【百合の日特別編 黒】番外Ⅲ 果実が爆ける10秒前
*本エピソードは6月26日に百合の日の特別編第2弾として5章の中に入れ込んでいたものを章の整理として5章から幕間に移動させたものです。内容は5章に入っていた「【百合の日特別編 黒】番外Ⅲ 果実が爆ける10秒前」と一切変わりません。
前半チェリー視点、後半キーウィ視点です。番外でやっていい内容じゃない気がしますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
6月某日。外では雨が降り注ぎ、今日は一日中宿屋にいることになりそう。そんな日。あたしと若竹色の美しい髪を肩まで伸ばしたアリエルちゃんは薄着姿でベッドの上に隣り合って座っていた。
無防備で露出の多いアリエルちゃんが視界に入った途端。あたしの心臓はとくん、と大きく高鳴る。緊張した面持ちでいるあたしに対して、アリエルちゃんは「えへへ、ちょっと緊張するね」とはにかんでくる。けれどその様子は、大して緊張しているように見えない。
「じゃ、行くね。ちょっと恥ずかしいけれど、これで、こんなことでチェリーちゃんが元気になれるのなら、わたしは嬉しいから」
そういってアリエルちゃんは非力な魔法使いでしかないあたしのことをベッドの上に押し倒し、長い横髪を小指でかき分ける。そして、形のいい柔らかそうな唇をあたしの唇にゆっくりと近づけて――。
「――って、やっぱこういうのはダメだよ。健全じゃない」
あたしがそう言った途端、アリエルちゃんの姿をした少女は哀しそうに微笑み、次の瞬間。さっきまでアリエルちゃんがいたはずの場所には変身魔法を解いたキーウィがいた。
そう、この部屋には最初っからアリエルちゃんなんていない。いるはずがない。いるのはアリエルちゃんの幻想を求め続ける滑稽な負けヒロインと、そんなあたしの頼みを聞いてあたしの片思い相手の『振り』をしてしまうような、ちょっと危うさを感じる少女だけ。
温泉街でアリエルちゃんと予想外の再会を果たしてから1週間が経った。1週間経っても。あたしは未だにアリエルちゃんと再会した時のことから立ち直れていなかった。そんなうじうじしたあたしのことを、キーウィは見捨てることなくずっと傍で支え続けてくれた。それどころか今日なんか、「あたしにできることは何だってするよ? 」とまで言ってくれた。
そんなキーウィに、あたしはべったりと甘えちゃった。そして、ついに超えてはいけない一線を超えそうになったのが今日のことだった。
『なんでもしてくれるって言うなら、あなたがアリエルちゃんになってよ。アリエルちゃんになって、もう二度と満たされることのないこの気持ちを満たしてよ! 』
自分でも最悪で、とんでもないことを言ってると思う。でもキーウィはなぜかあたしのそんなめちゃくちゃな願いを受け入れてくれた。そして、キーウィは完璧にあたしの望むアリエルちゃんを演じきり、あたしは好きな人の姿をした彼女が注いでくれる無性の愛に盲目的に溺れてしまおうとした。でも。
ギリギリのところであたしは気づく。当たり前だけど、いくら姿を似せたところでここにはアリエルちゃんはいない。否、今現在、この地上にあたしが好きになったアリエルちゃんはいない。
そう思った途端、さっきまでの熱が一気に冷めていき、心にはただただ虚しさだけが訪れる。ほんと、何やってんだろ、あたし……。
「と、いうかなんでキーウィは拒絶しなかったの? 自分で頼んでおいてなんだけど、『アリエルちゃんの恰好をしてあたしに口づけして』なんて頼みごとを聞いくれるのは流石に自分の貞操を大切にしなさすぎだと思うんだけど。ちょっとキーウィのその後が心配」
上着を羽織りながらアタシがそんなことを言うと、キーウィは口を尖らせながら言ってくる。
