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女だらけの国の少年領主 “男はみんな戦場送りです。” (旧題:少年領主と後宮の女たち)  作者: 麗瑠楽
第一章 使用人の乙女たち 「えっ!まさかの主人公ほとんど出番なし!?」
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第2話 アンネッタの溜息 「胸なんて脂肪の固まりです。男共はそれが解らないんです」

「はぁ・・・」

 昨日から溜息が漏れるのはこれで何度目だろうか。昨夜はほとんど眠れなかった。


 明かり取りのためにすでに雨戸は大きく開かれているが、夜の帳はいまだ薄闇を漂わせ、窓から流れ込む朝の風は冷気を含み凛と澄んで室内の澱んだ空気を洗い流していった。

 多くの寝台が規則的に並べられた講堂の如き大きな部屋。ここは使用人宿舎の一室。女だけの聖域。


 使用人の朝は早い。日の出と共に起き出し身支度を始めなければならない。

 桶に汲んだ水の冷たさに身震いしつつ顔を洗い眠気を覚ますと、一晩寝汗を吸った夜着と肌着を手早く脱ぎ、固く絞った手拭いで髪と身体を拭いてゆく。


 片腕を上げ脇を拭きつつ視線を下に落とせば、そこには小さ・・・訂正、控えめな双丘。段差も面積もないので日頃のお手入れだけは容易だ。上から下へと悲しくもひと拭きで済んでしまう。

 一向にまったくちっとも育たない自分の胸部に対し、油断すると直ぐにふくよかさを増し増す腹部を指でつまみ、ぷにぷにと程よい弾力にまたも溜息が出る。視界をいっさい遮ることなく足元まですっきりはっきりくっきり見通せる身体前面に虚しさを感じつつ後ろを振り向けば、そこには逆に大きく張り出し存在をこれでもかと主張してくる臀部が嫌でも目に入ってしまう。

 落ち込む顔にはらりとかかる髪を見れば日に焼け、元々の栗色はやや薄くまだらになり傷んで枝毛が目立つ。生来の癖っ毛で何度櫛を通しても、あちこちぴょこんとハネてしまうのも悩みの種だ。

 幼い頃からの労働家事手伝いで筋肉が付いた手足は太ましく、しかも髪と同様に日の光を浴び続けた肌はこんがりと浅黒い。おまけに童顔で背も低い。


 それに比べて・・・。

 周りを見渡せばそこには、しっとり艶やかな長い髪にシミ一つない張りのある白い肌、たわわに豊かなお胸と均整のとれ引き締まったた肢体。女の私でさえ垂涎の女体が溢れている。


 比較するのもおこがましい貧相な身体を長々と晒しているのが恥ずかしくなり、隠すように慌てて衣服を身に付けてゆく。

 最後に癖の強い髪に手こずりながらも束ねて巻き、後ろ頭にお団子状にまとめて髪留めで固定したら身支度は完了である。


 溜まっていた洗濯物は天気の良かった昨日まとめて片付けてしまっていたので、朝食の刻限まで取り急ぎすることもなくなった私は桶の中の水を窓から捨てると寝台脇の椅子に腰掛けぼんやりと室内を眺める。

 目の前では膝丈の下着(ドロワーズ)一枚だけのあられもない姿でじゃれあい室内を走り回る幼い少女たち。そのまだ膨らむ気配のないなだらかな胸板には仲間意識が湧く。そのさい年齢差は考慮しないことにする。

 この部屋は使用人の中でも見習い新人が多く集められた一室。そのため中には年端もいかない少女も在籍している。

 

 はしたない行動を年長者としては注意すべきなんだろうけどね・・・。

 

 妹や近所のがきんちょ共が相手ならお姉さん風をビュービュー吹かせて容赦なく唸る鉄拳を脳天へと叩き落としているところだ。

 けれどそれは出来ない。出来ない理由がある。

 私がこの屋敷へとやってきてまだ数日。対して目の前の少女たちは年下だが、このお屋敷の使用人としては先輩。

 上下関係に厳しい使用人の世界では先輩に対し後輩は絶対服従が鉄則である。この禁を破った愚か者は皆からハブられた挙句、もれなく便所掃除の大役をご褒美として与えられることになる。


