第105話 和解Ⅲ 最悪の再会
そして蒼弓の魔女さんと別れ、いよいよぼく達が帰ろうとした時。
前方に女の人のシルエットがあることに気付いてぼくは反射的にミレーヌ様の背中に隠れちゃった。逆光で相手の顔はよく見えない。でも、いくら魔女様とのわだかまりが少し改善したからと言ったって、女の子全般に対する警戒心や恐怖心が簡単に消えてくれるわけじゃない。現に『女の人』って意識した瞬間、心臓の鼓動がうるさくって、いやな汗が毛穴と言う毛穴から噴き出してくる。そのことをミレーヌ様もわかってくれてるからか、ミレーヌ様はぼくのことを安心させようと、ぎゅっと手を握ってくれた。
普段ならそうしてミレーヌ様の背に隠れていればやり過ごせた。ミレーヌ様と一緒にいるときに会う女の人でぼくに用事がある人なんていないから。たいてい、あってもミレーヌ様と少し立ち話をして終わる。でも、その時は違った。ぼく達にある程度近づくと、その女の人は足を止める。そして。
「……もしかして、と思ったらやっぱりミラでしたか。久しぶりですね」
氷のような凍てついた言葉にぼくの体は硬直する。その冷たい言葉は追放された時のプロムのぼくを見下ろしていた視線とどこか重なる。
――この人、何を言ってるのかよくわからないけれど早くどこか言ってくれないかな。怖いよ。でもこの人の声、どこかで聞いたことがあるんだよね。
そんな恐怖心とデジャヴがないまぜになった感覚にぼくが戸惑っていると。
「大丈夫、大丈夫だから! あたしがここにいるから、ね? 目の前の人が何言ってるのかあたしにもよくわからないけれど、あたしが何とかするから」
こっそりそう耳打ちした後。ミレーヌ様は女の人に向き直る。
「あの、失礼ながらあたしを誰かと勘違いしてませんか。多分あたし、あなたとは初対面だと思うんですけど」
あくまで冷静に、丁寧に応対するミレーヌ様の一言。でも、目の前の女の人は聞く耳を持たなかった。
「あくまでしらを切る気ですか。そんなにわたしが幸せになるのを邪魔したいんですね? そうですよね、あなたは思い返せば出会った時からわたしが幸せになる邪魔ばっかりして。でもわたし、十分傷つきましたよね? 確かに若気の至りで調子に乗ってたところがあるかもしれませんけど、わたし、十分すぎるほど苦しみましたよね? そんな今のわたしにとって、アリエルちゃんはやっとのことでつかんだ本の囁かな幸福そのものなんです。そんなアリエルちゃんをわたしから奪ったのもまさか裏であなたが糸を引いていたんじゃ……だとしたら、絶対許さない」
――えっ、今、『アリエル』ってぼくの名前を呼んだ?
そう思ったのも束の間だった。
【術式定立_雷砲_対象選択_PMG_再現開始】
目の前に対峙した女性が唱えだした最凶の術式に、ぼくの中で戦慄が走る。
雷砲。それは、数多ある雷撃魔法の中でも確実に相手の息の根を止めるために突き詰められた究極の魔法。概念魔法に準じるとされる、漆黒七雲客や勇者様以外の魔法師が到達できる最上位の魔法である二十の神話級魔法の1つ。使える人だって一握りしかいなくて、ぼくやチェリーちゃんでさえも習得できなかった魔法。そんなものをましてや魔法もまともに仕えないミレーヌ様がまともに浴びたら……その結果は火を見るよりも明らか。
――ミレーヌ様が死んじゃう!
そう思ったけれど、ぼくの足は竦んで動けなかった。目の前の女性の姿があの夜のプロムと完全に一致する。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そんな悲痛なぼくの叫びが墓地に響き渡った、その時だった。
【術式略式発動_背水の陣】
――え?
ぼくとミレーヌ様を守るかのように展開された極水圧水の壁――蒼弓の魔女さんが展開してくれた【水】の魔法に、ぼくはへんな声を出しちゃった。
――蒼弓の魔女さんがぼく達のことを庇ってくれた……?
