第四話 七志、次期侯爵を唆し、麻衣菜、払暁に夜這い掛けられる。
「やあ。初めまして。僕がエドワード・フィラルド・ロクスウェルです。姉から常々お噂は聞き及んでいますよ。国軍の危機を救った英雄、七志殿ですね。」
さわやかな好青年だ。アデリーンの弟は、直接の血のつながりのない、金髪碧眼、上品な面立ちをした青年だった。
七志は食事の手を止め、椅子を引いて立ち上がる。夕食の席へようやく姿を現した次期侯爵に対して、さすがに座ったままの挨拶は無礼に過ぎると気付いたからだ。隣のキッカが狼狽えて、七志に続こうとするところをジェシカに腕を引かれてふたたび席に着く。こういう場では代表だけが挨拶を交わす。
エドワードが視線だけを周囲へ配り目で会釈すると、ジェシカも返す。キッカはそれに倣った。シェリーヌは、場に居ない。同じ食卓に着くことを遠慮したのだ。ティータイムは格式外だが、晩餐は違う。
「よろしく。舞名七志です。」名乗りまではスムーズでも、続く言葉は簡単には浮かばない。「えっと、英雄とか言われるのはちょっと照れます、出来ればそのまま名前で呼んでもらった方が落ち着きます。」
少し迷ってから、七志は苦笑いでそう付け足した。
「七志くんはとても謙虚ですね。普通、それだけの力を持っていれば、もっと威張り散らしていても不思議ではないと思うのだけど。」
この時のエドワードの言葉遣いは少しばかり七志を自身の下に置いた言い方だ。これが、後々には逆転してゆく事になるとは、当人たち自身にすら解かりえないことだ。エドワードは貴族として育ち、自然と自身を上にする教育を受けてきたから無理はない。むしろ、これを簡単に覆すしなやかさが彼の最大の武器となる。嫉妬とは無縁の人物だった。
対する七志は、鏡のようなものだ。相手次第でその対応は変化する。
「いや、来訪者の力なんて所詮は借り物みたいなもんだから……、」
今でも、このチートな能力を自慢する気になどなれない。むしろ気味が悪いとずっと感じ続けている。最近は特に、自分自身の身体にまで変化を及ぼす運動能力系のチートが発動したが、これがまた気色が悪過ぎると思っていた。
まるで自分の身体とは思えない時さえあった。屋根にまで一足飛びに飛び移れるジャンプ力など、もはや人間業ですらない。
「そういうものですか? 羨ましいと思いますが?」
首を傾げてエドワードは尋ねた。
「これが魔力だとか、元から備わっていた以外の力ならそうかも知れないんですけどね。」
苦笑いをいっそう強くして、七志が答える。
「気色の悪いもんですよ、俺にとっては。なんだか、自分がバケモノになった感じです。」
街の人々、騎士たち、七志と戦闘に至った人々が己に向ける目を、忘れることなどないだろう。タイラルの屋敷で自身が感じたと同じ、理屈に合わぬ相手に対する、嫌悪すら含む否定の眼差しだ。
この世界にも規格外の人間はごまんと居る。
この国の国王自身がそうであるし、騎士の多くも一般の市民からすれば充分バケモノだろう。魔導師たちなど、差別に近い形で"理解不能"のレッテルを貼られている。
彼らを全部ひとまとめにしても、マイノリティ。ごく一部の異端者だ。異端者の数も程度を過ぎれば、多数を駆逐してしまう、主導権を握る、だから問題なく社会に居られるだけだろう。それでも少数派は少数派だ。バランスはいいのだろうが。
その少数派の中でも、特に唯一とも近しい存在が、七志だ。
これほどの能力者は見たことがないとエルフのリーダーは畏敬を込めて言った。
暗く沈み込んだ七志に、エドワードは不味い事を言ったかと心痛な表情を浮かべた。
「すいません。お気持ちも考えず、口が過ぎましたか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ちょっと別のことを考えていただけです、こちらこそ失礼しました、」
「そうですか……、ああ、食事が冷めてしまいますね、どうぞ席についてください。」
それで、この場は収まった。こういう場面で遠慮合戦に陥るのは日本人にはよくある事だ。
「エドワード、貴方も席に着いてはいかが?」
主賓席から館の主、アデリーンが声を掛けた。
「御機嫌よう、義姉上。皆さんも、お気になさらず楽しんでください。」
自身に用意された席へ座りかけながら、エドワードは周囲に笑いかけた。
ディナーは格式通りの進み方でディッシュに始まりメインの鴨肉のソテー、オードブルにスープと一通りを過ぎて、最後にまたケーキが登場する。オレンジのアップダウンケーキにはシロップがたっぷりとかけられ、艶やかな黄金色に輝いていた。
七志は脇役であるホイップクリームを舐め、少々うんざりとケーキを見つめている。この世界も多分に漏れずで、砂糖は贅沢の象徴なのだろう、甘すぎるのだ。にらめっこしていたところを、隣から白い手が伸びて、ケーキを皿ごと引っ張っていった。手の主はジェシカだ。
「七志さん、辛そうだからお手伝いしますねっ。」
嘘つけ、と思ったものの助かることに違いはないので、頷いておいた。
夕食の宴は問題なく進み、やがてお開きに。各自割り当てられた部屋へ引き取り、その夜。
