SHOT.6 嵐・零・恵
狭い部屋、饐えた匂い、冷たい手足と毎日同じ食事。全身で覚えている記憶が、未だに蘇る。アクシスは頭を抱えて体を丸め、ベッドの上で震えていた。
「……サク兄」
「大丈夫、ここに居る」
か細い声で呼ぶと、すぐ近くで声がした。それから肩を、子供をあやす時のように叩かれる。我ながら情けないと思うが、それでもアクシスはその行為に安堵の息を吐いた。
◇ ◇ ◇
三人は後部座席に並んで座り、車に揺られていた。一人は短く黒髪を刈り込んだ銀の目の少年、もう一人は長めの黒髪を肩口で切り揃えた赤銅色の目の少年、そしてもう一人は、ふんわりとした癖のある茶髪に、同じ茶色の目の少女であった。
「せんせー、何処行くの?」
短髪の少年が、運転席に両手を掛けて前に身を乗り出した。
「君達を引き取ってくれるところだよ」
運転をしている中年の男が答え、短髪の少年はシートに戻って「ふーん」と返した。
「なあ零兄、あとでまた算数教えてよ、明日テストなんだ」
「はあ? 俺だってテストあるんだよ、恵に教わってくれ」
「……めぐ姉ー」
短髪の少年は、零の膝に体を乗せて、反対側に座っている少女、恵に声をかけた。
「あっくん、たまには自分で頑張らないと。足し算引き算だけでしょう?」
「……筆算苦手なんだもん」
「嵐、初めからそれじゃあ先が思いやられるぞ?」
零は嵐の頭を軽く撫でて言った。嵐は唇を尖らせる。
「着いたぞ。さあ降りなさい」
運転手の男がそう言って、三人は返事をして車を降りた。嵐は零の服を掴んで、呆けたように眼前の建物を見上げる。
周囲の雑多で灰色なアパートやオフィスビルとは違い、三階建ての小ぢんまりとした白い建物であった。日の光を反射して輝いても見え、入り口などの雰囲気は病院と似ていた。男に背を押されて、三人はその建物の入り口に向かう。
「やあ、お待ちしておりました」
入り口のガラス戸を押し開け、白衣の青年が現れる。青年はちらりと三人を見下ろし、男と両手で握手を交わした。
「この研究所の責任者です。こちらが、兆候のある三人ですね?」
「ああ。約束通り連れて来た。後は頼む」
「ええ。それでは代金は口座のほうに明日までに振り込みますので。ありがとうございます、お手数をおかけしました」
男は頷いて踵を返す。きょとんとしてその後を追おうとした恵を引き留め、青年は三人の前にしゃがんで視線を合わせた。
「初めまして。嵐君に、零君に、恵ちゃんだね。今日から、君達はここのおうちに住むことになったんだ。服とかは揃えてあげるから心配しないで。私のことは、博士と呼んでね」
「ハカセ?」
嵐が首を傾げ、博士は笑って頷く。
「さあ、お腹空いていないかな。君達が好きそうなものを用意したんだ、一緒におやつにしよう」
「おやつ!」
嵐が嬉しそうに目を輝かせた。博士は手を差し出し、戸惑いながらも零と恵はその手を取る。
「――――さあ、実験の時間だ」
博士は笑みに仄暗い影を落とし、三人を引き連れて研究所に入ると、ガラス戸をゆっくりと閉めて鍵をかけた。
床に転がった積木や絵本の上に手を乗せ、嵐はつまらなそうに唇を尖らせた。狭い部屋にはドアが一つしかなく、部屋全体は薄暗い。
恵は絵本を閉じ、嵐を見遣って息を吐く。嵐は恵に近付いて寝転んだ。
「零兄はまた博士とお話?」
「うん。我慢しようねあっくん」
嵐は恵の膝に頭を乗せる。恵は嵐の頭を撫で、薄い笑みを零した。
「それにしても……博士、今日は遅いね」
「そうだね……零兄と何話してるんだろう」
二人は壁にはめられたテレビを見上げた。
その部屋から壁一枚の部屋の中心で、零は正座して俯いていた。眼前には、腕を組んで仁王立ちする博士が居た。
「さあ、早い所スキルを出した方が良いよ?」
「……だから、俺はスキルなんて知らないって、」
「心当たりはあるはずだ。他人が怪我をするようなときでも自分だけ怪我をしない、とか。それに何より、その赤銅色の目がその証だ」
