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第七話 七志、亡霊と対峙し、次期侯爵に不法侵入を薦める。

 僅かな明かりを頼りに奥へと進むごとに、かすかに呻き声のような音が漏れ聞こえてくる。

 囁き声、呻き声、ときおり、甲高い悲鳴。

「気付かれたのでしょう、威嚇しています。」

「そのようですね、」

 答えつつ、七志はポケットに手を伸ばした。その手が、ヒヤリとした感触に触れる。瓶の冷たさではなく、もっと根源的な冷気のような。

 振り返った七志は危うく悲鳴を上げそうになった。真後ろにゴーストが立って、七志とにらめっこになっている。

 ポケットの小瓶を、ゴーストの手が抜き取ろうとしている最中だった。

「七志くん! 囲まれてる!!」

 鋭い声を合図に、二人は背中合わせの防御態勢へ。エドワードが素早く小瓶のコルクを弾き、中身を彼らにぶちまけた。

「なにをするんじゃ!!」

 ゴーストが怒りだす。少なくとも、怯んだ様子はまるでなかった。


 白黒映像のように色のない亡霊たち。よく見れば、それぞれの衣装は高価な貴族のものに見えた。

「え……? ちょっと、エドワードさん。ちょっと待って。」

「うわぁぁぁ!!」

 次から次へと聖水の瓶を取り出しては、蓋を開けてぶちまけ、瓶を投げ捨てる。パニック状態のエドワードの肩を七志が掴んだとたん、顔面に聖水をぶっかけられた。しゅわっと気泡が散る。炭酸成分が含まれるらしい。

「あ、七志くん、ごめん、」

「いえ。」

 手の甲で水を拭い、七志が冷静に答えた。自動回避チートは身の危険がない場合には発動しないのか、と妙な納得がある。これが硫酸や毒なら無意識で避けるのだろうが。

「なんだかこのゴーストたちは、俺が予想してたのと違うようなんですが。」

 顎をしゃくって指し示した先に、腕組みをして仁王立ちのゴーストたちが群れている。数は20人ばかりか。そのどれもが、貴族の着るような服装をして、少なくとも悪意のある表情はしていなかった。

「聖水をぶっかけようとは、なんたる無礼!」

「我々を悪霊と混同するとはけしからん!」

 まったく近頃の若いもんは! 口々にゴーストたちは文句を言い、お決まりの台詞を誰かが告げると全員が頷いた。

「エドワードさん。この人たちって、もしかして貴方のご先祖様とかじゃないですかね?」

 苦笑を浮かべて、七志は疑問形でエドワードに促した。


「まことに失礼いたしました。何かご不満があるのでしたら、なんなりと申し付けてください。対処したいと思います。」

 貴族の儀礼で最上級の会釈をして、エドワードはゴーストたちにそう言った。

「次期侯爵として、僕に出来る限りの……、」

「それじゃ!」

 子孫の言葉を遮って、ゴーストの一人、白い顎鬚も立派な老貴族が指を向けた。

「次期侯爵! お前が次期侯爵に相応しくないとか、かんとかと、屋敷内では使用人までもが囁きあっておる! 情けないことと思わぬのか、さらには養女であり女であるアデリーンの方が相応しいとまで言われる始末! 恥ずかしいと思わんか!」

 傍で聞いている七志までが胸にチクチクと痛みを覚えるような、ストレートな言葉がエドワードに浴びせられる。

 エドワードは半泣きの表情で、これを黙って聞いていた。

「現侯爵であるお前の父の、その苦悩をお前はいかように考えおるのか! 実の父が、可愛い我が子を廃嫡にと考えるほどに追い詰められておるというのに、何をのほほんと暮らしておるのだ! あまりに心配で、永眠ってもおられぬではないか!」

