⑦既に間に合ってない。
一方、その頃。
リーングラッシュは学園へ戻る為、走っていた。
足は早い方ではないが、遅い方でもない……しかし彼は、鞄を持ってない代わりにお荷物を抱えていた。
「待ってくださいぃ~殿下ァァァ~」
情けない声を発し、それでも必死でリーングラッシュの後を走る……(※ちなみにクソ遅い)
そう、リリア嬢だ。
ぼろぼろになりながらも、ロウルースのピンチに自分を探しに走ってきてくれた手前、無下にもできない──などという気持ちは彼の中には欠片もない。
むしろ迷惑この上ないと思っている。
なのに何故彼女を置いていけないか……それはこの時から更に5分程前に遡る。
話を聞き、急いで学園に駆けつけようとしたリーングラッシュを、リリア嬢は彼の服の裾を掴んで制止した。
「ダメです! 私も一緒に向かいます!」
「はァ?! 冗談じゃ」
「待ってくれないならロウルースさんに殿下のお気持ちをバラしますよ?!」
なんとリリア嬢は『 冗談じゃない、勝手に向かえ』とリーングラッシュが言うより先に、脅してきたのだった。
言われて困るかと言うと微妙であるが、リーングラッシュのクソ高プライドはそれを許さない。
「『リーングラッシュ殿下は貴女が好』」
「黙れ!! ……っ貴様、何のつもりだ?!」
「私には事の成り行きを見届ける権利があります!! こんな面白……んげふんっ……兎に角、そういうことだから勝手に始められては困るのです!!」
臆することも失神することも、興奮のあまり鼻血を出すこともなく睨み返すリリア嬢。
ちょっと前までの、遠慮がちで控えめだった筈の『正当派清純ヒロイン系美少女』は、もう……いない。いや、そもそもそんな『(前略)美少女』など最初から存在しなかったのだ。
リリア・アーマーマウンドは、芸術家。
芸術家である彼女を突き動かすのは、いつだって情熱なのだから!
「お前……本当にさっきと同一人物か?!」
リーングラッシュは唖然としつつもつっこむ。そしてそんな自らの行為から、ロウルースを思い出した。
(ロウならもっとうまくツッコんだところだな……)
なにしろツッコミと言えばロウルースである。
ロウルースが鞄でリーングラッシュを思い出した以上に、しょうもない思い出し方と言っていいだろう。
彼はチッと大きく舌打ちをした。ロウルースを心配するもどかしさと、リリア嬢に対する面倒臭さ故の行為。
リリア嬢の存在はウザいが、とりあえずは言うことを聞くことにした。今は少しでも歩を進めたい。
……それが約5分前の二人。
今、リーングラッシュのイライラは限界に達しようとしていた。
「お前……いい加減にしろ! 遅すぎだろ!!」
リリア嬢は息も絶え絶え、といった感じで、それでも足だけは止めずに言った。
「返す言葉もっ……ございません……」
流石にしんどくなってきた、体力のない美術系リリア嬢。先のカーテシーでプルプルしていたのは緊張からではない、単純に足腰の問題である。
そんな彼女の目に、ある看板が止まった。
『自転車・パーツのストーンブリッジ』
「……そうだわ! 自転車を買えばいいのよ!」
「えっ?おい……」
リリア嬢は既に自転車屋の方に走っている。リーングラッシュは呆れた。
(だが……このままコイツのペースにつき合うよりはマシか)
「──先行ってるからな!」
そう言い残してリーングラッシュは走った。自転車ならば鈍足のリリア嬢でも追い付くだろう。どうせなら、追い付かないでくれた方が有難いけれど。
程なくしてリリア嬢はやってきた。
「……殿下ァァァ」
遠くから段々近づいてくるその声に、チラッと後ろを向き……彼は驚愕した。
「なんなんだよ?! そのチャリはっ!」
リリア嬢が跨がっていたのはツーシーター。つまりハンドルとサドルが2つ付いている、観光地でたまに見かけるアレである。
「頭に虫でも沸いてんのか?! 観光地でもないのにこんなの走らせてる浮かれトンチキがどこにいる!! 大体どうやってこんなの手に入れたんだ?!」
「ええ……私も店頭で見つけたときには自分の目を疑いました……」
リリア嬢は遠い目をして語りだした。
*******リリア視点*********
自転車屋さんに入った私の目は……これに釘付けになりました。
コレは……観光地によくある……!!
すると奥から歯が数本しかないお爺さんが、白いランニングになんとも名状し難い柄のハーフパンツ姿で店の奥からこちらに参りました。
どうやら御店主のようです。
彼は歯のない部分から息を漏らしながら、私にこう持ち掛けます。
「あぁ~しょれねぇ~、たまたま潰れたレンタサイクルからいっぱい買い取ってねぇ~……中古だから二万イェンでいいよぉ~」
「!」
に……二万イェンですって?!
唾を飲むと喉の奥が、ゴクリ、とやたらと大きく鳴るのを感じました。
財布の中を覗くと、そこには丁度二万イェン……
丁度二万イェン入っていたのですから!!
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「私も流石にこれはどうなのか、と躊躇致しました。 しかし……そう、私は飲まれたのです! 欲望という名の闇に……!!」
「馬鹿か?! いや、馬鹿だ!!」
それはただの馬鹿な衝動買いであった。
まるで劇の台詞の様に言葉を修飾したところで、それ以外の何物でもない──リーングラッシュは非常に無駄な時間を費やした事に気付き、踵を返す。
「あ~もう、好きにしろ! 言っとくけど俺は絶対乗らな……」
そう足に力を込めた、その時だった。
──ぐきっ
リーングラッシュにだけ聞こえる嫌な音。それと共に、彼はうずくまった。
捻ったのだ、足首を。
このタイミングで。
「……リーングラッシュ殿下……」
驚いたのは一瞬。
リーングラッシュの身に何が起こったのか。
すぐに状況を概ね理解したリリア嬢は、フッとシニカルな笑みを浮かべ後部のハンドルをポン、と叩いた。
「後ろ……空いてますよ?(ドヤァ)」
もうすぐ夕刻とはいえ、まだ日は高い。空は晴天、絶好のサイクリング日和と言える。
だが、無論サイクリングではない。
(ち……ちきしょおおぉぉお!!)
美しく晴れた青い空に、リーンの心の叫びがこだまするようだった。
「いやぁ……買ってみるもんですね!」
リリア嬢は、自転車を漕ぎながらこれ以上ない爽やかさで言う。
「クソが……覚えてろよ!」
「勿論です! いい記念になりますんで!」
「……やっぱり忘れろ!!」
「プークスクス、足をくじかれたことをでしょうか?」
「貴様、死にたいのか?!」
結果として助けられたにも関わらず、リーングラッシュはリリア嬢に悪態をついた。
それでも彼はペダルを踏む足に力を込める。
速まる車輪の回転。
(ロウ……待っていろ!)
全ては大切な幼馴染みの為──
まあ、彼女のピンチはもう既に終わっているわけだが。