 理由はそれだけではない。このお屋敷でこそ使用人という立場ではではあれど、少女たちは歴とした貴族のお嬢様でもある。

 いや、この少女たちだけではない。この宿舎に集う使用人の乙女たちは皆、揃いも揃って名のある貴族のご令嬢に他らないのだ。

 正真正銘、本物のお貴族様。私のごとき小市民が口を訊くことどころか一緒の空間に存在して息をすることすら恐れ多い。意見し逆らうなど許されるハズもありません。

 

 そう、そのハズだったんです。ほんのこの間までであれば。


 ついこの間まで私はそれなりに裕福ではあってもただの商人の街娘にすぎなかったのです。それがです。なんということでしょう。突然、我が家も貴族となってしまいましたとさ。

 私もびっくりです。貴族となった理由は私もちょっと前まで知りませんでした。

 ですがどうやらお婆様が家族にも内緒でご領主様に“頭大丈夫か?”と常識を疑われるほど有り得ないくらい大量に寄進をしたそうで、その見返りとして貴族の地位を与えられたらしいと、この屋敷に来てから噂で聞きました。

 ナニしてくれてやがるんだ、あのババア。我が家の何処にそんな大金があったのか、いつか締め上げねばと心に深く誓います。


 けれど騎士階級をひょいっと飛び越し、いきなり貴族位への叙爵など前代未聞。しかもその地位を誉れ高き武勲によって勝ち得たわけですらない。

 貴族位を金で買った平民からの成り上がり。秩序を乱す新参者。快く思わない者は当然そりゃもうやたらとわんさか豊富で、貴族として叙せられこそしたものの、その地位は最下位でしかありません。


 てなわけで私も一応の貴族の身分となったので、本物の貴族のお嬢様を相手に同じ空間での呼吸を許されるくらいには地位が向上しましたが、意見したり逆らったりはやっぱり出来ません。出来ようハズもありません。なにせ貴族といえどもド底辺ですから。

 貴族社会の上下関係の厳しさといったら使用人ごときの比ではなく、下手に不興など買おうものなら一族郎党、国中から社会的にハブられた挙句、ともすれば絞首台へと向かう現世からの永遠の旅立ちがご褒美として待っています。


 なんで私なんかが此処にいるんだろう。


 ここは王国屈指の大貴族にして、この国の南方領全域の盟主でもある大領主、方伯様のお屋敷。

 使用人といえど家柄、容姿共に各地から選びに選び抜かれ抜きまくったお嬢様中のお嬢様たちである。


 手鏡を使い身だしなみを再確認し、そこに映る自分の顔を見て思う。低い背と相まって実年齢より幼く見られこそすれ、自慢じゃないがそれなりに愛嬌のある顔だ。是非うちの孫の嫁にと、ご近所のご老人方にそこそこ評判になるくらいには。

 けれど逆に言ってしまえば、そこどまり。

 何故あまたの容姿端麗なお嬢様方を差し置いてまで私がこのお屋敷に使用人として上がることが認められたのかは大いなる謎です。


 貴族となった私には、まず奉仕先を探すという重要任務が重くのしかかった。

 なんでも礼儀作法の修養も兼ねて、より上位の王侯貴族へと仕えるのが貴族の淑女たるものの義務であり、嗜みなのだそうです。

 だけれど私の奉仕先の選定は難航しまくった。まったくもって受け入れ先が見つからなかったのです。

 由緒ある歴々の上級貴族家ともなればこそ、仕える使用人にもそれなりの品格家柄が求められる。泥臭い平民上がりの小娘などそもそもお呼びではない。

 だから方伯邸への奉仕伺いなど、めぼしい南方貴族の尽くから断られまくり血迷った挙句のダメ元でしかなく、私を含めた誰もが本当に受け入れられるとは思っていませんでした。


 貴族の頂点である方伯邸には国中からあらゆる重要人物が集まる。役人、騎士貴族は勿論、王族でさえもです。

 その屋敷に奉仕へ上がるということは、それら上流階級の人々と顔を会わせる機会が得られるということ。つまりは貴族社会へのお披露目。自らの顔を売り知己を得る恰好の手段。そこから得られる人脈はその質も量も他の貴族家と比べて桁違いです。