俄かには信じられない。でも現に今、蒼弓の魔女様のおかげで生きてる……。そう思うとぼくは安堵しちゃって、その場にへなへなっと崩れ落ちちゃう。
「アリエル、ミレーヌ、怪我はない? ――って、アリエルは無意識で自己防衛魔法が発現するから大丈夫か。まあいずれにしろ、無事でよかった」
そう言いながら駆け寄ってきた蒼弓の魔女さんは珍しく焦ったような表情をしていた。そして魔女さんはぼくを庇うように更に前に出てきて、目の前の女の人のことをきつく睨み返す。でも、魔女様の顔はすぐに一変する。それはきっと、目の前に対峙している女の人にぼくの面影を読み取ったから。
「ちょっとあなた、どういうつもり? 見た感じ他の領地からやってきた農民みたいだけど、そんな身分の人間がこの領地の領主の殺人未遂なんて、洒落にならないわよ。ミレーヌのことを誰と間違えたか知らないけど。それに、アリエルまで巻き込んで」
困惑しながらも目の前の女性を責めるように言う魔女さん。そこで目の前の女性も、ミレーヌ様の後ろにぼくが隠れていたことにようやく気付いて、顔面蒼白になる。
「嘘、アリエルちゃん? アリエルちゃんなんですよね? なんでアリエルちゃんがその女――ミラと一緒にいるん……いや、そんなことはどうだっていい。わたし、アリエルちゃんがいるのに神話級魔法を使おうとしてたんですか。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……お母さんのことを、赦してください……」
そう、そこにいてミレーヌ様のことを殺そうとしたのは他ならないぼくのお母さんだった。
勇者パーティーに入ってから一度も会うことがなかったお母さんとの再会。でも、そんな普通ならば嬉しいはずの人との再会に際してあたしの口から出た言葉は
「そ、それ以上近づかないでよぉ……」
だった。
ぼくのその言葉を聞いた途端、お母さんの表情は絶望の色に染まる。
「そ、そんな……わたし、アリエルを見つけるためにここまで頑張ったのですよ? 生きてるかどうかも分からないのに、アリエルが生きてるって信じて、何人もの人を傷つけて。そうしてようやく辿り着いたのに、こんな展開になるなんて、あまりに酷すぎます……」
お母さんが言っていることももっともだと思う。長年顔を合わせていない親と再会した第一声がこれなんて、親不孝が過ぎる。でも……女の人が過度に怖くなっちゃったぼくにとって、今目の前にいるお母さんは『お母さん』よりも恐怖の対象でしかなかった。だからつい、ぼくは追撃するような言葉を口にしちゃう。
「し、知らないよ! い、今のお母さんはぼくのことを殺そうとして、ぼくに女の人に対するトラウマを植え付けたあの人達と同じだよ! そんな怖い人がぼくに近寄ってこないでよ、怖くて怖くて仕方ないの……」
その途端。お母さんの目からはぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。そんなお母さんに向かって魔女さんは静かに告げる。
「ここに来るまでの間、あなたが何人の人を傷つけたのかは知らないわ。でも少なくともあなたは1つ、大きな誤解をしている。今、あなたの目の前にいるのはミレーヌ=ランベンドルト。ミラ=ランベンドルトの忘れ形見よ。そして、うちのミレーヌはアリエルにとって命の恩人で、アリエル本人にとって今現在、最も大切な存在よ。断じてアリエルを傷つけたりしたことはない。
ミラ――ミレーヌの母親とあなたの間に何があったのかは知らないけれど、あなたはよりにも寄ってミラとミレーヌを取り違えて、アリエルにとって最も大切な人を殺そうとしたのよ? 取り返しのつかないことをしようとしたのよ? 大体、ミコトが17歳の容姿のままなわけがないでしょうが」
そう言う魔女様の言葉は静かながらも、どこか突き放すような冷たさを感じた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。追放ものをやるということで最初からどこかのタイミングでアリエルが家族や学院時代の知り合いに出会った時、どうなるのだろうということは最初から考えていました。そして今回、ようやく母親と再会させてみましたが……いやぁ、難しいですね。母親だってアリエルの女性恐怖症の例外でないことを描きつつ、親子ならではの葛藤をどう描くかと言うことは書く上で非常に難しかったです。あんまりうまく書けた自信はありませんし、話を膨らませるためにアリス(アリエルの母親)とミレーヌの母親の確執も盛り込んだので、わかりづらいエピソードになってしまっていたらすみません。
それでも、悩みぬいた末に辿り着いたエピソードなので、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。