子泣き村
人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして“まさか”。
どうやらこれは、巧みな言葉遊びらしい。そうママやパパは言ってた。けどーー私はそうは思わない。上り坂、下り坂はまだわかる。けど、“まさか”なんて無理矢理でしょ⁉︎ 坂って漢字も付いてないし……。
で、どうして私がそんな話を思い出したのかというとーーー。
「はぁ……はぁ……きついよぉ……」
傾きが45度はあろうかという、きつい坂を走っていたからだ。森の中で涼しくはあるけど、道が荒れてて上手く進めない。その隣を並走する先生が、こんな軽口をたたいた。
「何を言ってるんだ、竹井。まだまだ序の口だぞ?」
相変わらずだ。先生は、どこか私たちとは感覚が違う。もちろん、生徒と先生って違いはあるだろうけど、それ以外にも違いがあるような気がする。育ってきた環境の違いなのかなぁ……。まあ、先生は新任だから体力が凄いありそうだけど。
「ううぅ……相変わらずきついなぁ、古井戸先生は……」
そう、小声で漏らした。でも、先生にバレてしまった。
「前にも言ったが、俺は古井“戸”だ。間違えんなよ?」
私は渋々うなづいた。
「は〜〜い……」
ホントに先生は地獄耳で、細かい事にこだわる。前の実習でもそうだった。料理自体はうまく出来たのに、先生の趣味に合わないからって減点されちゃって……。
……ん? なんだか……体がっ……。
「はっ……ぁっ……ぁっ……」
体がだんだんと暑くなっていく。息も荒くなってるけど、まだ大丈夫なはずーー。そう、大丈夫ーー。
「そら、大丈夫か? 顔色も悪そうだが……」
同級生の男の子、魔野海真くんが気を遣ってくれた。けれど、まだ、わざわざ休む程きつくはない。まだ、まだまだ大丈夫ーー。
「はぁっ……魔野くん。私はだいじょーー」
私の声を遮って、一つの鋭い声が飛び込んできた。
「何甘やかしているの、海真」
魔野くんが振り向いた。
「この程度の気候で休ませるなんて、体たらくにも程がありますわ。そんな調子で、本当に大丈夫なのかしら?」
この人は、葛木愛梨さん。私たちより2歳年上で、とっても綺麗な人だ。でも、厳格な性格をしていて中々話しづらい。加えて、理事長の娘らしく、逆らったらどうなるかーー。そんな感じで、この部では顧問よりも権力を持っている。
「そ……そうだよ、魔野くん……。私のためにっ、気を遣わなくてもーー」
「葛木先輩。僕は別に甘やかしてる訳ではありません。今年の夏は格段暑いと聞きました。死亡案件も多数あります。なので、細かな事でも気をつけるようにしたのです。それとも、先輩はそらに身体を壊してほしいのですか?」
海真くん、またズバズバと……。この二人の関係は、正直言って前から良くない。賢い人同士は、気が合うもんだと思ってたけどなぁ……。
「あら? そうとは言ってないわ。まだ大丈夫だって、本人が言ってるじゃない。貴方は本人の意志を無視して、行動を強制させるの?」
海真くんはうつむくと、キリッとした眼差しで顔を上げた。
「ーーそうですか。仮にそらが死んで、葛木財閥の名に泥を塗ることになってもいい、と」
私たちが通う富士学園は、葛木財閥によって運営されている。葛木財閥は、数々の大企業を持っている。その中の一つで、加えてお嬢様が不祥事を起こしたら信用問題に関わる。という訳で、彼の発言に、葛木さんはハッとさせられたらしい。
「そっ……そう、ね………。コホン、今回は特別よ?」
頼りなさげな声を聞いて、古井戸先生は舌打ちをした。
「チッーーー葛木も言ってるし、特別だ。休んでいいぞ」
「あっ……ありがとうございますっ……」
私はぺこりと頭を下げた。海真くんが作ってくれた機会だ。私自身は大丈夫だけれど、無駄にはできない。
で、私はお茶を飲んだんだけど……。
「プハーッ! 体に染みるよぉ……」
思ってたより、疲れを癒してくれた。さっきまで暑かった体も冷えて、頭もスッキリしている。どうやら、まだ大丈夫だと思ってたのは私の勘違いだったみたい。