博士はそして、俯いた零に舌打ちをする。
「その存在を知ろうが知るまいが関係無い、君達にはその兆候がある」
博士は零の髪を掴んで引っ張り上げた。零は顔を顰め、博士を睨み上げる。
「君はスキルに選ばれた存在なんだ。早くそれを社会に役立ててくれ」
博士はそう言うと、平手で零の頬を打った。
絵本を捲り、嵐は、相変わらず開かない部屋のドアを見上げる。
「……めぐ姉」
「なあに?」
「あれから、何日くらい経ったのかな。ご飯は貰えるけど零兄は帰ってこないし」
「さあ。でも、きっといい子にしていたら大丈夫でしょう。博士は優しかったもの」
「……そうだよね」
嵐は体を丸めて唇に指を当てた。恵は嵐の背を撫で、不安気な顔を無理に笑わせる。
ドアが開き、博士が現れた。嵐は弾かれたように起き上がる。そして、外のまばゆさに目を細めながら博士に駆け寄った。
「やあ、二人とも。ごめんね、待たせてしまって」
「ハカセ! 零兄は!?」
「ああ、その事で嵐君に話があるんだ。おいで」
博士に手を差し出され、きょとんとして嵐はその手を握る。が―――その手を握った刹那、ぞわっ、と背筋を悪寒が這い上がり、嵐はその手を払って博士から離れた。
「……どうしたんだい?」
「……ハカセ……零兄、どうしたの?」
嵐は上目遣いで博士を見上げた。博士は薄い笑みを浮かべる。
「……君のせいだよ」
博士はそう言うと、ぐいっ、と嵐の腕を掴んで引っ張った。
「や、嫌だ! やめてハカセ、」
「嵐!」
恵が悲鳴のような声を上げ、博士に駆け寄ってその腕を掴む。
「嵐を放して! 止めて、どうして!?」
「―――五月蝿いな、」
博士は乱暴に腕を振って恵を振り落した。恵は背中から床に倒れ、小さく呻く。
「めぐ姉! ハカセ、お願い止めて!」
「嵐を放して!」
恵が叫ぶ――――瞬間、恵の周囲の空間が弾けた。
「――――っ!?」
博士は見えざる力に吹き飛ばされて壁にぶつかる。嵐は床に放り出され、尻餅をついてきょとんとした。
「……めぐ、姉?」
「……素晴らしい!」
博士は立ち上がり、恵に近付く。そして、驚いたように自分の手を見詰めている恵の腕を掴み、部屋の外へと引きずり出した。
「えっ!?」
「予定変更だ。嵐君、君はここで待っていなさい」
「え、ちょっと、待ってよハカセ!」
驚いたように引っ張られる恵に向かって手を伸ばし、しかし腹を蹴られて嵐は部屋に押し戻される。
「君は悪い子だね」
ドアを閉める寸前、吐き捨てるように博士が言った。嵐は青い顔になり、固く閉ざされたドアに拳を当てる。
「ハカセ、めぐ姉、待って、待ってよ!」
小さな拳は擦り切れ、血が滲んだ。それでも、目に涙を浮かべて嵐はドアを叩く。
「……ごめんなさい、良い子にする、だからっ……」
部屋の電気が消され、嵐は息を飲んだ。暗い部屋で、唯一明かりを放っているのはつけっぱなしのテレビである。だが、賑やかな声は、今の嵐には酷く耳障りだった。頬を伝う涙にテレビの光が反射する。嵐は唇を噛み、俯く。
「零兄……めぐ姉……」
ドアの向こうでは何をされているのだろうか。零兄は何故戻ってこないのだろうか。自分は何をしたのだろうか――――ぐるぐると回る思考回路は、すぐにどん詰まりになって悲鳴を上げる。
出たい。この部屋から出たい。二人に会いたい。どうにかして、この部屋から――――
「……壊す?」
ぽつりと嵐が呟き―――その奥で、何かが弾けた。
嵐と恵の悲鳴で、飛びかけていた零の意識は現実へと引き戻された。冷たい床から起き上がり、ぼさぼさになった髪を払って顔を上げる。
「……嵐、恵?」
呟いて、零は焦燥にその顔を歪めた。
ドアが開き、恵を抱えた博士が現れた。零は息を飲んで博士に駆け寄る。
「恵! 博士、恵に何を!」
「今は眠っているだけさ。まだ、ね」
博士は恵を床に寝かせ、それから零を見上げて口元を笑みの形に歪めた。
