第6話 犯人はエルネスティーネ 「異議ありですわ!」
「ず、ずびばぜんでじだ」
微かに湯気の立ちのぼる桶の横で、床に跪いて謝るアンネッタの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。バカねえ。下手な言い訳なんかして逃げ出そうとするからよ。
既に総婦長様は先ほどの様子はどこへやら、普段通りの落ち着いた物腰へと戻っていた。
「さて、カーティア、イルザ、貴女たちもこちらへ来なさい」
警戒感もあらわに渋々といった感じのカーティアとは対照的に、イルザは気軽にトテトテと総婦長様のもとまで歩いていく。
けれども名前を呼ばれたのは彼女たちだけではなかった。ふと総婦長様と視線が合う。
「エルネスティーネ。貴女もです」
私何かしたかしら?と、怪訝に思いつつも総婦長様のもとへと歩み寄る。そんな私をカーティアは皮肉たっぷりの表情で迎える。その目は、お前も何かしたのか?と無言で問いただしてきていた。
神妙な表情の総婦長様は、一度私たちを見回すと重々しく口を開く。
「なぜ貴女たちが呼ばれたのかは解りますね?」
さっぱり解らない。私には心当たりがない。おバカ三人組が呼ばれた理由は推測出来る。昨日お皿を割った件だ。どうやらカーティアとイルザの二人で大皿を運んでいたところへ、アンネッタが突っ込んだらしい。
これまで特に仲が良かったわけでもなく、あまり関わることのなかった三人が揃って呼ばれたのだ。それ以外に共通点が見いだせない。けれどその件に私は無関係。ついさっき、その話を聞いたくらいなのだ。私には関わりようがない。
戸惑う私だったが、ある可能性に思い至って歯噛みする。やられた。ハメられたわ。冷静になって考えさえすれば解ったことだ。ここに本来居なければおかしい、ある人物が欠けているということが。
そもそもどうしてこの件が起こったのか。アンネッタがなぜ大量の皿を持たねばならなかったのか。いくらアンネッタが常人離れしていたしても、普段からあんな無茶をしているわけではない。であればそれを指示した人物がいたのだ。それも恐らくは悪意を持って。
無茶な指示を出し、今回の全ての原因を作った人物。本来であればアンネッタたちと共に責めを負うべき人物。今、私が立たされている不可解な立場と、その人物との立ち位置が入れ替わっているのだとしたら、全てにつじつまが合う。私はその人物に無実の罪を押し付けられたのだ。
どうせ全てを仕組んだのはベルナルデッタだろう。毎度毎度よく懲りないものだ。もっともそのベルナルデッタにしたところで、最初からこの事態を予想出来たはずもない。
彼女にしてみてもアンネッタに無理難題を押し付け困らせることが出来れば、それで満足だったのだ。それがまさかの大惨事になり、幸か不幸かそこへ偶然巻き込まれたのが、イルザとカーティアの二人。そこで思いついてしまったのだ。彼女にとっての邪魔者全員をまとめて追い出す妙案を。
「しっつもーん。総婦長様。オレとイルザ、アンネッタの三人は解るとして、何でこいつが混じってんだ」
ふざけた調子でカーティアが片手を上げると疑問を口にし、握った手の親指を立てて私をのほうを指し示す。
「エルネスティーネがこの場にいるのは、アンネッタに対して行った不適切な指示の責任を問うてのものです」
そう言う婦長様の目は私を捉えて微動だにしない。その目は何かを訴えていた。なるほどそういう事ね。とんだ茶番だわ。
総婦長様の答えに、ズビッと鼻を啜りながらもアンネッタは手を上げ異を唱える。
「いえ、私に指示を出されたのは・・・」
そのアンネッタのセリフを遮るようにカーティアがやおら大きな声を出す。彼女も今の状況を理解したのだろう。
「なーるほど、ね」
そして大仰に腰に手を当て周囲のみんなの顔をわざとらしく、ぐるりと見渡した。途端、カーティアと目をあわせるのを避けるように、幾人かが顔を背けたり、俯き下を向く。その誰もがベルナルデッタの取り巻きをしていた者たちだ。
「悪いヤツだな。オマエは」
カーティアは私に向き合うと、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。明らかに状況を面白がっていた。そしてこれから私がどう行動するかも予想が付いているのだろう。
