第112話 回想Ⅱ 父親
今回、アリエル視点です。
これはミレーヌ様がお母さんから過去の話を聞く、ほんの少し前のお話。
「――君がこれまでずっと父親だと思っていた男は君の本当の父親じゃないんだよ」
ギルド2階の応接間、ぼくと2人きりで向かい合った仮面を被った男は開口一番、本当の声を隠すためか魔法でノイズ混じりになったくぐもった声で、そんな意地悪なことを口にした。なんでぼくがこんな怪しげな男と2人きりでいるのか、それは今から十分ほど前まで遡る。
十分ほど前。冒険者ギルドにやってきたその人は、到着するなりぼくと2人きりで話したいと言ってきた。仮面で素顔を覆っていて明らかにランベンドルト領の外からやってきた怪しげなその男性からの、しかも仕事中の申し出。そんなの、警戒しない方がおかしい。
「うちの従業員に用事があるならまず、レムに話を通すのですぅ」
案の定レムさんはぼくのことを庇うように男性との間に入った。でも。
「……あなたは」
何かを感じ取ったのか、レムさんはすぐに表情を一変させる。それから。
「わかったのですぅ。――積る話もあるでしょうから、2階の応接室を使うと言いのですぅ。――アリエルちゃん、仕事のことはいいから話してくるといいのですぅ」
レムさんに掌返しされるような形で、ぼくはこの見るからに怪しげな人と2人きりで話すことになっちゃった。
レムさんはともかく、ぼくはこの目の前の人に対する警戒心を全く解いていない。そんな相手から言われた心無い言葉にぼくはぎゅっと胸が締め付けられるような感覚に襲われる。なぜなら、ぼくは幼い頃からお父さんのことが好きだったから。
あ、って言っても、「おっきくなったらお父さんのお嫁さんになる!」って言う的な『好き』じゃないよ? 今のぼくのお嫁さんはミレーヌ様以外考えられないし、お母さんとお父さんはお似合いだなぁ、って思ってた。お父さんに対するぼくの感情はいわば、『憧れ』に近かった。
お父さんはぼくと違って凄い魔法が使えたわけでも、特別な力があったわけでもない。でも、記憶の中にいるお父さんはいつでも、その人柄の良さから村の人達に慕われていた。『手の届く範囲の人が困っているなら、ぼくは迷わずその人に手を伸ばす』、それがお父さんの口癖で、そんなお父さんの背中をぼくは幼心にかっこいいと思っちゃった。お伽噺やお話に出てくる『勇者様』、そんな勇者様に実際に会うことなんてまだ村にいた頃のぼくには当然なかった。でもぼくはその『勇者』と言うきらきらとした響きの存在に、誰よりもお父さんを重ねて見ていた。
そんなぼくは6歳くらいの時にはもうお父さんのまねごとをして『人助け』に勤しんでいたような気がする。その時には既に生まれながらの勇者に自分ではなれないことが分かっていたから、お父さんみたいな『勇者』になることがぼくの漠然とした目標になっていた。そしてそんなぼくの思い描く勇者様は勇者様を助ける勇者様にもなれる、なれるといいな、そんなことすら思っていたような気がする。
と、言っても、最初の頃は子供の真似事に過ぎないから大したことはできなかった。それでも魔法を発現し、村の人達から『神童』として期待され、少しずつ頼られるようになって、ぼくのなりたかったお父さんのような、『手の届く範囲の人達に手を差し伸べ、何だったら勇者様にさえも手を差し伸べられるような、本当の勇者様』になるというぼくの目標は現実味を帯びてきた。
それから王都の魔法学園に入学して、その他なんやかんやあって、今は戦うことすらできなくなっちゃったぼくだけど……今でもそんな『夢』を教えてくれたお父さんの背中をかっこいいと思うことこそあれ、恨んだりする気にはなれない。
「……お父さんは、ぼくに夢を与えてくれた人です。その結果色々辛いこともあって、夢破れて、今はミレーヌ様の所でひっそりと生きているぼくですけど……それでも! お父さんはぼくにとっての大切な人です。そんなお父さんのことを、悪く言うのはやめてください。なんでそんな酷いことが言えるんですか……?」
口にしてると涙で目が潤んでくる。でも、目の前の怪しげな男性はため息を吐くばかり。
「聞けば聞くほど、血も繋がっていないぼ……あの男が君の近くにいたのは教育上失敗だったみたいだね。あの男がいなければ君がそんなへんな夢を抱いて、余計な苦しみを味わうこともなかっただろう。アリスだって娘を自分と同じ道に歩ませてしまったと後悔することなんてなかっただろう」
「ッ! お父さんと、お父さんがぼくにくれた夢を侮辱するのはもうやめてくださいよぉ。あなたが何を知ってるって言うんで」
「全て知ってるよ! アリスが誰だかわからない相手に孕まされて生まれたのが君だってことも、そんなアリスに同情して良かれと思ったあの男が結果的にアリスとアリエルを不幸のどん底に叩き落としたことも、……君達親子の再会を最悪な形にしてしまった元凶もきっとあの男にあることも、全部、全部!」
その衝撃的な内容にぼくの涙も思わず引っ込んじゃう。言ってしまってから彼も失言だと気づいたのか、はっとする。でも、言いかけてしまったことは仕方ない。再びため息をついてから彼は長い長い話を語り始めた。お母さんとぼくの誕生にまつわる、残酷ともいえる物語を。
◇◇◇◇◇◇◇
「これでぼくが最初から言っていた言葉の意味が分かっただろ。君が父親だと思っていた相手は君とは何の血の繋がりもない赤の他人だ。君達親子にとって良かれと思って盛大に空回りして全て滑った大バカ者だよ」
仮面の男性は嘲笑気味にそう言って、長い長い話を語り終える。その話を聞いた後。
「――それでも、ぼくのお父さんは、お父さんしかいませんよ」
ぽつり、とぼくの口から言葉が漏れる。そんなぼくの言葉に仮面の奥の男性の目が驚いたように見開かれる。それを気にせずに、ぼくは言葉を続ける。
「確かにぼくとお父さんは血が繋がっていないのかもしれない。でも、生まれた時から12年間、お父さんはぼくに愛情を注いで育ててくれました。ぼくにかっこいい背中を見せ続けてくれました。そんなお父さんみたいになりたい、って生きる指針を教えてくれました。それってもう、『お父さん』以外の何物でもなくないですか? 血が繋がっているとか、実のお父さんとかどうでもいい。ぼくの『お父さん』は『お父さん』1人きりしかいないんですよ」
そこで我慢できなくなったぼくは徐に立ち上がって目の前の男性の仮面をとる。魔法の合成音で声も誤魔化していたけれど、その仮面の下の素顔が誰なのか、ぼくは既に分かっていた。こんなにぼくの生い立ちに詳しい人なんて、お母さんを除いたら他にもう1人しかいない。
ぼくが外した仮面の下から現れたその顔は他ならないぼくのお父さんの、驚いたような顔だった。理屈はわからないけれど多分、レムさんは最初からこの人がぼくの『お父さん』だってことに気付いていたんだろう。家族にやたら敏感なレムさんだったら、それくらいの超能力の1つや2つ持っていてもおかしくない。精神干渉系の魔法とかでは多分ないと思うけど。レムさんは最初から気づいていて、あえて親子2人きりで話せるように取り計らってくれたんだ。