シニガミ様と籠の中の鳥たち
春、それはほのかな香りが鼻孔を膨らませる
夏、暑さの中に輝きを見出せたあの日
秋、豊かな作物の実りと豊穣を祈るお祭り
冬、植物や動物たちが冬眠を始める
そしてまた春がやってくる。植物たちは根を降ろし、地面に広がっていく。小さな種が深く、深く埋まっていく。
春、それは彼女と初めてあった季節。それから何年たっただろうか?
見知らぬ顔、乾いた声、聞き飽きた冷たい笑い。一番最初、幼いころに受けたこの家の印象。10年前だっただろうか、この家に連れてこられたのは。
だが、今は……
「お嬢様、またここで寝ていらしたのですか?」
「あら……? 私、寝ていたのね」
木陰に眠る我が姫。自分と同じ年齢なのにあどけなさが未だ残る。
もうすぐで結婚してしまうお嬢様。結婚しても籠の中の鳥状態は変わらない。
狭い籠の中で一人踊る、自由を望んでも出ることは出来ない。
お嬢様が蝶ならば、蝶は他の水辺では生きられない。だから、お嬢様はこの家から出たら生きられないのだ。
婚約者は自分の弟。双子なのにこの待遇の違いは何なのだろうか?
あぁ、きっと品格の違いなのだろう。弟は聡明で紳士、ここに一緒に連れてこられたときも弟のほうが気に入れられていた気がする。
ここに連れて来られてきた理由は執事としてこの家で働かせてもらうため。幼い時から教育を施したほうが出来がよい。
その当時、一緒に執事見習いとして勉強したものだ。
だが、いつの間にか弟はこの家の跡取りにとして婿養子に入った。それはお嬢様と結婚すると言うことだ。
自分にとっては複雑でしかない。自分は合いも変わらず執事という召使のままなのだから。お嬢様専属執事なのは変わらないだろう。
「私、あなたの淹れた紅茶が大好きなの。あ、もちろんあなたも大好きよ」
「そうですか、ならばティータイムにしましょうか。お嬢様がそんなに紅茶が飲みたいとおっしゃるならば、特別な紅茶をご用意しましょう」
微笑むあなたにつられこっちまで微笑んでしまう。不思議な人だ。他の貴族のお嬢様はきっとこんなにほんわりしてはいないだろう。
貴族の人間はみな傲慢で自分勝手だと聞いている。
「ねぇ……私ってそんなに不幸そうに見える?」
一体どうしたのだろうか?お嬢様がこんなことを聞くなんて初めてだ。
「私、本当は結婚なんて嫌なの。結婚相手はあなたの弟……なのに全然似てない。あなたはこんなに優しくて、私の胸をときめかせる……どうしてあなたじゃないの? 私、あんな男と……したくない」
あんな男とは、変わってしまった弟のことだ。幼いころは優しく、純粋だった。
だが今は、何かにとりつかれたように、お金、お金、お金……嫌な男に成り下がってしまった。
暇さえあれば、乗馬やら買い物やらで金を使う。
だが、そのお金はお嬢様のものだ。あの男はお嬢様には構わない。いつも一人で仕事か遊び。
どうしてこんな風になってしまったのだろうか……
「お嬢様……」
お嬢様の気持ちは嬉しい。だが、私とお嬢様とでは身分が違いすぎる。そしてこの国は、もうすぐ戦争を始めようとしている。
愚か過ぎるとなぜ気づかない? どうして他国を跪かせなければいけないのだ。今のままでも十分にやって行けるというのに。
「戦争が始まるのね」
さっきまで快晴だったのに、どんよりと曇ってきた。
空には軍の飛行機が飛んでいる。きっと、あの男は戦争で儲けようとしているに違いない。まったくどこまでも汚い男だ。
軍の上層部にはあの男の手下がうじゃうじゃいる。そうした方が動かしやすい。自分の手を汚さなくてもいいのだから。
じきにあの男はこの国を手に入れるだろう。いや、もう手に入れてるかもしれない。
この国はどうなるのだろう。きっとあの男を拝める宗教が出来るのかもしれない。生きながらの神として拝められたいのか。
人間のやるべきことではない。
もう、あの男の宗教団体は出来ているのだろうな。入信しないと、家族を殺すだとか仕事が出来なくなるようにするだとか。
そんなのは脅しだと皆は信じない。だから、金や権力を使って実行するのだ。そんな汚いやり方をする神はいない。
この国を乗っ取ったら、この国を売るのだろうか。売国か……
金が欲しいから国を売る。そんなことは絶対許してはならない。
この国が徐々に汚染されていく。
「戦争はやるべきことではないわ」
「私もそう思います」
「ねぇ、いつか私を他の世界へ連れて行って欲しいの。ね、いいでしょ?」
「えぇ、どこへでもお供しますよ」
今、私は笑えているであろうか。酷い嘘をついてみても、心は苦しい。虚しいだけだ。
こんなに愛しむとは思いもせず生きてきた。
彼女を救ってあげたい。
つまずく暇はないと駆け足で上ってきた階段。早く、一人前の執事になりたくてたくさん勉強したあの日。
お嬢様が好きだと意識しはじめたあの日。
長い時間がその気持ちを諦めさせてくれた。気持ちを押し殺していつまでも長くお嬢様と居られるために。
お嬢様……あなたはここからは出られない。あなたはここに囚われているのだから。
あなたはここで咲き誇るしかないのです。
「お嬢様、いつでも私が付いていてあげますよ。どこまでもどこまでも……ね? こうすればいいのでしょう?」
この気持ちがあなたに通じたら、あなたはどんな気持ちになるだろうか。
いつになっても分からないだろう。きっと。
春、ほのかな甘い香りのお嬢様
夏、木陰で寝そべり涼しむお嬢様
秋、木々は色とりどり鮮やかで芸術的なお嬢様
冬、すべてがなかったかのように白くなった……お嬢様
「お綺麗ですよ。お嬢様……」
私の手の中には冷たくなったお嬢様。お嬢様を抱きかかえ私は自分のベットの上にゆっくり置いた。
「お嬢様……」
私のかけがえのない宝物。いつまでも私の腕の中にいてください。
「……一緒にいましょう、お嬢様」
いつまでも、いつまでも永遠に。
ベッドの上には青白い顔をした女と、その女を守るかのように倒れている男。屋敷の主人がそれを見つけた時主人は気が狂ったように叫び喚いた。
そして、プツリと糸が切れたように倒れた。そしてそのまま息を引き取った。
「哀れな男よ……目先の欲望に走った男とその男が犠牲にした人間の末路」
バタバタと屋敷内は五月蠅く、慌ただしい。しかし、この青年は他の人間には見えないのか、空気のようだった。青年は小瓶を見つめた。小瓶の中には綺麗なガラス玉が入っていた。
「……三つ、回収完了か」
青年の瞳はどこか虚ろでまるで心がない人形のようだった。心がないのか、それとも感情を抑圧しているだけなのかは分からない。
青年はすっとその場から消えたのだった。