⑪残念ヒーロー。
リーングラッシュは『犬』と言ってしまってから、心の底でずっと考えていた。『犬』に代わる単語で『婚約者』と言わずに済む、最も相応しい単語を──
そして既に思い付いていたのだ。
「コイツ……ロウルース・ウィローフィールドは……」
すうっと息を吸い込んでリーンはその一言を発する。
「俺のツレだ!!」
「「「!!!」」」
── 俺 の ツ レ 。
「「「…………」」」
ロウルース、ユリアンナ様、リリア嬢の3人は互いに見合った。無言での会話……皆、気持ちは同じ。
──『ツレ』って………何??
そんな3人とは対照的に、リーングラッシュは少し照れた感じで頬を染めつつも、「どうだ!言ってやったぜ!!」とばかりのドヤ顔をしている。
この状況を見かねて、思わずピースは口を出した。
「お嬢様方…… 僭越ながら 『ツレ』というのは下町のスラングでして、 恋人や特別仲の良い友人などを指す代名詞です。 強いて言うなら『相棒』でしょうか」
恋人や特別仲の良い友人など。
とてもざっくりしている。
そして『相棒』は場合によって、犬にも使う単語である。
「殿下……うまく逃げましたね……」
ボソリとリリア嬢が呟いた。不敬にも侮蔑の籠った非常に冷たい瞳で。
リリア嬢の言葉など聞こえてないかの如く完全にスルーし、リーングラッシュはロウルースの肩に手をかけた。
「そういうことだから、今後一切コイツにちょっかいを……」
「あ」
ようやく首の自由がきくようになったロウルースは、リーングラッシュの顔を微妙な表情で見上げた。……全く以て今更言い辛い。
しかもリーングラッシュが『言ってやったぜ!』的な顔をしているのが、また。
「その……ユリアンナ様は絡まれてるのを助けてくれただけで……」
「……は?」
『何言ってんの?この人……』的なニュアンスで返事をされ、おもわずロウルースは顔を背ける。
「そういえば……ロウルースさんを連れ去ったのはこの方ではなかったです……!」
「は?!」
今度の『は?!』にはリリア嬢に対する非難がハッキリと含まれていた。
(じゃあ俺は何のためにこんな事を……?)
ハッとしてリーングラッシュはユリアンナ様を見る。
いつか見たことのある、この表情──それに気付くと同時に、彼の脳内に、自分がやったことが走馬灯の如くスクロールした。
そしてようやく気づき──驚愕。
そう、彼は気づいてしまったのだ。
足を挫き、乗りたくもないタンデム自転車に乗ってまで駆け付けたが、ロウルースのピンチには間に合っていなかった事に……
なのにドヤ顔でヒーローっぽい(『アイツは俺が守る』的な)発言を堂々としてしまった事に……
しかも、嫌いな人間の口上にまんまと乗せられ、それに全く気付いてなかった事に……!
ユリアンナ様はニッコリと満足そうな笑みを浮かべている。そう、彼女はリーングラッシュのこの顔が見たかったのだ。
澄んだソプラノで彼女は言う。
「ところで殿下、足の方は大丈夫ですの?よろしかったらお送りして差し上げましてよ」
「だれが乗るかぁぁぁぁぁ !!!!!!」
リーングラッシュの怒号が返る──
ユリアンナ様以外の3人はあまりの居た堪れなさに、ふたりのやり取りを聞きながらも決してリーングラッシュの方を見ることはしなかった。
「じゃあロウルースさん、帰りましょうか」
しれっとユリアンナ様はロウルースに声をかけた。こういうところがリーングラッシュに言わせると『本っ当にいけすかない』らしい。
彼はロウルースの肩に置いた手を少しだけ自分の方へ引き寄せ、威嚇するようにユリア様に言う。
「だから一切コイツにちょっかいを……」
「──ユリアンナ様」
ロウルースはそれを遮って、ユリアンナ様に声をかけるとお辞儀をした。
「今日はどうもありがとうございました。 ……折角ですが、私も歩いて帰ろうかと思います」
へへへと淑女らしからぬ照れ笑いをし、頭をかく。
──なんだかもどかしい。
よくわからないモヤモヤに、胸が詰まる。
「そう……お気を付けて」
にこやかな笑みを崩さずそう言うユリアンナ様にロウルースは再び頭を下げ……その後リリア嬢に声をかけた。
「リリアさんは……」
「いいえ! 私は大丈夫です!」
彼女はロウルースが言い終える前に断って、倒れたままの二人乗り自転車を起こしにかかった。
「あ………よかったら使われますか?」
「いや……大丈夫……」
リーングラッシュの足を気遣ってくれたのはわかるものの、それには流石に乗りたくない。
「つーか……要らないだけじゃねぇのか?」
「そんなことありませんよ! こんなのなかなか手に入りませんよ?!」
リーングラッシュが普通に喋る相手は珍しい。
二人はお友達になれたのかもしれない……そうロウルースは思ったが、何故かあんまり嬉しくはなかった。




