第127話 激動Ⅸ そして彼女たちはすれ違い続ける
――引きこもり始めてから何時間ぐらい経ったんだろう。
ふとそんな疑問が頭を掠め、ぼくはのろのろと窓の方まで歩み寄りカーテンを開く。太陽はもう昇りきっており、すっかり辺りは明るい。振り向くと壁にかかった鏡に自分の姿が映る。ぼさぼさになった緑色の髪、泣きはらした頬。本当に酷い顔。でも、もうどうでもいいよ。まだ誰にも会いたくないし。そう思ってぼくはベッドにダイブする。
魔女さんが息を引き取ったお母さんとロックさんをぼく達のところに連れてきた時。ぼくは頭から血の気が失せて、その事実をすぐには受け入れられなかった。
5年間も会ってなくって、その間にぼくは変わっちゃって、再会した当初はお母さんのことを受け入れられなかった。お母さんのことを『女』として見てしまって、1人で勝手に震えていた。
でも。レムさんやロックさんに背中を押してもらって結局勇気を振り絞ってお母さんに会ったことで、これまでお母さんが抱えてきたことについて知ることができた。お母さんがどれだけぼくのことを大事にしてくれていたのか、って言うことにようやく気付けた。何より、お母さんは変わり果ててしまったはずのぼくのことを受け入れ、変わらない愛情を注いでくれた。そこでぼくはようやく、お母さんのことを『お母さん』としてみれるようになって、お母さんに安堵感を抱くことができるようになった、そして、親子として仲直りしてこれからは元の仲がいい母娘同士になれる。そう思ってたのに。
ランベンドルト領を発ったはずのお母さんがその日のうちにお屋敷にぼろぼろの状態で担ぎ込まれたものの一命を取り留めたと思ったら、お母さんの看病をしていたぼくがうたた寝をしているうちに今度は二度と帰らない状態でまたぼくの元に、お母さんは帰ってきた。
何が起きてるのか、訳がわからなかった。ただ、心の中にあるのはせっかく仲直りできたはずの大切な人を喪った悲しみ。
――もうお母さんには二度と会えないんだ。
そう思ったら他のことなんて考えられなくなって、ぼくは部屋に引きこもって泣きじゃくっちゃった。ミレーヌ様やソラ先輩に心配をかけているのはわかっていたけど、そんなことを気にしてられないくらい辛くて、苦しかった。大切な人ともう二度と会えないってこんなに辛いことなんだな、って今更だけど思った。
それからのことはイマイチよく覚えてない。ミレーヌ様の声でさえぼくには届かず、1人で泣いているうちにお母さんのお葬式は終わっていた。親不孝なぼくは、最後の挨拶すらまともに出来なかった。
――ほんと、何やってるんだろうな、ぼく。
虚無感に襲われてぼうっと天井を見上げていた時だった。
「アリエル、起きてる? 少しは落ち着いた?」
ドアをノックする音と共にミレーヌ様の声が聞こえてくる。いつもならその天使のような甘美な声にうっとりしちゃうところ。でも、今はそんな大好きなはずの相手の声に浮かれる気分になんて、どうやってもなれなかった。
「って、そんなの無理だよね。せっかく仲直りできたと思ったのに、世界でたった1人しかいないお母さんが帰らぬ人になっちゃったんだから」
せっかく仲直りできたのに。その言葉は今のぼくにとって禁句だった。
「こんな気持ちになるくらいなら、お母さんと仲直りなんてしなければよかった。お母さんのことを怖いと思ったままだったら、こんなに苦しい重いなんてしないで済んだのに」
ついそんな言葉を口にしちゃう。その言葉にドア越しでもミレーヌ様が息を飲んだのが分かった。こんなぼくを見てミレーヌ様はいよいよ失望するかな。失望されちゃってもいいや。今はもう、何もかもがどうでもいい。そんな風に投げやりに思いかけた時だった。
「……確かにアリエルからしたら残酷だったかもしれないわね。目の前に細やかな幸せをちらつかされながら、それが一瞬にして吹き飛んじゃったんだもの。でも、アリスさんにとっては――お義母さんにとってはきっと、アリエルと仲直りしてから眠りにつくことができて、満額回答じゃないとしても、幸せだったと思うわよ。娘に嫌われながら死ぬのは、死んでも死にきれないと思うから」
ミレーヌ様の言葉に今度はぼくが息を飲む番だった。
「もちろん、だからと言ってお義母さんが死んでいい人だったとは思わないわよ? あたしだって、もっともっとあの人と話したかった。もっともっと、あの人に、お義母さんをしてもらいたかった。でも、いくら嘆いたってお義母さんは帰ってこない。だから、なるべく彼女の人生が最後は幸せだったと思ってあげられた方が、お義母さんにとっても、そして残されたあたし達にとっても幸福じゃない?」
ミレーヌ様の声は気づくと涙交じりになっていた。そこで初めて気づく。お母さんの死が辛いのはぼくだけじゃなかったんだ、ってことに。
「ねえアリエル。――あたし、新しい夢ができたんだ」
不意にミレーヌ様がまた口を開く。
「アリスさん、そしてロックを喪って思ったの。この国には『勇者』なんて制度があって、そのせいでこの国の人も、他国の人も、多くの人が傷つき、苦しんでいる。ずっと前からその歪みには気づいていたつもりだった。でも、これまでのあたしは自分のこと、自分の領地のことに手いっぱいで、見て見ぬふりをしていた。でも。もうそれはやめる」
そこでミレーヌ様はドア越しでもわかるように深く息を吸い込んでから、言う。
「あたし、この国を、この世界を変えたい。もう二度とら大切な人があたしの見えるところでも、見えない所でも傷ついてほしくない。そのために、この国の濁りきった『勇者制度』をぶっ壊す」
「……!」
そんなミレーヌ様の力強い言葉を聞いた時、ぼくの心によぎったのはミレーヌ様まで喪う恐怖心だった。
ーーこの国の『勇者』に関わって『わたし』は現に死んだし、お母さんも死んじゃった。最初から関わっちゃダメなものだったんだよ、この国の抱える深淵の闇になんて。そこにミレーヌ様が踏み込んだりしたら……大好きなミレーヌ様までぼくは失っちゃう!
