第3話 エルネスティーネのお気に入り 「壊れたと思ったら取り敢えず叩いてみる」
最近、入って来た新人は面白い。表情がころころ変わり見飽きない。
この間までは庶民だったというから驚きだ。だからだろう貴族社会に染まっておらず初々しい。貴族ならば当たり前の常識を持っておらず、実にからかいがいがある。
けれどそんな成り上がり者の存在を面白くなく思っている者達は彼女をあからさまに蔑み嫌う。影では彼女をここから追い出すべく陰湿な行為も行われていた。
ただ痛快なのは彼女自身それに気付いてさえいないようなのだ。彼女の人並み外れた身体能力と、予想外の言動は、それら陰湿な行為のことごとくをそうと気付くことさえなく、あっさりと突破し遣り過ごしてしまったのだ。
そして彼女の愉快さはそれだけに留まらない。それらの行為を見事回避した上で、自ら失態を引き起こし墓穴を掘って勝手にハマっていくところだ。
しかし、まさか方伯家象徴の大皿を割ってしまっていたとはね。流石に驚き呆れる。どうりで昨日から部屋の皆の彼女を見る目が違っていたわけだ。
今回の件もそうだったのだろう。おおかた彼女のことを気に食わない誰かが無理難題を押し付けた結果がこれだ。押し付けた側は単に彼女を困らせるのが目的であり、到底一人では持つことさえ不可能な量の食器を、まさか彼女が苦もなくあっさり運ぶとは全くの予想外。
そして派手に転んで全てを台無しにしてしまうことも。更に家宝まで巻き込んでしまうことも。さぞや彼女に皿運びを押し付けた連中は焦っていることだろう。責任が自分たちにまで及ぶのは必至だ。
こんな面白い人材を失うのは惜しいので助けてあげたいのはやまやまだけど、今回ばかりはどうしようもないわね。でもまあ殺されるような心配だけは無用だろう。
これほどの大失態、本来ならば極刑でもおかしくないのだけどね。恐らく彼女には身分を剥奪された上での生涯強制労働奉仕が待っている。鉱山送り辺りが妥当なところか。
今回の件、事が事だけに彼女の裁定は方伯家の一切を取り仕切る家令筆頭のベルナールド様に委ねられることになる。厳格で冷酷、大変な激情家として恐れられているベルナールド様だけに、これまでに多くの者を処刑してきたと誤解されている。けれどあの方の裁定の元、実際に処刑され死んだ者はほとんどいない。
あの方の性格からして温情をかけるなんて生易しい理由などではなく、どこまでも合理的で実利一辺倒の思考ゆえだ。死んだ人間は何も生み出さない。無駄に殺してしまうくらいなら生かして有効活用するべきだとお考えなのだろう。もっとも死んだほうがマシと思える運命が待っているかもしれないが。
まあ、方伯様ご自身で裁定なさる可能性もなくはないのだが・・・。まずもってないでしょうね。
あの無気力な表情といつも気怠げな態度が頭に思い浮かぶ。
ここの方伯様はある一点を除けば良くも悪くも凡庸なのだ。それをご本人が自覚なさっての行動なのか、それとも単に放蕩者なのか。領地のことにも方伯家のことにも全く関心を持たれず、家臣に任せっきりである。家宝が失われたと知ったところでいささかの動揺すら浮かべないに違いない。
それでも自らを有能だと勘違いして独裁に走る領主よりは余程マシだろう。中途半端な才能と肥大した自我は周囲を巻き込み混乱と悲劇を撒き散らす。下手な無能より遥かにタチが悪い。
不意に込み上げてくる苦々しい思いを強引に飲み下すと、目の前の人物へと視線を戻した。
しかし少々脅しが効き過ぎてしまったかもしれない。アンネッタは真っ白くなって呆然と立ち尽くしてしまっている。
この事を教えてあげるのは簡単だが、それでは面白くない。さてどうしたものかと一考しているところへ、小柄な人影が扉を破る勢いで部屋へと飛び込んで来た。
バタンという大きな音で部屋の中のみんなの注目が一斉に集まる。
両手いっぱいに戦利品の数々を抱えた亜麻色髪の小柄な少女、イルザだ。異種族の血が流れているため目立つ尖った耳を持つ。彼女のような亜人との混血を明確な迫害対象としている他国ほどではないが、この国においても少なからず忌避される。
