしか頭にないミレーヌ様はそんなボクの大人げない台詞なんてちっとも堪えていないみたいだった。そもそも耳に届いてすらいなかったのかもしれない。
「ふふ、そうかもね。あたしだってわかってるわよ。美味しいかどうかもわからない手作りチョコを渡したいっていうのはただのあたしの自己満足。でも、世界で誰よりも大切な彼女に、たとえあんまり美味しくなくっても自分で作ったチョコレートを食べてほしいの。恋する乙女ってそういうものじゃない? だから――最後までお手伝い頼りにしてるわよ、ソラ」
ボクがミレーヌ様に片思いしていることを知らないミレーヌ様に悪気がないのはわかってる。告白すらせずに自分の初恋を諦めると決めたのはボク自身だから。でも。
大好きな人がボクじゃない女の子にバレンタインチョコを贈るのを、すぐそばで手伝わされる。しかも大好きな人の、自分じゃない女の子についての惚気を聞きながら。こんなの、こんなの、さすがにあんまりじゃん。
「……そこまでしてミレーヌ様にチョコレートを貰えるのはボクがよかった! バレンタインの日にミレーヌ様の隣居に入れるのはボクでいたかった!」
ついに我慢ができなくなって感情が爆発しちゃったボクは嗚咽交じりにそう言い捨てて、その場から逃げ出しちゃう。そして――。
◇◇◇◇◇◇◇
鈍い音を立ててベッドから落下したところでボクは目を覚ます。背骨に鈍い痛みが走っている。
「いっつぅ……って、今のは夢?」
そう思ってボクはちょっと胸をなでおろす。ミレーヌ様の幸せを一番に優先しよう、って誓ったはずなのに全てを台無しにするようなあんな科白を本当に口にしちゃったらと思うと……想像しただけでぞっとする。
ふとカレンダーを見ると今日は2月14日の当日。そう、今日は異世界ではバレンタインなんて言われてる日。だからこんな変な夢を見てしまったんだろうけれど……こっちの世界にはそんな風習はないし、バレンタインなんてこのランベンドルト領で知ってるのは転生者の記憶を持つボクくらいだろう。
だから、今日はボクが下手なことを言わない限りただの平凡な平日。あの夢はボクがへんに知識を持ってるから見ちゃっただけの夢。そう自分の中で納得しようとした時だった。
「大丈夫? なんかすごい音がしたけど」
鍵を閉め忘れていた部屋の扉が勢いよく開けられたかと思うと、ミレーヌ様が心配そうな表情を覗かせる。そんなミレーヌ様は起きたばかりなのかパジャマのままだった。パジャマ姿のミレーヌ様もかわい……って、そんなことはどうでもよくて!
「は、はい、ボクは大丈夫です。朝から余計な気を遣わせちゃってすみません」
頭を下げるボク。それに対してミレーヌ様は慌てたように「いや、そんなことは気にしなくていいのよ。家族の様に思っているソラに怪我がないか気が気じゃなかっただけで」と優しい言葉をかけてくれる。
「そういえば全然話変わるけど……ソラ、そろそろお誕生日だよね?」
話題を切り替えないといつまでもボクがミレーヌ様を起こしちゃったことを気にするとでも思ったのか、唐突にミレーヌ様が全然関係のない話題を振ってくる。
「これまでは色々余裕がなくてちゃんとお祝いできてなかったけれど、今年はプレゼントも買ってちゃんとお祝いできたらなって思っててさ。誕生日プレゼントでほしいものとかある? ソラはずっとあたしのことを傍で助けてくれた、家族同然の使用人だから誕生日の時くらい、何かさせてもらいたいな、って思って」
軽くはにかみながら話すミレーヌ様の話を、ボクがどこか自分事と思えないまま聞いていた。なぜなら、もう長いことボクは誕生日を祝ういう考え自体がなかったから。
――せっかく何かくれるって言ってもらってるんだから何か答えた方がいいのかな。いや、ミレーヌ様とボクは恋人ですらない、ただの主人と従者。ボクなんかが何かをミレーヌ様にねだるなんて恐れ多すぎるよ。大体、ミレーヌ様にはこれ以上求めるものなんてないくらい、従者としてはよくしても……。
そう思いかけてボクはミレーヌ様にどうしてももらいたかったものがあったことを思い出す。それは。
「……チョコ」
つい口から出てしまった単語。そんなボクの言葉にミレーヌ様は怪訝そうに
「えっ? チョコ?」
とおうむ返しに聞いてくる。言ってしまってから後悔する。でも、明らかにミレーヌ様に聞かれてしまった以上、なかったことなんてできない。だからボクはなかったことにするのは諦めて次善の策――この場をうまく誤魔化すことを選んだ。
「はい。実はボク、甘いものに目がないんですよね。だから、何か一つプレゼントをくれるなら、ミレーヌ様からチョコレートがほしいな、なんちゃって」