 老貴族が怒鳴りつけるたび、エドワードは委縮して身をびくりと跳ねさせる。

「そうです! 姉の苦労も知らず、お前はどこまで甘く育ったのですか!」

 今度は中年のご婦人がしゃしゃり出て、羽扇子でぴしゃりと子孫の頭を叩く。亡霊の持ち物は生きた人間の身体を素通りしてはいくが、叩いた音もダメージも残る。

 何も言い返せないまま、エドワードは黙って耐えていた。


「お前の姉のアデリーン、あの娘は我が一族に連なる者ではないにも関わらず、本当に侯爵家を案じてくれています。お前とて幼少の頃よりあの娘には可愛がってもらったはず。もはや忘れたわけではないでしょう。あれは、お前のことが心配でたまらないのですよ? そして、お前がうつつをぬかしているあの奴隷の女……、」

「シェリーヌは関係ありません!」

 話が愛する女にまで及び、エドワードは奮い立って叫んだ。

「お聞きなさい!」それをぴしゃりと抑え、続けて婦人の亡霊は言った。「あの娘は奴隷の身分です。お前とは釣り合わぬ人種です、どう足掻いても。それをあの娘はよくよく承知しています、お前とは違って。あの娘の悲しみに、お前はさらなる苦しみまで注ぎ込んでいるのです。」

 否定しきれない指摘に、エドワードはそれでも力なく首を左右に振って抵抗する。

 結ばれたいだのどうだのと、そんなことを考えているわけではないのだ。結ばれない事など百も承知だ。誤解を解きたい、けれど巧い言葉が見つからない。

「奴隷の娘がもし、まかり間違ってお前の子を宿したならなんとしますか。母に、子を始末させようと言うのですか。ケダモノのような浅はかな思慮は捨てておしまいなさい、愛していると言いつつ、お前はあの娘に地獄を見せるつもりなのですか。」

 別の先祖が口を挿む。

「のぅ、エドワードや。お前の姉、アデリーンも苦しんでおる。お前は知らぬだろうが、あれは奴隷の娘に頭を下げたのだぞ? 貴族に生まれた者が、奴隷に頭を下げる、それがどれほど大変な事態かは愚鈍なお前でも予測が付けられよう。そうまでして何を頼んだと思う。『どうかお前を振ってくれ、』と、そう言って、女二人が泣いたのだ、お前の為に。」

 その言葉が告げられ終えた後には、当人のエドワードも涙を浮かべていた。

「僕は、彼女と結ばれようとは思っていません。そんな事をすれば、彼女を不幸にする。そんな事は言われるまでもなく解かっています。結ばれることなど、願うべくもない。」

 どんなに愛していても。黙って隣で聞いていた七志が、もらい泣きで鼻を啜りあげた。


「おお、そうじゃ。英雄殿、わしらゴースト界でもお主の噂で持ち切りじゃが、ここはひとつ頼まれてもらえぬだろうか? このエドワードを、お主が受けた例のクエストに同行してほしいのだ。修羅場の一つも経験すれば、きっと一皮むけることじゃろう。」

「え!? そ、それは幾ら何でも無茶振りでは!? 命に関わりますよ!」

 慌てて七志は拒否する。とんでもない、件の依頼は危険度120%だ。一気にしんみりした空気が吹き飛んだ。

「大丈夫じゃ! お主には無理じゃが、このエドワードにはわしらゴーストが"先祖の護り"を与えることが出来るからな。命を取られるほどの事にはならぬよ。安心めされよ。」

 安心しろ、と言われても、はいそうですかと受けるわけにはいかない。

 口を開きかけた七志の背中を越えて、別の声が遮って発せられた。

「解かりました! 御先祖様や父や姉に認めてもらえるよう、僕が一念発起すればいいという事ですね!」

 七志がどうやって断ろうかと思案していた矢先に、当のエドワードがやる気満々になって宣言した。


     ◆◆◆


 "ぼうやだからさ" どこかで聞いたフレーズが脳裏に再現された。

 七志は憂鬱な気持ちを抱えて、地下のワインセラーから続く階段を昇る。後ろからは意気揚々と、次期侯爵のお坊ちゃまが続く。とんでもない事になった。心配はないと言われても、まるで安心感が見当たらない。