「いえ、ですから私に指示を出されたのは・・・」
「黙りなさい。アンネッタ。それ以上喋っては駄目よ」
再度、訂正しようと声を上げるアンネッタを、今度は私が黙らせる。なぜ止めるのかと、彼女は怪訝な顔をする。なにせ私の無実を証言しようとしてるのを止められたのだから、彼女の疑問は当然だ。
だが怪訝な表情を浮かべたのはアンネッタだけではない。先程、カーティアの視線から顔を逸したベルナルデッタの取り巻きも同様だ。彼女たちにしてみれば、私のこの反応は理解の範疇を超えていたのだろう。
用心深いベルナルデッタのことだ。自ら直接ではなく彼女の取り巻きに命じ、アンネッタへと無茶な指示を出していたのは明白だ。そして問題が起きた今、今度は全ての責任を私に押し付けるようベルナルデッタに言い含められていることだろう。
既に口裏合わせは済み、私やアンネッタが何を言おうとも、数にものをいわせ証言を虚偽と言い張る腹積もりなのだ。もしくは私に脅され嫌々ながらも仕方なくアンネッタへと指示を出さざるを得なかった、とでも言うつもりか。
だが彼女たちとてこんな無理矢理な言い訳がすんなり通るとは思っていないはずだ。それでもベルナルデッタの存在が彼女たちにそれ以外の選択を許さなかったのだ。下級貴族の彼女たちの立場からすれば逆らうことなど許されないのだから。
貴族社会において真実は重要ではなく、事実は容易に捻じ曲げられる。より高位の貴族の発言は重く、そうでない者の証言は軽んじられる。だからこそ上位貴族のベルナルデッタを後ろ盾に持つ彼女たちは強気でいられた。本来の予定であれば彼女たち取り巻きの証言の正当性をベルナルデッタが保証することになっていたのだろう。けれどもそのベルナルデッタはこの場に居ない。
彼女たちは今、本当のことが露見するのではないかとの不安に苛まれている。事の重大さを鑑みれば罪に問われた場合、最悪死罪すら有り得るのだから。そしてその醜聞は彼女たちだけに留まらず彼女たちの家にも及ぶ。その結果、大罪人をその家から出した時の家人がどのような末路を辿るか、私には身にしみて理解出来た。
彼女たちはいわば捨て石だ。ベルナルデッタが彼女たち取り巻きを使って色々とやらせていたのも、万一何かあったとしても全ての責任を彼女たちに負わせ切り捨てられるようにだ。そして例えそうなったとしても、彼女たちは真実を語れない。一言でもベルナルデッタの不利になることを語れば、その後には一族をも巻き込んだ恐ろしい報復が待っているのだ。
彼女たちを助ける義理はないが、さりとて見捨てるのも後味が悪い。だからこそアンネッタへ彼女たちに不都合な事実を語るのを止めさせたのだ。
「御免なさい。アンネッタ。私のせいでこんなことになってしまって」
アンネッタはいきなり私に謝罪され、意味が解らずきょとんとする。
「言いたいことは後で聞くから、今はただ黙っていてちょうだい」
それでも何か言いたそうなアンネッタをひと睨みし、首を横に振ってこれ以上は喋るなと黙らせる。
ここまでされればベルナルデッタの取り巻き連中も、理由は解らずとも私が彼女たちの代わりに罪を被ろうとしていることは理解出来たのだろう。みな一様に安堵し、また同様に申し訳なさそうにうなだれてしまった。
私とて厳罰が課されることが決定しているのであれば、自ら進んで身代わりになろうなどと思わなかった。そこまでお人好しではない。ただ今回はその憂慮を払拭する要因があった。いや、総婦長様からの無言の圧力といったほうが正確かも知れない。
カーティアでさえ直ぐに現在の状況を正確に見切ったのだ。あの総婦長様があんな見え透いた言い訳をただ鵜呑みにするはずもない。かといって例えベルナルデッタが相手といえども権力に屈するとも思えない。そうでなければ仮にも方伯家すべての使用人を統括する立場の総婦長など到底務まらない。
嗜虐趣味の度が過ぎているとはいえ、ああ見えて公正さには定評のある総婦長様だ。無実の者をそうと知っていたずらに貶めるような真似はしないだろう。それが敢えてこんなあからさまの嘘に乗って行動している。