「まるで酒飲みみたいだな……」
彼がボヤいた。えっ、まだそんな歳じゃないし、そもそもオジサンじゃないし⁉︎ 私は急いで否定する。
「えっ⁉︎ 断じてそういう意味で言ったんじゃないよ⁉︎」
すると、彼はうっすらと笑みを浮かべた。
「フッ、冗談だ。ーー休憩、そろそろいいか?」
海真くんーー冗談とか言うんだ。意外な一面かも。
「うん! あと、ありがとう。私、自分だけだったら、危ないって気づけずに倒れちゃってたと思うからーー」
「当たり前のことをしたまでだ。さあ」
でもーーやっぱりというか、どことなくそっけない。まあ、優しいし、頼り甲斐はあるんだけどね……。
◆
「さあ、着いたぞ」
ここは、粉木村。私たちの高校から遠く離れた、山奥の小さな村。どれぐらい離れてるかというと、車で4時間、そこから歩いて1時間。合計5時間もかかる程の遠さだ。
「うわぁ……綺麗!」
青い空に、深い緑。おまけに、老木があちらこちらにあって力強さを感じさせた。
「だろう? 何たって俺の故郷だからな」
ぜ、前後と話が繋がってない気がするけど……まっ、いっか。
「なるほど、通りで合宿先になる訳だ」
「こんな遠い場所が出身とは、まさか思いもよりませんでしたわ」
そう愛梨さんが言った。そうしたら、どこからかお婆ちゃんの声が聞こえてきた。優しい、包み込むような声だった。
「いいえ。案外珍しい事ではないのよ、お嬢ちゃん。この村の人は、ほとんどが外に出て行っちゃったのよ。だから、こうして新しい人が入ってくれて私は嬉しいのよ」
「あら、貴方は……?」
愛梨さんが視線を変えた。その先にはまるで仏像のような、可愛らしい笑顔があった。
「私は方丈節子。この村には、随分昔から住んでおります」
「どうも、葛木愛梨と申します。この度は郷土料理部の合宿でお世話になりますわ」
「ええ、その話なら村長さんから聞きました。こちらこそよろしくね、お嬢ちゃん」
二人は微笑んで、お辞儀をした。頭を上げたのは、節子さんの方がわずかに先だった。彼女は私の方を見たかと思ったら、優しげな声で語りかけた。
「で……後ろにいるのは、達也かい?」
すると、先生が照れくさそうに返した。
「はっ、はい。俺だよばあちゃん。久しぶりっ……だね」
先生は、喋りながら節子さんに近寄っていく。
「ええ。久しぶりね」
その、和やかとした光景は、なんだか子供みたいで。先生のこんな姿、初めて見たかも……。
「やっぱり、ふるさとっていい場所なんだなぁ……」
つい、小声を漏らしてしまった。ここなら、楽しい一夏が過ごせそう。
「そこのお嬢ちゃんも、ありがとね。でもーー」
ふと、節子さんが眼を鋭くする。
「この村、あんまり良い印象を持たれてないのよ」
「それって、どういうーー」
彼女は、穏やかに語り出した。
「実はね、何年も前から人口がどんどん減っちゃっててね。ただでさえ、田舎の人口は減ってるって言うのに、こんなヘンピな場所は輪をかけて減っていっちゃうじゃない。村の名前をもじって“子無き村”なんて、言われたりもしてーー」
私は顔をうつ向けた。なんだか、こんな良い場所が人から見捨てられていくことに、怒りを感じたのかもしれない。
「だから、貴方がいい場所って言ってくれなさって、嬉しかったわ。どう? この村に、住んでみなさんかい?」
ニコッと、語りかけられた。
……うん。確かに、お気持ちはありがたい。こんな優しいお婆ちゃんがいるんなら、住んでみるのも悪くない。けど、利便性やその他諸々を考えると、どうしても住んでみようとは思えない。便利な交通手段でもあればいいんだろうけど、出来てる頃には村自体があるかどうか……。私が考えあぐねていると、節子さんが可愛いらしい声で言った。
「ふふふっ、冗談よ。ではのう」
◆
それから。
私たちは役場に寄って、村長の飯塚永太さんに挨拶した。彼は50代後半に見えたけど、どうやら10歳程上だったらしい。つまり、体の健康に気を使っているということだ。
この人は可愛らしいチョビ髭をしていて、お爺さんな筈なのにどこか愛らしく思えた。それからは、先生と永太さんとで思い出話が繰り広げられて。あの海真くんですら、若干退屈そうだった。