 後方でバタンバタンと何かの音が鳴り響いた。

「ああ、御先祖様たちが窓を開けてくれたようですね、これでこの件は一応解決した事になりますか。」

 振り返れば、真っ暗闇だったワインセラーの中が、明り取りの小窓から差し込む光で薄墨色に染まっている。

 御先祖様は気が利いている。心配になるのも無理はないくらいに、ここにいる子孫との差は歴然だ。単なる貴族の三男坊という立場なら、彼の人生もまた違ったのだろう。人生は巧く運ばないものだ、と七志は思っていた。


「七志くん。ご先祖様たちの心労も無理はないと僕自身、身につまされて感じていることだ。シェリーヌの事にしても、僕があまりに頼りないせいで、姉上や彼女自身にまで不安を与えてしまった。」

 外が間近になった階段の途中で、エドワードは立ち止まった。

「僕は、彼女と結ばれたいとは思っていないよ。……いや、そう願っていないとは言い切れないけれど、弁えているつもりだ。周囲の言う通り、彼女を不幸にするだけのことだ。僕も彼女も、いずれ、別の誰かと結婚することになるんだろう。彼女を幸せにしてくれる男が居るなら、僕には何も言う事はない。」

 彼女の幸せを願う。七志は七志で、ここには居ない少女の面影を浮かべて微かな笑みを浮かべた。

 いずれは消え去ってしまう自分という存在は、どこかこのエドワードと共通すると思った。ともすれば、彼女の前では忘れぎみな事柄だが、自分はいつ消えるか解からない人間なのだと、寂寥を感じる。同時に、深く心を繋ぐべきではないのかも知れないと、迷った。

 エドワードは立派だ。結ばれるべくもない相手、だから、遠くから見るだけで満足しようとしている。

 本人には決して告げず、想い続けるだけの苦しい恋もあるのだろう。彼本人がシェリーヌに愛だ恋だと囁いている姿など、そういえば一度も見ていない。

 女は敏感だから、アデリーンやシェリーヌ本人には隠しきれなかったようだったが。

 そして彼女たちは彼女たちで、黙って受け止めていたのか。ティータイムの時に感じた僅かな不安は、そうだったのか。


「僕の彼女への愛は確かなものです、神に誓ってもいい。けれど、愛するという事は何も結婚という形だけが証ではないはずです。結ばれてはならない相手に恋をしたと気付いた時から、ずっと考えていたことですが。結ばれるだけが愛じゃない、そうじゃあなく、僕は彼女の支えになってあげたい。共に歩む方法は、何も一つきりじゃないでしょう?」

 エドワードは照れ臭そうに、七志に告白した。惚気を聞かされているようで、聞く方も妙に気恥ずかしい。

 にやにや笑いの七志に、エドワードは晴れやかな笑顔を浮かべて言った。

「彼女には夢があるんだそうです。昔、小耳に挿んだだけの事情だから、今もそう思っているのかは残念ながら解からないけど。……彼女が師事した魔導師は、志半ばに病に倒れたと聞きます。彼女は、師の残した研究を受け継ぎたいと人に洩らしたことがあるんです。」

 彼女が真実そう願うなら、道を切り開いてあげようと思う。

 魔導師の研究には莫大な資金が必要になることは、すでに七志も承知していた。覚悟の必要なことだ、魔導師のパトロンになるという選択には。

 愛して、結ばれて。叶わないからこそ、それよりもっと深い繋がりを、エドワードは求めようとしているのだと、七志は思った。


「エドワードさん、俺も覚悟決めますよ。」

 これで乗らないのは男じゃない、七志はいつになくやる気を出していた。

「あなたが本気でシェリーヌの事を想ってるんだって解かりました。その上で、彼女を苦しめないために身を引こうとしてる……、すごいことだと思います。並みの男じゃ考えない。だから、協力します、御先祖の言うとおり、修羅場をくぐれば腹も座るでしょう。皆の見る目も変わると思う。一緒に、先祖や家族の鼻を明かしてやりましょう!」

