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チョコに含んだイモラリズム

作者: わたる

「犬人間というのを、君達は見たことがあるかい」

第二外国語の講義の後、突然そう言い出したのは臼井である。

勿論の事だが、私も隣の席に腰掛けていた吉崎も怪訝に眉を顰めた。

「なんだいそれは。また新しい玩具でも買ったのかい」

「その言い方は酷いなぁ。昨日外国帰りの叔父が持っていた商品があまりに珍しくてね。安く買わせて頂いたんだよ」

そこに、荷物を纏めた吉崎がいそいそと声をかける。

「犬人間というのは、もしや西洋の混合生物(キメラ)のことかい?」

「Chimeraなんて大層なものじゃないさ。まあ、兎に角犬人間、としか言えないものなんだが」

私と吉崎は一旦臼井の表情を窺った。嘯いたことを吹いている様子では無い。

「どうだい、この後講義はないだろう。少し犬人間でも見物しに来ないか」

臼井は幅の広くがっしりとした人の良い顔をくしゃりと歪めて笑んだ。彼は頭は少々悪いが、家が元庄屋の金はある男だ。この大学に入る事が出来たのも、親のお陰であると本人が公言するくらいである。金にものを言わせいくら希少な物を持っていても、なんら不思議はない。

私と吉崎は顔を見合わせた。彼の瞳がくるりと三日月形に弧を描く。

「そうだな。俺だが、教授に提出する中間レポオトも昨日終わらせてしまったんだ。臼井君さえ良ければ、興味も有るしお邪魔したい」

吉崎は生物学が専攻である。彼が了承すれば、私も断る理由は特に無かった。



実家が近いために寮住まいでない臼井は「先に準備をして待っているよ」と門を通って行った。違う学科であるが同じ寮の屋根の下暮らす私と吉崎は、それぞれ支度をしてから共に臼井の家へと向かう。

「相変わらず臼井君の家は立派なものだなあ」

「それは俺も同意見さ」

 彼もはは、と眉を下げた。

吉崎は私や臼井と同じ男とは思えぬような、端麗な容姿の持ち主である。大学の寮内でも怪しげな噂が絶えぬ程だ。文学科の私、経済科の臼井、生物科の吉崎。接点の無い私達が親しい友人となったのは、第二外国語の受講人数が非常に少なかった為である。

「やァ、待たせて悪かったね。入りたまえよ」

通された部屋は、建物の外見に反し簡素なものであった。知り合ってから何度か訪問している臼井の個室である。まあ、この金持ちの男が屋敷内に何個自分の部屋を持っているかわかったものではないが。

四角い部屋の隅には、黒い大きな布をかけた箱型の物がある。私は臼井に声をかけた。

「あれかい?臼井君」

「そうだ。かなり臆病でね。明るい場所だと落ち着かないようだから、ああしているんだよ」

「早速見せて貰えるかな?」

「吉崎君、まあ今に見せるから一寸(ちょっと)待ってくれ」

臼井自身も誰かに自慢したくてたまらなかったのだろう。一旦部屋の電気を極小に設定すると、ゆっくり暗幕を持ち上げてゆく。もぞりと何かが暗闇の中で蠢くのが垣間見えた。すぐに臼井が手に持った機械(リモコン)で段々と明度を上げてゆく。

周囲が明るくなるに連れ、籠の中の動物が私にもしっかりと見えてきた。まず目を引いたのは成程外国のものと思われる金の髪である。横浜で外国人を見たことはあるが、恐らくこちらの方が綺麗であると思われた。続いてその糸のような髪の間からにょきりと生えている、獣の耳のようなもの。一目では年若い青年のなりである。

「ほお、凄いな。あれは本物かな」

興味深そうに身を乗り出した吉崎に、やっと気が付いたのであろう。びくりと大きく体を震わせその外国の犬人間は籠の隅で自らの体を庇うように丸まった。

よく見れば耳だけでなく、ぼろ布に近い衣の裾からは髪と同色の毛がたっぷりと生えた尾のようなものが覗いていた。時々ぴくりと動くようなので、本物に見えて仕方がない。

「こんなに精巧な絡繰があるものか。しかもこいつは人間の言葉を一言だって話さない。犬の母、人間の父を持っていると叔父から聞いたものだ」

臼井は大層自慢げに鼻を吹かせている。この男は何か珍しいものを買うたびに自慢したがる癖があったが、今回ばかりは吉崎も私も素直に感心する他なかった。

「不思議なこともあるものだなあ」

私が思わずそう呟くと、吉崎は幼子のように瞳を輝かせていた。

「凄いなあ、凄いなあ。大発見じゃないか。これを研究所に引き渡したりはしないのか?」

「そんな勿体無いことはしないさ。どうせ貰えるのは金ぐらいなのだろう」

私は二人のやりとりを耳に挟みながら犬人間の青年を眺めた。こちらの言っていることを理解している様子はない。ただ怯えているのみである。まるで打ち捨てられた子犬のようだ。この国では珍しい人形のような金髪に陶器の肌、青水晶の瞳。さぞかしその界隈の者が欲しがるだろうに。何ら生物に対する心得のない臼井が所持していてもこのまま見世物のように一生を終えるだけであろう。

