メイド 「昨晩はお楽しみでしたね」の巻。
家人の殆どがいなくなり、冬の森のように静まり返っていたお屋敷は、暖かな温度を失った代わりに廃墟のように寂しい静寂を纏っておりました。
ですが今は、その静寂を壊す二つの音が、獣欲を滾らせる男の声と、その全てを小さな身体で受け止めているお嬢様の悲鳴が、絶え間なく聞こえてきます。
醜い肉塊に犯されているであろう我が主は、あの悍ましい欲望を受け止める覚悟なさっていたし、逃げろと言われたにも関わらず屋敷に残った私も、こんな日が来ることを覚悟していたはずでした。
ですが私の覚悟は、あの新しい屋敷の支配者、悍ましい欲望の塊の手によって、あっけなく崩れていき、この音を止めたいと願ってしまいました。
「本当に……、ここに縛り付けていいんだな?」
「えぇ……、そうでもしないと私は、我を忘れてお嬢様の所に飛び込んでしまいそうですから……」
私の我慢弱い心と身体が、お嬢様の覚悟の全てを台無しにしないよう、柱に自らを縛り付けるようにガラフさんへお願いをしました。
「本当に……、本当にお嬢様もお前さんも不憫じゃ……、不甲斐ないワシらをどうか許しておくれ……」
「誰も悪くなど無いのですから、ガラフさんが謝る必要などありません……。そしてどうにか私が私を抑えられる内に、柱に縛り付けてください……」
今の私の覚悟など、まるで部屋の片隅の積もった埃の様な物で、目の前で行われている暴力的な行為であっけなく吹き飛ばされて、目の前が真っ赤に染まっていくのを感じます。
「すまぬ、すまぬ……」
ガラフさんのすすり泣く声と、太い縄が自らの身体を拘束していく音が聞こえて来る中、獣欲の果てる声が屋敷の中で響きます。
「メリーいくぞおお!」
たった一人で覚悟など打ち壊すような咆哮に立ち向かうお嬢様、自らの生涯の主人と定めた方をお救いできない私は、悲鳴を聞きながらただ謝罪を口にして、己の無力に涙が止まらなくなりました。
「お嬢様……、お嬢様、お嬢様ぁ……」
私がお嬢様に初めて出会ったのは、譜代の我が家から行儀見習としてお屋敷に迎えられ、その生活に漸く慣れた頃、初めてお嬢様の部屋の掃除を任された日のことでした。
初めて自身に任された新しい仕事に緊張していましたが、それでも私は落ち着いていた、そんな勘違いをしていました。
ですが私の判断は間違っていた、いいえ、初めてお嬢様を見た時に私は狂ってしまったのでしょう、田舎娘の私の目の前に、あんな小さくて可愛らしい天使が現れるなんて事、微塵も想像していなかったのですから。
淡い春の花のような色のリネンに包まれた、小さな貴族のお姫様。
そのあまりの可愛らしさに私は舞い上がってしまい、新雪のように白く柔らかそうな頬に触れたくて、不敬であると知りながらも、そっと指を伸ばしてしまいました。
部屋の中には愚かな幼い私と、小さなお嬢様の二人だけ、そんな状況ではお嬢様が泣きだしても可怪しくない状況だと、今でも思いますが、お嬢様はそれでも不躾に向けて、嬉しそうに微笑んで、頬に伸ばされた指を掴んで下さった。
その刹那、私の中に稲妻が走り、目の前の小さな主、この方を生涯お守りしたい、そう幼心に強く感じ、そこからお嬢様のお側に侍る部屋付きの侍女になるために、それこそ必死で努力を重ねました。
そうして小さな頃からお側に仕えたお嬢様が、可愛らしい外見に似合わず、どこまでもお転婆で天真爛漫なお嬢様が、いつか他家の殿方と恋に落ちて、その胸を恋の炎で焦がして下さることを、その時にお嬢様の胸の内を聞くのが、私の次の大きなお勤め、そうとばかりに思っておりました。
ですが、私達の運命は残酷過ぎて、そんな淡く美しい未来などに繋がってなどいなかったのです。
未だ恋も知らぬお嬢様は、あの醜い痴れ者にご家族の悉くを鏖殺された上、それでも世界の為、たったお一人で悪夢に立ち向かい、あの小さな身体の悉くを犯されているにも関わらず、この世界には救いなど何処にも見つからないのです。
「殺すッ!絶対に殺してやるっ、お嬢様を汚した貴様を私はっ、絶対に、絶対に許さない……」
これを残酷だと言わずして、何が残酷なのだと、私は怨嗟の声を上げながら、滲んだ視界の中で考えます。
それでも私は自らの主の決めた事であり、その決意の戦いがどちらの結果になろうとも、その最後の時までお側にいると自ら決めたのですから、この胸を狂わせる程の苦しみは私の物で、他の誰に押し付けられたものでもない私の決意の結晶。
ならば、手出しできない私はせめてお側で耐えましょう、それだけが今の私が出来る全てだと、お嬢様の悲鳴と醜い獣の声を聞きながら、私は眠れぬ夜を歯を食いしばって過ごし、新しい屋敷の支配者へと怨嗟の声を上げ、憎しみの牙を磨いて過ごしてゆきます。
そうして一晩中、何度も何度も旦那様が、お嬢様の幼い身体に精を吐き出す咆哮を聞き、乱暴に扱われているであろうお嬢様の悲鳴が聞こえなくなった頃、目的の為とはいえこれ以上はお体がもたない、狂った頭の冷静な部分が私に限界を知らせてきました。
「ガラフさん……、そろそろ縄を解いてください……」
