⑫今日の日はさようなら。
リーングラッシュはロウルースの肩に手をかけ、ふたりで帰路をゆっくり歩く。
途中でリリア嬢のタンデムチャリに抜かされ、ユリアンナ様の馬車に抜かされた。
「……なんか介護してるみたいだね」
「言うべき事はなかなか言わないくせに、そういう余計なことは言う……お前脳内を一度整理した方がいいぞ?」
「うるさいな……」
──なんだか今一つ、いつもの調子にならない。
いつもよりゆっくり歩いているせいか、なんだか気まずくて……ロウルースもリーングラッシュもどんどん口数が減っていった。
考えてみたら普段は、ずっと横並びで歩くこと自体ほとんど無いのだった。大概前後にわちゃわちゃなる。
いつも通りを意識すればするほど喋れなくなる。大抵そんなものだと思うけれど、リーンもそうなのかもしれない、とロウルースは思った。
「……おい、なんで黙ってんだよ?」
「……うん……」
曖昧に返事を返して、しばらくよそごとを考えていた。モヤモヤした気持ちを消したくて、どうでもいいことを口に出す。
「やっぱり自転車借りとけばよかったかな……」
「それかよ!」
「だってさぁ! 180㎝オーバーのリーンの体重を掛けられてるんだよ……潰れちゃう……潰れちゃうよ!」
「っだ~もう! イチイチ大袈裟にぎゃあぎゃあ言いやがって……潰れねぇわ!! 大体俺は一緒に歩いてくれなんて頼んだ覚えなどねぇ!」
「滅茶苦茶体重掛けてるくせに?! むしろ『頼む』ぐらいはしてほしいもんだよ!」
(……なんか違う)
ロウルースは良くわからないけどイライラしている。
いつも鞄もちであれなんであれ、大概ひとことやふたことは欠かさず文句をつけてしまうロウルースではあるが……に、しても、なんだか攻撃的になってしまう。いつも通りにならない。
胸がざわざわするような違和感を感じていると、突然リーングラッシュの左手が目の前に差し出された。
「……ん」
「え」
「……鞄だよ、かばん!! 俺の気が変わらない内によこせ!」
「あ……」
(そういえば持ちっぱなしだった)
ずっと持っていたので気付かなかった。
胸のざわざわと共に、体温が急激に上がっていくのを感じていた。「鞄を持つ」と言っているリーングラッシュに反抗し、渡さないと決め、ぎゅっと抱え込んだ。
(大体にして、馬鹿馬鹿しすぎる)
「……おい?」
リーングラッシュはロウルースの異変に気付き、ちょっとだけ膝を曲げ、心配してるのを表に出さない様にこちらを見る。ロウルースは益々苛立った。
(……そういうところが頭にくるのに!)
「……大体ねぇ……」
(ああもう、止められないや……)
一言吐いてリーングラッシュを睨み付けると、勢い良く言葉が出た。
「今日されたひどいことの大半はリーンなんだからね?! 鞄もちもこめかみグリグリももデコピンもっ! しかも『犬』とか言うし……っ!」
強い口調で一気に捲し立てる。
それに気圧されたように、リーングラッシュは顔を逸らして小声で反論した。
「それはっ……訂正しただろ……」
でもそんなこと本当はどうでも良かった。
「……なのにっ!」
嫌なだけだ。
「なのになんで二人乗り自転車とか乗ってくんの?! 超カッコ悪い!! 挙げ句転んで足を痛めるとか……馬っ鹿みたい、馬っ鹿みたい! 馬っっ鹿みたい!!」
それが、凄く嫌なだけだ。
「……」
「……」
リーンなんて──ずっと格好つけてればいい。
実際にカッコいいかどうかは関係なく、山のように高いプライドを守って、格好をつけ続けていればいいんだ。
あんな格好悪いこと、ムキになってしなくていいんだ。
そんなこと、しなくてもいいんだ。
俯いたロウの頭に「ふう」とタメ息が落ちる。
「…………お前こそ馬鹿だろ? 別に── 」
リーングラッシュは妙に優しい口調でそう言うと、鞄を受け取るつもりで差し出した手の袖口を伸ばして、ロウルースの頬を乱暴に擦った。
「俺が足を痛めたのも、クソダサチャリで来たのも、止まらなくてこけたのもお前のせいじゃない」
──格好悪いことなんか、平気でしなくていいんだ。
するならするで、押し付けがましく『貴様の為だ』とか宣えばいいんだ。
「…………うぐっ」
(無意味なプライドはどうしたんだ……そんなに簡単に格好良く言うことじゃない!)