それからしばらく私達はどうにかこの犬人間が懐かぬかどうか四苦八苦していたのだが、どうにも上手くいかない。だが不思議と嫌悪の感情は生まれぬ。

とりわけ吉崎はこの珍妙な犬人間の男を気に入ったようであった。冗談めいた様相でこの青年を譲って貰えないかと臼井に問い、それはできねえと笑い飛ばされている。吉崎は決して貧乏ではないが、金を欲しがらぬ臼井には何を言っても無駄だと悟ったのであろう。代わりにここにそれなりの頻度で来るので世話をさせてくれ、と頼んだ。

「まあ、実を言うと、犬などは飼ったことがないのだ。世話を他の者に任せるというのも気が引けるし、どうせなら吉崎君に世話を頼もうかね」

「俺の個人的な研究対象にさせてもらいたいんだ。ありがたいよ」

こうして寮住まいながら、吉崎はほぼ毎日臼井の家へ通うことになったのである。彼はなにやら犬人間の青年に様々なことを教え込んでいるそうで、その話を私に頻繁にした。

「彼は素晴らしく賢い。通常の犬の知能を超えているよ。ただ舌が人間のものと作りが違うようだ。言葉を喋ることは出来ないらしい。ただこちらの言うことは十分理解出来るようになった。指は開かないし背が曲がっているので二足歩行や手で何かを掴むことはできないようだが、待てもお手も聞く様になったのだよ」

あまり吉崎が楽しそうに青年のことを話すので、私もへえ、と感心するしか無いのである。

「あんなに人を嫌っていたというのに。元来吉崎君は犬の躾が上手だったのか」

「いい冗談を言うね。この研究で卒業課題まで書けてしまいそうなんだ。ああ、本当に勿体無いなぁ・・・」

臼井としても、無料で犬人間の世話を引き受けてくれるのは満更でもなかったようである。


そんなある日の二月十四日のことである。私は久しぶりに訪ねてきた旧友から、外国土産を貰った。チョコレイトというそれは、アメリカの方などではこの時期とても人気が出る菓子なのだそうである。しかし三十センチ四方はあろうかという箱に行儀よく詰められた一口大の菓子は、到底一人では消化できぬ量だ。それに加えては、早く食べねば味の価値が下がってしまうという。

そこで私はいつもの友人らに、珍しい洋菓子をわけてやることにした。案の定目新しいもの好きな臼井はすぐに応える。今までに多くの洋菓子を口にしてきたが、チョコレイトはまだ食したことが無かった模様である。

「へえ、それが洋の菓子か」

「旧友からでね。どうだい、君達も一つ」

「頂こう」

「俺も貰おう」

二人は各々好きな形のそれを口に放り込んだ。

始めに歓声をあげたのは臼井である。

「こりゃ美味なもんだな。色形は馬糞みたいだが、この世のものとは思えん」

「いい加減臼井君は、育ちが良いのに口は汚いなあ」

続いて吉崎も何度も頷いた。

「癖になってしまいそうな香りと味だ。そういえば箱に書いてある洋数字は今日を指しているな。何かあるのかい?」

私は旧友から聞いた話をした。愛している者に特別なチョコレイトを贈り合う日。それが今日だと言うのだ。

「じゃあその旧友とやらは君にそういうことを思っているのかもね」

「冗談は止してくれ。単なる土産だよ。一人では食べ切れないだろうから、もう少し何個か持って行ってくれると助かるんだがなあ」

それを言うと二人は目に見えて喜び、人肌で溶けてしまわぬよう包み紙の口をそっと結った。

「ありがたいな。今度チョコレイトの他の種類も買ってみよう」

臼井が呟き、私達はそこで別れた。第二外国語の講義が無い時間は基本的に別行動なのである。私はその際こそ何も気にしていなかった。



私がたいへん驚いたのは次の次の朝である。似合わぬ気むつかし顔をしている臼井から告げられたのは、あの犬人間が死んでしまった、ということであった。

「なぜだい。あんなに元気そうだったじゃあないか」

「吉崎君が世話を見ていてくれたのだ。それでも駄目だったということは、やはり希少な生物は長生きしないということなのだろうな」

そう臼井は頭を掻いた。多少残念そうな顔をしているが、彼はまた金の力で新しい斬新な玩具を見つけるであろうことは容易に想像がつく。私はむしろ、あれだけ犬と人間のキメラのような青年に執着していた吉崎のほうが気になるものである。そこで寮の部屋を訪ねてみると、生物学の勉強に励んでいるようであった。

「ああ、いらっしゃい。何か入り用かな?」

「いや、吉崎君、大丈夫なのかい?たいそうあの青年に拘っていたように見えたから、残念だけれど死んでしまって、君が大丈夫か心配になったんだ」

吉崎はその美麗な眉を下げて苦笑した。

「何もないという訳ではないな。死ぬ前に起こったのは、痙攣嘔吐下痢多尿発熱不整脈脱水だ。さぞ苦しそうだったものだよ」

「それは・・・本当に、可哀想な話だ」

「ところで昨日チョコレイトを貰ってすぐ図書館に寄って、文献を探してみたんだ。様々なものがあったよ。いつか日本でも作られるようになるといいなあ」

何故彼は急にそんな話をするのであろう。どこか哀しそうで、だが揺ぎ無い自信が底を支えているような表情をしながら、吉崎は笑っているのである。

「ねえ、君は俺をImmoralistだと思うかね?」

彼はその後、ただぼんやりと恍惚したような目になった。長い睫毛が昏い瞳をふうわりと透かしている。


「俺の与えたものが、あの子を殺せたのだなあ」




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