第102話 第6章プロローグⅡ
襲撃者――アリスにとって、一人娘であるアリエルは生きがいそのものだった。
漆国七雲客の1人【強化】を討伐しに魔族領――とずっと思いこまされていた人間が居住する絶対未開領域エメラルドで突如現れた武装シスター集団に勇者パーティーが壊滅させられた後。1人で命からがらクラリゼナ王国に逃げ延びてきたアリスはこれまで隠蔽されてきた非情な現実と、勇者が死んだのに1人中途半端に生き残ってしまったせいで、地獄のような仕打ちを突き付けられた。そんな生き地獄のような日々からようやく抜け出したものの、世界の殆どが信じられなくなった彼女が授かったのが一人娘のアリエルだった。
最初、アリスは自分がアリエルを身ごもったことに困惑し、産み落としてしまってからも自分の娘との距離感がわからなかった。アリスは幼い頃に両親を失い、家族から愛情を注がれたことがない。だから、家族としての正しい在り方なんてわからなかった。でも。
まだ世界の闇を知らず、いつも純真無垢な笑みを浮かべるアリエルに、傷つききったアリエルの心は段々と癒されていった。この世でたった1人しかいない血の繋がった家族。自分の命よりも大切な可愛くて仕方がない一人娘。そんなアリエルのことを、アリスはいつしか溺愛するようになっていた。
そしてアリエルが成長して12歳になった時。アリエルがもっと人の役に立つために王都に出たいと言い出した時。アリスは正直不安だった。自分が王都で受けたような生き地獄を自分の娘も受けることになりはしないかと思うと気が気じゃなかった。でも、アリエルの自分よりも他人の力になりたいというまっすぐな瞳を見ているとアリエルのその希望を拒絶することなんてできなかった。
「でもアリエルちゃん、お母さんと約束してください。アリエルちゃんが17歳――わたしがアリエルちゃんを生んだ年になったら、一度でいいからお母さんたちの所に元気な顔を見せて。絶対、絶対ですからね」
「うんっ! 」
そう元気よく返事をして、アリエルは王都へと旅立っていった。
アリエルが王都に旅立ち、魔法学園に進学してから。アリエルの王都での活躍は新聞などの情報が入ってこないアリスの住む村でも定期的に手紙で知らされた。学業の都合でなかなかアリエルが村に帰ってくることはできなかったけれど、それでもその手紙がアリスにとっては何よりも嬉しかった。手紙で娘の成長を感じながら、アリスは絶対にアリエルと会えるアリエルが17歳になる年を心待ちにしていた。でも。
アリエルが魔法学園を卒業した年から、アリエルからの文通は途絶えた。
――きっと社会人になったアリエルちゃんは仕事が忙しくって手紙を出す余裕がないだけです。どんな職業に就いたかは知りませんけれど、駆け出しって誰でも大変なものですから。
最初はそう思い込むようにしていた。しかし魔法学園時代は少なくとも1ヶ月おきには届いていたアリエルからの文通はアリエルが魔法学園を卒業して1ヶ月経ち、3ヶ月経ち、半月経っても届かなかった。実はアリエルはアリスに1カ月おきには手紙を出そうとしていた。しかしその手紙は全て王家によって差し止められていた。元勇者パーティーメンバーであったアリスがアリエルの勇者パーティメンバーとしての近況を知ったら、彼女が黙っているわけがないことをユリウスは知っていたから。そしてアリエルもアリエルで勇者パーティーとして各地を転々としているためにアリスからの返信が届かないのだろう、と都合よく解釈してしまっていた。
日に日に増大するアリスの不安。それでも、アリスにはまだ1つだけ心の支えがあった。
――来年、アリエルちゃんが17歳になる来年になればきっと、アリエルちゃんはわたしの元に元気な姿を見せてくれるはずです。それまでは、いくら寂しくっても我慢しましょう。アリエルちゃんがせっかく頑張ってるのに親の我が儘で子供の可能性を狭めることなんて、許されていいことじゃありませんから。
そう自分を納得させて、何とか精神の均衡を保っていた。しかし、そんなアリスの一縷の希望は、アリスの棲む村にやってきた黒ベールの女性によって簡単に打ち砕かれた。
