第122話 激動Ⅳ 解き放たれる災厄
今回、全編ロック視点です。
こんなに泣いたのなんていつ振りだろう。拾ってもらった教会ではどんなに辛くっても泣くことなんて許されなかった。復讐を果たすために”漆国七雲客殺し”たる血濡れの処女たちになる、というのは自分で自分に課した強迫観念のようなものだったから、弱音を吐いて自分から候補から外されるようなことはできなかった。
いや、お母さんと死に別れるずっと前から、アタシは泣き方なんて忘れていたかもしれない。アタシの記憶の中にあるお母さんはいつも疲れたような表情をしていて、そんなお母さんのことをアタシが泣きわめくことでさらに困らせることなんてできなかったから。アタシには物心ついたころから思いっきり泣ける場所なんてなかった。
そんなアタシが初めて泣きわめいて、泣き止んだ時にはもうすっかり、これまでアタシの心に燃え盛り続けていた復讐の炎はすっかり掻き消えていた。
それから。アタシはミレーヌの部屋に招待されて共通の推しについて語り合った。ミレーヌのアリエル様コレクションを見せてもらったり、アリエル様のどんなところが好きなのか話し合ったり。ラインベルトでは途中で中断しちゃったけれど、好きなものについて心から同年代の女の子と語り合えることがこんなに楽しいなんて、こんなに『生きてる』なんて思うなんて思わなかった。
――なんだアタシ、『復讐』なんてなくなってもちゃんと生きてるじゃん。
口には出さないけれど、そんな考えがふと頭を過った。でも、そんな楽しい時間はいつまでもは続かない。日が落ちて、そろそろアタシは行かないといけない時間になっちゃった。
「ロックが良ければうちに泊まって言ってもいいのよ?」
ミレーヌはそう言ってくれたけれど、アタシはその申し出を首を横に振ってきっぱりと断った。
「その気持ちは嬉しいわ。でも、行かなくちゃ。――アタシには蹴りを付けなくちゃいけないことがあるから」
それでも最後にミレーヌは何故かアリスさんのことを一目見て行かないか、と提案してきた。思いっきり泣いて復讐の炎が消えた今、アタシにはアリスさんを恨む気持ちなんてもうどこにもない。そもそも、アリスさんはお母さんを殺した勇者と一緒にいただけで、彼女からはアタシ達は殆ど危害を加えられていないし。
ただ、それなのにこちらが一方的に襲い掛かっちゃった手前、アリスさんに顔を合わせるのが気まずかった。だけど。ミレーヌは妙に強情だった。
そして。ミレーヌに案内されるままアリスさんが担ぎ込まれた部屋の前にやってきて、ドアの小さな隙間から彼女の様子をうかがった瞬間。アタシは「あっ」と小さく声を上げちゃった。部屋の中ではベッドに寝かされているアリスさんと、その横に座ったアリエルさんが笑い合って何かを話していた。そしてアリエルさんはアリスさんのことを『お母さん』と呼んでいた。
――昨日の朝、アリエルさんに会った時にアリエルさんが言っていた母親ってアリスさんのことだったんだ。
それを知った瞬間、ちょっと複雑な気持ちになる。アタシのお母さんを奪った勇者パーティーの元メンバーが今は可愛い娘と幸せな日々を送っている、そんなの不公平だ、と言う気持ちが一瞬、どうしても鎌首をもたげてしまう。でも、それと同時に「微笑ましいな」、と思ってしまうアタシもいた。アリエルさんの母親が誰だったか知らなかったとはいえ、アリエルさんの背中を押したアタシのあの時の言葉に嘘偽りなんてなかった。アタシにはもう絶対に叶わないことだからこそ、ちゃんと母親がまだいる人には幸せな親子関係でいてほしい。
「……あの親子、あんなに幸せそうに見えるでしょ。でも、ああ見えてあの2人も色々あったのよ」
しみじみとした調子でミレーヌが語る。
「ロックからしたら元勇者パーティーメンバーがのうのうと幸せを謳歌している、なんて思うかもしれない。でも彼女もクラリゼナ王家に騙されて勇者パーティーメンバーなんてやらされて、勇者パーティーが壊滅したらお払い箱になって酷い目に遭った。クラリゼナ王国にいながら下手に情報を知ってしまった市民としてこの世の地獄のようなところに突き落とされて、無理矢理子供を孕まされて。詳しいことは省くけれど、アリスさんだって今の幸せをそう簡単に享受したわけじゃない。
でも、与えられた状況をなんとか好転しようともがいて、今のアリエルとの『幸せ』を自分の手で掴み取ったの。そんなことは誰にだって出来ることじゃない。でも、どんなに酷い目に合っても、『幸せ』になることを放棄しない限り幸せになれる可能性はあるのよ。そんなアリスさんの幸せを摘み取らないでくれて、あたしとしては嬉しい、かな」
「……あんなの見せられちゃ、アタシだってあの人をまた襲う気にはなれないわよ。アタシにはもうお母さんがいないからこそ、この世の全ての親子には幸せでいてほしいから。――良かったわね、アリエルさん」
そう言って少しだけ開いていた扉を閉じるその一瞬。アリスさんと少し目が合ったような気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
