奴隷ちゃんにライバルしゅつげん!の巻。
私が悪魔の毒薬を飲み干したのと同時に、普段のアリサから想像できないような冷めた声が食堂へと響きます。
「旦那様、お嬢様、失礼致します。お食事をお持ちしました」
「おっ、やっときたか、俺もメリーも腹減ってしゃーなかったんだよなー」
私はお腹など空いていませんし、先程の毒薬を嫌悪感で吐き戻さないように、必死なって堪えていますから、今は話すことすら出来ず何も言えませんが、ご主人様が今までの演技を信じていると、好意的に解釈をして頷いておきます。
「現在、この屋敷の者で給仕が出来る者は、私か家令しか残っておりませんので、忙しい家令に代わり、私が給仕を努めせていただきますが、よろしいでしょうか?」
胸からこみ上げる嫌悪感、妙な粘性の持った甘味と僅かな苦味のある匂い、その奇妙な匂いが呼吸に混ざって鼻の中を犯すのを耐えていると、アリサと一瞬だけ視線が合いました。
彼女の瞳は覚悟が決まった者の見せる色を讃えており、私は嫌悪感以外の感情を感じて益々苦しくなりますが、何事もないとばかりにアリサはご主人様に向けて、話の続きを語り出します。
「あー、キュウジだっけ?俺はそう言うのよく分かんねーけどさ、カレーってどんな奴なん?」
「今年で50を迎える男性で、私のような若輩と違い……」
「あ~、OKOK!よーするにジジィね、何が悲しくてジジィの顔見て飯食わないといけないの? そんなの誰得な罰ゲームなるし、俺は君が良いな」
自らアリサに聞いておいて話の途中で被せてくるご主人様、その不躾な態度に晒されても、眉一つ動かさずにアリサは受け止めて、何事もないとばかりに続きを口にします。
「分かりました、では私、不肖アリサが給仕を努めさせていただきます。一つ確認なのですが、旦那様はお腹が大変に空いていらっしゃるとの事でしたので、お昼をディナーにさせて頂きたいと思いますが、それでよろしいでしょうか?」
「は?ディナーってあれだろ?晩飯のことじゃん、なんで昼飯か晩飯になんのさ?」
この料理人の都合を考えない言葉を聞いて、やはりご主人様は料理人の都合などお構いなしに、暴食と堕落の限りを尽くしていたのだと、私ははっきりと理解しました。
確かにディナーは夕食に多いですが、ご主人様が支配者を自称するのであれば、ディナーが一日中で一番豪華な食事の意味であると、この汚物が知らない訳が無いでしょう。
料理人に豪華な食事を用意するという意味は、多大な仕事を要求することですから、彼らにだって材料の都合や、準備の時間が必要です。
そうした料理人の都合など考えず、これから出すであろう料理より、夕飯が一番豪華で無いといけないと決めつけてしまえば、ガラフは無理をして豪華な食事を作らねばなりません。
こうした無理を掛けるなど恥ずべきことで、余程大事な来客などが無い限り、料理長の裁量に任せるのが貴族としての度量というものですが、好き勝手に生きてきたと断言する災害には、下々を理解しようとする感覚はないのでしょう。
「分かりました、ではディナーは夕食にするよう、料理長に伝えておきます」
「あの偉そうに俺に楯突いたジジィって、そんなアタリマエの事までしらねーんだなぁ……。ホント、人間ってのは年取るとムノーになるんだって例だわ、ま、そう言うのを教えるのも俺の仕事かぁ、やっぱ土人の相手は辛いぜ~」
料理一つでこれだけの傍若無人な態度ですから、この悪意の塊が居た元の世界に住む人々は、きっと醜悪な存在が居なくなった事を、心から喜んでいるのでしょう。
ですが私は、どうしてそちらで処分してくれなかったのですかと、届きもしないだろう他の世界へと、恨み言を投げつけたくなりますが、そう思った瞬間に、自分の抱えた感情が、ただの八つ当たりだと分かってしまいます。
彼らだって醜悪な化け物を追い出すのに、それこそ必死だったのでしょうし、こんな恐ろしい物が出て行くというのなら、喜んだに違いありません。
私だってご主人様が今直ぐこの世界から出て行くというのなら、喜んでお見送りをすると思いますし、ご主人様の立ち振舞はまさに災害でしょうから、それを受け入れるには相当の覚悟が必要だと、この醜悪な生き物と過ごした僅かな時間で、私だって散々な程に理解を強いられました。
そうしたご主人様の理不尽に、アリサは立ち向かうと覚悟を決めたのでしょう、まるで何事もなかったかのように、いつものように給仕を初めてしまいます。
「それでは、まずは食前の飲み物ですが、葡萄酒でよろしいですか?」
「あー、酸っぱいのとか苦いのは嫌いだから、甘いの頼むよ」
「承知しました。では蜂蜜酒か何か果物を搾ってまいります、お嬢様はいかがなさいますか?」
今まで冷たかったアリサの声、でも私に投げかけたお嬢様という言葉にだけは、私の知っている温もりに溢れていて、私は今に直ぐにでもアリサの胸に、そのお日様の香りのするエプロンへ飛び込みたくなります。
ですがそんなことは許されないと、毒薬やご主人様への嫌悪感が私の両足を掴んで教え、私は必死になって演技を続けます。
「ん~、メリーはご飯の前に何がいいかよくわからないので、ご主人様と一緒でおねがいします―」
