①殿下と犬。
帰りのHRも終わり、淑女教育Dクラスはざわざわと喧騒に包まれていた。
この国の国立学園に於ける淑女教育Dクラス──それは裕福な庶民や低位貴族の子女達が主であり、社交界で恥ずかしくない程度のマナー等を修得する為の学びの場である。
ロウルース・ウィローフィールドはどちらかというと地味な女の子だ。
身長146㎝とかなり小柄で、ぴょんぴょんと跳ねた癖っ毛のショートボブが特徴といえば特徴だが……目立つ訳ではない。
むしろ、人混みに姿が見えなくなるくらい。
この二点以外にコレと言った特徴のないロウルースだが、彼女は有名人である。
その理由は──
「ロウ~」
「何?」
「今日みんなで新しいカフェに行ってみない?って言ってるんだけど、ロウも」
──バァァァンッ!!
凄まじい音をたて、ロウルースの机に鞄が落とされた。……否、『叩きつけられた』という表記の方が正しいだろう。
当然会話は中断される。
無論、それが彼の狙い。(あと威嚇)
──リーングラッシュ第八王子殿下。(※以下の彼の説明は『……』のところまでスルーして構わない)
金髪と黒髪の良いところだけ足して2で割ったような艶やかな髪は、光の具合でプラチナブロンドにも、アッシュグレーにも見える。自分で切ったのではないかと思うほど、ざっくばらんなショートカットにしているが、逆にそれが女性的な顔を男性らしく引き締めていた。白い肌は透けるようで、長い睫毛に縁取られた瞳は緑とも青とも言えるような色をしている。長い手足は真っ直ぐにスラリと伸び、長身で、男らしい肩幅をもちながら、滑らかな鎖骨が中性的な魅力を醸し出していた。
……要するに、とにかく美形なのだ。そりゃあもう、半端なく。
しかも第八王子という、そんなに立場に縛られないが一応王族が故に生涯飼い殺される身の上である。
それは『社交界で一華咲かせよう!』などという野心を一切持たない『嫁いで楽したい系低位貴族の娘』から、『ウチなら平気よ!私の婿に!』と考える『美形大好き高位貴族の長女』にと、一部に大人気のポジションである。
だが、そんな彼には婚約者がいるらしい。
これまた物凄い美貌を誇る、ユリアンナ・バードランド公爵令嬢である。
ロウルースはリーングラッシュの幼馴染み──そう、彼女が有名人なのは彼のせいであった。
リーングラッシュはその見た目から人間不信になるという、美形にありがちな設定を美のついでに盛られて生まれてきたとしか思えない程に、他人に心を開かない。特に女子には。
そんな彼に近寄れる女の子は、婚約者と噂されるユリアンナ嬢──ではなく、唯一ロウルースだけである。……というか、ロウルースが近寄らなくてもリーングラッシュが寄ってくるのだ。
「生憎だが、コイツには先約がある。 常に、だ」
「リ……リーン」
ロウルースの前には叩きつけた、リーングラッシュの鞄。
『持て』の意である。
まあ、こんなのはいつものこと。
友人との放課後お茶会に未練を感じながらも、ロウルースはその圧に従った。
「まああの子、またリーングラッシュ殿下のお傍にいるわよ!」
──などの陰口は未だあるものの、その一方で彼の複雑な身上と麗し過ぎる見目、そして上記のようなロウルースへの態度の酷さから『アレは殿下の犬なんだ』と処理されており、あまり問題視されていない。
それこそロウルースにしてみれば問題なのだが。
彼が通るとにわかに周囲がざわめき出す。
熱い視線や黄色い声、感嘆の息……それは勿論リーングラッシュにのみに注がれるもの。
だがロウルースにも、嫉妬の対象物として、違う意味での熱い視線が注がれるのである。
鞄は持たされるわ、嫉妬はされるわで、踏んだり蹴ったり。
最近では普通の嫉妬の声の他に『ロウルースさんたらまた罵倒されて羨ましいですわぁ~♡』という謎の声も聞こえてくるが、それはまあ置いとくとして。
ロウルースとしては是非代わって鞄を持っていただきたい。実はそんなに重くないのだが、荷物が多くて良いことは何もない。持ちたい人が持つべきだ。
なんとかリーングラッシュを上手いこと丸め込んで、彼女らに鞄を持たせられないだろうか、と考えていたものの……
実際に一度それを試してみたところ、女の子達の間で奪い合いになった挙げ句、彼のお高い革製の鞄がボロボロになったことがあった。
──革製の鞄だ。よもや、ボロボロになるとは。
『女子の執念、恐ァァァッ!!』と思ったロウルースは、ソレ以来我慢して鞄を持つことにしている。