 それ即ち玉の輿への登竜門。

 

 貴族の当主子弟からしてみれば格好の嫁探しの場、一同に集められたお嬢様方の品評会場でもあります。

 上位貴族への輿入れさえ叶えば将来は約束される。放蕩豪遊贅沢三昧の一生が手の届くところにぶら下がり、全ての乙女の憧れである夢物語、王子様に見初められることすら有り得るのですから。

 そのためにと令嬢たちも日々己を磨きこの場を目指し、裏ではお互いの足を引っ張り合い血で血を洗う醜い争いさえ繰り広げられているらしい。

 方伯家としても来賓に失礼などがあってはならないので使用人には特段の品格を求め、同時に見目麗しい容姿を持った者を如何に多く集められるかで自らの権勢をも示す狙いもあります。

 必然、審査は厳しく、当然、競争は過激になる。


 うん。まったくもって私が今この方伯邸に居る理由が見当たらない。


 まあ、美的感覚は人それぞれ。顔だけならば可能性がなくもないかもしれない・・・きっと・・・多分・・・。

 周囲の美形なお嬢様方がチラチラ視界に入るたびに、私の儚くも脆い自信が容赦なくゲシゲシと削られていく気がする。

 いやいや、いやいやいや、大丈夫。お父様は世界一可愛いって、いつもうざいくらいに言ってくれるし。

 だ、大丈夫。大丈夫・・・だよね?


 落ち着くために一つ深呼吸。胸に手を当て・・・固、いえ慎ましやかな感触に当たり、途端に顔から表情が抜け落ちる。

 脂肪の塊の有無など容姿と関係ないぞ。あってたまるものか。絶対だ。己の心に深く言い聞かせ信じ込ませることにする。

 それにこれはこれで需要があると、いつだったか夢の中で身体の一部がなだらかな青い髪を持つ女神様からお告げを受けような気がするような、しないような。希少価値だとかなんだとか。


 けれど血筋、家柄は間違いなく問題外。そもそもお婆様は他国からの流れ者で、元々はこの国の人間ですらなかった。高貴な血なんて一滴たりともこの身には流れていない。

 生まれは商人なので必須技能として読み書き計算が出来るのと、客商売に必要な最低限の礼儀作法は身に付けているが、貴族としての品格など望むべくもなし。


 ん?おい、いやまて。そもそも何故こうなった?

 貴族になどならなければ、こんなところに私が居ることもなかっただろう。


 まさか!?

 お婆様が裏で糸を引いている・・・とか?

 しばし黙考。そして結論。あのクソババアならやりかねない。


 一人各地を売り歩く行商から始めて一代でこの南方指折りの商会主、さらには貴族にまでのし上がった稀代の女傑、いや怪物だ。

 まがりなりにも分類上、一応ギリギリ女であったっため、男子のみに許された貴族家当主の座に就くこと叶わず、嫌々渋々その座をお兄様に譲ったが、今現在進行形で実質的に我が家の実権を握り続けているのは間違いなくお婆様だ。

 金にとことん意地汚い守銭奴で、目的のためには手段を選ぶことさえ忘却の彼方へ滅却するような狂人。人を人と認識する機能がそもそも備わっているかどうかすら疑わしい鬼畜。その異常性を讃える逸話は枚挙に暇がない。


 なので方伯家に手駒を送り込み、さらなる地位向上を狙っていても何ら不思議ではない。

 ただ何で私なのだろうとも思う。


 目的達成のためには男を振り向かせ惚れさせるだけの美貌と、捕まえた獲物を虜にさせ操る手練手管が必要になる。どちらも持たない私では到底役不足だ。

 もっと他に適役が・・・姉や妹たちの顔を思い浮かべ、ああ他に居ないなと、ぽんと手を叩く。なにせあのお婆様の血を引いている一族なのだ。外見はともかく中身はもう推して知るべしである。

