第5話 アンネッタの桶 「道具は使用方法を守り正しく使いましょう」
部屋は騒々しさに満ちていた。みんなが話しているのは昨日、都市伯様が連れてきたという方伯様の子供のこと。あれやこれやと好き勝手に想像を膨らませみんなで盛り上がっている。
方伯様は幼い男の子が大好きなガチのアレだと聞いていたのだが、どうやら裏でヤる事だけはしっかりヤっていたって事らしい。ほんと、どいつもこいつも男って奴は揃いも揃ってケダモノね。
けれどぶっちゃけ私にはどうだって良い。方伯様に隠し子が居ようが居まいが、私の人生には関わりないんだもの。
それよりも今重要なのは、ここにこのまま居たらどうやら私の命がヤバそうだということだ。ちょっとお皿割っちゃったくらいで死刑とか、どんだけケツの穴の小さい連中なんだろう。
ほんの家一件買える程度の価値しかないお皿、ちょっぴり百枚ぐらい割っただけなんだし、笑って許すくらいの度量を見せて欲しいものです。
一緒に割っちゃった家宝のお皿だって、お金に換えられないってことは、それって値段が付けられないってことだよね。つまり値段がない。無価値ってことじゃん。それなら無くなっちゃっても別に構わないよね。
それなのにこんな可愛い少女の命を代償とするとか、世の中間違っているに違いない。涙が出ちゃう。
以上、自己弁護おわり。処刑される前に、こんなトコさっさと尻まくって逃げよう。
幸いみんなは噂話に夢中で、私のことなど誰も気にしていない。これは脱出へのまたとない機会。今の内に荷物をまとめてとっととおさらばです。
大きな荷物は目立つし邪魔になるので、持って行く物は最低限にまとめる。有り金全部と着替え少々、それとあの婦女暴行犯がさっき食べ物ぶちまけた時に、ちょちょいとくすねておいた干し肉と乾酪を布に包んで肩に担ぐ。やれやれ、こんなこともあろうかと色々な食糧の中から、かさ張らず保存のきく物を選び出しておいて正解ね。えらいぞ、私。
これで準備万端。気配を消し存在感を薄めて、そろそろと窓へと近付く。まあ、そもそもボッチの私の存在など誰が気にしているのか、という悲しい事実はこのさい関係ない。
どっこいしょっと窓に片足を掛けたところで、あることが気になり裳の中をめくって念のために確認する。
念のためだよ。念のため。私もこんな下着このお屋敷に来るまで身に着けたことがなかったので、本当にごくたまに穿き忘れることがあるからだ。そう二日に一度くらいの頻度で。
ここまでは全て順調。ちゃんと穿いてたし、染み汚れも・・・少ししかなかった。完璧な私に抜かりはない。けれど今度からもう少ししっかり拭こうと心に誓う。
あとは窓を乗り越えれば、そこには自由へと続く開けた世界が待っている。けれどもその時、後ろから凛とした声が聞こえ身体が固まった。しまった、一足遅かったか。
「あなたたち何を騒いでいるのです」
決して大きな声ではなかったが、よく通るその一声で騒々しかった部屋は一瞬にして静まり返る。振り返らなくても判る。その声の主は泣く子も黙る鬼姫。このお屋敷の全使用人を統括する総婦長様だ。
若くしてその地位にまで上り詰めた才媛で、折檻をこよなく愛する嗜虐趣味の持ち主。総婦長様のお部屋には古今東西の拷問道具が揃っていると噂されている。
「此処をどこだと思っているのですか?誰あろう方伯様のお屋敷ですよ。そして貴女がたは栄えあるそのお屋敷の使用人です。常々慎みと節度を持った行動を心がけなさい」
「「「はい!総婦長様!」」」
総婦長様のありがたいお言葉には皆その場にて直立不動の姿勢となり、一斉に揃った返事を返す。そのさまは慎みと節度を備えた栄えある使用人というより、まるで規律正しいどこぞの軍隊のようである。
「ところでそこの貴女は何をしているのですか?」
誰のことを指しているかは明白だ。窓に片足を掛けたままの姿勢で固まり、その背中にひしひしと突き刺さる視線を感じる。
錆び付いた扉のように、ギギギと首を巡らし後ろを覗い見れば、優しく微笑む総婦長様とのご対面が待っていた。ただしその目だけは笑っていない。
女性にしては高い身長に、早朝だというのに一分の乱れも隙もない完璧な身だしなみ。しかしその全身からはただならぬ雰囲気がにじみ出ていた。
「これはこれは、総婦長様。本日もご機嫌麗しく」
平静を装いつつもヒクつく口元は隠せないまま挨拶を返す私に、総婦長様は微笑みを崩すことなく答える。ただし額には血管が浮かび上がっている。
「あら、誰かと思えばアンネッタではないですか。貴女にはわたくしの機嫌が良いように見えますか?」
これは絶対に私だと判ったうえで声を掛けて来ているのだろう。受ける威圧感が半端ない。