特に血統を重んじる貴族は、その傾向が顕著だ。にもかかわらず彼女の一族はその貴族に名を連ねている。非常に稀有で危うい立場の少女なのだが、持ち前の明るさでこのお屋敷での生活にも馴染み始めていた。
今日も朝から厨房へと忍び込み、食料をたらふく無断拝借してきた模様である。戦果は上々、麺包に乾酪に果物、そして口には大きな腸詰を咥えている。昨日は国中から要人を集めて夜通し祝宴が催されただけあって、いつにも増して大漁らしい。
部屋に入るやいなや、イルザは皆に何か訴えようとしているようだが、口いっぱいに詰まった腸詰がそれを許さない。おまけに両手も奪って来た食べ物で塞がっていて、口の腸詰を抜くことできず声にならない吐息が漏れるのみだ。
その鼻息荒い様子を見て思わず後ずさる。これはまずい状態だ。イルザの異常に気付いた部屋のみんなの顔もこわばり緊張感が漂う。
それなのに部屋の雰囲気を読めないおバカ娘が止める間もなく声をかけてしまった。
「おはようございます。イルザ様」
アンネッタの声に反応し、ぐりんとイルザがそちらへ顔を向ける。肩で大きく息をし、まるで獲物を狙う肉食獣のようにギラつく視線が彼女を捉えた。
深々と下げた頭を上げて、おバカ娘もイルザと目が合いようやく異変を感じたようだ。
イルザは一度深くその身体を沈めると、撥条のように勢いよくアンネッタ目掛け飛びかかる。
「え、ひっ・・・うきゃあああ!」
抱えていた食べ物を周囲に撒き散らし、イルザはアンネッタを勢いそのまま寝台に押さえつけてしまう。
「駄目よ、アンネッタ。興奮している時のイルザと目を合わせてわ。突進して襲いかかって来るのだから」
「遅い、遅いです。エルネスティーネ様。そういう重要なことはもっと早く教えて下さい!そしてわくわく顔で見てないで助けてぇ!」
はてさて、どういたしましょうか。せっかくだしもう少し展開を楽しんでからでも罰は当たりませんよね。
両腕を拘束され身動きが取れなくなったアンネッタにのしかかるように覆いかぶさり、荒い息遣いで顔を寄せていくイルザ。
「ちょ、顔近い、近いです。ま、待って。いや・・・いやぁ!そんなもの顔に押し付けないでぇ!無理、無理ですぅ。そんなおっきいの入らないか・・・んぐうっ!」
抵抗虚しく、イルザが口にくわえた極太の腸詰はアンネッタの顔にグリグリと押し当てられた挙句に、すっぽり強引にお口へとねじ込まれてしまった。
カッコーン!
その場にそぐわぬ乾いた音が反響音を伴って部屋に響き渡ったのは、哀れアンネッタへと反り返ったお肉が突きたてられたのに遅れることしばし。
ゆっくりイルザが崩れ落ちると同時に、瞳から光が失われたアンネッタからも口を塞いでいた極太のモノが抜け落ち、その肉々しい色艶の表面にまとわりつくねっとりとした液体が糸を引いた。
「大丈夫、アンネッタ」
手に握った木桶を下ろし、ぐったりと横たわるアンネッタへと優しく声をかける。大きく振りかぶった桶で私がイルザの頭を力いっぱいひっぱ叩いたのだ。さすが私、腕に残る痺れも心地よい会心の一撃。見事一発でイルザの意識を刈り取ることに成功する。
アンネッタはのろのろと身体を寝台から起こすと、乱れた服の胸元を周囲の視線から隠すように掻き抱き、伏し目がちに呟く。
「乙女の貞操の危機を感じました」
私は厳粛な表情を作ろうと精一杯努力はしてみるものの、一向に功を奏していない。
「御免なさい。直ぐに助けてあげたかったのですが、貴女が余りにも美味しそうにあんなに大きな肉塊を頬張るものですから、お邪魔しては悪いと遠慮してしまいました」
「満面の笑みでの謝罪には及びません。全く本当にこれっぽっちも必要ない心からの余計なお気遣い誠に痛み入りますよ。どちくしょう!」
アンネッタはひくつく口元を何とか堪えようとしているが、本音が台詞の端々から漏れ出してしまってているので台無しだ。
「ところでコレ、放っておいても大丈夫ですか?」
いまだ白目を向いたままのイルザをおっかなびっくりツンツンとつつくアンネッタ。さっきまで様付けされていたイルザだが、婦女暴行の現行犯と成り果てた今、アンネッタの中ではコレ扱いにまで格下げされたらしい。
さて、ここで彼女の言う“大丈夫”とはいったい誰にかかっている言葉なのでしょうね?