そこには必ず意味がある。そしてこうする事こそが、この場を丸く収める最良の方策。恐らく与えられる罰は驚くほど軽く済まされる。だがさりとて起こしてしまった問題が消えることはなく、罪は許されようと醜聞はそのまま残る。そしてそれは貴族にとって致命的ともなりかねない。
だから総婦長様は私に罪を被れと、暗に命じているのだ。あちらは複数人に対して私は一人。どちらのほうが被害が小さいかは比べるまでもない。それにいまや身寄りのなくなった私ならば、それ以上に類が及ぶ懸念も無いからと。
ひどい話にも思えるが、誰かが罪を負わなくていけないのだとしたら妥当な選択だ。それに私が本当に嫌がったのならば総婦長様は決して無理強いしないに違いない。けれど私ならばこの選択をすると疑ってもいないだろう。事実、私にとってはこれ一択しか選択の余地はない。悲劇は少ないほうが良いに決まっている。
そしてもうひとつの要因は、この絶好の頃合で発覚した方伯様の子供の存在だ。極刑をも無にする可能性を持つ一髪逆転のまたとない好機。これこそが罪を軽くする最大の要因。与えられる処罰が大したことないのなら、大人しく身代わりとなるのもやぶさかではない。あの取り巻き連中にも返せないほどの大きな貸しを作れるしね。
それまで黙って成り行きを見守っていた総婦長様が厳かに口を開く。
「家令のベルナールド様より貴女方への裁定は既に下っています。四人とも速やかに荷物をまとめなさい」
そうか。流石にお屋敷の追放までは免れなかったのか。いささかの落胆はあった。もう少し軽い処罰を期待していたからだ。だが、事の重大さを考えればこれでも破格の裁定だろう。問題はここを追い出されたら私には行く宛が無いということだろうか。
「おいおい、オレとイルザのヤツは巻き込まれただけなんだぜ。それなのに屋敷を追い出されるとか納得いかないな」
悪びれる様子もなくカーティアは言い放つ。きっかけはどうであれ、アンネッタは壮絶な自爆であるから厳罰は仕方がない。けれど私たちは巻き込まれた身である。悪意の介在があったとはいえ、陰謀、足の引っ張り合いは貴族の世の常。いつもの日常に過ぎない。だからお互い不運だったと同情を禁じえない。
「あらあら、不思議ね。わたくしお皿は落とされて割れたと、誰かさんがぶつかるより前に大皿をあっさり放り出して逃げていた不届き者がいたからだと報告を受けているのだけれど」
総婦長様の答弁に舌打ちするカーティアを私はジト目で見やり断じる。同情の余地ないわね。というかコイツらこそが元凶なのでは。
「それになにやら勘違いしているようですが、わたくしが一言でも貴女たちをこのお屋敷から追放するなどと言いましたか?」
「え?でも先程荷物をまとめるようにと、おっしゃっていたじゃないですか」
アンネッタの疑問には私も首肯する。総婦長様にあのように言われたら誰しも追放だと思うわよ。
「ええ、貴女たちには罰として今の仕事を変わってもらいます。その際お勤め場所も変更となりますので、この寮からは退去してもらいます」
続いた言葉に私はほっと胸を撫で下ろす。今夜の寝床の心配は無用らしい。けれども新たな疑問も浮かぶ。いや、おおよそ答えの予測は出来ている。むしろこれは確認だ。
「それだけですか?」
「それだけ、とは?」
当然何が聞きたいかは解っているに違いない。だが私の問いかけにも、とぼけた表情を崩さぬ総婦長様。けれど無実の罪を被ってまで、総婦長様の策に乗ったのだ。少しは本当の事を教えて貰っても罰は当たらないと思う。
「いくらなんでも罰が軽すぎませんか?」
さも今気が付いた風に、わざとらしく嗚呼とつぶやくと滔々と語り出した。
「貴女たちには特別に恩赦が出ています。このたび目出度くお姿を現された方伯子息様と、寛大なご処置を下された家令のベルナールド様には感謝なさるのですよ」
やっぱり恩赦が下りていたのか。方伯様に子供が見付かるという、またとない吉事。そうだろうと思っていた。でなければ・・・罪が軽減されると解っていなければ、如何に人の嫌がる顔が三度の飯より大好物なド変態総婦長様といえど、あんな罪を人に押し付けるような無茶な策は取らなかっただろう。
「ところで・・・」
そう言うと、総婦長様はスッと目を細める。
「皆さんは方伯様にご子息が見付かったという事を驚かないのですね」
