第116話 回想Ⅵ 恨まれ続けた少女の告白 前編
今回は全編、ミレーヌ視点です。
魔女様の目に映ったお母さんの姿を聞いたアリスさんの顔には段々と動揺の色が濃くなっていく。そんなアリスさんを見てあたしは初めて気づいた。アリスさんのあたしの母親に対する異常なまでの執着や憎しみ。それはアリエルに対する行き過ぎた愛と並んで、アリスさんをこれまで生かしてきた1つの支柱なんだ、って。悪者は全てお母様に押し付けてきた。そうじゃないとやって来れなかったんだろう。
誰かに対する憎しみが生きる意味の1つだなんて、だいぶ歪だと思う。でも、世の中には事実として憎しみによって生かされている人だっていることをあたしだって知識としては知っているつもり。そんな彼女達にとって憎しみの標的が揺らぐことはアイデンティティや生きる意味の揺らぎに直結する。だから、お母様が本当はアリスさんのことを後悔していた、なんてアリスさんにとっては容易に認められない事実なんだろう。いきなりあたしのお母様が実は悪人じゃなかったなんて言われても困惑しちゃうんだろう。
「――ミラの使ってた部屋とか遺品とか、そういうのもし遺ってたら見せてもらってもいいですか……?」
そう尋ねるアリスさんはどこか必死に見えた。すぐそこまで見えている真実。でも、それをどうしても受け入れられないから、あたしの母親が自分が思い描いていたような狡猾な女だった証拠を求めて足掻いてる。そんなことが伝わってきた。その証拠に数十分前まで確かに宿っていたあたしに対する敵意のようなものは既にほとんど薄れていた。
お母様の遺したものをアリスさんに見せるのは簡単。お母さんの部屋はお母様の死後、手つかずでそのままにしているから。そしてそこに果たして、お母様がアリスさんのことをどう思っていたかの手掛かりが残っているかどうかなんて、お母様の娘でしかないあたしは知らない。でも。もし真相がいずれであれ、お母様のアリスさんに対する思いを立証する者が見つかっちゃったらアリスさんはどう思うんだろう。掘り返さない方が幸せなんじゃないか。そんな考えが頭を過ってあたしは返答に迷っちゃう。でも。
不意にアリエルがあたしの服の裾をぎゅっと掴んで、何かを訴えるような目であたしのことを見つめてくる。それを後押しするかのように、魔女様はため息交じりに言う。
「きっと大丈夫よ。曲がりなりにもあなたの目の前にいる女は他ならないあなたの彼女の母親よ? 時間はかかるかもしれないけれど、どんな真実だってきっと受け入れて前に進めるだけの強さがある。あなたの彼女と同じように、ね。だから。あなたの彼女に免じて信じてあげて」
魔女様のその言葉に、あたしはゆっくりとうなずいた。
「ここがお母様が使っていた部屋です。お母様が死んでからもお父様がそのままにするようにしてたんです。お父様が死んでからはまあ、単に整理する手が回ってなかっただけですけど」
「それにしても物、少ないですね……」
調度品などのないがらんとした部屋の中を見回しながらアリスさんはそんな感想を漏らす。長年掃除できていない、埃っぽい空気が少し鼻につく。でもそれはお母様が使ってた時からそのままになっていることの裏返し。この部屋にはもともと調度品や余計なものは置いてなかったから、特別お母様の所持品を部屋から運び出したりなんてしていない。
「辺境伯の正妻、って言ってどういうのをイメージしてたかは知りませんけど、うちは辺境伯の中でも特に貧乏貴族ですよ。お母様みたいな王都で高名な魔術師がよく嫁ぎに来てくれたな、と思うくらいには」
「それでいて国境付近の森に隣接しているから魔物もよく出るしね。自分達で対処しきれる自信がないからわたしみたいな異形の魔女に縋るくらいだし。でも、ミラと、その娘であるケイトが生きていた時は、なるべくわたしに頼らないようにしようって言う意地みたいなものを感じたわね。まあそれは、わたしがランベンドルトの守護者をやり始めてからの全体の中だとごくわずかな時間でしかないのだけれど。いずれにしても、ミラが裕福な田舎の貴族に嫁いでスローライフを満喫していたなんていうことは間違ってもあり得ないわ。王都の、しかも公爵家の娘がこんなところに来るなんて、『追放』とでも言った方が正しいのではないか、とさえ思う」
