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【自由よりも、不自由よりも】

「あー指輪しとったらこんなんすぐ逃げれるのになー」

 アキトがつぶやくと、ハルカさんは耳から手を離し「アホな事に能力使うな」と半笑いで言った。

 その様子を見て、ふと不思議に思った。

 アキトの能力はシンプルだ。ただものを開いたり閉じたりできる、それだけの能力。しかしシンプルではあるけれど、その力を応用すればあらゆることが出来るはずだ。大銀行の金庫を開けて大金を手に入れられる。好きな女性の心を開かせてしまうこともできるし、嫌いな人間の気管の入り口を閉じて窒息死させるという完全犯罪をすることもできる。

 それなのにアキトはそうしようとしない。自分の身の回りのちょっとしたこと――それこそカーテンや窓の開け閉めなど――にばかり超能力を使うのだ。

 もしも僕が同じ能力を持っていたとしたら、きっと欲望に負けて悪いことに手を出していただろう。それか、自分が超能力者であることを自慢したりしてしまうだろう。

 アキトは能力をただの便利グッズのようにしかとらえてない。自分が本気を出せばとてつもないことが出来るのに、しようとしない。思いつかないのか、それともわざとやらないのか。どちらにせよ常人とは感覚が違う。

 もしかすると、父親も超能力者だったからか。子供の頃から超能力があるのが当たり前の環境で育ったから、あそこまで自分が特殊能力を持つことに対して能天気でいられるのかもしれない。


 ハルカさんと話している間も、頭の中ではアキトの能力のことを考えていた。

 アキトがアホなことを言ってハルカさんに突っ込まれているときも、どうしてこんなにこの人は幸せそうでいられるのだろう、と考えていた。人と違う存在であることが怖くないのだろうか。常人には出来ないことが出来てしまう自分が嫌にならないのだろうか。


 考えていたら、いつの間にか猫カフェの前についていた。

 『猫喫茶マタタビ』と看板が出ており、僕好みなアメリカンショートヘアの猫の写真がそこには貼られていた。そわそわする気持ちが抑えきれなくなって、アキトとハルカさんよりも早く、その雑居ビルの中に歩みいった。

 四人乗るのが限界という狭いエレベーターに三人で入り、六階のボタンを押す。


 しかしもうすぐ六階という時、突如エレベータは停止し中は真っ暗になった。


「な、なんや、どないしたんや」

 ハルカさんはキョロキョロとあたりを見回す。

「……アカン、停電や」

 アキトは冷静につぶやいた。それに対して先ほどまでしっかりしていたハルカさんはパニック状態でアキトにしがみつく。

「停電!? 地震かなんかか?」

「恐らく火事や。さっきエレベータに乗るとき、微かに煙の臭いがした」

「焼き肉屋の煙とかとちゃうの?」

「いや、あれはそんなおいしそうな匂いやなかった。もっと鼻にくる臭いや」

 いつもとは違い、アキトは低く滑らかな声で静かに話す。本当にアキトなのか疑いたくなるくらいの豹変だ。

「俺ら、閉じ込められたんか」

「せやな。停電でエレベータが動かへん限り、ずっとこのままや」

「どないすればええんや! このままやと俺ら焼け死ぬんちゃうか!?」

「いや、エレベータの中に居る限りは多分大丈夫や。……でも」

 アキトは上を向き、苦しげな表情をした。

「上におる猫たちが大丈夫かどうか……」

 それを聞いて僕の背筋と胃に冷たいものが走った。一気に血の気が引いていくのが自分でもわかる。僕自身はどうなってもいいから、猫たちをどうにかしてあげたいと思った。

「アキト、逃げ遅れた猫や人がいるかもしれない! 助けにいこうよ!」

 僕はたまらずアキトに叫んだ。しかしアキトは首を振る。

「今このドアを開いても、階と階の間やから降りられへん」

「このドアじゃなくて、あそこは開けられない?」

 そう言ってエレベータの天井にある救出口を指した。だがアキトは「アカン」とまた首を振る。

「あの救出口はな、内側からは開かんようになってるんや。どこかのテレビドラマで見たことがある……」

 まさかの答えに僕はずっこけそうになった。やはりアキトは自分の能力を過小評価しすぎているのだ。

「なに馬鹿なこと言ってんだよ! こういう時の超能力だろ!」

 僕の言葉でやっと気付いたらしく、アキトはハッとした表情をした。まったく、僕がいなかったら、一体どうしていたんだろうか。

「せやった! こういう時こそ使わなアカンわ!」

 アキトは慌ててポケットから指輪を取り出すと、左手の小指に嵌め、光と共に変身した。そして救出口を見つめ、「開け」とつぶやく。すると救出口の頑丈な扉はあっという間にギギイと音を立てて開いた。