総婦長様のその言葉で途端に部屋の空気が凍りつく。そうでした。この話は私たちが本来まだ知りえない情報でしたね。そういえば寮の入口にわざわざ寮監を立て、他との接触を阻害してまで噂の拡散を抑えていたんでした。
総婦長様の背後に何やらどす黒く揺らめくものが見えるのは私の気のせいでしょうか?生物の本能がそうせよと訴えるのか、全身くまなく総毛立ちます。
「皆さんの盛り上がる声は部屋の外までよく届いていましたよ」
何故でしょう?総婦長様は朗らかな表情と声音であるにも関わらず、寒気が襲います。
「さて、どなたからそのお話を聞いたのでしょう?」
隣ではカーティアが青い顔で尋常じゃなくガクガクと痙攣しています。
「イルザ、貴女が手に持っている物はなあに?」
やおらイルザへと話を振る総婦長様。皆の視線が一斉にそちらへと向かい、誰もが戦慄から言葉を失った。
ああっ!イルザのおバカ、やけに静かだと思ったら美味しそうに果物かじってる。さては自分が叱られているのさえ忘れ、難しい話について行けずひとり飽きてたな。
「りんご!そーふちょーさまも食べる?」
もごもごと口を動かしながら、ほとんど芯しか残っていない林檎をイルザは満面の笑顔で差し出します。
「まあ、それは何時どちらから持って来たのかしら?」
「朝起きてから、厨房行って取って来たの」
それは盗ってきたが正解だ。という私の心のツッコミは勿論イルザに届かない。
「寮から出たのですか?」
「うん!」
はい、自白頂きました。イルザのあまりなおバカ加減に、私は思わず顔を両手で覆うことしか出来ません。
「イルザ、貴女たちには謹慎申し付けておいたはずですが?」
「え?そだっけ?」
イルザに問いを向けられたカーティアは、こっち見んなと顔で訴え他人事を装うのに必死だ。
「でも朝、カティも庭でおしっこして・・・」
「それは言うな!」
カーティアは慌ててイルザの口を抑えるも、既に遅し。
「謹慎の言いつけを破っただけでなく、よもや神聖な方伯邸のお庭で粗相をするとは」
微笑みを消し、真顔となった総婦長様がカーティアへと冷たい視線を送る。
「えっと、それはその、庭の花に少々肥料を・・・」
カーティアの軽率な発言には思わず頭を抱える。既視感です。苦しい言い訳をするカーティアが先程の誰かさんと見事に重なります。コイツには学習能力がないのでしょうか?
「まあ、それは感心な心がけですね」
我が意を得たりと、ニタリと肉食獣の笑みを浮かべる総婦長様。
「それではわたくしも是非お手伝い致しましょう」
そう言うと、どこからともなく何やら液体が入ったとおぼしき小さな小瓶を取り出す。その不穏な気配を感じ、ジリジリと後ずさりするカーティア。だが数歩もしないうちに、その背中が何かにぶつかる。振り返るカーティアが見たのは暗い笑みを顔に貼り付けたたずむアンネッタだった。
「あの、総婦長様?それはいったい・・・」
「腹下しのお薬です。即効性の」
私の質問により、あっさりと小瓶の中身が判明する。
「なぜ、総婦長様はそのようなものをお持ちなのですか?」
「頑なな娘を素直にさせるのに必要でしょう?」
さも当然のことのように答える総婦長様を見て、私の英断が間違いでなかった事を確信する。この人にだけは逆らってはいけない。もし私が総婦長様の策に乗らず罪を被るのを拒んでいたとしたならば、この薬は一体誰に使われたのだろうかと考え、慄然とする。
「アンネッタ、そのまま押さえておくのですよ。直ぐにでも花壇へ撒く肥料が用意できるでしょう」
「はい。総婦長様」
アンネッタの目は新たな犠牲者を得た暗い喜びから、完全に瞳孔が開ききっている。
「はーなーせー!アンネッタ!」
抵抗虚しくアンネッタに羽交い絞めにされたカーティアは、その口の中へ一滴残らず薬を注がれてしまう。
変化はたちまち起こった。カーティアの下腹部より獣の唸り声のような音が鳴り出す。すぐにそれは音量を上げ、遠雷の如く響き始めた。
「ア、アンネッタ。もう良いだろ。離してくれ。限界だ。もう漏れちまう。便所に行かせてくれ。頼む」
カーティアは額に脂汗を、目元には涙を浮かべ、内股になった脚をモジモジとすり合わせながら、アンネッタへと懇願する。
それをアンネッタはニンマリといやらしい笑みで迎える。
