第126話 激動Ⅷ 新たな道標
その日は、朝から雨が降っていた――。
アリスさんとロックの遺体が魔女様に発見されてから3日後。この街の住人でない2人の葬儀は粛々と執り行われた。皇国に戻るわけにいかないロックはともかく、アリスさんは17年間暮らしてきた街で眠らせてあげた方がいいんじゃ、とも思ったけど……。
「その村だってアリスさんの家族が眠っているわけじゃないわ。だったら最も家族らしい人――ランベンドルト領で、一番の親友と一緒に安らかに眠らせてあげた方がいいんじゃないかしら」
そんな魔女様の言葉で結局、アリスさんもランベンドルト領で葬儀をあげることになった。ほんとは家族の意向を聞いた方がいいんだろうけど、アリエルはせっかく和解できたお母さんとの急な和解がショックで部屋に引き篭っちゃったし、今どこにいるのかわからないアリエルのお父さんは遺体の腐敗スピードを考えると意見を待ってる猶予はなかった。
そして執り行われたお葬式は、2人とも元々はこの街の人じゃないから、参列者はここ数日間で関わった全部で10人にも満たない、小規模なものだった。そんな参列者も、雨が降ってるってこともあって納骨が済むと早々に霊園を後にし、最後に残ったのはあたしだけだった。そんな風に1人きりになっても、あたしは傘を差したまま、いつまでも2人の墓標の前に立ち尽くしていた。
傘の隙間を縫ってこぼれ落ちる雨水で肩は既に雨でぐっしょりと重く、あたしの体温を着実に奪っていく。このままだと風邪引いちゃうかも。そんなことが頭をよぎっても、どこか他人事のようで、あたしはその場で呆然としたまま動けずにいた。
「……2人とも、なんで勝手に死んでくれちゃってるのよ」
そんな恨み言がつい、口をついて出ちゃう。2人だって、当たり前だけど死にたくて死んだわけじゃないだろうからそんなこと言っちゃダメだ、ってことはわかってる。でも、いろいろ振り回されながらも2人の抱えてるものに向き合い、ようやく仲良くなれたのに、それが一瞬にして砕け散るのは、残された方としてはあまりにも残酷だった。2人と、もっともっと話したいことがあったのに。
「――って、あたしがここまで誰かの死で悲しめてるなんて、ちょっと珍しいかも」
ふとそんなことに思いが至る。これまでのあたしはお母様が亡くなっても、妹が亡くなっても、お父様が亡くなっても、その人を失った悲しみというよりもそれによって自分に降りかかる理不尽の方が頭をよぎっちゃった。人の死を悲しむ余裕すら、ついこの間までのあたしにはなかった。
と、その時。
「ありがとう、彼女の死をそこまで悼んでくれて。――たった一人の娘以外には天外孤独だった彼女に代わって礼を言うよ」
振り返るとあたしの背後には見知らぬ男の人が傘も差さずに立っていた。 でもその人の醸し出す雰囲気はどことなくあたしの大好きな人に似ていた。
「あなたはもしかして……アリエルのお父さんのケインさん?」
「ああ。と、言っても血は繋がっていないけどね。そしてそこに眠っているアリスの学友にして、17年間彼女の側に居続けた人間だよ。そんな彼女の人生をずっと近くで見てきたぼくからするとあの彼女が最後に新しくできた『家族』に看取られながら逝けたことは最後にまた1つ、報われたんじゃないか、って思うよ。この国に、そしてこの世界の構造に、理不尽に振り回され続けた彼女の人生だったけど」
そう語るアリエルのお父さんはどこか無理に自分を納得させようとしているような、そんな気がした。
「この世界の、構造……」
ついあたしが彼の言葉を反復してしまうと、ケインさんは小さく頷く。
「いつから、と言い出すともう神話の時代・神代からその種は撒かれていたのかもしれない。クラリゼナは漆国七雲客を勇者として擁し続け、それに神聖国家ラミリルド皇国をはじめとする各国は異様なほど反発した。そんな『力』を巡る各国の争いによって人生が翻弄されるのはいつだって何も知らない末端の人達だ。それは王国内に限った話じゃない」
そこであたしの脳裏にはロックの顔が浮かぶ。考えてみればそうだ。ロックだってもともと、クラリゼナ王国の勇者なんていなければラミリルド聖教のシスターなんかに『墜ちる』ことはなかった。きっとラミリルド皇国だけじゃない。クラリゼナ王国が勇者なんてものを擁し続けてきたせいで国内外の多くの人が無意味に傷つき、命を落とした。そして、そんな世界の歪みで現在進行形で苦しんでいる人をあたしは何人も知ってる。
この国に勇者パーティーなんてものがあるせいでアリエルは極度の女性恐怖症に陥って、今でも日常生活に支障がある。当代の勇者であるチェリー様やベリー様だって、勇者なんてものになってなければもっとちゃんと女の子ができていたはず。特にベリーさんなんて、あんな形でしか人を愛せないなんて、勇者なんてまともじゃないものがなければ、そうなっていたわけがない。
――そして、そんなまともじゃないものがいつまでも残っていたら、また大切な人を失っちゃうかも。うんうん、自分が大切な人を失うだけじゃない。あたしの大好きな人が『勇者制度』なんかのせいで大切な人を失って悲しむ姿なんて、もう二度と見たくない。だから、そんな歪んだものは、あたしがぶっ壊さなくちゃ。
これまでも、その実態は侵略兵器でしかないこの国の勇者のことは軽蔑こそすれ、自分が動いて何かを変えようと思ったことはなかった。どこか雲の上の存在で、他人事だった。でも今、初めて自分ごととして、どうにかしたいと思えた。
「ケインさん。あたし、この国の勇者制度をぶっ壊します。アリエルのために、そしてあたし自身のために」
あたしのその言葉にケインさんは驚いたような表情になる。
「正気かい? 今はほとんど魔力を持たない君が、6国の連合軍に一時は武力制圧されてもこの国の王家が手放さなかった300年続く勇者制度を、かい?」
「……確かにあたしには、この国の構造を暴力でどうにかできる力があるなんて思ってません。あたしは世界最弱の貴族だから。ても、あたしにだってできる方法があるはずです。武力に頼らない方法でみんなが苦しまなくていい世界を、あたしは作りたい。志半ばで倒れた同志のためにも、アリエルのためにも」
あたしの言葉にケインさんは暫くぽかんとしていた。でも。
最終的にはふっと表情を緩める。
「そうだね。貴族として持つべきはずの力を持たない君だからこそ、変えられることがあるのかもしれないね。ぼくはもう、ぼくが救えるのはせいぜい目の前で苦しんでいる人だけだと、遥か昔に諦めてしまったけれど。――義理の娘にここまで言われたら、ぼくもいつまでも立ち止まっていられない、か」
そう意味ありげなセリフを口にしたかと思うと。
「期待してるよ、次代を作る、次の英雄さん。ぼくも、ぼくにできる最大限のことはするから。この世界を少しでも良くするために、ね」
とだけ最後に言って、ケインさんは走り出す。そんなケインさんを振り返らずに、あたしもあたしがすべきことのために前を向く。
無謀だって言われると思う。何もできずに世界の闇に飲み込まれてしまうかも、とも思う。でも。
「やってやろうじゃない、最弱が王国を、世界をひっくり返す物語を。だから2人のお母さんにロック、そしてケイト。あたしのことを、天国から見守っててね」
そう言って墓石をひと撫ですると。あたしは思いを新たに、霊園を後にした。