第124話 激動Ⅵ 仇敵同士の共闘戦線 前編
――結局、アタシには何もできないんだな。幾ら強くなったと思ってもアタシは最弱で、守りたいものは何一つ守れない。成し遂げたいと思うことは何一つ成し遂げられない。あはは、ごめんね、ミレーヌ。あんな風にアタシのことを元気づけてくれたのに、こんなへっぽこシスターで。
そう懺悔しながら、頭から創り出された海に真っ逆さまに落下していく。それでアタシの子供のような抵抗はこれでおしまい。アタシは何もできないまま窒息死し、この力がランベンドルト領を蹂躙する。そう覚悟した時だった。
ふわっとした感覚があったかと思うと、アタシの体は誰かに抱きかかえられる。
――えっ?
何が起きたか一瞬分からなかった。閉じかけた目を無理やり開けて見上げると、そこには
「なに勝手に死のうとしてくれちゃってるんですか! わたし、まだ何もあなたに贖罪できてないのに勝手に死ぬとか、許しませんよ!」
「なんであなたがここに……」
お姫様抱っこされたアタシの目と鼻の先にあったのはアタシの推しと同じ緑色の長髪を持った、アタシにとって因縁があるはずの相手――かつてアタシの母親を殺した代の勇者と旅をしたアリスさんだった。
「そんなの、あなたが死にに行くような目をしながらわたしと目を合わせてきたからに決まってるじゃないですか。あなたには謝っても償いきれない罪があります。だから、あんな目をされたら追いかけない訳に行かないじゃないですか」
「あなたはバカなの? アタシ、あなたのことを当てつけで殺そうとしたのよ? あなたはあくまでお母さんを殺そうとした相手と一緒にいただけだし、あなたを殺したところでお母さんが帰ってくるわけじゃない。大体、あなただって勇者パーティーメンバーなんて聞こえのいい言葉に踊らされてクラリゼナ王家に騙された1人。それがわかっているのに、復讐心に憑りつかれたアタシはあんなに酷いことをしたのよ? そんな相手が死にに行こうが、普通は関係ないでしょ」
「そんな非情にはなれませんよ。『わたしは騙されただけ』『わたしだって傷ついた』、そんな言い訳で罪から逃げたりなんてしたら、この国の王様と一緒になっちゃいます」
きっぱりとそう言い切るアリスさんの言葉にアタシは言葉をつまらせる。
「それに――あなたとわたしは同じクラリゼナの国王陛下に振り回された似た者同士だと思うんです。あいつのせいで深く傷ついた似た者同士。そんな『同志』を見捨てることなんてできません。だから――アリエルちゃんにとって、ミレーヌさんにとって大事なこの街をわたし達で守りますよ、この2人で!」
数時間前まであれだけ憎んでいて、心が落ち着いてみると顔を合わせるのが気まずかった相手。そのはずなのに、アタシはそんなアリスさんの言葉に素直にうなずくことができた。
「ええ!」
「なんなのです? ただの魔術師が一人増えたところでナナミの前では焼け石に水なのです。――ナナミ、やっておしまいなのです」
「お姉ちゃんに命令なんてされるまでもないよ」
ナナミが無感情なまま言ったかと思うと。教会の1階を埋め尽くす水位が盛り上がり、宙を浮くアタシ達を津波のように飲み込もうとしてくる。しかしそれは
【術式略式発動_氷結】
アリスさんの氷結魔法によって凍結させられる。凍結させられた時間は僅か数秒。時間を稼ぐぐらいにしかならない。氷結はすぐに解け、海水は水面に自然落下する。でもそれはこれまでつまらなそうにアタシのことを一方的に蹂躙していたナナミの表情を少し引きつらせるのには十分だった。
海水は塩分を含んでいるから真水を凍らせるよりもより多くのエネルギーを必要とする。しかも今この場にあるのは自然由来の海水ではなく、【転生者】という一般人とは別の理論で動く規格外の魔術師が無から創り出した、いわば亜空間のような存在。それを、血濡れの処女としての適合手術で魔導に順応しやすく体を改造されたわけでもない『ただの魔術師』ができるような芸当じゃない。腐っても勇者を除いたらクラリゼナ王国最強の魔術師だった女、ってところね。