そう叫びたかった。でも、妙に喉が渇いて、うまく言葉が出てこない。ぼくがそうこうしているうちに、ミレーヌ様は更に言葉を続ける。
「簡単じゃないって言うことはわかっている。あたしはせいぜい、田舎の辺境伯だし、魔法も殆ど使えないから力づくでどうこうできるわけでもない。でも、ロックも、お義母さんも、そしてアリエルだって、この国の『勇者』なんていうものがなければ傷つくことはなかった。大体、『勇者』なんてものを祀り上げて人間同士で争い合うなんて最初から歪み切っていて、余計な争いを招いちゃうだけだったんだよ。それが、あたしの新しい目標」
そこまで言うと。ミレーヌ様は小さくはにかんだような気がした。
「あはは、ごめんね。一方的に色々話しちゃって、でも。アリエルには誰よりも最初に、あたしの最初の目標を伝えたかったの。別にアリエルに何か助けてほしいわけじゃない。これはあくまであたしのやりたいことで、巻き込みたいと思わない。でも。アリエルはあたしにとっての『1番』の女の子だから、知っていてほしかったの」
そう言って立ち去ろうとするミレーヌ様に、ぼくは
「待って!」
と、何日も自分で閉ざしていたドアを開けて外に出ちゃう。部屋から出てきて少しだけ後悔する。今のぼくの髪はぼさぼさで顔も酷いなんてものじゃない。とてもとても、恋人に見せられるような顔じゃないから。でも。ここで呼び止めないとミレーヌ様は1人でどこか遠い所に行ってしまうような、そんな予感がした。だから、ここで引き止めない選択肢なんて最初からぼくにはなかった。
「ぼ、ぼくもその目標、手伝います!」
つい、そんな言葉が口を突いて出ちゃう。ぼくの言葉を勘違いしたミレーヌ様は目を丸くする。そして。ミレーヌ様はぼくの手に自分の手を重ねていう。
「ありがとう。――あたし達の目標は無謀かもしれない。あたし達1人1人は『国家』や『世界』に比べてちっぽけすぎるから。でも、2人で手を重ねれば、そんな無謀にも手が届く。そんな気がしてきた。だから、さ。2人でこの国を、この世界をひっくり返す物語をここから始めよ、あたし達2人で」
そう言って満面の笑みを浮かべるミレーヌ様にぼくはぎこちなく笑い返しながら、ぼくは頭の中では別のことを考えていた。
ーー勢いで手伝う、なんて言っちゃったけどどうしよう。でも、ミレーヌ様を守るためならできるだけ一緒にいた方がいい…‥よね。それよりも何よりも、もう二度と大切な人を、ミレーヌ様を喪いなくない。それができるなら……それ以外はどうでもいいよ。
その時。自分でも気づかないうちに生まれてはじめてのどす黒い感情が、ぼくの心にゆっくりと広がっていった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。当初の予定よりめちゃくちゃ遅れてしまいましたが、アリエルとミレーヌが新しい目標を立てるところで6章は完結です。本作で強いて第1部というものを設けるならば第4章までがアリエルとミレーヌがくっつくまでの話であり、今回は第2部のプロローグとでもいえるエピソードでした。
第1部では好きになってもらう・初恋を諦めるというのが主人公2人の目標でしたが、第2部では勇者制度の打倒を巡ることが2人の仮目標となるまでを描きました。それまでに盛り込みたいことを色々盛り込んだのでそれだけの話にはなりませんでしたし、第2部といってもアルテミスの密約陣営や先代魔王も暴れると思うのでそれだけの話にはならなそうですが……。
何はともあれ、ファンタジー色強めでお届けする第2部もどうぞよろしくお願いします。来月は公募用に書き進めてこちらは更新しないかもですが、また気が向いたら遊びに来ていただけると嬉しいです。