 なるほど妥協の上での配役、というよりも他に選択肢がなかった。万が一にでも上手くいけばそれで良しといったところか。

 私が事情を知らされていないのも、どうせ知ったところで上手く男を落とす演技など出来ないのを見越してだろう。


 そんなことを考えていたので不注意にも近付いて来る人影へと意識が向いていなかった。

「おはよう。アンネッタ」

 掛けられた声に顔を上げればそこには目も眩むような美人。

 さらりと長い金の髪に宝石のごとき碧い瞳、上品な顔立ちに透き通る白い肌、身に付けているのは派手な夜会衣装ではなく簡素な使用人の服装だというのに、均整のとれたその立ち姿はまるでおとぎ話に出てくるお姫様のような趣がある。


「おはようございます。エルネスティーネ様」

 慌てて椅子から跳ねるように立ち上がり、背筋をピンと伸ばすと直立不動の姿勢から腰を直角に曲げ、深々と頭を下げつつ挨拶を返す。そこで持っていた手鏡が偶然目に入り、映る自分の姿とのあまりの差異に思わず溜息が漏れる。

「また、溜息?アンネッタ昨日から変よ?」


 マズイ!聞かれてしまった!?

 貴人相手を前にして溜息など失礼この上ない。焦りから額に汗が浮かぶ。

 恐る恐る頭を上げ窺いみると、整った眉根を寄せて憂いをその顔に浮かべているが、その表情から不快な感情は感じ取れず、ひとまず安堵する。

 しかし何気ない所作にまで漂う気品に平民出の自分との違いをまざまざと見せつけられ、私は気が滅入ってしまう。


「どうしたの本当に変よ?」

 一喜一憂する私に疑問を深めたのだろう、頬に手を当て優雅に小首を傾げるさまは女神もかくや。

 このお方、エルネスティーネ様は高貴な生まれを鼻にかけることなく、私のような成り上がり者さえ気遣い、気さくに声をかけてくれる。

 言葉遣いにも貴族っぽさが感じられず、庶民とさほど変わらない喋り方なので私にとっても親しみ易い。けれどそんなお嬢様は滅多にいない変わり者だ。


「本当に変ね」

 エルネスティーネ様はまじまじと私を見つめるとポツリと呟く。

「・・・顔が」

 そう、変わり者だ。


 思わず引きつる表情を無理やり笑みに形作る。


「あら、御免なさい」

 引きつる私の笑顔に気付くとエルネスティーネ様は慌てて謝罪の言葉を口にする。

「そんなつもりで言ったんじゃないの」

 じゃあ一体どういうつもりだ。一瞬こめかみがピクつく。


 それを知ってか知らずか、祈るように両手を前に組むと眉尻を下げ、哀しみを湛えた視線をこちらへ向ける。

「昨日から溜息ばかりで、浮かない顔をしていたから、つい心配になって。それに先程など、ころころと表情を変え、一人で百面相をしているんですもの」


 うげ、そんなことしていただろうか?

