第104話 和解Ⅱ 蒼弓の魔女との和解
それから。ミレーヌ様は再び、墓標をまっすぐに見据える。日没寸前の黄金色に照らし出されるミレーヌ様の横顔は、もう泣いてなんていなかった。
「お母様やケイトに比べると領主としてもダメダメで、弱虫で、ずっとみんなに顔を合わせる勇気がなかったあたしが今日になってようやくみんなに挨拶に来れたのはね、あたしの『新しい家族』をみんなに紹介――というか、自慢したかったからなの。みんなと死に別れちゃってから、あたしは色々なものを失ったし、幾度も自分の無力さを突き付けられた。でも、それと同時にお釣りがくるくらい素敵な人とも出会えたの。その中でもあたしにとってずっと心の支えになってくれて、最近正式にお付き合いし始めて、今日だってみんなに挨拶に来る勇気をくれたのが、ここにいるあたしの彼女」
――へっ、ぼく?
そんなことを思って戸惑っていると。ぽんっ、と背中を押されてぼくはバランスを崩しそうになりながら一歩墓標に歩みよる形になる。
「紹介するね。彼女があたしの恩人で、婚約者のアリエル」
えっ、これってひょっとしなくても、噂に聞く恋人の親御さんの家に行って親御さんに交際を認めてもらう的なあのイベントだよね? そう意識し出すと急に緊張しちゃって
「あ、アリエルでひゅっ! み、ミレーヌしゃんとお付き合いさせてもらってまひゅっ! 」
と盛大にかんじゃう。そんなぼくを見てミレーヌ様は隠そうともせずに小さく笑う。ぼ、ぼくも真剣なんですから笑わないでくださいよぉ……。
「あはは。ちょっと愉快だけど、これがあたしのパートナー。それ以外にもソラとか、最近そこそこうまくやっている魔女様だとか、貴族友達のヘンリエッタとか、あたしは色々な人に支えてもらいながらなんとかやってるよ。
だから――お父様は全くしてなさそうだけど――あたしのことは心配しないで。もう今のあたしは1人じゃないから。あたしにはたくさんの大切な人ができた。だからこれからはみんなに胸を張れるように領地全体も、あたし個人も幸せになってみせる。だからケイトたちも、天国から見守っていてね」
そうして最後は満面の笑みで、ミレーヌ様は死に別れて以降はじめての『家族』への挨拶を終えたのでした。
◇◇◇◇◇◇◇
「って、あの蒼弓の魔女と仲良くやってるってどういうことですか?」
ミレーヌ様の家族に挨拶を終えた後。ぼくは一瞬聞き逃しそうになったミレーヌ様の台詞に対して突っかかっていた。蒼弓の魔女。ミレーヌ様が貴族社会で孤立するきっかけを作り、今もなおミレーヌ様に肉体的・精神的な苦痛を与える、文字通りの『魔女』。そんな蒼弓の魔女とぼくは、前にコテンパンにして別れたっきり。今でもあの魔女のことは怖いけれど、それは置いておくとしてそんな魔女とミレーヌ様がまだ関係を持っているのはぼくとしては聞き捨てならない。
そんな風に詰め寄るぼくに対して、ミレーヌ様は決まり悪そうにぽりぽりと頭を掻いて見せる。
「あー、いや。別にあたしと魔女様は個人的にはそんなに険悪な関係だったことはないよ? 魔女様も魔女様で理念があってやってるってことは最初から分かってたし。でもそれ以上に最近は、その……魔女様にアリエルとの関係を応援されたりもして。あっ、別にアリエルが魔女様と戦って圧勝した後にまた魔女様に危害を加えられたとか、そう言うのは決してないからね!?」
ミレーヌ様はそう言うけれど、あの魔女がぼくとミレーヌ様の恋路を応援するなんて、俄かに信じがたい。また魔女に騙されてるんじゃないかな、そうやってぼくが警戒心をむき出しにしていると。
「あら、アリエルじゃない。それと……うげっ、アリエルさん」
まさに噂をすれば、と言ったタイミングで姿を現した見覚えのある黒ローブの少女は、それこそぼくと因縁のある蒼弓の魔女。そんな蒼弓の魔女はなぜか、水桶と花束を持って立っていた。
蒼弓の魔女と対峙した瞬間、蒼弓の魔女に最初に会った時に虐待された時の痛みが蘇り、全身の毛が恐怖でぞわりと逆立つ。やっぱりこのお姉さんは今でも正直怖い。ででででも、自分の『彼女』が騙されようとしてるんだ、ここで負けるわけには行かない。そう思って身体を強張らせながらも蒼弓の魔女をぼくは精いっぱい睨みつけてみせる。
でも次の瞬間。
「そう言えばアリエルさんにはちゃんと謝ってなかったわよね。この前、というにはもう随分と時間が経ってしまったけれど、あの時は見境もなくアリエルさんのことを襲ったりして、そしてこれまで十何年もミレーヌのことを傷つけ続けてごめんなさい。これまでのあたしは何十年も余裕がなくって、どうかしてたわ。頭が固くなりすぎていた」
そう言って深々と頭を下げてくる魔女に、ぼくは拍子抜けしちゃう。
「あ、え、えっと……」
「そうそう、あなたとミレーヌ、ようやく付き合い出したんだってね。大切な彼女と2人きりでいられる時間は本当に大切にしなさい。いつまでも続くと思っていた幸せな時間はある日唐突に、なんの前触れもなくなくなってしまうものよ。これは彼女とさえいられるんだったらこの世界の全てを犠牲にしてもいいとさえ思った『彼女』をあっさりと失っちゃった『先輩』からのアドバイス。こう見えても、わたしだってあなた達には幸せになって欲しいと思っているのよ? 大切な人がいたことのある、似た者同士として」
あたしがあわあわしているうちに蒼弓の魔女は更に言葉を重ねてくる。その言葉にぼくの脳は完全にフリーズする。
――えっ、今、ぼく、ミレーヌ様との関係を応援された? あの蒼弓の魔女に?