「君が、いつまでもスキルを顕現させないからだよ? スキルっていうのは、選ばれた人間が必要とした瞬間に現れる。君はいい加減その奇跡の瞬間を見せてくれてもいいのに。それをしてくれないから、恵ちゃんと嵐君を危険に晒す羽目になる」
「っ……俺のせい、なのか?」
零は恵の頬に触れた。まだ温かく柔らかいその感触に、零はほっとして息を吐く。
「そうだねえ、どちらにしろ三人ともスキル持ちの素質はあるから、全員同じような経験をして貰わなきゃいけないんだけど、どうせなら穏便に――――」
博士の声が次第に遠くなり、零はじっと、恵を見下ろしていた。顔は罪悪感と恐怖に歪み、唇は震えている。
「……俺が守らないと……俺が……」
零は唇を噛み、固く目を瞑った。
スキル、というものが何なのかは知らない。だが博士には無く、自分達はそのスキルを使う事が出来るのだろう。博士はそのスキルが見たい。だから博士の『実験』に付き合わされている。自分がスキルを出せたとしても、他の二人も同じ目に遭う。逃げ場など無い。自分達にはもう、帰る場所だって、きっと無いのだろうから。
ならば――――
「ああああああああああああああっ!」
零は叫び、思い切り手を横薙ぎに振り抜いた。轟っ! と、部屋の空気がうねり、一筋の風となって博士を襲う。
「―――おお!」
博士の顔が歓喜に緩んだ。零の髪は逆立ち、赤銅色に輝く目は薄暗い部屋の中で炯々としている。振り抜かれた指先の皮膚は裂け、薄く血が滲んでいた。
「素晴らしい、激情によってスキルが現っ……れ……?」
博士は自分の喉元に手をやり、笑みを引きつらせた。零の風を正面から受けた喉元には傷が刻まれ、血が滲み出していた。
鎌鼬である。
「れ、零君?」
「俺が守らないと、俺が守るんだ、恵も、嵐も、俺が、全部俺が、」
「零君、ちょっと待って、先生ちょっと怪我を、」
「俺が守るんだ!」
零が叫び、同じ風の鎌が、今度は壁を削って埃を散らす。博士は傷口を押さえたままばたばたとその場から逃げだした。
零は恵を背負い、ふらつきながら部屋を出た。それから隣の部屋のドアを叩く。
「嵐! 嵐、まだ中に居るか?」
返事は無い。零は何度もドアを叩き、ノブを回した。しかし鍵がかかっているのか、ドアが開く気配は無い。
突然、施設の警報が鳴り響いた。同時に重い足音が幾つも聞こえ、零はその意味を悟って焦りを顔に浮かべる。
「嵐! 中に居るなら返事をしてくれ、嵐!?」
零はドアに体当たりをした。だが頑丈なドアはびくともせず、零は肩を押さえて顔を顰める。両手でドアを叩く動きに合わせて、風が廊下を吹き抜けた。だが、所詮風では金属には歯が立たず――――零はドアの前にへたり込む。
「……どうしよう」
零は途方に暮れてドアを見上げた。が――――
ドアの脇の壁に、突然亀裂が走った。零は嫌な予感に、恵を引っ張って壁際に退く。そして間も無く、壁は内側から崩された。
「……嵐?」
「……れ、い、兄?」
暗がりから現れた嵐は、顔の右半分を血に濡らしていた。右腕は小さい体に不似合いに膨れ、裂けた皮膚から血が流れている。嵐はふらふらと廊下に現れ、それから脱力して床に倒れ込んだ。みしみしと音をたて、膨らんでいた腕が元の大きさに戻る。だが血は止まらず、嵐は零に縋るようにその服を掴んだ。
「嵐……恵、」
零は困惑した様子で、血まみれの嵐と目を覚まさない恵を交互に見た。
「零君、待たせたね」
ざりっ、と、壁が崩れた土埃を踏み、首に包帯を巻いた博士が現れる。零は二人の前に立ち、拳を握った。博士の後方には、数人の、白い防護服のような物を着た男達が立っていた。手には白い筒状のものを持っている。
「悪いけど、君達にはこれからのスキル社会の為に役立ってもらうよ」
博士が片手を挙げ、男達が筒を構える。
「……スキル……力……俺の、」
零はゆっくりと拳を開き――――それから、薄らと口元を笑わせた。
ざわっ、と零の髪が逆立つ。男達が一斉に筒のボタンを押し、白いガスが噴き出した。だが零が手を振ると、暴風が廊下を吹き抜けてガスを男達の方へと押し戻す。