 確かにそれは傍から見たら変顔と言われても仕方がないかも。


「こちらこそ、お心を騒がせてしまい申し訳ございません。少々心配ごとがあったものですから」

 私のような下々の者を気にかけてくれているのだから感謝こそすれ怒るのは筋違いというものだ。


「そう?」

 安心したのか花が咲いたような笑みを浮かべる。

「そうよね。顔が変なのは以前からですものね。今更気にするハズもないわね」


 前言撤回。これは怒ってよし。


「それで心配ごととは?私でよろしければ相談に乗りますよ」

 悪意の欠片すら感じさせず、ずずいと顔を寄せ聖母のごとき慈愛の眼差しで見つめてくる。

 短い付き合いだが段々と性格が判ってきた。このお嬢様は悪気なく土足で相手の心をぐりぐり抉ってくるのだ。下手に悪意があるよりよほど質が悪い。


 先の不安な言動もあり、しばし逡巡するが意を決して悩みを打ち明けることにする。ほかに相談出来そうな相手もいないしね。

 はっきりきっぱりすっぱり言ってここでは絶賛ぼっちなのだ。


「実は・・・昨日お務めで少々失敗をしてしまいまして。・・・その、うっかりお皿を割ってしまったのです」

 重々しく語りだすと、エルネスティーネ様は、まぁと口に手を当て慰めの言葉を口にする。

「そんなこと気にせずとも大丈夫ですよ。此処は方伯様のお屋敷、お皿の一枚や二枚ごときで目くじらを立てる者など居ませんもの」


「いえ、それがその一枚、二枚ではなく・・・」

 恐る恐る告白する。

「そ、その・・・た、沢山。・・・えっと、これくらい」

 そう言って、おずおずと指を五本立ててみせる。

 それを確認するとエルネスティーネ様は私の不安を取り除くように努めて笑顔を作ってくれる。

「問題ありませんわ。替わりなどいくらでもありますもの」

「そ、そうですよね。いっぱいありますもんね。いやあ、安心いたしました」

 ぱっと明るく笑う私を見てエルネスティーネ様も微笑みを返してくれる。

「そうですよ。たった五枚くらい何も心配いりませんわ」


 ただ、続く台詞が状況に変化をもたらす。

「・・・い、いえ」

 ちょんちょんと両手の人差し指をつつき合わせ、もじもじと恥じらいつつ白状する。

「五十枚・・・くらい、です」


「五十枚!」

 一瞬の間があり、続いて若干上ずった驚きの声が上がる。

 本当はもっと多いのだが、そこはそれ僅かでも少なくみせ、自己保身もとい、かよわさと儚さといじらしさを表現したいという乙女心のなせる技である。まあ、五十枚も百枚もあんま変わんないよね。


「これでもかとめいっぱいてんこ盛りに山積みして運んでいたんですが、うっかりコケちゃいました。てへ」

 おや、エルネスティーネ様の表情が凍りついて見えるのは気のせいか?

「白磁のお皿の五十枚や百枚どうってことないですよね。南方領を治める方伯様ですものね。白磁のお皿もいっぱいお持ちですものね」

 あれ、エルネスティーネ様の表情が青ざめて見えるよ。

 ちなみに白磁の焼き物はこの国では未だ作ることが出来ず非常に高価な貴重品だ。小皿一枚の値段でも街に立派な家が建つ。

 

「無駄に薄造りで精緻な白磁の茶器も一緒に割っちゃたのですが、このくらいの物いくらでも替えをお持ちですよね」

 お皿で両手が塞がっていたので、仕方なく頭の上に乗っけて運んでいたのだが、コケちゃったので当然一緒に粉々だ。

 これでも商人の娘。目利きには少々自信がある。白磁の茶器一式ともなれば捨て値であれ、大きなお屋敷が使用人ごと買えるほどだ。ただ私の鑑定眼をもってしても割ってしまった茶器の価値は計れなかった。


