DVD
遅めの朝食を摂り終わり、先程からソファーに寝そべっている。
今日は土曜日だというのに父は出勤、妹は部活と忙しそうであった。母は家にいるものの、家事に忙しそうである。家にいるなら少しは手伝って欲しいという目線を送ってくる。しかし、こういう時にこそ生来持ち合わせている鈍感さを発揮して怠けるべきなのだ。午後の予定をぼんやり考えていると、チャイムが一つ鳴った。母親は洗濯物を取り込むのに苦闘している。俺は重い腰を上げて、訪問者を出迎えに玄関へと向かった。
「はい?」
「あ、藤咲?時和ですけど。」
「なんだ。今開けるよ。」
ドアを開けると大学の友人が立っていた。大学デビューを果たしている彼は金髪野郎である。二階に上がって自分の部屋に案内した。
「タバコを吸うなら窓開けてくれよ。」
「いや、今日はまあ、禁煙ガム噛むよ。」
「お前にもデリカシーってものが芽生えていたのか。」
「うるせぇ。」
時和は鞄から禁煙者ガムを鞄から取り出し、一粒口に放り込む。ノックが二回鳴り、母が紅茶とお菓子を持って来た。
「わさび味のポップコーンと熱い紅茶を置いとくわね。」
「ありがとう。」
「あ、すいません。」
と、時和が少し頭を下げ、母親は出て行った。禁煙ガムを噛み慣れていないのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「今日はどうしたんだ。」
俺が聞くと、彼は訥々と話し始めた。
「実は俺、彼女ができたんだ。」
突然の告白に驚いた。大学デビューの努力がようやく実ったようで、自分のことのように嬉しい。なんでも、相手の方から告白してきたようである。携帯で写真を見せてもらったが、彼の外見と釣り合わず、地味な見た目である。
「それでな、彼女はホラー映画とかスプラッター映画とかが好きらしいんだ。」
よくありそうな話だ。しかし、趣味嗜好の合わないカップルである。時和は血や、化物の類が苦手なはずだ。
「彼女、今日のデートで映画を見たいと言ってるんだ。十中八九そういうのになると思う。」
「それで、人がズタズタにされたり、人間を丸飲みする化け物に慣れておきたいと。」
「そう。だから、『ゾンビクライシス』を借りてきた。」
『ゾンビクライシス』か。『血みどろ男爵のダイナマイトチェーンソー』と同じ監督が撮っているとはいえ、俺としては、こちらはあまり好きではない。ゾンビの鈍物さが癪に障るからな。
そもそも映画が苦手な彼にとっては、グロと化け物と映画のトリプルパンチなのだ。果たして、彼は起きていられるのだろうか。 彼は勝手にDVDをデッキに入れた。
「よし、頑張るぞ!」
始まった瞬間、人の首が飛び、画面が真っ赤に染まった。
カーテンを閉め切った部屋の中で『ゾンビクライシス』の室内上映会は続いていく。タイトルが画面に映し出されてから三十分後には、アメリカ中で生存者が十名を切っていた。B級映画にしてはなかなかの展開の速さである。脚本家に金をかけずに映像技術にばかり金をかけているらしく、話はつまらないがゴア表現は素晴らしい。作り込まれた肝臓が、所狭しと飛んでいる。
時和は、耳年増の女の子が男性の裸体を見てしまった時のような姿勢をとっている。つまり、目を手で多い隠しながらも指の隙間から垣間見ているような体勢だ。
「何もよう、ゾンビになったからといってそんなに凄惨な殺しかたをしなくても。ラブアンドピース。人とゾンビで仲良くやろうよ。」
すっかり弱気である。時和の心はゾンビに迎合し、元は人間だからという理由で殺害をためらっている。生存率は高いが、助けてくれる仲間を死に追い詰めるタイプの人間だ。
十名の生存者もゾンビザメに喰われて一人減り、ゾンビダコに喰われて一人減り、とうとう最後の一人になっていた。残り一人の中肉中背な男を見て俺は親近感を覚えた。
「もうさ、ゾンビの勝ちでいいよ。あと一人なら勝ち目ないから、むしろ積極的に喰われればいいのに。」
時和は半分泣きながら言った。
「一人だから戦えるんだよ。誰も守らなくていいからな。」
映画は、古代兵器を用いてゾンビ全員を殺害するクライマックスを迎え、シェルターに残っていた女性とキスをして終わった。
「耐えた……。俺、耐えたよ。」
半泣きどころじゃなく、最早泣いている。
「頑張ったよ。お前は。」
肩を軽く叩いてやった。泣いている時点で耐えられていないが、俺の軽口が彼の深い充実感を壊してはいけないと思ったので黙っておいた。すっかり冷えてしまった紅茶と、わさびポップコーンを勧める。
「すまない。今は遠慮する。血液とゾンビの小腸にしか見えない。」
禁煙ガムを吐き出しながらそう言った。
「悪い。やっぱり吸うわ。」
時和は鞄からラクダ絵のタバコを取り出した。開けた窓から新緑の爽やかな空気と、赤く輝く太陽が俺達を照らしている。しかし、すぐに不健康な煙に掻き消えてしまった。
「やっぱり難しいなぁ。禁煙は。」
「だろうな。でもどうして禁煙を?」
「いや、彼女が苦手そうだなあと思ってさ。」
時和の緑色に青ざめた頬に赤みが差した。微笑ましくも、羨ましく思ったので、心の中でだけ頑張るように応援する。
「じゃあ、俺帰るわ。今日はありがとな。なんか自信がついたよ。」
彼はDVDを取り出しながら言った。
「ちなみに、デートの映画は決まっているのか?。」
「ああ。これだ。」
彼の財布の中から映画のチケットを取り出し、俺に見せてくれた。『血みどろ男爵のダイナマイトチェーンソー』そう書かれてあった。
「血みどろな男爵が、ダイナマイトを搭載したチェーンソーで暴れまわる話だって。」
「ああ。知ってる知ってる。観に行ったよ。一人で。」
「そうなのか。じゃあ、今度は俺が楽しんでくるよ。」
身支度を整えた彼は満面の笑みを浮かべて、簡単な別れの挨拶を述べた。俺は彼のこれからのデートを想像し、苦笑いを浮かべた。
「俺さ、このデートが上手くいったら、彼女のことを抱きしめるんだ。」
そう不吉な言葉を残し、時和は帰って行った。