「何をおっしゃってるんですか?カーティア様。厠なら、ほらそこにあるじゃないですか」
アンネッタの視線の先にあるのは黄金色の液体をその内側に湛えた小さな木桶がひとつ。
「へ?」
一瞬アンネッタの言っている意味が理解できず、涙目のまま呆けるカーティア。
「さあ、ご遠慮なく」
邪悪な笑みの形の亀裂がアンネッタの顔へと広がる。
「いっやあぁあああぁぁ!!!!」
絶叫を残し桶のもとへと無情にもズルズルと引きずられていくカーティア。
聞くに耐えない濁音と、異臭が部屋へと広がるのにさほどの時間もかからなかった。
「いっそ、ひと思いに殺して・・・」
やがてペタリと床へ座り込み、涙を流し壊れたように乾いた笑いを浮かべるカーティア。
「カーティア、貴女何で下着を身に着けてないんですか?露出癖ですか?」
総婦長様、流石にもう許してあげて下さい。それにそのネタもうやりました。
「さあさあ、時間は貴重ですよ。カーティア、貴女もいつまでもそんなところに座り込んでないで仕度なさい。ちゃんとそこの下着も身に着け・・・ん?下着?」
見世物は全て終了したとばかりにパンパンと手を叩いて皆を追い立てる総婦長様。虚空を見つめて笑い続けるカーティアにも容赦なしである。だが床に落ちている一枚の下着を見付け眉をひそめた。わらわらと動き始めた皆も、最後の不審な一言で再び動きを止めた。
カーティアの下着ではない。そもそも穿いてなかったのだから。それにカーティアの物にしては少し小さいような。・・・では誰の物だろう?
だが改めて見回せば床に落ちている衣服が点々と。下着だけではない。使用人の衣服一式。上着に肌着に前掛けまでもが床へと脱ぎ捨てられたように散らばっている。
その散らばる衣服を追って視線を動かした先に居たのは小柄な少女、イルザである。彼女の姿を目にした誰もがその場で大きく口を開け唖然となった。
イルザはふうと息を吐き出し、かいてもいない額の汗を腕で拭う仕草をする。やがてぶるりと身震いすると屈んでいた身体を起こし立ち上がった。彼女の股の間には本日大活躍の木桶が見え、その中へと最後の一雫が落下する。そして何故か全裸。・・・いや、靴と靴下のみの姿である。
「イルザ、貴女はそこで何をしているのですか?」
総婦長様がイルザを見つめる視線は奇人変人へと向けられるそれである。だが私も総婦長様のお気持ちは良く解る。彼女が何を考え行動しているのか私にもさっぱり理解出来ません。
質問の意味を測りかねてか、可愛らしく小首を傾げたイルザが口を開く。
「ふえ?謹慎を破ったバツって、ここでおしっこすることじゃないの?」
私と総婦長様はお互いに見つめ合うと、そこでようやく合点がいき同時に掌を打ち頷いた。このおバカ娘はアンネッタとカーティアの行為を見て勘違いしたのだ。
そこで私は残るもうひとつの疑問を投げかける。
「何で裸なの?」
「私、いつも服全部脱がないと出来ないんだ」
照れ笑いを浮かべ、頬をポリポリとかくイルザ。ええ、そういう人が居るというのは話に聞いたことがありますとも。けれども実際にこの目で見て、その噂の未確認生物の実在を確認することになるとは思いも寄りませんでした。それもまさかの目の前でとはね。大体照れるところが間違っている。人前での排尿、加えて裸靴下をまず恥じようか、このおバカ娘が。
そして神妙な顔の総婦長様が残念な事実をイルザへと告げる。
「折角のところ申し訳ないのだけれど。イルザ、貴女への罰は三日間の食事抜きです」
その言葉に衝撃を受け固まるイルザ。ここまでした行為が無駄になったからではなく、食事抜きのほうが原因となったことは明白だ。何より食い意地の張ったエルザにとって、この罰は死刑宣告にも等しいのだろう。
その時だ。どこからともなく不気味な笑い声が響いて来たのは。まるで墓からよみがえった亡者のようにゆらりと立ち上がる人影。
「いやいやいや、総婦長様よよ。イ、イルザの言うことがが、あ、合ってるぜるぜるぜ」
どこか陶然とした表情のカーティアが、ゆらゆらと身体を揺らしながら呂律の回らぬ口調で言葉を吐き出す。その目は充血し視点がまるで定まっておらず、口の端からはヨダレがたれていた。まるで何かヤバイ薬でも効めているかのようだ。
ん?薬?・・・薬!?