それから1時間後。ランベンドルト領と隣の領地の境界付近にある廃墟と化した教会。その扉をアタシが開いた瞬間。
「定期連絡に遅れてくるなんていい度胸をしているのです」
その言葉と共に刃に毒の塗られた苦無が飛んでくるけれど、アタシはそれを難なく躱す。苦無が飛んできた方を見上げると、崩れかけた階段の手すりに腰かけた先輩のシスターがアタシのことを見下ろしていた。そこにいたのはサツキ――血濡れの処女たちの序列第5位にして、今回の任務の現地指揮官だった。
自治都市ラインベルトで【時空】と【次元】に接触したもののなんの成果もなく敗走した後。ランベンドルト領の調査と言う上層部からの任務をアタシに伝達し、そのまま現地指揮官としてこの辺境の廃教会から指示を出してきたのがこの、皇国から追加派遣されてきたサツキだった。
正直アタシは最初からサツキに従う気なんてさらさらなかった。でも、今はサツキに対する気持ちは少し変化している。
――アタシに情報収集させ、それを共に皇国が行おうとしている作戦はきっと、この地方一体を炎の海に包む。そうしたらようやく出会えた同志にして、こんなどうしようもないアタシの話を聞いて、受け止めてくれたミレーヌに、そしてアタシが目にしたあの幸せな親子も危険に巻き込んじゃう。そんなことは……絶対にさせない。
そう意を決したアタシはサツキのことをきつく睨みつける。
「何なのです、その目は」
ぶりっ子のような口調だけれど、その声のトーンは氷のように冷たくて一瞬怯みそうになる。でもアタシは自分を奮い立たせる意を込めて、サツキを見上げる視線を更に鋭くする。
「……もうあなた達の言いなりにはならない。アタシは、自分が正しいと思った方法で主の説いた理想郷を実現する」
「何を言ってるのです……? 主が説いた人間の理想郷のためには漆国七雲客の殲滅が不可欠なので」
「違うっ!」
ここまで来てようやく気付いた。これまでアタシが妄信していたラミリルド聖教の考えは、言ってしまえばクラリゼナ王家に騙されて他の漆国七雲客を狩りつくす勇者と同じだ。盲目的に漆国七雲客を殺すのは無条件に勇者信仰をしているクラリゼナと同じだ。そんなのではアタシみたいな不幸な子供を増やすことはあっても、永遠に世界は幸せにならない。何より、アタシが憧れた緑髪金眼の英雄は、そしてそんな彼女に憧れたアタシの同志は、違う形でこの欺瞞に満ち溢れた世界を少しでも理想に近づけようとするはず。なら――もうアタシは血濡れの処女なんてやめてやる。
「大体、漆国七雲客って確かに悪いことをしてる人もいるけど……アタシのお母さんみたいに何もしてない人の方が多いわよね? 少なくともラインベルトで会った【時空】と【次元】はお互いのことを思い合っていてあくまで正当防衛にその力を使おうとしていた。この領地にいるっていう【幻想】も【原素】も日中人々に話を聞いていても何の情報を得らえないくらい、ひっそりとこの街に溶け込んでる。そんな相手をわざわざ探し出してなぶり殺すことになんの意味があるの? そんなことはやめて、アタシは人々を言葉によって教え導くことによって、手が届く範囲内の人達を少しでも幸せにしたい」
大したことを言えなかったけれどアリエルさんにちょっとしたアドバイスをして、そしてその結実としてあんなに幸せな表情をしたアリエルさんを見た時。アタシは正直に言うと嬉しかったのだ。アタシ、シスターをちゃんとやれてるじゃん、って思えたのだった。
もう今のアタシは復讐のために戦うシスターじゃない。真の勇者に憧れる厄介オタクで、普通に迷える子羊を教え導き、手の届く範囲内の人が笑顔になってくれたらちょっと嬉しくなる聖職者。そんなアタシが誰かを苦しめてもいない漆国七雲客と戦う理由なんてどこにもない。
アタシがそこまで言い放つと。サツキの目に妖しい赤い光が宿る。
「ロックー―それは、皇国に対する反逆なのです?」
「そう捉えてくれて構わないわ。そして、もしあなた達がアタシの手が伸ばせる範囲の人達を害そうとするのだとしたら――その時はアタシは、あなた達に叩き込まれたこの力であなた達の野望を打ち砕く」
そこでサツキは失笑する。
「血濡れの処女最弱のあなたが? 格上の子のわたしを? 冗談も休み休み言うのです。お前みたいな最弱はこの領地に潜む漆国七雲客を駆逐するための歯車として黙って働けばいいのです。そうすれば、主が説いた人間が人間として身の丈に合った暮らしをできる理想郷が実現するのです。それがわからない六女には、ちょっとだけお姉ちゃんである私がお灸を据えてあげるのです」
次の瞬間、サツキを中心として魔法陣が構築され始める。でも、その魔法が完成する前に。ものすごい水流で反対側にある廃教会の壁が押し流される。そして現れた人物を見て、アタシとサツキは絶句する。なぜならそこにいたのは……。
「ナナミ達を裏切るなんて……お姉ちゃんは悪い子だね。めっ、だよ?」
目を赤く光らせながら不気味に笑っそこに立っていたのは、いつものナナミを大人にしたような、真っ青なドレスに身を包んだ女性だった。