「ありがとう、七志くん!」

 感極まってエドワードは七志の手を取った。が、ふと気付く。

「ところで、修羅場というのは具体的には? 何をするクエストなのかな?」

 ゴブリン退治だろうか、もっと危険な盗賊相手だとか? それに応えて七志は一言。

「泥棒です。」

 エドワードが絶句した。


 ことの経緯を語り終える頃には、エドワードもすっかり覚悟が決まっている。

 国王、王妃じきじきの依頼。王家の陰謀に加担するクエスト。次期侯爵は抜け目なく、この陰謀に関与する利益を見抜いて、頷いた。

「明日には父が屋敷に帰ってきます。そうなったら、きっと危険を理由に妨害してくるでしょう。だから、支度はすぐに始めて、夜のうちには出発しましょう。」

 アデリーンは不安がっていたけれど。七志の見る限りでは、次期侯爵のこの青年に不安要素はあまり無いように感じた。周りが心配性過ぎるだけなのではないのか。

 地下のワインセラーから戻った二人を、使用人たちが出迎えてくれた。皆、やきもきとしていたのだと愚痴られた。

 エドワードは一見頼りなげに見えるから、誰も彼もが心配性気味なのだろうと得心した。


 休みも取らずに二人は次の行動へ移る。

 屋敷の上階、天井裏にあたる屋根裏部屋は武器倉庫を兼ねているという話で、埃っぽいその空間に入り込んで道具を物色していた。階下の部屋とは明らかに異なり、屋根裏は三角の天井に梁が丸見えだ。そこに木箱が無造作に放り込まれていた。

「七志くん、これは使えると思う。」

 エドワードが手にしたものは、黒い筒が挟まったホルダーだ。どこかで見たと思った次には思い出す。

「警棒にそっくりです、」

「来訪者由来の品だからね、たぶんその"警棒"というものがモデルだと思うよ。」

 ホルダーから引き抜き、鋭く振り抜くと長く伸びた。鋼鉄製、いや、説明によれば魔法金属だそうだ。

『棒は、鎖骨を狙え。この骨は脆い。筋肉の鎧に覆われることもなく、無防備だ。利き腕のほうを折れば、敵の攻撃力とスピード、コントロールを同時に低下させることが適う。』

 ふっと、師であるライアスの武器講習を思い出した。

 七志の手には口径の小さな銃。デリンジャーというものに似ていると思ったが、詳しくはないので自信はない。腰のベルトへ捻じ込んだ。武器は幾つあっても過ぎるということはないだろう、恐らく。


 トンボ帰りでアデリーンの屋敷へ戻った七志たちを、キッカとジェシカが出迎えてくれた。

 キッカの姿を見とめたその時。

 七志が動く! 正座スライディングからの土下座フォーム!

「ごめん、キッカ! なんか悪酔いした挙句に、大迷惑を掛けたみたいだけど……このとおり! 許してくれ!」

「え!? ええ!? なに、七志、なに言って……、」

「裸踊りでヒャッハーの罪を償いたいそうでございますよ、キッカ様。」

「へ!?」なにそれ? 事前の打ち合わせはなかった。

「七志はなんにもしてないよ! て、わたしも眠っちゃってたから、なんで怪我してたのかも知らないし! ただ、すごい大怪我みたいだったから、まともに見てられなくて! だから、あの!」

「……俺のせいじゃないの?」

 恐る恐る顔を上げて七志が問うと、キッカはこくこくと頷いた。

 くるり、と七志がカボチャの方を向き直る。

「カボチャ、てめー!」

「だから何もございませんと言いましたっ! 信じなかったのは七志様でございましょうがっ!」

 また騙された! と、掴みかかる七志の腕を掻い潜って、カボチャが中空をふよふよと飛び回った。



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