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リタが長い眠りから覚めて一ヶ月が経った。
医療魔法によるものか、リタの身体は一年全く動かさなかった割に直ぐに普通に動けるようになっていた。
リタは人や物などは覚えていなかったが、日常の生活に関する記憶は失われておらず、思いの外生活に困ることも無かった。
リタが目覚めた日、鳶色の髪と金色と赤毛の混ざった髪の男女を両親として紹介されたが、リタはいまひとつピンと来なかった。
父はジーニアス・アマンダ、母はヴィオレッタ・アマンダ。
二人はグラジオラ王国の公爵夫妻だという。
そして、リタが目覚めて最初に見た人物、ロデリックは、ロデリック・グラジオラ。グラジオラ王国第三王子であり、リタの婚約者だという。
リタは一気に色々言われ、受け入れ難かったが、それでも毎日過ごしているうちに少しずつ馴染みはじめていた。
それでもやはり、自身の記憶がないことによるストレスからか偏頭痛を覚えていた。
「お嬢様。旦那様がお呼びです。」
自室と言われ、与えられている部屋。ソファに座り紅茶を飲みながらぼーとしていると、侍女長であるマーニャに声をかけられた。
「ありがとう。」
マーニャは一ヶ月の間、毎日必死に色々思い出そうとするリタに様々な事を教えてくれた。(彼女はリタが幼い頃から仕えてくれているらしい。リタが思い出せない呵責に耐えている時も、以前のリタがどんなにお転婆で手を焼かされたか面白おかしく話してくれた。)
マーニャに案内され、父であるジーニアスの書斎にやってきたリタは自然とスカート の両端をつまみ、カーテシーで挨拶をした。
どうやって覚えたのか思い出せなくても、身体はしっかり覚えているらしい。そういう小さな事は身体が覚えてくれているおかげで、リタは記憶がなくともあまり貴族としてのマナーなどで困ることはなかった。
「ああ、リタ。よく来たね。まだまだ色々思い出せなくて大変だろう。そこで、そろそろ暑くなるし、ロデリック王子が気分転換に君を避暑地に誘ってくださったんだが…」
ジーニアスは困惑したように手元に置いてある紙を見ながら言った。
「お父様とお母様は、残られるのですよね?」
「ああ、いくら王子所有の地とは言え正式な宴がおこなわれるわけでもないし、大人が行くのはね。君は婚約者という名目もあるし、それに、君の友人も誘って下さっているそうだよ。マリエル・ニコラかな?」
「マリエル、ニコラ…」
リタは復唱するように呟いた。なんだか、とても耳馴染みがよく、そして懐かしいと感じた。
「ニコラ子爵の令嬢だよ。何度か個人的に二人で会っていたようだし、君を心配している手紙も何度か受け取ったよ。」
ジーニアスは微笑み、リタに告げた。
リタは困ったように笑った。
「沢山の人に心配をかけてしまっていたようですね。マリエルは、なんだか聞き覚えがあります。…思い出せませんけど。行かせていただけますか?」
「ロデリック王子が聞いたら嫉妬してしまいそうだね。」
ロデリックの事を全く覚えていなかったリタが、マリエルの事は聞き覚えがあるという。リタを親と同じように心配していた彼が聞けば良い気はしないだろう。ジーニアスの言葉にリタはくすりと笑った。
リタが目覚めてから、ロデリックは週に二度、リタに会いに公爵邸へと訪れていた。リタが眠っていた間はなんとほぼ毎日のように来ていたらしい。第三王子という立場は、王族の責務こそ問われるが、王太子として公務に追われる第一王子ほど忙しくはなかった。他へ回せる仕事は他へ回し、学生という立場も利用してロデリックはリタの元へ通い詰めていた。
二人は仲の良い婚約者であり、眠りについたリタを心配するロデリックに周りが配慮したのもあった。しかし、リタが目覚めてからはそういうわけにも行かず、学生業務と公務とを両立させなければならなかった。
ロデリックが忙しいことは聞いていたが、それでも週に二度は訪れる彼に、リタはむずがゆい気持ちだった。
そんなロデリックからの避暑地への誘い。父が困惑した表情の理由は分からないが、断る気にはなれなかった。