「承知しました、では少しだけお時間を頂きますので、まずは席についてお待ちくださればと思います。椅子を引きますので、どうぞこちらへ」
僅かばかりの抵抗なのでしょう、アリサはご主人様を主人の席ではなく、敢えて厨房に近い一番格の低い場所に誘導します。
「あいよ、んじゃ座って待ってるぜ、ちゅうかマケドみたいに注文したら速攻出てこないとか、ホントチューセーってのは遅れてるよなぁ、こういうコウリツの悪い世界は、やっぱ知識チートでカイカクが必要だな!」
またご主人様が、訳の分からない事を喚いてますが、私は笑顔で、アリサは無表情で流します。
理不尽と不条理を正面から受け止めすぎるのは危険です、きっと心が直ぐに磨り減ってしまうから、時には上手く受け流すのも必要なのだと、ここに来て少しだけ理解することが出来ました。
「では旦那様はこちらへ、お嬢様の席は机の反対側でよろしいでしょうか?」
「うーん、メリーの可愛い顔を見ながらってのもいいが、やっぱ隣に置いて一緒にキャッキャウフフてのもイイ、だから隣に座らせるぜ!」
ああ、やはり『置いて』という辺りが、人間をモノ扱いするご主人様らしいと、私は自然に笑みが溢れてしまいます。
「はい!メリーもご主人様の隣がいいなって思ってたので、とっても嬉しいです―」
こんなに辛い状況であっても人間というのは、余りに予想通りの事が起きると笑ってしまうのだなと、奇妙な感慨を覚えつつも、私は自分の所有権を主張するご主人様の隣へと動きます。
「では、どうぞ旦那様……」
「うむ、くるしゅーない。うはは、やっぱ美人にこうしてお世話されるのって、異世界キマシタワーって感じでたまらんわ、あ、君はアリサだっけ?なかなか良い身体をしてるね」
「はい旦那様、アリサでございます、お褒めに預かり光栄に思います」
ご主人様は醜く鼻の下を伸ばし、アリサの体を舐めまわすように、視線を上から下へと運び、胸のあたりで固定します。
たしかにアリサの胸は豊かですから目が行くのかもしれませんが、彼女は年齢の割に大きすぎるといつも気にしていたので、不快感は相当なものだと思います。
「興味というか、宗教的な理由で一つ聞きたいんだが……、君は処女か? もし非処女というのなら、俺にここまで興味を持たせたのに、君がビッチのリアジュウというのなら、俺は裏切りには死を持って償わせる気だが、どうだ?」
殿方が女性に訊ねる内容としては最低の言葉、勝手に自分が興味を持って、他の殿方と付き合っているのなら殺すと言い切る傲慢に、私は胸だけでなく、頭までもが嫌悪感で痛くなっていくのを感じますが、それを聞いたアリサはうっすらと笑いを浮かべて口を開きます。
「ご安心ください旦那様、私は仕事しか取り柄の無い端女でございますから、相手にしてくださる殿方はおりませんでしたので未だ未通女でございます。ですので旦那様が私に興味がお有りで、ご迷惑で無いのでしたら、如何様にもお使いくださいませ」
それを聞いたアリサは予め答えを考えていたのでしょう、その最低な発言に自らの身を捧げると答えますが、その覚悟を知らないであろうご主人様は、自身の思い通りの答えだと言わんがばかりに喜びを露わにします。
「そっかぁ!いやー異世界の男は馬鹿ばっかだから、シュジンコー以外は美人が居ても手を出さないてのがいいんだよ! よし、俺は君が気に入ったよ! だから君を俺のハーレムメンバーにしてやるよ!」
「ハーレムメンバーという言葉の意味、浅学菲才の身の私では如何なるものなのか分かりませんが、旦那様の寵愛を頂けるという事でしたら、この上ない喜びと感じております」
「そそ、メリーと一緒に俺のチョーアイを与えられる地位ってこと、だから他の男に媚を売らないようにな、他の男なんて獣だと思えばいいさ」
人語を扱う獣が人間の殿方を侮辱する様は、まるで大道芸の猿回しの様で、獣が人の真似をする奇妙な笑いがこみ上げてきて、私は半ば自棄になったように演技を続けます。
「あははー、ご主人様がとっても楽しそうで、メリーも何だか嬉しくなってきました―、アリサさん、よろしくおねがいします―」
「はい、メリー様、こちらこそよろしくお願い致します、それでは今度はメリー様の椅子を引かせていただきますね」
逃げて欲しかったアリサが、自棄になった私の言葉を言葉を優しげな笑顔で受け入れるのを見て、私の心には、何故逃げてくれなかったのかと、胸の中に悲しみの感情がどんどん大きくなっていきますが、椅子を引いてくれたアリサが耳元で小さな声で囁いた言葉に、彼女の抱えている思いを気付かされます。
『我が身の全て、お嬢様の為に使いとうございます』
この短い言葉には、昨日の夜に私が願った思いと同じか、それ以上の感情が込められて居ました。
短い言葉の中には、狂おしい程に私の幸せを願い、私の身に降りかかる不幸を、その身を呈してでも跳ね除けて上げたいと願う、アリサの感情が詰まっていたのです。
こうして私は、彼女が自分と同じだと気付かされ、なにも言うことが出来なくって、胸が苦しくて泣きたくなるのを必死になって、堪えることしか出来なくなったのでした。