「別にあたしだって誰に言われたってそんな変態じみたことに付き合うほど貞操観念失っちゃいないわよ。今回のは他ならないチェリーで、しかもチェリーがめちゃくちゃ落ち込んでたから、仕方なくやってあげよう、と思ったの。それに、別に子の体が汚れようったってあたしには究極的には関係ないことだし」
最後の方の台詞は小さくてよく聞き取れなかった。けれど、あたしは冗談交じりに言っちゃう。
「なにそれ。それってあたしのことが好きってこと? 」
「あなた達みたいにそんな恋愛脳だけで動いていませんよーだ」
そう言ってあたしに手刀をお見舞いしてくるキーウィ。まあ今のは冗談だったけれど。
「でも、本当になんでキーウィはあたしなんかのためにここまでしてくれるの?自分で言うのもアレだけど、あたしって凄く面倒くさくてうじうじばっかりしてる女の子だよ。これまで何度だって見限られておかしくなかった。なのに、なんでキーウィはこれまであたしと一緒にいてくれるの? 」
真剣な瞳でキーウィのことを見つめ、あたしは尋ねる。今回のことではっきりした気がする。キーウィのあたしに対する献身は単なる『かわいそうな女の子』に対する同情にしては度を越している。その理由をあたしはここで知っておきたかった。そうじゃないと、キーウィと対等に付き合えないと思ったから。
その真剣さが伝わったのかな。キーウィは暫くあたしのことを見つめ返した後。小さくため息をついてぽつりぽつり、と語り始める。
「あたしがチェリーのことを気にかけている理由――それは、そんな綺麗なものじゃないわよ。あたしは過去のあたしにそっくりなの。物心つく前から戦わされて、死ぬような思いも何度もして。そんな『勇者』だったあなたと過去の自分をあたしは重ねて、せめてあなたには幸せになって欲しいと思っているだけなのよ。あたしは、もう絶対に幸せになれないし、自由に恋愛なんてできないから」
そう諦めたように言うキーウィ。でもその言葉にあたしは違和感を抱く。その話、最初に聞いたキーウィの話と食い違うような……。そんなことを考えていると、キーウィははっとして、何かを取り繕うかのように「今のは例えよ、例え」と言ってくる。
「とにかく! あたしは時間が許す限り、チェリーが幸せになれるようにサポートし続ける。チェリーの初恋が成就するように全力で応援する。そんな自分勝手な理由で応援されたら不満? 」
有無を言わせない調子でそう迫られて、あたしは少したじろいじゃう。
「い、いや……むしろ、何らかのメリットがキーウィにある方が、あたしとしてもキーウィに頼りやすいって言うかなんて言うか」
やっとのことでそう答えると。キーウィは「そう」と満足そうにうなずき、それから。
「ちょっと買い物行ってくる」
と、部屋の外へと出ていった。そして、あたしは1人、ホテルの一室に残された。
◇◆◇◆◇◆◇
その日の真夜中。チェリーはもう既に寝静まっている中。あたしは全身に走る苦痛で漏れ出そうになる声を押し殺しながら壁伝いになんとか洗面所へと辿り着く。そして鏡を見た瞬間、鏡に映ったあたしはいきなりニヤリと笑いだす。現実のあたしは苦悶に顔を歪めているというのに、だ。その上、鏡に映った『あたし』でない『あたし』は、あたしのことを嘲笑するかのように言葉を続ける。
「そろそろ儂を抑え込むのも限界そうじゃなぁ、転生者の小娘よ。この先代魔王である【次元】様の体で転生しようとするからそうなるのじゃ。まあそれでも、主は頑張った方じゃと思うがな。現地人の中でもとりわけ自我が強い儂の身体を一時的とは言え乗っ取り、もう5年間も本来の子の体の人格である儂を抑え込んでいるのじゃから。まあそれも、いい加減に綻び出しているがの」
「……うるさい」
そう言ってあたしは鏡に映ったあたし――先代魔王【次元】の使い手にして、キーウィというこの少女の本来の人格を睨みつける。
