進め民主主義!歪みと共に
現在、日本は日本国憲法の下三権分立をする事で権力のバランスをとり、国民の権利と自由を保障している。特に、国会では法律の制定・予算その他国の財政に関する議決・条約の締結について承認の議決・内閣総理大臣の指名・憲法改正の発議を行っている。あくまで国会とは、国唯一の立法機関機関であり、立法するために議論する場であって、特定の人物を糾弾する場では無いということである。
ではなぜ現在の国会である某政党がプラカードを掲げたり、牛歩や野次や議題とはかけ離れた追求を行うのだろうか。それは民主主義社会における政策決定に不安定性があるからである。
複数の政策について民主主義は政策の優先順位を決めるのは難しい。なぜなら政策の説明の仕方や順序を変えるだけで政策の優先順位を変えることができるからである。
例えば、ある国で同等の支持率の政策a・b・cの優先順位を決めるとする。
世論は
x(国民の1/3)→a>b>c
y(国民の1/3)→b>c>a
z(国民の1/3)→c>a>b
とする。
(1)政策aが最優先となる場合
1 aとbどちらが大切かを国民に尋ねる
→xはa>b、yはb>a、zはa>bなので世論はa>b
2 bとcどちらが大切かを国民に尋ねる
→xはb>c、yはb>c、zはc>bなので世論はb>c
よって、世論はa>b>cとなる。
(2)政策bが最優先となる場合
1 bとcどちらが大切かを国民に尋ねる
→xはb>c、yはb>c、zはc>bなので世論はb>c
2 cとaどちらが大切かを国民に尋ねる
→xはa>c、yはc>a、zはc>aなので世論はc>c
よって、世論はb>c>aとなる。
このように、民主主義社会は世論が全く変わらなくとも国民への問い方次第で最優先順位の政策が変わる不安定性が存在する。また、議論によって決められるため発言の強い人物は世論の意向を無視して変えられる場合もある。
(1)の時に順序3として、cとaどちらが大切かを国民に尋ねた場合どうなるだろうか。政策の優先順位はc>aとなり、結果、a>b>c>aという矛盾が発生し社会に纏まりがなくなるだろう。
そして、審議不十分として再び議論を行えば決まりかけていた政策であっても覆される可能性があるのである。
ならば、日本ではどうやって民主主義社会を安定化させているのか。それが天皇制度である。
初代天皇である神武天皇から2676年、現代では125代にもなる天皇制度は自然と100年や1000年単位のスケールで発想を起こしてくれる。そこから見えてくる国民の絆が、強い共同体意識を持たせ、建設的な討議をさせるのである。その結果として日本は、ものづくり大国として発展し、数々の世界一を獲得してきた。
他国でも二大政党制や王室制などが日本における天皇制と同じ位置にあたり、民主主義社会に安定性を与えている。
某政党の行うパフォーマンスは、意味の無いような行動に見えるが、実際には民主主義の不安定性につけこんだ立派な作戦である。
現在の国境を守ることを重視する人々のことを愛国主義といい、そもそもは中立的な立場である。そして、右翼的な立場というのは他国の領土と関係なく、民族の住む地域によって国境を定めることを重視する民族主義のことを言うのであって、愛国主義を右翼的と表現されるのが普通とされる日本は、既に毒されているのかもしれない。
これからは知らないからといって、他人に丸投げするのではなく自分で調べていくことが重要になるだろう。ネットやテレビだけでなく、執筆者が明記された新聞記事や文献は信頼できるものとして特に重要である。そして、単一のメディアだけでなく複数のメディアから情報を取り入れることで、情報の偏りを少なくし、取り入れた情報から自分の意見をだし、議論していくことが自分自身と国の発展に繋がると私は考える。