「追放……」
魔女様の言葉をアリスさんはゆっくり反復する。と、その時。
「あっ」
小さく声を上げたアリスさんが本棚に手を伸ばして引っこ抜いてきたのは、1冊の日記帳だった。日に焼けて黄ばんだ表紙にはお母様の丸っこい字で『diary vol.5』なんて書いてあった
「お母様の日記帳……ですかね。こんなものがあったなんて気づかなかった」
「これ、読んでみてもいいですか」
恐る恐る、と言った調子で聞いてくるアリスさん。それを読んでしまったら、もう読む前には戻れない。そんな秘密が詰まってそうな雰囲気が、その日記帳からは漂っていた。
そんなアリスさんの言葉にあたしは軽く頷く。
「もちろん。きっとこれは、今この世界だったら一番アリスさんが読むべきだと思います。――なんとなくだけど、そんな気がするんです」
それから、アリスさんは軽く一礼して、ゆっくりと日記帳の頁をめくっていった。それから暫くして。アリスさんの泣き跡の残った頬に再び一筋の涙が流れる。
「ど、どうかしたんですか、アリスさん?」
驚いたあたしがそう尋ねるけれどそれに対する返事はなかった。涙をぽろぽろ流しながらもアリスさんが日記帳をめくる手はどんどん早くなっていき、最後の1ページを繰り終わると。
「ずるい、ずるいですよ、こんなの――――」
声を上げて泣き崩れるアリスさんの手から日記帳が零れ落ちる。気になったあたしは床に落ちた日記帳を拾い上げて目を走らせる。読み始めて見て絶句しちゃう。だってそこに赤裸々に綴られていたのは、お母様からアリスさんに対する片思いの告白だったんだから。
『XXXX年4月3日。魔法学園入学の日。あたしの元に緑髪金眼の天使が舞い降りた!』
『XXXX年4月7日。お昼休みにアリスと入学試験の時の話になった。『わたし、入学試験で1番だったんですよ』って自慢気なアリスが無邪気で、可愛らしかった。正直魔法学園の入学試験なんて形式的なものだし、あたしも手を抜いてなかったら多分アリスちゃんに勝ててたけど、自慢げなアリスちゃんが可愛いからそのことは黙ってよ』
「XXXX年4月18日。アリスちゃんは将来、王宮での仕事に就いて早く実家を出ていきたいみたい。そんなに実家が嫌ならアリスちゃん、あたしのところに永久就職してくれないかなぁ」
読んでいるこっちが恥ずかしくなるような、いじらしいお母様の青春の恋の日々。実の母親の初恋を見せられるなんて羞恥プレイもいい所すぎる。いい加減に顔が火照って、これ以上読んでられなくなって、日記帳を閉じようとした時。そのページの最後の一行に書かれていたことが目に留まり、あたしは閉じようとしていた手を止めちゃう。
「XXXX年5月1日。今日実家から手紙が届いた。なんでも、ちょうどあたし達が卒業する前後のタイミングで今の勇者パーティーの魔術師が引退して魔法学園卒業生から選ばれるだろうから、公爵家の娘としてその好機を絶対にものにできるように精進しろ、だって。別に勇者パーティーとして王国を救うとか、興味ないんだけどなぁ」
『勇者パーティー』。その言葉が一際目を引く。
――これってことはやっぱり、お母様は勇者パーティーのメンバーの入れ替えがあることを事前に分かっていたってこと? あたしのお母様の実家の公爵家って、一体何者なの? じゃあ、やっぱりお母様は全てを知った上でアリスさんのことを嵌めたって言うの……?
身内が大好きな人の身内を騙して嵌めた。そんな最悪なシナリオがじわじわと現実味を帯びてきて、段々と手汗が滲んでくる。でも。その先に綴られていた内容はあたしのそんな想像よりも、ずっと救いようがなかった。それだったらお母様がまだ1人で悪者を演じていた方がマシだったかも、と思うくらいに。