王都からやってきたという顔を黒ベールで覆った女性はアリスと彼女の夫に対して告げた。魔法学園卒業後、アリエルが勇者パーティーに招聘されたこと。アリエルは勇者パーティーが漆国七雲客の1人・【強化】と交戦して以来消息を絶っており、生死さえも不明なこと。
それを知った時、アリスは目の前が真っ黒になるような感覚に襲われた。
――わたしだけでなく、あのクソ王家はわたしにとってかけがえのない、目に入れたって痛くないような一人娘のことでさえも騙し、搾取し続ける気ですか? わたしにはもう、アリエルちゃんしかいないのに。
絶望しきったアリスに黒ベールの少女は囁く。
「あなたの大事な一人娘を、あなたを散々苦しめた『勇者パーティー』なんかに引きずり込んだのは誰かしら。アリエルさんを勇者パーティーに推薦した魔法学園の教官、『勇者パーティー』なんていう偽りの暴力装置を維持して各国を侵略しようとする国策を変更しようとしない貴族、そして何より『勇者パーティー』を私物化し、自分の目的のためにならば全ての人民を道具としてしか見ないユリウス国王陛下。あなたのその絶望を、怒りを、ぶつけなくていいのかしら」
けしかけられたアリスはまんまと彼女の口車に乗せられてしまった。それが全てユリウスを排除しようと企む黒ベールの少女――ハナの策略であり、彼女がアリエルを追放した張本人であるプロムの情報を巧妙に隠しながら、都合のいいようにアリスを利用としていることに気付かずに。
ハナの話を聞いたアリスの行動は早かった。夫が制止するのも聞かずに全身を黒ローブに包んで王都へと飛び、アリエルが勇者パーティーに入ることになった原因を作った人物にことごとく『制裁』を加えていった。
元、とはいえアリスは腐っても先代勇者パーティーの生き残り。漆国七雲客にさえも渡り合えるとされる神話級魔法を5つも使える上に対魔術師特効の神話級礼装の拳銃を操るアリスの前に、王都の実力者は次々と倒されていった。そして制裁と同時にアリスは少しでもアリエルの居場所の手がかり掴もうと王都を奔走した。しかしそのような努力も虚しく、アリスの元には大した情報は集まらなかった。
そして今日。今のアリスにとって一番の標的にして、アリエルが生きているとしたら最も情報を持っていそうな人物――クラリゼナ国王ユリウスを襲撃したアリスは概念魔法【時間】に覚醒したベリーに返り討ちにされた。一対一で戦えばまだ成長途上の【時空】とは十分にやり合えただろうが、全く戦闘能力がないと踏んでいたユリウスがまさかあんな隠し玉を用意しているとは思わなかった。
「しくじっちまいましたね……」
空間転移魔法で王都の外れにある路地裏の街灯に身体を預けながら。アリスは顔を顰めて出血した腹部を押さえる。その傷はとっさの臨界招来で防ぎきれずにベリーの大剣によって切り裂かれた傷だった。
「あれであの憎いユリウスが死んでくれてるといいですけれど……【回帰】によって回復もできる【時空】がいたら望み薄ですよね。ま、いいとしましょう。復讐よりもまずアリエルちゃんを探し出すこと、それが何よりも優先です。アリエルちゃんならきっと、どこかで生きていてくれます。王都での情報収集はこれくらいにして、各地の有力貴族を襲撃してアリエルちゃんの居場所を探し出すとしますか」
そう言いながらアリスは傷口を止血していない方の手で1綴りの羊皮紙の束を取り出す。それはかなり詳細なクラリゼナ王国貴族のリストだった。もちろんこんなものが市中に出回っているわけがない。アリスがアリエルの仇を打つため、そしてアリエルの足取りを追うために闇取引で入手した違法な書類だった。
アリスはリストをめくりながら目星をつけていく。
「王都に近い領主や側近は後回しでいいでしょう。そこにアリエルちゃんの情報が入ってきているならあの王が掴んでいないはずがありません。だとしたらある程度独立していて、王家に情報を渡さないで済むような裁量が認められている貴族――有力な辺境伯あたりがねらい目でしょうか」
呟きながらリストの文字に走らせていたアリスの視線が、一つの貴族家の所で止まる。そこに書かれていた名前は、『ランベンドルト家』。
「正直こんなへんぴなところにアリエルちゃんがいるとは思えませんけど、回復したら行ってみますか――ランベンドルト家には因縁もありますし」
そう呟いて。アリスは妖しく目を光らせた。