その後は、先生の知り合いの家に行った。実家じゃないらしいが、家族級に親しい人なんだとか。そこにいたのもまた、可愛らしい人だった。
「みんな、こんにちは。私は滝川蓬莱。蓬莱って書いて、あいなって読みます」
彼女はペコリとお辞儀をした。今まで、粉木村で会った人とは違い、先生ぐらい若く見えた。ポニーテールをして、白い服を着た彼女は、清純というか、美しいというか。ーーー同性相手に、こんなこと言うのもアレなんだけど。
「蓬莱……ですか?」
わっ。私がしょうもない考え事してたら、愛梨さんが変なところに反応してるよ……。
「蓬莱……? 確か、秦の始皇帝が不老不死の仙人を探させに、徐福という方士を送った山でしたよね? なぜそんな字を……?」
彼女は早口で喋った。多分、好奇心をそそられてたまらないのだろう。それを聞き、蓬莱さんは意外そうな顔をしたけど、すぐに笑顔になった。
「あら、詳しいのね。私のお母さんが、長生きしますようにってその字を当ててくれたのよ」
彼女は続ける。
「でも、知ってる? 徐福は蓬莱に辿り着いたけれど、結局は仙人と出会えなかったって。代わりに、彼は不老不死の薬を作って始皇帝に献上しようとした。けれどーーー」
「その薬は水銀で、飲んだ始皇帝は死んでしまった、でしょう?」
愛梨さんが割り込んできた。その口ぶりからはワクワクしたものが切に伝わってきた。
「正解! 貴方、"歴女"なのね。じゃあ、どうして水銀が不老不死の薬と呼ばれていたか知ってる?」
彼女はしばらく考え込む仕草を見せたが、次第に諦めの顔へと変わった。
「………申し訳ありません。分かりませんわ」
それを聞いた蓬莱さんは、ゆっくりと、しかししっかりと語り出した。
「実は、水銀は元々赤い鉱石なの。で、加熱すると水銀の姿になる。ここからがキモよ。もう一回加熱すると赤い鉱石に戻り、また加熱すると再び水銀になるのよ。この無限の繰り返しが、不老不死と結びつけられたそうよ」
愛梨さんは相槌した。その顔は至って真面目だ。
「なるほど……お詳しいのね」
「さっ、話はこれくらいにして、粉木村に伝わる秘伝の料理を教えるわ。皆さん、いい?」
海真くんもこちらを向き、うなずいた。私も遅れてうなずいた。
「料理の名前は“人魚の大葉添え”。と言っても、もちろん実際の人魚じゃないわ。この村にいる、人魚みたいに長生きな魚を使って作るの。大葉も、山奥で取れる特別なものなのよ」
「蓬莱さん、食材はご用意されてーー?」
話の合間を縫って、海真くんが聞いた。蓬莱さんは、笑顔で首を横に振った。
「「えっ………⁉︎」」
私と、海真くんは同時に漏らした。実は私たち二人とも、体力には自信が無いんだーー。
◆
ーーーはぁっ、疲れた……。
朝早くに出て、5時間かけて村に到着。そこから色んな人と話し、料理の説明を受ける。川で魚取り、山で葉っぱ取りをしてたらもう日も暮れて、先生が酔い潰れるまで宴会してたら、今や布団の中。
あっという間で、もうヘトヘトだ。でも、楽しかった。いつもとは違う、非日常。景色も人も、何もかも新鮮だった。
「楽しかったね〜!」
「そうか? むしろ、俺には不気味に感じられたが」
ーーーでも。隣の部屋の彼は、また違う感想を持ったらしい。
「ムッ、何言うの海真くん!」
「だってそうだろう? 先生の地元だからって、わざわざ来るような特別な村じゃない。あの女も、やけに不老不死に詳しかった。料理の素材だって、用意されてないのは初めてじゃないか」
「で、でもーーー!!」
私の怒りも意に介せず、彼は氷のように冷たい態度をとった。
「粉木村に、肩入れしているのか? この村は信用するべきじゃない。村民は何か秘密を抱えてる。それは明らかだ」
「信用するべきじゃないって……! そんなの、あまりにも酷いよ……。あんなに優しくしてくれて、あんなに賢い人たちを⁉︎」
「お前は、あの態度に違和感を感じなかったのか? だとしたら能天気にも程がある」
落ち込む私に、追い討ちが襲いかかる。