本当に相当、格好悪い。
言ってる内容は滅茶苦茶格好悪いのに、格好つけるのはやめて欲しい。
「……鼻水つけたら殺すぞ?」
は、と呆れたように笑って、リーングラッシュはロウルースの頭を引き寄せる。
最終的に鼻水はついたが、「汚ぇなぁ」と言いながら、やっぱり笑っていた。
再び歩き始めたふたりは概ねいつも通りで、違うのはロウルースがリーングラッシュを町の片隅にある彼の邸宅まで送っていくこと位。
第八王子殿下であるリーングラッシュは卒業後も、管理されたこの町で暮らす。他の王子も皆息災で、既に立太子した第一王子には息子もいる。
順番が回ることはなく、国は平和そのもの。
周囲の数ヶ国とは連合協定が結ばれており、美貌の彼だが駒として使われることはない。
ただ表に出ず目立たず生きるのだけが、彼に許された未来。
だが彼には、それはむしろ幸福な未来だ。
ロウルースと、その両親。
そんな狭い世界でおままごとのように生きれるなら。
「……そういや甘いもん食うんだったか?」
次の角を曲がり突き当たりが家……という辺りで、リーングラッシュは思い出したように言った。
「は? 何言ってるの? 早く帰って足、ちゃんとしないと……薬塗るとかさぁ……あっ、ていうか今更だけど一旦保健室行けばよかっ……たっ!」
リーングラッシュはロウルースの頭を軽くはたく。
「もうここでいい……じゃあな」
「あっリーン?」
もう、と呟いて、ロウルースは足を引きずるリーングラッシュの背中をしばらく見送る事にした。
「…………気を付けてね! 足、ちゃんとするんだよ!」
そう声をかけるとリーングラッシュは振り向いて足を止め、声を返す。
「俺は子供か! お前が先帰れ!!」
ロウルースの家はここからさして離れていない。
母は通いのハウスメイドとして、変わらずリーングラッシュの面倒を見ており、父は彼に宛てがわれた邸宅の庭の管理をしている。
大体が顔に出るウッカリ者の娘には、安全の為にリーングラッシュが婚約者なのは伏せてある。代わりに『変わらず接するように』と言い付けて。
だからロウルースは、ゆくゆくはリーングラッシュの邸宅でメイドになるんだろうと思っていた。
距離感はおかしくとも、人嫌いな主ならばそういうこともあるだろうと。
リーングラッシュがこちらを向いて仁王立ちしているので、ロウルースは素直に帰ることにした。
(……いいからさっさと帰ればいいのに。 こういうとこが子供なんじゃないの?)
そう思いながら、いつも通り無意味なプライドをひけらかすリーングラッシュに、つい笑ってしまう。
背を向け数歩進んだところで、今度はロウルースの方が呼び止められた。
「…………ロウルース!」
振り向いてリーングラッシュを見ると、少し怒ったような顔でこちらを見つめていた。
「また……明日な」
そう言うと、ロウルースに背を向け家の方へと歩き出す。びっこを引きながら。
(……それだけ?)
「……しょうがないなぁ……リーンは」
小さくそうぼやいて、ふっと笑う。最初からわかってたことを、今更のように脳内で反芻した。
──私はなんだかんだ言っても、リーンに好かれているんだよなぁ……
高かった筈の太陽は、いつの間にか赤く大きく姿を変え、町をオレンジ色に染めている。
本当に馬鹿馬鹿しい……そんな毎日の積み重ねだ。今日はいつもよりも更にどうしようもなく、しょうもない一日だった。
きっと、記憶に残るだろう。
「じゃーね、リーン!また明日!!」
門を閉めて見えなくなったリーングラッシュにそう言うと、すぐに身体を翻して自宅へ向かう。
フツフツと嬉しいきもちが沸き上がる。
いつの間にか駆け足になっていた。