そう、あたしは本当はこの世界で生まれ育った人格ではない。この世界とは違う別の併行世界で形成された記憶や自我を保ったままこの世界に【転生】してきた人格だ。そしてあたしのような転生者と呼ばれる人間は現地人の身体を乗っ取り、以後はその異世界人となりかわってその世界で生きていくことになる。そして、転生者が乗り移った瞬間、その体に元々あった人格は消滅するのが普通。
でも、ごくたまに非常に強力な自我を持つ現地人というモノが存在し、その場合は乗り移ろうとした転生者の人格の方が消滅したり、そこまで行かないまでも不完全な転生しか果たせず、転生者と現地人の2つの人格が同じ人格に宿るということがありえる。
元の世界で『勇者候補』として散々身体や脳をいじくりまわされた挙句、『適正なし』として棄てられ息絶え、この世界に【転生】してしまったあたしを待ち構えていた体の持ち主もまた、そういう厄介な相手だった。
あたしの転生先、そこに居座っていた人格は概念魔法【次元】の使い手であるキーウィの人格だった。彼女は厄介なことにその概念魔法に付随して300年前、この世界に君臨した最後の魔王の記憶を持ち、300年後のこの世界でも自分が再び魔王として即位しようと企む、現地人の中でも屈指の精神力を持つ人格だった。
そんな彼女に対し、あたしは必死に彼女の人格を消滅させようと試みた。別に管理局から正式にこの世界に送り込まれたわけでもなければ現地人でもないあたしはこの世界に再び魔王が君臨しようが責任は何もないし、、人の自我を消滅させてまで第2の人生をこの異世界で送りたいと思ったわけでもなかった。でも、仮にでも元の世界で『勇者候補』なんてやらされていたせいだろう。先代魔王にしてこの時代で再び魔王となろうとしているような人格を放っておけなかった。
そしてその試みは半分成功し、半分失敗した。あたしは元のキーウィの人格を完全に消し去ることはできなかったけれども、体の主導権を握ることには成功した。でも、現代における魔王の復活を未然に防いだというのに周囲の反応はしょっぱかった。
クラリゼナ以外で概念魔法の使い手が軍の殺戮兵器として非人道的に扱われることはない、と言うことは確かに事実だ。しかし、クラリゼナ以外の国は逆に概念魔法から距離を置きたがる国が多い。神聖国家ラミリルド皇国は極端な例だけれども、あたしの――というよりキーウィの出身国である経済列強イングルシア公国もまた、概念魔法【次元】にあまりいい顔をしなかった。その上、あたしはそんな概念魔法使いを押さえた上に【呪詛】と【祝福】を持ち合わせる、いわば【転生者】と漆国七雲客のハイブリット。
これほど厄介なものを面倒ごとを回避したがるイングルシア政府や地元の街はあたしを他国に追い出すため、手に職を付けることを勧めてきた。そして。冒険者と言う職業に無事についたあたしは、体よく国を追い出された。
そうやって実質的な国外追放された先で。あたしはチェリーに出会った。チェリーに最初に出会った時から、あたしは彼女が自分と『似てる』と思った。この世界でのあたしじゃない。転生前の自由に生きられないあたしに彼女の姿は重なった。そして、【転生】してまで先代魔王の重りをしなくちゃいけないあたしなんかとは違って、あたしの分までチェリーには幸せになって欲しいと本気で思った。だから。
「……チェリーが幸せになるために邪魔なお前なんかを、まだ表に出すわけには行かない。チェリーはちゃんと好きな人と結ばれて、あた市の分まで幸せにならなくちゃいけない女の子なんだ」
「賢明だな。儂は確かにあの小娘を真っ先に手にかける理由があるからのう。しかし。主のやせ我慢はいつまで続くかの。儂のことを押さえきれずに最近、しばしば【魔王】の目撃情報が出回っているのを主も知っとるじゃろ。それは、主が儂を押さえきれなくなって儂が表に出てきた結果じゃ」
「……わかってるよ、そんなこと。でも、絶対にあたしは現地人なんかに、【魔王】なんかに負けない。この世界のたった1人、チェリーにとっての『勇者』になって見せる」
そう言ってあたしは先代魔王のことをもう一度強く睨みつけた。