第123話 激動Ⅴ 海神(ポセイドン)
――ナナミ、ナナミなの?
そう思った瞬間。無詠唱で何もないところから大量の水が噴き出し、その津波に飲み込まれるギリギリのところでアタシは浮遊魔法で間一髪で回避する。しかしナナミの放った魔法で教会の一階部分は完全に水没する。まるで最初から海や湖がそこにあったかのように。そしていつの間にかナナミはそんな水上に立って、つまらなそうにアタシのことを見つめていた。そんな小さな海の上に佇む彼女はさながら、この小さな海を統べる女王だった
「ちょっ、サツキ! これ、どういうこと? 今回の任務中、戦力外のナナミのことはあなたに預けることになっていたけれど、ナナミは魔法が使えないはずじゃ……。いや、そもそもナナミがなんであんなに大きくなってるのよ?」
食いつくように尋ねるアタシに答えず、サツキは何が可笑しいのかいきなり壊れた機械仕掛けの人形のように笑い出し、足をバタバタさせる。
「キャハハハハ、これが皇国最終兵器の【祝福】――【海神】なのです!」
「最終兵器? 祝福? ……ってまさか」
そこでアタシははっとする。
――彼女が覚醒したら概念魔法を持たない皇国にとって最高戦力となりうるポテンシャルを秘めた子なんですから。舐めてると、すぐに足元をすくわれますよ。
フウ様がアタシとナナミを組ませた時に言っていた言葉。その言葉の意味をアタシはようやく理解する。漆国七雲客の概念魔法を理念上運用できないラミリルド皇国が理念上持ちうる最高戦力、そんなのは概念魔法級に人知を超えた力――【転生者】の【祝福】くらいしかないじゃない!
「ご名答なのです。そしてナナミの【呪詛】は【祝福】を展開していない時における常時の幼児退行。【呪詛】状態の彼女は正直お荷物以外の何物でもなくって、長らく彼女の【祝福】を引き出す条件はわからなかったのです。でも、これではっきりしたかもしれないのです。これまでナナミは自分の直接の姉である序列第六位に裏切られた時に【祝福】を発現させていました。そしてナナミが暴走するから序列六位は欠番続きだったのですが……ロック、仕事をしないあなたの反逆は望ましくありませんが、皇国最終兵器であるナナミの力の発動条件がわかるきっかけになったから、あなたの罪はチャラにしてやるのです。せいぜい、苦しまずにナナミに殺されるといいのです」
「ッ! 冗談じゃないわよ! 大体、概念魔法は悪くて【祝福】はいいとか馬鹿けてる。どっちも人の力に余る力でしょうが……」
つまらなそうな表情をしたままナナミがアタシに打ち込んでくる水の触手を必死に躱しながら訴えるアタシに高みの見物のサツキはぞっとしたような表情で言う。
「何をいってるのです。【転生者】は人じゃないから許されるのですよ。だって【転生者】は神の国から送り込まれたこの世界の人間を超越する存在。この世界を調律するために人を超えた力を操る神に近しい存在ですよ。それを概念魔法と同じだなんて……不敬にもほどがあるのです」
そんなサツキは心の底から【転生者】のことを人だと思っていないかのようだった。そんなサツキに思わず身の毛がよだつ。だって目の前にいる【転生者】はどう見てもアタシ達と同じ普通の女の子だったんだから。
「そんなの、絶対に間違ってる……!」
「間違ってるのはお姉ちゃんの方だよ。ナナミのことを裏切るなんて」
「そうそう、なのです。まあナナミが覚醒したなら、もう策を弄する必要もないかもです。この地帯一帯を【海神】の力で水没させてしまうのです。それで【原素】と【幻想】が飲み込まれたら御の字。もし【原素】と【幻想】がここ一帯を海に変えてもしぶとく生き残ったとしても、海上及び海中で最強のナナミに勝てるわけがないのです。だって【海神】という【祝福】は自らが最強になれる【海】をどこであろうと創り出す魔法なのですから」
この街一帯を水没させる……? そんなことできるはずがない、と思う。でもそれと同時に、それができてしまうのではないか、と思ってしまう。なぜなら、概念魔法や【祝福】というのはそのような規格外の能力だから。でも、もしそんなことになったら……確実にミレーヌも巻き込まれる。