これは嘘。ボクは別に甘いものが好きなわけじゃない。ただ、女の子であるミレーヌ様からバレンタインチョコを貰いたかった。貰って、少しでもボクのことを意識してくれてると勝手に錯覚して、自分の絶対に叶わない恋慕を少しでも埋めたかった。ただそれだけのためにミレーヌ様にチョコをねだっちゃった。
「……って、ただの従者がそんな我が儘、言っちゃダメですよね」
「いや、別にいいけど……ほんとにチョコレートなんかでいいの? さすがにもう少し高いものでも用意できるよ?」
ちょっと困ったような表情でミレーヌ様。その反応は、ほんとに2月にチョコレートを女の子から送る意味なんて知らないみたい。ちょっと残念。でも、むしろ少し安心もした。バレンタインを知らないミレーヌ様から2月にバレンタインチョコを貰うことは容易そうに思えたから。
――ずるいなぁ、ボク。正攻法では好きな人からバレンタインチョコなんてもらえないってわかってるから、騙すような感じでチョコレートをせしめようとするなんて。でも……このバレンタインチョコはアリエルだってもらえない。ボクじゃ絶対に勝てないと思ってたアリエルに勝ったような気がしてちょっと気持ちいいかも。
こんなことをしたって根本的には何も変わらないことくらいわかってる。だってそこにはミレーヌ様の「女の子としての思い」なんて乗ってないのだから。でも、形だけでよかった。形だけでもボクはバレンタインのある2月に最愛のミレーヌ様からバレンタインチョコを貰える。それだけじゃない、ボクはミレーヌ様の恋人であるアリエルさえも差し置いてこの世界で唯一、ミレーヌ様からバレンタインチョコを貰える。それは、最初から恋愛における負けが決まっていたボクにとってはこの上ない優越感を感じられた。
気を抜くと意地悪な笑みが零れ落ちそうになっちゃう。それを必死に堪えながら、ボクは無理やり穏やかな表情を浮かべてうなずく。
「はい。もし何かくれるなら、ミレーヌ様からチョコレートがほしいです!」
そんなボクのことを、何にも知らないミレーヌ様は慈しむような目で見つめて
「わかった。なら、満足してもらえるようなチョコレートを頑張って探すわね!」
なんて言ってくれる。
あーボクって、本当に悪い子だなぁ。でもこれもへんな夢をみちゃったのがすべていけない。これが終わったら、いつものミレーヌ様とアリエルの幸せを応援する「友人キャラ」に戻るから、今、この瞬間だけは悪い子のままで居させて。
ボクはそう、誰に言うでもないのに心の中で言い訳をした。
◇◆◇◆◇◆◇
ミレーヌとソラのそんな会話を聞きながら。チョコレートの入った小箱を持ったレムの手には力が入る。それは、バレンタインという異世界の慣習を知ったレムがソラに向けて、この日のために用意した品物だった。
ーーどうせソラちゃんは本命の人からチョコなんてもらえないと思ったからレムがあげようと思ったのに。これは誤算なのですぅ。ソラちゃんが本命の相手からチョコを貰えるなら――もうレムからのチョコなんて、存在意義がないのですぅ。
目元から零れ落ちそうな涙をぐっとこらえて、そう自分を納得させるレム。
そしてレムは不意に、自分の握力で圧し潰しされ、もうとてもじゃないけれど誰かに贈れる状態じゃなくなっていた小箱の封を乱雑に開け、チョコを一粒だけ自分の口に放り込む。
「苦っ」
予想外の苦さに顔を顰めるレム。そんな彼女のひとりごとを聞いていた人なんて、朝早いランベンドルト邸には誰もいなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
一つのエピソードとしてはちょっと長めでしたが、ソラのバレンタインのエピソードを書いてみました。普段のソラはめちゃくちゃいい子なのですが、へんな夢を見ちゃった日くらいはこんな意地悪になっちゃったソラのことも許してあげてください。このエピソードについても感想などありましたら、↓の感想欄から教えてくださいね。
そして軽く宣伝。現在は執筆のリハビリも兼ねて『悪役令嬢、追放された聖女etcが徒党を組んで世界を滅ぼしちゃったのですが、やりすぎたので最初からやり直します! ※ただし、「私達が」とは言っていない。』( https://ncode.syosetu.com/n3565ip/)という作品をメインで書いています。魔王軍によって滅ぼされた時代からタイムスリップしてきた女の子が自分の母親と二人組で幸せになろうと奮闘する中で、知らず知らずのうちに魔王軍幹部になるはずだった女の子たちの心の傷を癒していく……といったお話になる予定。もしよかったらこちらも遊びに来てくださいね。ではでは!