半ばパニックになっているぼくを置いて、蒼弓の魔女とミレーヌ様は世間話を始める。
「魔女様は彼女さん――メロンさんのお墓参りですか? 」
「うん。今、師匠――メロンのお墓に挨拶してきたところ。まあメロンの場合は他の『人間』と違って、そこに何も埋まっていないんだけれどね。だってメロンの体は、今もぼくのすぐ傍に居るから。でも、人間としてのメロンとちゃんと向き合う場所はやっぱあるのとないのじゃ違うから。
その点、君のおじいさんはそう言うわたしの思いも見抜いて、80年近く前の"契約"を持ち掛けてきたのかもしれないわね。ランベンドルト領の共同墓地にメロンのお墓を作ること、そしてわたしが死んでもそのお墓は一生、ランベンドルト領の墓守が管理すること。それもランベンドルト家とわたし・蒼弓の魔女の契約に組み込まれていたのよ」
ミレーヌ様と話す蒼弓の魔女の表情は、これまで彼女の怖い側面から知らなかったぼくには想像もつかないような穏やかなものだった。
「あれ、だとしたら魔女様がまだ持っているその花束はなんなんです? 」
「あー、これは君のお父さん達に対して手向けるためのものよ。君のお父さんもミレーヌと同じように、わたし達が勝手に結んだ契約で人生を狂わせちゃった相手だもの。世界平和の維持と言う目的のために必要と信じて疑わなかったことだとはいえ、その犠牲を当たり前のものだと思うほど非情にはわたしはなりきれないわ。大義のために、正しいと思ってしてしまったことのために犠牲にしてしまった人のことはすべて覚えているし、出来る限り追悼するようにしている。あなたのお父さんの所だって、メロンのお墓参りに来るときは必ずちゃんと手入れして、懺悔することにしてるの」
「あー、だから5年間ずっと来てなかったのにお墓が綺麗になってたんですね。ありがとうございます」
そう言って頭を下げるミレーヌ様に蒼弓の魔女……さんは決まり悪そうな表情になる。
「やめてよ。これは単にわたしが自分でしてしまったことに対する尻拭いなんだから。ま、こんな与太話もこれくらいにしましょうか。せっかく彼女さんと2人きりのところをこれ以上邪魔するのはさっき自分で応援したことと矛盾してるし、今度はミレーヌを独占していることでアリエルさんにボコボコにされるのは勘弁だし」
「そ、そんなことで暴力を奮ったりなんてしませんよぉ……」
ぼくが思わず言い返すと蒼弓の魔女さんはぷっと吹き出す。今のあたし、まさかからかわれていた……? そう思っていると、蒼弓の魔女さんはぼくにだけ聞こえるように耳元に囁いてくる。
「ぷははは、ごめんごめん。でも本当にわたしはここで退散するわ。でも最後にアリエルさん――あなた、ミレーヌの彼女なら絶対にあの子のことを守りなさいよ。あなたの手の届く範囲でミレーヌに何かあったらわたし、ブチキレるかもしれないから」
最後明らかに声のトーンが変わってぼくは身体をぴくっと震わせちゃう。でもそれはこれまでの敵意ではなく、どこかぼくと同じもの――立場は違えどもミレーヌ様に対する強い思いを感じられて、これまでほどは怖いとは思わなかった。
「言われなくても、です」
自分でも不思議なくらいにするりと出た言葉。その言葉に魔女様は満足そうに微笑んで言う。
「任せたわよ。わたしだって、いつでもあの子を守れるっていうわけじゃないし、何よりわたしよりあなたの方が強いんだし」