「そんなこと、絶対に赦せるわけがないじゃない。それに、流石にそんなに大きな【臨界招来】ならどこかに突破の糸口が……」
「ロックはいつまでも何を言ってるのです? 【海神】の海化能力は【臨界招来】じゃないのです。無条件に、不可逆的に街を水没させ、一帯を一瞬にして海に変える。それが皇国最終兵器の力なのです」
――化け物かよ。でも、そんなことならなおさら、この場で食い止めない訳には行かない。そのためにアタシができるのは……発生源であるナナミを止めること。
「ナナミぃ!」
【術式定立_疑似臨界招来_種別選択_術式干渉_対象選択_100m²_再現開始】
術式干渉魔法を範囲展開する【疑似臨界招来】によってまずはナナミの魔法を打ち消そうとしてみる。でも、並みの血濡れの処女程度の魔力しかないアタシが展開した術式干渉魔法なんてなす術もなく力負けして効力を発する前にはじけ散る。
――そんな。
自分の術式干渉魔法が何の足止めにもならない。その事実に唖然とするアタシ。でも、ナナミはそんなことすら、アタシには許してくれなかった。
「ッ!」
海面が変形した触手が容赦なく襲い掛かり、反応がコンマ数秒遅れたアタシは躱しきれずに職種に左腕が吹っ飛ばされ、数秒前までアタシの胴体にくっついていたはずの左腕が宙に吹っ飛ぶ。そんな事実がすぐには受け入れられなくて、アタシは直後、そんな光景を『何かの映画みたいだな』なんて思って呆けて見つめていた。その数秒後。
「――――――――!」
後追いで激痛が襲ってくる。そしてこれまであったはずの左肩から先の感覚がなくなる。これまでこの世のありとあらゆる激痛を味わってきたから、今更痛みなんて何ともないと思っていた。でも、甘かった。アタシは自分の身体の部位を喪うことはまだなかった。自分の身体が文字通り引きちぎられるのがこんなに痛くて、喪失感で目の前が真っ暗になるなんて、これまで知らなかった。
あまりの激痛に今すぐのたうち回りたい。でも、そんなことは許されない。浮遊魔法を解除したら……海の中に落っこちて、それはそれで窒息死が待っているだけだ。幾ら痛くて集中力が薄れても、魔法をコントロールする集中力を切らすことは許されなかった。
そんな苦悶の表情に顔を歪めながらナナミの攻撃を躱し続けるアタシのことを、まるでサツキは観戦するかのように指さしながら爆笑する。
「キャハハハハ! 血濡れの処女たちの鋼の肉体を容易に、しかも水の触手を叩きつけただけで引きちぎるなんて、さすがは人知を超えた【祝福】なのです!」
――こんなの、下手な概念魔法よりよっぽどこの世界にとっての脅威なのに、なに笑ってんのよ。
そう毒づいたところで何も始まらない。アタシは脳をフル回転させて突破口を考える。
――範囲展開した術式干渉じゃ濃度が薄すぎてこの【海神】という超弩級の魔法に干渉できない。なら、一点集中の術式干渉魔法なら!
そう考えたあたしは詠唱を開始する。
【術式略式発動_鏡像乱舞】
次の瞬間、5人のアタシの分身が現れる。それと同時に無詠唱で本物であるアタシ自身はあらゆる対象から認識が遮断される魔法を自分に付加。それにより、5人の分身の攻撃に手間取っている間にアタシはナナミの背後に忍び込み、術式干渉魔法をゼロ距離で打ち込む、それがアタシの作戦。
――もらった。さすがにこれなら。
ナナミの後頭部に指鉄砲を押し当て、アタシは術式干渉魔法を発動させる。
【術式定立_概念干渉_対象選択_【海神】_再定義開始】
「ぐふっ」
術式干渉術式をまさに発動させた瞬間。何のガードもしていなかったどてっ腹を高水圧の水の槍を撃ち込まれ、アタシは吐血し、せっかく編んだ術式干渉魔法は光を喪う。
「虚を突こうとしても無駄なのです。海上はナナミにとって全てが彼女のフィールド。海の上にいる以上、ナナミの目から逃れることはできないのです」
サツキの冷たい言葉が意識の薄れかけたアタシの頭に、妙に鈍く響いた。
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