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第111話 回想Ⅲ 地獄から這い出た先にあった希望

 引き続きミレーヌ視点です。

 男たちにされるがままに犯されはじめてからどれだけの時間が経っただろう。ある日、アリスさんが誰の子かわからない子を孕んでいることが分かった。遅かれ早かれこうなることは必然と言えば必然だった。アリスさんを犯し続けた男たちは大した避妊もせずに欲望のままにアリスさんのことを性的に搾取し続けたのだから。


 アリスさんが誰かの子を孕んだとわかった時。そこではじめて男たちは焦り始めた。少しずつ膨れていくアリスさんのお腹を強く殴って中にいる胎児を殺そうと試みた。それでも腐っても元勇者パーティーメンバーであるアリスさんのことを物理的に傷つけることは容易ではなかった。


 そうこうしているうちにアリスさんのお腹の中にいる胎児は成長していく。そこで男達が選んだのはアリスさんを棄てるという道だった。もうアリスさんの精神は再起不能なほどズタズタに折られていたし、お腹に子供を孕んだまだ17歳の女の子が炉端に捨てられて、長生きできるはずがない。そう考えた男たちは誰も入り込まないような路地裏にアリスさんのことを棄てた。



 暑いのか寒いのかも分からない。ただただ体が重く、だるく、アリスさんは誰も通らない路地裏でぐったりと倒れ込んでいた。いつからか降り始めた雨は次第に本降りになって、路上に伏した妊婦の体温を容赦なく奪っていく。それでもアリスさんは屋根のある場所まで動くことができなかった。体力的にも、精神的にも。と、その時だった。


「ようやく見つけた」


 突然これまで体に容赦なく零れ落ちてきた雨雫が防がれる。誰かが傘を差しだしているみたいだった。気力を振り絞って視線を動かすとそこには見慣れた顔――ケインさんがアリスさんに傘を差しだしていた。



◇◇◇◇◇◇◇



 ケインさんに体を支えてもらいつつケインさんの下宿先に辿り着いてから。もうとっくに限界を迎えていたアリスさんの体は高熱を出し、それから数日間寝込んだ。そしてようやくアリスさんが話せるようになったのはアリスさんが助け出されてから5日後のことだった。


「ご、ごめんなさい。数日間もつきっきりで看病してもらっちゃって」


「ぼくは医者の卵だよ。病人、それも知り合いが死にそうになっているのに放っておけるかって言うんだ。――で、何があったんだい? 魔王軍との戦いで勇者パーティーが壊滅した、って話は聞いているけれど」


「あはは、勇者パーティー、ですか」


 そう乾いた笑いと共に言いながら。アリスさんはケインさんにぽつり、ぽつりとこれまでに起きたことについて語り始めた。それを聞き終えた時。ケインさんはアリスさんのために憤慨したり感情を露わにすることはなかった。彼が言ったのはただ一言。「辛かったね」。


「――それで、これからアリスはどうしたい? 君のお腹にいる胎児をどうするかってこともそうだし、これからどこで、どう生きていくかっていうこともそうだ。ぼくはこれでも医者だ。君が望むならアリスの体に負担がない形で安全に子を堕ろすことができる。国王陛下に目をつけられている以上、子連れで生きていくことは難しいだろうし、何より君のお腹にいるのは誰が父親かもわからない、自分で望んで授かったわけでもない子供だ。君がその子をいなかったことにしても誰もアリスのことを責められない」


 どちらでもいい、と言いながらもケインは明らかに堕胎することを勧めていた。合理的に考えればそれが正しいし、ケインはアリスさんのことを思ってそう言っていることは、アリスさんにもわかった。でも。 アリスさんの口から滑り出た答えはこうだった。


「……堕したくないです」


「?」


 アリスさんの答えにケインさんは一瞬、戸惑ったような表情を見せる。でも、アリスさんは自分の正直な気持ちを語り続けた。


「確かにこの子は望んで授かった子じゃありません。父親が誰かわからない気持ち悪い子かもしれません、でも、わたしと血の繋がった、わたしの本当の家族になってくれるかもしれない子なんです。幼い頃に両親を亡くして、ずっとひとりぼっちだったわたしにとって、たった1人の家族になってくれるかもしれない子なんです。わたしがこの子のことを愛せるのかはわからないし、1人で育てていけるのか、正直自信はないです。でも、この子を愛せるようになったらその時、わたしは両親を亡くして以来、ずっと飢えていた『家族』が手に入るんじゃないかな、って思うんです。だから、ここで諦めたくない……」