「ーーもう深夜2時を回る。早く寝ろ」
そして彼は部屋に入った。
「……くっ、なんで……」
どうも納得できない。粉木村を、蓬莱さんをバカにした。しかも、不気味だなんて。こんなのどかな村の、どこが不気味だって言うの……⁉︎ どうして、どうしてっーーーーー⁉︎
「ーーそら、さん?」
ガラガラっと、障子が開いた。そこからひょっこりと愛梨さんが顔を出した。私は室内に入った。
「……っ、愛梨さん……」
「海真と言い争ってたようだけど、落ち着きなさい。彼のような科学的な人間は、まず、なんでも疑ってかかるものだからーー」
その言葉に従い落ち着こうとした。けど、ダメだ。落ち着こうとすれば落ち着こうとするほどに、思いが高ぶっていく。この感情は収まりそうにない。
「……ごめんなさい。すぐ、戻ってきますからーー」
「ちょっ⁉︎ そらさん⁉︎」
障子を開けて、勢いよく飛び出した。行き先は分からない。けどーー蓬莱さんがいる場所に。
◆
「ーーって事があったんです」
私の話を、親身になって聞いてくれる蓬莱さん。
「へぇ……なんか、ガッカリだね。私はただ、みんなに楽しんでほしかっただけなのに」
落ち込んで、顔を下げる蓬莱さん。
「それで、癒してもらいたいんです。私の心の傷を」
相変わらずだ。やっぱり、この人は可愛い。
「でも、私なんかでいいの?」
そう問われた。多分、彼女は私の思いなんか知らない。でも、私にとって覚悟を聞いているのと同じだ。私は決意を決めた。
「は、はい。いや、むしろ、蓬莱さんにしか出来ないと思います」
蓬莱さんは、戸惑いの顔を見せた。
「? それってーー」
「ーーー私は、粉木村が傷つけられるのが嫌だと思ってんです。綺麗な川や、立派な山。それにみんなは優しくて、とってもいい場所だから。でも、それだけじゃないって気づいてしまった。私が、粉木村を好きなのはーーー」
そこまで言って、ギュッと彼女を抱きしめた。
「わっ⁉︎」
「蓬莱さん。あなたがいるからです」
「あなたは、とても綺麗で、優しくて。加えて物知りで。初めて会った時は、この思いが何か分からなかった。けど、あなたと過ごす内に分かったんです」
ああーー。言ってしまう。この、禁じられた思いを。
「あなたのことが好きなんだって」
彼女は、一瞬意外そうな顔をした。でも、すぐ笑顔に変わった。
「ーーふふふ、ありがとう。そんなこと言ってくれた人は初めてだわ」
彼女は私を撫でながら、話を続けた。ーーダメだ。もっと、好きになってしまいそう。
「私も、貴方みたいな子は嫌いじゃないわ。まるで、何物にも縛られてないような眼。まっすぐな心。それからーーー」
その瞬間、蓬莱さんの表情が変わった。
「食べ甲斐のある、生き生きとした体!」
その声は、さっきまでの柔らかいものではなく。艶かしさと無邪気さが混じった、不気味な、しかし魅力的な声だった。
「えっ……? た、食べるって……? 冗談ですよね……?」
「冗談だと思う? なら、私の心臓に耳を当ててみて」
どうしてそんな事を言われたのかは、わからなかった。けど、“従わないといけない”。そう感じて、私は蓬莱さんの胸に手を当て、心臓を探った。ーーけれども。
「ーーあれ、なんで」
いくら経っても、いくら探しても見つからない。他人の鼓動でも、手で触ってみれば少しはわかる。でも、この人は少しもわからないーーー。
ドクン、ドクンーーー。
どこからか心臓の鼓動が聞こえた。せわしなく、弱々しい鼓動だ。
「あの、これですかーーーーんっ⁉︎」
「気が変わったわ。貴方は、みんなより先に食べさせてもらうわっ……!」
彼女はナイフを取り出し、私の胸めがけて向けた。
「なっ、なんで……?」
「この姿を、保つためよーー永遠に、ね!」
ーーグサッ。
ナイフが、刺さり、鼓動も、途絶えた。
視界も、薄まり、音も、聞こえずーー。
まさか、まさか、まさか。
こんな、ことが、あるはず、あって、いいはずーーーーー。
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