「でもよう考えたら、どないして上に出ればええんやろ」

「俺が下から持ち上げるわ。上に出た後で、俺のことを二人で引っ張り上げればええ」

 ハルカさんも落ち着きを取り戻したらしく、いつものようにしっかりとした口調で言った。


 まずはアキトがハルカさんの肩車で上に出た。次に僕がハルカさんの肩車とアキトからの引っ張りで上に出る。最後にジャンプしたハルカさんの手を僕とアキトで引っ張り、上半身まで出たら、あとはハルカさんが自力で上った。その身体能力の高さには驚きを隠せなかった。

「すごいですね、ハルカさん」

「学生時代からずっとスポーツやっとるからな。これくらいはどうってことないわ。……さて、次はあの扉を開けばええんかな」

 ハルカさんが指したのは、ジャンプすればどうにか届きそうな高さにある、六階のドアだった。

「……バックドラフトが起こりませんように」

 そうつぶやきながらアキトは六階の扉を見つめた。扉はゆっくりと開き、天井の蛍光灯が消えている薄暗いフロアが見えた。

「どうやら火はここまでは来てないようですね」

「でも煙が充満しとるかもしれん。キイタ君、油断は禁物やで」

 ハルカさんの言葉に頷くと、ジーンズのポケットの中にあったハンカチを取り出し、口に当てた。防災訓練のときのことを思い出したのだ。

「よし、行くで」

 アキトが先に六階に上った。僕とハルカさんもそれに続く。

 六階に上がると、『猫喫茶マタタビ』と書かれた手作りの看板がついている扉が、目の前にあった。

「ここだね、アキトの言ってた店」

「せや。みんな逃げとればええんやけど……」

 アキトは扉を開け、中に入っていった。店の中には一見、人も猫も見当たらない。

「居ないよ。無事に逃げられたのかな」

「キイちゃんは猫好きやから知っとると思うけど、『犬は人になついて、猫は家になつく』なんて言われとるの聞いたことないか?」

「あ、聞いたことある」

「……多分、居るで。どこかに隠れてる」

 アキトは店の奥にどんどん進み、猫が遊ぶスペースにあるクッションやおもちゃをひっくり返し始めた。

「おった!」

 白いクッションが数個固まっておかれているところに、そのクッションによく似た色の白猫がいた。恐怖を感じ取ったのか、微かに震えているようだ。

「怖くて動けなくなったんやな。よしよし、もう大丈夫や。ちょっと大人しくしててな」

 アキトの能力で、白猫は目を瞑り、くるりと身体を丸めた。そのままアキトは白猫を抱きかかえる。

「よし、あとはここから出るだけや。非常階段を使えば大丈夫やろ」

 三人と一匹は店を出て、ビルの非常階段に通じる扉を開けて出ようとした。

 しかし、降りようと下を見た瞬間、立ち上る熱気に顔を背けてしまった。

「あっつい!」

 どうやらビルの四階部分が一番激しく燃えているらしく、同じ階の非常階段にまで火の手が伸びていた。これでは降りることができない。

「アカン、上に行くしかないな」

 屋上に向かってアキトが駆けだしたのに続き、僕らも暑さに耐えながら、金属音を響かせ階段を駆け上る。

 屋上に出ると、煙が下から立ち上っているのがわかった。

「俺らがビルに入る時には煙出とらんかったと思うんやけど……火の広がり早すぎやろ」

「急に爆発でも起こったんですかね」

「それにしては、なんも音せえへんかったけどなあ」

 三人は屋上の中心にたたずみながら考えをめぐらす。


 気を抜いた次の瞬間、白猫が突然動き出した。

「アキト、猫が!」

 僕が叫んだ時には猫はビルの端のほうまで駆けだしていた。

「アカン、下手したら落ちるで!」

 ハルカさんとアキトが慌ててその後を追うが、追いつけない。

――まずい、このままの勢いだと落ちる!