 両親を失って子爵家に引き取られてから。アリスさんはずっと家族の愛に飢えていた。実家と断絶した両親が死んでから引きとられた子爵家で、アリスさんは『家族』ではなく、貴族政治のための『道具』としてしか見られていなかった。それがアリスさんには息苦しくて、ずっと子爵家を抜け出して『本物の家族』をつくることを夢想していた。


 それから勇者パーティーに入り、やっと夢をかなえるスタートラインに立てたと思った矢先にアリスさんは絶望の底に突き落とされた。その生き地獄の中で、望んだわけではなかったけれど偶然授かった、『家族になってくれるかもしれない存在』。お腹の中の子に付随する記憶がどんなに濁りきったものだとしても、十年以上も『家族』に飢えたアリスは、そう簡単に手放したくなかった。


 ケインもアリスさんのその状況は知っていた。でも、ケインさんは険しい表情のままだった。


「……あまり言いたくないけれど、正直今君のお腹にいる子を産んだところで、君はきっとその子を愛せない。自分の子供を見る度にこれからずっと、勇者とこの国の隠された真実を思い出し、傷つくことになるだろう。そんなの、君にとっても、生まれてくるその子にとっても幸せになれない。だいたい、勇者パーティーが全滅して実家に帰る訳にも行かない君が、王宮に見つからないようにひっそりと暮らしつつ女で1人で人を1人育てるなんて、どれだけ大変なことか、君はわかっているのかい? 大体、家族なんてまた新しく、本当に愛せる男性と巡り合って作れば……」


「それは無理ですよ。だって、勇者パーティーが壊滅してからの一件で、わたしは男の人を怖いと思うようになっちゃったんですから」


 突然自分の言葉を遮ったアリスさんの言葉に、ケインさんは息を飲む。


「じょ、冗談だよね。現にこうして、君はぼくと」


 そう言ってケインさんがアリスさんの手を握ろうとした瞬間。ケインさんはようやく気付いた。彼女の手は、布団の板で小刻みに震えていた。


「……正直、ケインと話すのすら辛いんです。ましてやケイン以外の男の人と愛し合って、それから性交をするなんて考えただけで意識が飛びそうになる。だから……この子はわたしにとって、きっと最初で最後のチャンスなんです。トラウマを植え付けられたわたしには、もう誰かと子供を作ることができない……」


「そんなこと、一時的なものかもしれないじゃないか。今は錯乱して、過度に恐れてしまっているだけで」


「だといいんですけどね。でもきっとわたしには無理です。もうあんな目には遭いたくないんです。子供は欲しいはずなのに! わたしだって、わたしの方が辛いんですよ!」


 そう訴えたかと思うと。アリスさんは声を押し殺して泣き始めた。そんなアリスさんに、ケインさんは暫く同声をかけるべきか逡巡していた。でも結局。


「わかった。君の思いは尊重する。ただ1つだけ約束してくれ。君のお腹にいるその子を育てるのは君1人じゃない、ぼくにも手伝わせてくれ。だからアリス、一緒に王都から逃げ出して辺境の村で暮らそう。農地を買って、農耕をしながら、君の求める『家族』を育てていこう。ぼくはきっと、君の『家族』にはなれない。それでも、君の夢を手伝いたい。今のボロボロの君を独りぼっちにしたくないんだ。男性が怖い君にとってぼくの存在は迷惑極まりないかもしれないけれど」


 ケインさんの口にした思いもしなかった言葉に、アリスさんはつい泣き止んで、目を丸くしてしまう。


「な、なんで……ケインには夢がありましたよね。王都で医者になって多くの人の命を救うって。それに、あなたには許嫁だって」


「医者ならぼくじゃなくても他にも代えがきく人がいる。でも今、君に寄り添って、君を助けられるのは、きっとぼくしかいない。だったら、ぼくはぼくにしかできないことを優先させたい。それが、ぼく自身の意思だ。――もし君が許してくれるならば、だけど」


 ケインは馬鹿だ。そう思いながらもアリスさんの頬を一筋の涙が濡らす。その涙の意味は、ついさっきまでとは少し違うものだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ケインさんいい人すぎる……! お母さんとアリエルの印象が結構重なる部分が多くて、親子だなぁと思います。 少し前の話で設定を整理してくれたので、新しい展開でも読みやすいです。
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