意識を失ったイルザをこのままにしておいて大丈夫かという意味か、それともイルザをこのまま放置しておいても自分の身の安全は大丈夫かという意味か。
桶の角の硬い部分で思いっきりぶっ叩いてしまったが頑丈なイルザのことだ、こうでもしないとあの猪娘を止められなかっただろう。
アンネッタはというと、いつの間にか手にした縄の具合を顔の前で引っ張り確かめている。縛り上げて拘束するのかと思いきや、その瞳には危険な光が宿っているのが見てとれる。
ああ、危険人物を今始末しておかなくて大丈夫かという意味ね。
危機一髪。アンネッタが彼女の細い首にその手を伸ばそうとしたところで、イルザは突っ伏していた小柄な身体をむくりと起こす。恐怖に顔を引きつらせ、壁際まで大きく飛びすさるアンネッタ。彼女に襲われた経験は、どうやらアンネッタにイルザに対しての恐怖心を深く刻み込んだらしい。
「ん!んふぁんほ!」
目覚めたイルザは傍らの私に気が付くと、ビシリと手を上げて何か喋るが、いまだその口には腸詰が突き刺さったままだ。
「口に食べ物を入れたまま喋るんじゃありません」
まだ手に持ったままだった桶でイルザの頭を再度ポカリと叩く。
ムグムグごっくんと口の中の物を呑み下すと、イルザは再び私を向いて口を開く。
「おはよう!ネスティー!」
大声で挨拶してくるイルザ。と同時にその口から飛び出す微細な多数の何か。
「ちょっと、食べカス飛ばさないで!それと私の名前はエルネスティーネよ。変な呼び方は止めてと、いつも言っているでしょう」
私めがけて飛来する腸詰の残滓を、辛くも手にした桶にて完璧に防御する。
ああ、そういえば・・・。その時である重要なことを思い出したのは。
「これお返しするわ。ありがとう、アンネッタ。助かったわ」
感謝の気持ちを込め、いまだイルザへの警戒感もあらわなアンネッタへと喰い滓まみれの木桶を差し出した。
「い、いえ。どう致しまして。お役に立てたなら幸いです」
アンネッタは微妙な表情を浮かべ、肉片を散りばめられ哀れな姿と成り果てた自らの木桶を受け取る。
あら、私は悪くないわいよ。悪いのはイルザよ。そうでしょ?
ちょっとは罪悪感も感じるが、心の中で私は華麗に責任転嫁を果たす。
「それでどうしたの、イルザ?朝からそんなに慌てて」
「あっ、そうだった!たいへんだよ!だいじけんだよ!」
大声で騒ぎ立てるイルザだが、彼女の大変、大事件はまるであてにならない。屋敷に住み着いた野良猫が子供を産んだだの、蛇の抜け殻を拾っただの、割った卵の黄身が二つだっただの、どうでも良い話題がほとんどだ。
けれど今回は違った。
「ベルナが大ケガしたって!どっか運ばれてったって!」
イルザの言葉を聞いて部屋がざわめく。
「はあ?ベルナって、ベルナルデッタのこと?」
私が確認のためにイルザへ尋ねると、彼女はブンブンと大きく首を縦に振り肯定の意思を示す。まあ、いかにイルザといえど家令のベルナールド様を略して呼んでいる訳ではなかったようだ。
「え、そんなハズ無いです」
けれどイルザのもたらした凶報をアンネッタは否定した。そしてぐるりと部屋を見回し目的の人物を探し始めるが、見当たらず戸惑いだす。
「あれ、変ですね?」
「変なのは貴女のほうよ。ベルナルデッタなら居ないわよ」
おかしなことを言い出したアンネッタを不審に思う。
「そんなハズは・・・。だ、だって私昨夜から一睡も出来なかったんですよ。ベルナルデッタ様が部屋から出られたなら気付かないはずがありません」
ああ、なるほど。彼女は大きな勘違いをしているようだ。納得と同時に呆れる。
アンネッタの寝台が置かれているのはこの部屋の出入り口のすぐそば。扉が開くたびに風が吹き込み、誰かが出入りするたびに横を人が通る。落ち着くことが出来ないその場所こそ、新入りで家柄的にも底辺でもある彼女に与えられた定位置だ。
アンネッタの言う通り、確かにベルナルデッタが部屋から出たなら彼女が気が付いただろう。部屋から出たのならばね。
溜息混じりに呟く。
「ベルナルデッタなら昨日、仕事が終わってから部屋に戻ってないわ」
そう、最初から部屋に居なかったのだから、当然出て行ったりもしていない。
ベルナルデッタといえば、この部屋の使用人の中でもっとも高い地位を持つ貴族であり、部屋のまとめ役的存在だ。またアンネッタを忌み嫌って追い出そうとしていた中心人物でもある。
「呆れた。本当に気が付いていなかったの?」
ベルナルデッタはアンネッタに対してかなりあからさまな態度をとっていたし、あの手この手で事あるごとに嫌がらせをしていた。にも係わらず当のアンネッタにとっては、まさか一晩居なくとも気付いて貰えない程度の認識しかされていなかったとは、いっそ哀れですらある。
照れ笑いでこの場を誤魔化そうとしている鈍いおバカ娘はひとまず放っておくとして、イルザに話の先を促す。
「それでベルナルデッタが怪我をしたのは間違いないのね」
「見た娘はベルナルデッタだって言ってた。すんごく顔が腫れてて、血もいっぱい出てたって。鎧の兵隊さんに抱えられてどっか連れてかれたんだって」
どうゆうこと?顔が腫れていた?それって誰かに殴られたってこと?