「嵐、恵、逃げよう! ここに居たらろくな事が無い!」
零は嵐と恵の服を掴んで引っ張る。博士は口にハンカチを当てて咳き込むが、防護服を着ている男達はすぐにガスの向こう側から現れた。
零は二人を引き摺って一番近くのドアを開き、中に入って内側から鍵を掛ける。嵐が閉じ込められていた部屋の向かい、博士の研究室であった。
「ああもう、訳がわっかんねえよ……スキルとか、」
ドアが勢いよく叩かれ、零はびくりとしてドアから離れた。何処か逃げ場は、と零は部屋の中を見回す。小さな窓があったが、机の上に乗ってやっと届くような高さだった。目を覚まさない恵と、動けない嵐をどうにかして連れ出さなければいけない。
「……零君、開けなさい」
「嫌だ!」
「ならば聞きなさい、君達の持っているスキル、それは特別なものなんだよ」
ドアの向こうから、静かに博士が告げた。
「スキルを持つ資格がある人間だけが、その特別な力を使うことができるんだ。君達にはそれがある。法則は分かっていないし、どういう原理なのかも不明だ。それが解明されれば、より社会の発展に役立つ。だから」
「だからって痛い思いをするのは嫌だ!」
零は怒鳴り、ドアから離れて部屋の中を見回し、机の下にあったボンベとパイプが繋がったようなものを引っ張った。持ち手の部分は男達が持っていたガスの棒に似ている。零は気付かなかったが、ボンベは黄色で、側面に黒のドクロマークが描かれていた。
「――――聞き訳が悪いな、君達は特別なんだ! 人と違う力を持つ者はその力を社会の為に役立てるのが道理だろう!?」
「五月蝿い! 特別になんかならなくていい!」
ドアの鍵が壊れ、蹴り開けられる。零はすぐに、ドアに棒の先端を向けて手元の引き金を引いた。
ガスでも何でも、出てくれ。そう願って目を瞑る。と―――その瞼を、強烈な光が貫いた。
「っ!?」
驚いて零はそれを取り落す。目を開くと、眼前では博士が―――炎に包まれていた。
「ひっ……」
白衣が炎と共に翻り、博士は床に倒れ込む。そして、顔を爛れさせて苦悶の叫びをあげながら、その手を零に向かって伸ばし――――
零の意識は、そこで途切れた。
「生き残り? この火事でか」
「ええ、この部屋だけ燃え方がおかしいんです、まるで、何かに守られてるみたいに」
「それで、誰が?」
「子供が三人です。一応照合してみましたが、捜索願は出ていません。裏戸籍に登録もされていないようなのですが……」
ゆっくりと、意識が浮上する。零はうっすらと目を開き、それから近付いてくる足音と声に息を飲んだ。
「……成程、これは確かに……」
若い男の声がすぐ近くで聞こえ、零は目を瞑る。目を覚ましているのか、嵐が固く零の服を握ってきた。
「朔波さん、何か心当たりが?」
「ああ。恐らく火元はこの部屋の入り口近く。だがこの子供達の周りだけ、炎が避けている……スキル保持者なんだろう。無意識にスキルで身を守ったんだ」
頭を、答えた方の声の主―――朔波に撫でられる。零は息を飲み、体を固くした。
「……起きているんだろう?」
「っ!」
零は手を振り、朔波の手を払った。朔波―――黒髪黒瞳の青年は、驚いたように手を引いて目を丸くする。
「おっ……俺達に、手を、出すなっ……」
零は震える声で言い、朔波を睨み上げる。朔波は目を瞬かせ――――それから、ふっ、と笑みを浮かべた。
「そんな可愛い面で言っても、威嚇にはならないぞ」
朔波はそして、零の腰に手を回して肩に担ぎ上げる。
「わっ!?」
「鳴上、お前、現場報告しといてくれ。俺はこいつら運ぶから」
「分かりました」
朔波は嵐と恵をもう片方の手で抱えると、立ち上がって踵を返した。
◇ ◇ ◇
カーテンを開いて朝日を迎え入れ、ゼロは眠そうに目を瞬かせた。
「……また、懐かしい夢を見たな」
髪を手櫛で整えてヘアゴムでまとめ、眼鏡をかける。廊下に出ると、欠伸をしながらサクサがアクシスの部屋から出てくるところであった。