「本当にいいのか? 他のものに任せてもええんじゃぞ……?」
「いえ……、これはお嬢様の側付きである私の仕事……、他の誰にも譲る気など毛頭もありません……」
私の返事になにか言いたげな表情を見せたガラフさんでしたが、そのまま片手で瞼を覆って啜り泣き、それでも私を拘束している縄を解き始めます。
「すまん、本当にすまん……、ワシのようなジジィが何も出来ず、お主やお嬢様ようなうら若い娘にばかり苦労を押し付けるのを、どうか許しておくれ……」
この気難しく見られがちな優しい老人は、心からお嬢様を愛していたのです。
きっと私以上に自らの無力に苦しんでいるのだ、そういった人だからこそ、この全てを捨ててもお屋敷に残り、あの悪夢のような厄災へ立ち向かって居るのだと思います。
「私達のために泣いてくれて、ありがとうございます……」
そんな優しい人に私は一言だけ残し、お嬢様の限界を図っていた怒りと悔しさで煮えたぎった己の頭と、旦那様への憎しみと殺意に零れた涙で腫れた瞼を冷やすため、お屋敷の裏にある深い井戸向かい、暗い感情とつるべを落とし、早朝の冷たい水を何度も頭から被ります。
そうでもしなければ、私は己の心を焼きつくした業火で鍛え、一晩中憎しみの槌で叩き続けた復讐者の仮面を被る事が出来ない。
それほどまでに体中の血が煮えたぎり、気が狂いそうになっていたのです。
そうして幾度と無く水を被り、頭の中と心のうちを十分に冷ました後、私は復讐者の仮面を被り、一晩中旦那様に犯されたお嬢様の元へ向かいますが、お嬢様の声は聞こえなくなったにも関わらず、屋敷の中には獣の声は響いて来ているので、未だ悍ましい狂宴は終わっていないのかもしれません。
「メリー、これで最後だから!最後だからぁ!」
どうやら旦那様も、お嬢様が動かなくなったことに漸く気がついたのでしょう、丁度私は、獣欲の宴が終わるタイミングでここに来たようです。
辺りには湯気の香りとは明らかに違うモノが漂っており、どこか青臭いような饐えた匂いと獣臭が私の鼻を刺激し、醜い肉塊に潰されてぐったりとしたお嬢様が、力無く身体を投げ出している姿が私の目に入ります。
その瞬間、心に今まで感じたことのない程の純粋な殺意が芽生えますが、それを復讐心という牙で噛み殺し、旦那様へ向けて扉越しに言葉を発します。
「失礼します旦那様、そろそろ朝食の時間でございますが、如何なさいますか?」
「え、あ、ああ、そ、そうだな……、実はさ、メリーが風呂で寝ちゃってね、今出れないんだけど……」
白々しい言い訳のじみた言葉に、あれだけ冷水で冷ましたはずの怒りが、再び噴煙の如き勢いで湧いてきますが、それでも私は旦那様へ向けて、何事も無いとばかりに、ここに来るまでに考えていた言葉を投げかけておきます。
「英雄が色を好むは素晴らしい事、そして色事の片付けは、私共の仕事でございます。ですので、どうか旦那様はお気になさらず、このままお部屋にお戻りになって、一休みしていただければと思います」
「お、そうか、実はさー、ちょっと張り切っちゃってさ、回復魔法でメリーを回復させながらやったんだけどさ、ちょっとやり過ぎちゃったみたいで意識がないんだが、そういうならお前に任せるわ」
少し自慢気に旦那様が吐き出した言葉の意味、お嬢様はずっと気を失うことすら許されず、一晩中激しく責め抜かれたという事実に、奥歯が軋んで怒りの音を鳴らします。
その怒りの音色すらも仮面の奥に隠し、さもなんでもないと言う声色で、私の口は自身の気持ちと正反対の言葉を紡いでゆきます。
「回復魔法というのは存じ上げませんが、旦那様のお心使いは素晴らしいと思います。その旦那様のお優しさは、きっとメリー様にも届いている事かと思います」
「そうか! だよな~、メリーも処女だったけどさ、回復魔法で多分痛くなかっただろうし、これでオレのこともっと好きになったよな!」
『貴様のような存在に無理やり犯されて、お嬢様が貴様を好きになるなんて事、そんな事が有る訳が無いと分からないのか?』
そんな言葉が喉まで上がって口から漏れそうになったので、私は堪え性のない自分の額を全力で殴りつけて何とか堪えます。
一瞬意識が飛びそうになって、少し遅れて鈍い音が脱衣所に響き渡ります。
「ん?なんか鈍い音が聞こえてきたど、どうしたんだ?」
どうやら私の拳の音は思いの外響いたらしく、あちらにも聞こえたようですので、なにか適当に誤魔化す理由を考えて口にします。
「すいません、まだ夜も開けて間もないので、暗くて額を打ちました」
「はははは、普段クール系のドジっ子メイドってのも、なかなか新しくていいじゃんか」
こちらの気も知らずに暢気に笑う旦那様に、私はこう思います。
えぇ、愚かな旦那様……、どうぞお嬢様の策が成る日までせいぜい好き勝手に笑って居てくださいませ。
間抜けな貴様の傲慢こそが、私達の付け入る隙なので、そのままで居てくださいませ。
「申し訳ございません、ドジな私にそのように優しく言っていただけるのは幸いです」
そうして旦那様が、策に嵌って死に至る無様な最後を、私達は心から笑ってあげますから……。