「総婦長様?」
私は横に立った総婦長様へと振り向くことなく疑念をぶつける。
「何ですか?エルネスティーネ」
「さっきのお薬、本当にただの腹下しですか?」
「んん?調合間違えたかしら?」
うぉいい!
カクンとカーティアの首が曲がり私のほうを向く。
「エルエルネスティーネ、オ、オマエまだ罰受けてないよなよなよな」
そう言ってカーティアが手にしたのは木桶である。
「そういえばそうですね。カーティア様」
突如背後に現れた気配に背筋が凍る。この声はアンネッタ。恐ろしい娘、いつの間に後ろへ回ったの?
取り敢えずは説得を試みる。
「落ち着いて、カーティア。それは謹慎を破って勝手に外出したり、逃亡しようとした貴女たちへの罰であって私には関係ない。そうでしょ?」
だがカーティアはブツブツと呪詛の言葉を口から垂れ流すのみで、こちらの言葉に反応しない。
「罰罰罰バツばつ罰ばつバツばつ罰罰?罰バツばつ・・・」
「ああっ!すでに会話が通じない!」
「大丈夫です。エルネスティーネ様。怖がらないで。恥ずかしいのは最初だけです。すぐに気持ちよくなりますからね」
アンネッタに背後から優しくそっと抱き竦められると、私の肩へと首を乗せ耳元で何やら恐ろしい台詞を口走る。駄目だ、カーティアもアンネッタも既にまともじゃない。
「そ、そうだ。総婦長様。私、無実です。何にもしてません。昨日アンネッタに色々指示していたのは彼女たちです!」
とにかくこの場から助かりたい一心でそう叫ぶと、ベルナルデッタの取り巻きたちの方を振り向く。
「あら?そうなの、貴女たち」
総婦長様の問いかけに彼女たちは一斉にブンブンと首を横に振ると、私をビシリと指差し真顔で異口同音に答える。
「「「アイツが犯人です!」」」
キサマらぁ!
「そうですよ。私にお皿を運ぶよう指示を出されたのはエルネスティーネ様ではないですか」
アンネッタ、オマエもか!?
「あらあら。嘘はいけないわね。嘘は。これは罰が必要かしら」
総婦長様までもが敵に!?
私に味方は居ないの。必死の思いで部屋を見回すと、棒立ちとなっていたイルザと偶然目が合ってしまった。えっ?ぼ、暴走しかけてる!?
食事抜きの宣託は彼女への衝撃が強すぎたのか、いつの間にやら暴走状態に突入していたようだ。そして目を合わせた私へと照準を定め、突進態勢へと移行しつつある。私は逃げようにも背後からアンネッタに拘束されていて逃げられない。そして桶を持ってジリジリと迫ってくるカーティア。
絶体絶命。四面楚歌。
やがて限界まで引き絞られた弓から撃ち出される矢のようにイルザの突撃が開始され・・・。自らが床へと脱ぎ捨てた下着を踏み、ツルリとそのままの勢いで豪快に横滑りする。そして・・・その先に居たのはカーティアである。
突然横っ腹へと強烈な頭突きを食らったカーティアは身体を有り得ない方向へとくの字に曲げると、イルザ共々目の前から吹き飛んで行く。
助かったと胸をなで下ろす私だが、それはいささか早計であった。そう、真の惨劇はこの後に起こったのだから。
カーティアの手を離れた木桶はこの時、空中を舞っていた。部屋の中央、天井付近へと到達した桶は、そこでその身に内包していた“三人の清らかな乙女の身体より湧き出てたる内容物”を部屋中へと撒き散らす。キラキラと皆の頭上へと舞い落ちる黄金色の・・・。
阿鼻叫喚の地獄絵図が完成した瞬間だった。