「ん、おはようゼロ」
「ああ、おはよう……」
ゼロはサクサの顔を見詰める。サクサは怪訝そうに首を傾げた。
「何だよ、顔に何か付いてるか?」
「いや……昔の夢を、少し見てな」
「へえ」
「……やっぱり、あんたは酔狂だと思って」
ゼロはそして、小さく笑った。サクサは肩を竦める。
「そんな酔狂にここまで付いて来たお前達も、相当だよ」
「それはあんたが……いや、それよりアクシスは?」
「ああ、朝方ようやく落ち着いてな。今は明るくなってきたおかげか、よく寝てる」
「……そうか」
サクサはそして、僅かに俯いて黙ったゼロを見遣って首を捻った。ゼロはその、澄んだ漆黒の視線にびくりと肩を震わせる。
「もう溜め込むんじゃないぞ、お前は」
「……じゃあ正直に質問させてもらう」
ゼロは顔を上げた。
「サクサ、あんたは――――」
そして、目の前に立つ、十年前と少しも違わない、若々しい姿のサクサを見詰める。
「どうして年を取らないんだ?」
十年前、既にサクサは刑事だった。それから十年経った今でも、サクサは自分を十九歳だと騙っている。当時、警察を名乗るにはあまりに若く、先日の『ナルカミシュウスケ』の方が、サクサよりも年上にしか見えない。当時顔を見ることは無かったが、あの会話からして、ナルカミのほうが後輩にあたるのだろう。
「……零」
ぽつり、と本名を呼ばれ、ゼロは反射的に両の拳を握った。だがサクサは柔らかな口調で続ける。
「そうだな。もう大人になるお前には、言っていいか」
サクサはそして、ゼロを手招きして自室に入る。壁に掛けてあった黒いコートを羽織ると、鏡に顔を近付けた。
「……スキルのことか?」
「ああ」
そしてサクサは振り返る。ゼロはその顔を見、息を飲んだ。
「一説では、血筋の遺伝から遠い色の瞳に変化すればするほど、強いスキルの素質があるそうだ」
「……そう、なのか」
「ああ。まあ一説だから確かではないが。日本人なら通常、やや濃い茶が一般的だな。お前は赤銅色だからそこまで遠くは無い。お前達三人では、アクシスが一番遠いか」
「そうだな、あいつは銀だから……だけど、あんたのそれは……」
ゼロが呆然とした表情で見詰めるサクサの双眸はそれぞれ色が異なり、右目は元と同じく漆黒だが、左目は―――鮮やかな紅であった。
「……なんだ、その、目……」
「色素欠乏によって血液の色が見えて赤く見える……アルビノというやつだ」
「それって、」
「ああ、途轍もなく珍しい。俺の場合これはスキルの影響で現れた異常だから、それだけスキルも強い」
サクサは片手で左目を覆って俯いた。
「……だが、違うんだ」
「?」
「俺はお前達みたいな、天性のスキル保持者じゃない。……少し、長い話をしようか」
サクサはそして、ベッドにどさりと腰掛けた。
清潔な病院の廊下に、似合わない黒いコートがいやに映える。サクサは一つの病室の前で足を止め、両手をポケットに突っ込んだ。
「……入るぞ」
自動ドアが開き、サクサは病室に入る。狭い個室のベッドには、いくつもの管が繋がれた老女が横たわっていた。繋がれた心電図は微弱な生命を映し出しており、サクサは顔に影を落として老女の傍らで俯く。
「……天稟の性なら俺は受け入れたさ」
老女が微かに目を開き、椅子に座ったサクサの手を握る。サクサは両手でその手を包んだ。老女の目が嬉しそうに細まる。
「こんな若い男がしょっちゅう来てくれて……私は幸せだね……」
「…………そうか」
サクサは薄い笑みを浮かべ、老女の手を額に当てる。
「あんたが笑ってくれれば、俺も、幸せだ」
「……ごめんねぇ、あんたの名前も私は知らないんだ……ずっと一緒に居た気がするけれどねえ……」
老女が咳き込み、サクサは青い顔になる。サクサは老女が再び眠るのを待ち、枯れ枝のように細く折れそうな指先をそっと撫でた。
「……すずは」
ぽつりとサクサは呟き、それから、皺だらけのその指先にそっと唇を触れさせた。