「あの、少々お伺いしますが、それは薔薇の花を型どった・・・」

「ええ、それです。よくご存知ですね」

 あれれ、なんだか頬が痙攣し始めたぞ。

 顔面疲労ででしょうか?おかわいそうに。

「それはベルナールド様ご愛用の・・・」

 小声で何やら呟かれたようだが、都合よく出来上がっている私の耳には届かない。


「それと・・・」

「まだ、あるのですか!?」

 ぐわしっと両肩を掴まれなにやら必死の形相で喰い気味に質問をぶつけられる。淑女がそのように大口を開けて、はしたないですよ。あと唾とばさないで下さい。ばっちいです。


「転んだ時に他の人も巻き込んじゃいまして、その方たちが運んでいた大きなお皿が一枚割れちゃいました」

 それを聞いたエルネスティーネ様は少しだけほっとした表情を浮かべる。

「そう、今更お皿が一枚加わったところでどうといったこともないわね」

 小声で呟くと、一瞬私の様子をチラ見して言葉を続ける。

「それよりあなたは・・・大丈夫そうね。巻き込んだ方達にはお怪我はなかったのかしら?」


「はい。上手く避けて下さったので、お二方ともお怪我はなかったです」

 それはもうさっと見事な身のこなしで、お皿をあっさり何の躊躇いもなくその場に捨て置いて。おかげで大きなお皿は身代わりに木っ端微塵ですが。

「そう、それだけは幸いでしたわね。・・・ん・・・ちょっと待って」

 エルネスティーネ様は“だけ”の部分をヤケに強調して慰めの言葉を口にしたところで、ふと何かに気が付かれたようで、浮かんだ疑問を投げかけてくる。

「二人で運んでいたの?たった一枚のお皿を?わざわざ二人で?・・・それっておかしくない?」


「おかしくないですよ。こ~んな大きなお皿でしたから」

 私は両手をいっぱいに広げてそのお皿の大きさを表現する。

 その言葉を聞くやいなや、貧血でもおこされたのか、青い顔をしてふらつきつつ私の寝台へと倒れ込まれた。


「ご気分が悪いのですか?それでしたら少し横になられたほうが・・・」

 血が足りていないのでしたら、鴨の肝臓料理を食べることをお薦めしいたしましょう。

「貴女のせいですわ!」

 がばりと寝台から跳ね起きると、どえらい剣幕でキレられる。顔中青筋がビッキビキである。いきなりそんなに血圧上げると血管切れますよ。あ、でも血は充分足りているようですね。


「・・・なんてことですの。方伯家家宝の大皿まで・・・」

 あれ家宝だったのか。どうりでケバいくらいに豪華絢爛で無闇やたらにでっかいハズだわ。びっくりだね。


 エルネスティーネ様は端正な顔立ちを歪めると頭痛をこらえるかのように眉間を押さえながら言葉を吐き出す。

「よくぞそれだけの量を一度に運び・・・一度に処分しましたわね・・・」

「頑張りました」

 自己主張のささやかな胸をこれでもかと張って答える。えっへん。どんなもんだい。

「皮肉ですわ」

 もはや怒りを通り越した呆れ顔である。


 どうりでやらかした時、周りがみんな青い顔していたワケだ。

 めっちゃ怒られると覚悟していたのに予想に反し、ただ部屋に戻り謹慎するように言われただけだったので、なんだ大したことないんだと一安心していたのに。

 思い返して見ればあの時の指導役の婦長、魂が抜けたような顔してたわ。

 でもあの婦長には決まりかけていた縁談話が反故になったと噂があったので、てっきりそれが原因だと思い込んでしまっていた。

 婦長、絶対男運なさそうだし。おまけに幸薄そうだし。うん、これは勘違いしても仕方ないよね。


 しかし、これは予想以上にマズイ状況かもしれない。私が価値を測れない時点で結構な値打ち物だろうことは想像出来ていたが、あの木っ端微塵の大惨事の中にまさかそんなお宝まで混ざっていたのは予想外だった。

 もし白磁の皿を割ったのが奴隷であったのならば、それがたった一枚だけだっとしても殺されようと文句は言えないだろう。けれど今や私も立派なお貴族様である。めったなことで処刑されるようなことはない・・・と、思う。思いたい。そうであって欲しい。

 何回かの食事抜き辺りで済むかも、という私の激甘な目論見は脆くも崩れ去ったワケだ。これは便所掃除でも到底済みそうもない。


 このお屋敷を追い出される覚悟はしておいたほうが良いかもしれない。気も休まらず息が詰まる状況から逃れられるだけなら、むしろ大歓迎なのだが、そう都合よくもいかないだろう。

 それに失態を犯し方伯家を追放されるなど、とんでもない醜聞である。お婆様の耳に入ろうものなら無事では済むまい。ほとぼりが冷めるまでどこかに行方をくらます必要がある。となると、追っ手を撒く手段がいるな。

 取立ての厳しさには定評がある我が商会だ。並大抵の逃亡手法では地の果てだろうと追いかけて来て見つけ出すに違いない。


 それはさておき、お屋敷からの追放だけで済むだろうか?

 まさか鞭打ち・・・。流石にこれは重すぎかとも思っていたが、がぜん現実味を持ってきてしまった。

 鞭打ちと訊くと軽い刑罰と思われがちだが、それは間違いだ。容赦なく直接肌に振り下ろされるしなやかな鞭は容易に皮膚を裂き、その下の肉をも断つ。

 それを幾度となく繰り返されるのだ。刑を受けた者はその傷が元で死ぬことすらある。そうでなくとも一生消えない傷跡を身体に残す。嫁入り前の若い娘に執行する刑罰としては死罪を除けば最上級だろう。