だとしたら大きな問題になる。ベルナルデッタは貴族の令嬢だ。それもただの貴族ではない。方伯家家令筆頭にして方伯補佐、副伯の称号を持つベルナールド様の傍流に当たる高い位階を持った貴族だ。
もし怪我をしたのが本当にベルナルデッタで、誰かに殴られたのだとしたら・・・貴族家同士の争いになるかもしれない。
いや、それともこれはアンネッタが方伯家の大皿を割った件に関係したことなのだろうか?
もしベルナルデッタが裏で手を引き、アンネッタに無茶な皿運びを強制していたのだとしたら・・・。
いずれにしろ、これは話の信憑性を早急に確認する必要がある。
「ねえ、誰が見たの?それはいつ何処で?ベルナルデッタはどこに運ばれたの?」
思い浮かんだ疑問を矢継ぎ早に口にする。特に重要なのはベルナルデッタにの居所だ。これが判れば直接話を聞ける。事実を知るにはそれが一番早く確実だ。
「見たって言ってたのは夜番の娘たちだよ。夜中に東の酒蔵へお酒取りに行ってて見たんだって。ベルナがどこに行ったかは判んない。でも救護所には居なかったよ。きっと鎧の兵隊さんがどっかに連れてっちゃったんだよ」
東の酒蔵か・・・。あの辺りで夜中にも人の居る施設となると、迎賓棟?でもあそこは・・・。
「・・・迎賓棟じゃないかしら。そこでベルナルデッタ様がお怪我をされて運び出されたのでは?」
同じ結論に辿りついたのだろう、私たちの周りを取り巻いて話を聞いていた者の中から声が上がる。
「でもおかしいわ。あそこは今、使われていないはずよ」
そう、その通り。あそこは今無人のはずだ。そもそも今回催された祝宴は新たに作られた新宮殿の完成祝賀のためのもので、来客来賓は全てそちらに併設された新たな迎賓棟のほうに宿泊されている。新宮のお披露目も兼ねているので、老朽化の激しい旧迎賓棟は使用されていないはずなのだ。
それにベルナルデッタは何処に連れて行かれたの?
怪我をしたならば運ばれるのは救護所、もしくはこの宿舎だ。そのどちらにも居ないとなれば、どこに運ばれたのか見当も付かない。
鎧の兵隊が連れて行った、か・・・。ん?鎧の兵隊?
「イルザ!鎧の兵隊って、もしかして近衛兵のこと?全身に鎧をつけた兵士のことなんじゃない」
兵士ならば鎧を身に付けていて当然。それをイルザがわざわざ鎧の兵隊などと呼ぶということは、特別な鎧を着た存在。部分鎧だけの衛士ではなく、全身金属鎧の近衛のことなのではないのだろうか。
「ん?そうだよ。あの銀ピカ鎧の兵隊さん」
あっさりと肯定されるが、それにより益々解らなくなる。
何で方伯様の身辺警護を担当している近衛が、どういう理由で夜中に守るべき主君の元を離れて怪我をしたベルナルデッタを運んでいるの?しかも無人のはずの迎賓棟から?わけが解らない。
私が思考の迷路に迷い込もうとしていると、突然思わぬところから声が掛けられた。
「みんなして集まって何の話してんだ?」
ぶっきらぼうな声に振り向けば、そこには案の定カーティアの顔があった。窓の淵に肘を乗せて頬杖を突き外からこちらを覗き込んでいる。
「もしかしなくともベルナルデッタの話とか・・・か?」
訳知り顔で不敵な笑みを浮かべる。
注釈)「副伯」とは神聖ローマ帝国時代に使われた称号のひとつ。子爵位に相当。