 僕も駆け出しているものの、もちろん届きそうにない。白猫はなにかに操られたかのように一心不乱に走って行く。そしてついに端まで来てしまった。

「止まれえええ!」

 

 アキトは落ちる寸前の白猫の首根っこをどうにか掴んだ。

しかしバランスを崩し、アキトの身体が傾いていく。

「う、うわっ、アカン」

「アキト!」

 ハルカさんが腕を掴むが、アキトの身体はそのまま落ちていき、腕だけを引っ張られている状態になってしまった。

「うっ…うぐっ……」

 アキトの体重と白猫の体重を引っ張り上げるには一人の腕力では到底足りない。僕も手伝うが、それでも落ちないようにするのがやっとだ。

「……二人とも、手ぇ離すんや」

「えっ……!」

 アキトが放った言葉に僕は硬直する。

「このまま引っ張り続けても助かる可能性は低いし、お前らも一緒に落ちてしもうたらオレはお前らの両親に面目が立たへん。キイちゃんが死んだら、ユウトと奥さんは悲しむで」

「……そんなことない。僕が死んだって、きっと二人は平気だよ。特にユウトさんは。だって所詮、血の繋がってない他人だから」

「キイちゃん……血が繋がっとるのも確かに大事な家族の要因や。でも、オレはそれよりもっと必要なものがあると思う」

「そんなの綺麗事だよ」

「キイちゃん、オレ、キイちゃんみたいな甥がずっと欲しかったんや」

「……なに言ってるんだよこんなときに」

「一緒にゲームとかして遊んだり、ネット動画見て笑ったりできる家族が欲しかってん。初めてキイちゃんのことをユウトから聞いたとき、オレ嬉しかったんやで。会えるのずっと楽しみにしとった。ああ、ついに新しい家族ができたんかー、って」

「そんな会うの楽しみにしてたやつに、あんなひどいことしたのかよ……?」

 目頭が急に熱くなって、声が掠れてしまった。

「すまん。ちょっとからかいたかっただけなんや。……なあキイちゃん、オレな、キイちゃんの家族になりたかったし、キイちゃんに炭谷家の一員になってほしいんや。ユウトやって顔には出さんけど、同じ事思うてるはずやで。せやからもう、ユウトのこと他人なんて言わんとってな。オレらはみんな、キイちゃんの家族や」

「……うん」

「よし、ええコや。ほんなら、家族が悲しまへんように、手ぇ離して、キイちゃん。オレなら大丈夫。オレには、あの能力があるんやから」

「でも、どうやって……」

「説明はあと。いいから、早よ。ほら、お前も」

 ハルカさんは神妙な面持ちで「わかった」と頷いた。

「ハルカさん、いいんですか」

「こいつはなあ、こういう時死なない男なんや。まあ見とき。『俺らの心配返せ!』ってなるから。俺はアキトを信じとる」

 ハルカさんは少しぎこちないけど、笑っていた。

 僕はなぜだか胸がじん、と熱くなり、堪えていた涙があふれ出してしまった。

「……アキト」

 僕は顔を見ずに呟く。

「とりあえず今回は信じて言うこと聞いてやるよ。でも……毎回お前を信用するわけじゃないからな。今回は特別だ」

「そか……ありがとな。じゃあ、離して」

 僕とハルカさんはアイコンタクトすると、同時に手を離した。

 アキトは重力と引力に従って、白猫と共に落ちていく。

「アキトーっ!」

 思わず身を乗り出し叫ぶが、アキトの姿は徐々に小さくなっていく。アキトが落ちるであろう道路には、まだ救助用のトランポリンを開く途中の消防隊がいた。アキトが宙ぶらりんになっているのを見て慌てて用意したのだろう。このままでは間に合わない。

 

 開き途中のトランポリンが突然、回りの人を弾く勢いで全開になった。アキトの能力で開いたのだ。そこの中心にアキトと白猫は落ちて、反動で高く舞い上がった後再び落ちた。

白猫はアキトの手を離れて、猫カフェの従業員らしき女性のもとへ駆けだした。どうやらカフェの従業員と他の猫は僕らがエレベータに居る間に逃げていたらしい。

「みるくちゃん!無事だったのね!」

 屋上に居る僕らにも届くほど大きな声で女性は叫び、嬉しさのあまり泣き出した。その女性の周りに他の従業員も集まって、みるくちゃん、と呼ばれた白猫の無事を喜んでいた。

 一方トランポリンで跳ねたあと、アキトはまるで何事もなかったかのように起き上がり歩き出した。周りの人たちがなにやら話しかけてきてるようだが、それらをすべて振り払うように、なぜかアキトはすたこらと逃げ出してしまった。

「なんでアキトは逃げてるんだろ」

「多分、一応病院に行けって言われたんやろ。あいつ、病院には行きたくないんやって」

「どうしてですか」

「『オレは特殊な体質やから、NASAに連れ去られてしまうかもしれへんやろ』って前に言うてたわ。アホやろ」

「……アホですね」

 僕とハルカさんは顔を見合わせて、涙をぬぐいながら笑いだす。本当にハルカさんの言ったとおり、「俺の心配返せ!」という状況になってしまった。


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