 幼い頃に広場で行われた処刑を目にした時など、思わず緩んだ尿道によりその場で粗相をしてしまったほどだ。滴り下半身を流れ落ちる生暖かな液体の感触と、汚れた下着を泣きながら洗った記憶は今も生々しく思い出さされる。


 それはなんとしても回避したい。

 もちろん失禁ではなく、鞭打ちのほうね。


 ともかく私が無い知恵絞ってウダウダ考えたところで始まらない。庶民感覚しか持たない私では、これがどの程度の罪で、どの程度の罰が待っているのか判断しようがない。

 ここは素直に知っていそうな人に聞くのが正解だろう。


「えっと、それで・・・私、これからどのような罰を受けることになるのでしょう・・・か?」

「・・・アンネッタ。貴女、領地はどのあたりでしたかしら?」

 私の眼差しから目を逸らすようにどこか遠くを見つめると、問いに答えることなく質問で返してくる。

「そのう・・・なぜ今、そのようなことをお尋ねになられるのですか?」

「遺品をご家族に送る際に必要になるでしょう」

 死ぬの確定!?


 取り出した手巾(ハンカチ)をわざとらしく目頭に当てる。

「短いお付き合いでしたが、わたくし貴女のことは決して忘れませんわ。悪い意味で」


「じょ、冗談です・・・よね?」

 涙目で縋るような視線を向けるも、エルネスティーネ様は視線を合わせようとしない。

 やべぇ、マジだ。


 しかしこれで状況は理解した。最悪だ。

 マズイ。これはマズ過ぎる。さあっと血の気が引いて、汗が全身から吹き出してくる。

「ど、どど、どどどうしたら許してもらえますか!?」

「それだけのことをしでかして何もなしで済まされる訳がないでしょう」

 恐ろしく冷たく言い放たれる。


「べ、弁償するとか」

 ガクガクと足を震わせながらも妥協案を提示する。

 何とかお金で解決出来ないものだろうか?総額いくら位なんだろう?分割払いでの弁済は有りだろうか?取り敢えず百二十歳位までは根性で生きながらえるとして、生涯払いならなんとかなるかもしれない。

 私には充分な持ち合わせも蓄えも収入もないので、当然実家にツケるしかないだろう。お婆様に借りなど作りたくもないがこの命には代えられない。まあ、返せるあてもないので踏み倒す気だけは満々だ。

 いや、そもそも貸して貰えるかのほうが問題か。あの鬼ババアなら銅貨一枚たりとも渡すことなく平然と縁を切りそうだ。


「あのねえ。他のお皿はともかく方伯家の象徴でもある大皿をお金なんかでどうにか出来ると本気で思っているの?」

 大きく息を吐き出し言葉を続ける。

「貴女も方伯家の紋章は知っているでしょう?どのような形でしたかしら?」

 紋章は勿論知っている。お屋敷のあちこちにかたどられているから嫌でも目に入る。

「えっと確か・・・こう丸があって・・・」

「その丸いのが大皿を表しているのよ」

 私の台詞を遮るように発されたエルネスティーネ様の衝撃の一言に、空中に円を描いていた私の指がそのままの位置で固定される。


「あの大皿はこの地の諸部族をまとめ上げ建国するにあたり、最後まで抵抗した敵国の王城に収蔵されていた宝物だったそうよ。古き神々が用いた神器だったなんて逸話も残されているわ。初代方伯様がこの地に封ぜられた際に建国王より領地と共に賜った由緒正しき品。そうでなくともあれ程の逸品、この国に二つとないわ」


 知りたくもなかったご大層な来歴を聞き、意識が真っ白く飛んでゆく中思う。

 あ、終わった。これ完全に駄目なヤツだわ。

 うん、これはもうこんな場所さっさとトンズラするしかないね。


 自由への逃亡決意を固めた時だった。突如、部屋の扉が壊れるような勢いで押し開かれ、何者かが駆け込んで来たのは。

注釈)「方伯」とは神聖ローマ帝国時代に使われた称号のひとつ。大きな権力を有し、公爵位から伯爵位に相当。他にもこの時代には「辺境伯」「宮中伯」「王領伯」「地方伯」「副伯」「都市伯」「城伯」等の称号が存在。

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