「何やら昨日とんでもないことを仕出かした者がいたと耳にしたのですが、アンネッタ、貴女何か知りませんか?」
「へ、へぇ。そ、そんなひと居たんですか?それは大変です・・・ね」
体中の毛穴が開き、汗がどっと吹き出す。
「そういえば、アンネッタ、貴女も昨日何か仕出かしたそうですね?」
そう言う総婦長様の目が危険にスッと細くなる。
「ああ、違いますわね。アンネッタ貴女、昨日“も”何か仕出かしたそうですね?」
まだこのお屋敷に来て日が浅いというのに、私は既にバッチリ総婦長様に顔と名前を覚えられているのだ。そして滝のように流れる汗は最早止まりそうもない。
「ところで何処かへお出かけですか?」
にこやかな笑顔を貼り付けたままの総婦長様のその問いかけに、咄嗟に口から出まかせを言ってしまう。
「ええとその、お花を摘みに」
「窓から?」
ですよね。当然の疑問である。しかし一度口から出てしまったセリフは戻せないので、もうこのまま無理を承知でお花摘みで押し通すしかない。決意を固め、股間を押さえ苦しそうな表情を作る。吹き出る冷や汗だけは演技ではない。
「ええ、近道なんです。もう漏れそうで」
「荷物を持って?」
これには流石によい言い訳が思いつかず、一瞬言葉に詰まる。それでも何とかこうにか理由を無理繰りひねり出す。
「これはその・・・。そう!ちょっともう漏れちゃってて下着の替えを」
犠牲にしたものは大きい。さようなら。あったかどうか判らない私の清純な印象。そしてようこそ。今日から私に与えられる、お漏らし女の称号。
「まあ、それは大変ね。ところでこの桶は貴女のかしら?」
いつの間にやらその手には木桶が握られている。間違いない。食いカスまみれの桶なので見間違いようがない。
私はこくりと頷く。けど何故いまそんなことを?
「あら、随分と汚れていますね。いけませんよ。手入れを怠っては。けれどもまあ、丁度よいですわ」
それは私のせいじゃありません。そう思いエルネスティーネ様のほうを見やると、ぷいと顔を背けやがりました。
そして手入れをしていない桶の一体何が丁度よいのでしょうか?訳が解りません。
「よろしい。お花摘みを許可しましょう」
意外過ぎる一言に驚く。まさかこんな無茶苦茶な言い訳が通るとは私自身思っていなかったので、ついつい聞き返してしまう。
「いいんですか!?」
「勿論です。我慢は身体によくありませんから」
さも当然といった様子で微笑まれ、あっさりと了承される。全くの拍子抜けです。
「それではお言葉に甘えて」
さっさととんずらさせていただきます。
ところがいざ私が窓を乗り越えようとすると、総婦長様から待ったの声が掛かる。
「あら、どちらへ行かれるのですか?」
「え、ですからお花摘みへ」
行っていいんじゃないんですか?そう疑問が浮かぶが、直ぐに気が付く。ああ、そうか。正式に許可が下りたのだから窓から出なくていいのか。そりゃそうだ。慎みと節度を持った使用人が窓から出入りしてちゃまずい。普通に扉から出よう。
私が扉へと向かおうとすると、総婦長様は私の桶を床へと置き手招きした。
「手早く済ませるのですよ」
そう言って指し示す総婦長様の指の先にあるのは私の桶だ。え、それって?嘘ですよね?ま、まさか桶で?ここでいたせと!?
「あ、あの、冗談ですよ・・・ね?」
みんなの見ている前でおしっこしろとは、いくらなんでもあんまりだ。
「裳は汚れるといけませんからしっかりとめくるんですよ。ああ、そういえば既に漏らして下着は汚れてしまっているんでしたね。でしたらそれは脱いでしまいましょうか」
マジか!?裳で隠すことすら許さず。下着も脱いで丸見えの状態で放尿しろとおっしゃる。
総婦長様、恐ろしい人。嗜虐趣味もここに極まれり。焦って私は事態の根源を断つべく動く。
「あ、いま突然尿意が治まりました。おしっこ引っ込んじゃいました。お花摘み行かなくても平気です!」
これならば最悪の事態は避けられる。
ところが突如、総婦長様の表情と口調が一変する。
「あぁん、こんのクソガキ!アタシの言うことが聞けないってのかぁ!?ガタガタ抜かすとテメエの穴という穴にコブシ突っ込んでガバガバにすんぞ!テメエはただ言われた通りにすりゃいいんだよ!」
これが総婦長様が鬼姫と呼ばれる由縁だ。うおい、使用人の節度と慎みとやらはどこへやった?顔と顔が付きそうな位置でメンチを切られ、その迫力に思わず本当に漏らしそうになる。
おまけにそのまま私の下っ腹へ、その細腕から繰り出されているとは思えない重い一撃を幾度となく叩き込まれる。
あ、マジ止めて。ほんと出ちゃうから。色々漏れちゃうからぁ。
結局その後、静まり返る部屋の中で桶へと滴る水音のみが流れることとなりました。