「――ただの水じゃないからやっぱり凍結しづらいですね。じゃあ、これなら!」
【術式定立_雷砲_対象選択_PMG_再現開始】
次にアリスさんが繰り出した魔法はラミリルド皇国内では見たことがない魔法だった。高密度に練り上げられた魔法陣から繰り出された雷の一閃。はじめて見る魔法だけれど、それが直撃したら肉体が常人の数倍に強化されているアタシ達でも命がないことは本能的に分かった。それをナナミも本能的に感じ取ったのだろう。即座に6重の水の膜を展開し、自己防衛に切り替える。そんな水の膜を5膜貫通したところでようやく電撃砲は止まる。あと一膜薄かったら、今の一撃でナナミの意識は刈り取られていた。
「……ッ」
ここまで来て初めて苦渋で表情を歪めるナナミ。でも、それに対峙するアリスさんも魔力の限界が近いのか、肩で息をしていた。それも当然といえば当然。十数時間前に他ならないアタシが半殺しにしたんだ。それからまだ十分に回復してないのに今、アタシのことを抱えながら宙に浮遊し、文字通りの化け物と渡り合う大魔法を連射している。血濡れの処女たちでもない人間に耐えられるはずもなかった。
「あなた、もう限界なんじゃ……」
「あはは、ちょっとまずいみたいですね。シスターさん、生命力吸引とかできたり……しないですよね。だってシスターさんだって魔族なんかじゃなくって、わたしと変わらない人間なんですもの」
乾いた笑みを漏らすアリスさん。そんな彼女を見ていると何もできない自分のことが情けなくなる。でも、今の彼女に担がれたままのアタシにできることなんてない。同じ血濡れの処女たちの手の内なんてバレてるし、大体アタシ程度の魔力なんかでは【転生者】にダメージを与えられない。かといって、お伽噺に出てくるような魔族みたいに自分の魔力を分けて突破口を開けるかもしれないアリスさんに自分の魔力を託すことなんてできない。アタシはただの、中途半端なシスターに過ぎないから。
――ほんとにアタシにできることはないの? ここでむざむざ死ぬしかないの……? いや。
そこでアタシはあることに思い至る。
「ねぇ。アタシにはあなたの魔力を増やすことはできないけれど……あなたの魔法を強化することができれば、目の前の転生者をなんとかできる?」
突然そんな提案をするアタシにアリスさんは目を丸くする。
「まあ、その可能性はありますが……あなた、魔法強化系の魔法が使えるんですか?」
「使ってみたことはないけれどね。――でも、理論上は貴方の魔法を跳ね上げることはできるはず。アタシの使える魔法を組み合わせれば、ね。でも、成功するかどうかはわからない。だから――シスターと、いや、悪魔と相乗りしてくれる?」
アタシの言葉にアリスさんは小さく微笑む。
「あなたこそ、聖教のシスターが異教徒の元侵略者と相乗りしていいんですか? ――わたしの方はあなたのことを追ってきた時から、とっくにそんな覚悟は決まってますよ」
その答えを聞き届けた次の瞬間。アタシはアタシ史上最強の魔法の詠唱を開始する。
これまでのアタシの武器は、教会が与えてくれたものだけだった。教会が鍛えてくれた己の体、教会が教えてくれた術式、教会が教えてくれた戦術。でも今、その『教えられただけ』から初めて、オリジナルへと至る。これが、アタシが皇国から、聖教から卒業する第一歩。
アタシと、アタシの宿敵だったはずの女の子は頷き合い、声を重ねてアタシ達は詠唱を開始する。
【術式定立_雷砲_対象選択_"教会一帯"】
【術式二重定立_術式反転/術式干渉_対象選択_"【雷砲】"/【"反転術式】"】