「七志くん、七志くん、」
夜中の寝静まった頃に、エドワードが訪ねてきた。
「少し、相談に乗ってもらえないだろうか?」
細い燭台のロウソクに灯る火と同じように、頼りなげな声で彼は七志に言った。内容は、昼間に感じた違和感の元、シェリーヌのことに関してだった。
「8歳の時に離れ離れになったんだ。僕は当時、彼女のことが大好きでとても悲しい思いをした。幼いころの口約束で、互いの将来を誓い合うほどには彼女のことが好きだったからね。」
たあいない思い出だとエドワードは断りを入れ、奴隷の身分のシェリーヌと自身が結ばれることなどあり得ないと、悲しげに付け足した。「彼女が僕をそんな風に見ているはずもないしね。一人芝居だね。」エドワード自身は、忘れていた恋心が、彼女に再会した今になってふたたび燃え始めたのかも知れない。
「ご相談というのは、彼女のことですか?」
「相談というほどでもないのかな、少し、話を聞いてもらいたいと思っただけなんだ。」
女々しい男と思ってくれていい、と時期侯爵は弱気な胸の内を吐露した。
「どうぞ、中へ。聞くだけでいいなら、じっくりお付き合いします。」
気持ちは解かる。好きな女への思いなど、誰もが同じ、臆病で繊細なものだろうと思った。
◆◆◆
悲しい気分で始まった酒宴は、酒の勢いが増すごとにだんだんとおかしな方向へ動き出す。
「好きなんだったら、やっぱり推さないことには!」
「そうだと思う、思いはするけど、それが難しい。」
すっかり出来上がった二人が意気投合して、良からぬ相談を始めるのに時間はさほどかからなかった。
お互い、普段はうじうじと言いたいことも言えずに情けないと自己嫌悪を抱いている二人だ。酒の力が微妙に作用して、奇妙な勇気に支えられている今なら、やれることがある、やってやるさ、と自身を鼓舞もする。
酒の力を借りて、七志の大演説が始まった。切々と、訴えること小一時間。
「――日本には古来より伝統の告白方法が存在するのですよ! 戦国時代の昔より、好きな女が出来たならば、男子たる者一も二もなくこの方法を取ったものです!」
「ほう、それはどのような?」
「ずばり、"夜這い"と申しまして、夜陰に乗じて女の子の寝室へ忍んで行くのが、正式な日本男児の心意気!」
出典は某エロゲ。ワインとブランデーとウォッカが混沌と混ざり込んだ末に、とんでもないトラを生んだ。
そも、麻衣菜とはすでに友達の領域を超えているはずだ。あの日、ロマンティックなキスをした。今夜はロマンティックに夜を超えよう。イケる、なんせロマンティックな侯爵邸の夜だから。
支離滅裂な思考に陥っていたが、本人に自覚などあるわけがなかった。
「わたしはシェリーヌを愛していますっ!」
突然、エドワードが叫んだ。
「よし、その意気だ!」
手拍子は何の意味もない。
「おお、シェリーヌ、君に捧げる愛の歌を今即興で作ったよ!!」
「今作ったとかは頂けない!」
歌いだすエドワード。七志は首を振り、やれやれのポーズ。
「ではこうします。シェリーヌ、愛しの君よ。わたしの想いのたけを込めたこの歌を聞いてくれ!」
「いや、歌とかまだるっこしい、歌いながらベッドへ追い詰めてしまいましょお!」
「なるほど! 扉を閉めるときにさりげなく鍵を掛けてしまう?」
「ナイスです! 俺もそれ、やります。後ろ手に鍵かけて、気付かれる前ににじり寄って、がっぷり四つに、」
「がっぷり?」
「しこを踏むんです、こう、重心をおもいきり下へ落とすことで体勢が安定します。」
「なるほど。」
「キッカ! 好きだ、君が大好きだ!」
「シェリーヌ! 美しい君に心が躍った、忘れかけていたこのときめき、一目惚れなんだ! いや、昔も好きだったこの場合は何と言いますかね?」
「キッカー! 大好きだー!!」
このまま二人で潰れていれば、後の不幸は避けられたやも知れない。
世界が回る、廊下も回る。回った景色の中、決死の行軍が続く。
「くそぅ、誰かが……、誰かが俺の邪魔をする……、」
足がもつれて何度となく転びかけるのは、きっと誰かの仕掛けた罠に違いなかった。
「障害が大きければ大きいほど、愛は、愛は燃え上がるぅぅ、」
七志の後ろの次期侯爵閣下が、突然歌った。
調子っ外れな音程で即興詞を歌い上げた瞬間に、脚が絡まって派手に転んだ。
「しーっ! 敵に……、敵に気付かれます!」
「うう、七志くん、僕は……僕は、もう駄目だ、脚をやられてしまったようだ、」
へたばったまま、エドワードがぶつぶつと呟きだす。
「明りが……! ヴァルハラの門が……!」
麻衣菜はまだ起きていたらしく、扉の四隅に部屋の明かりが漏れていた。普通、夜這いは寝静まったところへ決行するわけなので、本来ならこの時点で出直すものだが。
「突撃ー!」
外の騒ぎに気付いた麻衣菜がドアを開けたのは同時刻。
「なに? 七志なの? こんな夜中にどうし、」突然飛び来んできた塊は麻衣菜に抱き着いた。「きゃー!!」そのままがっぷりと室内へ寄り切り。
「なに!? なに!? 七志!? どうしたの!?」
「キッカー! 好きだー!!」
免罪符にもなりはせず。寄り切りの末にベッドへ押し倒された麻衣菜が叫んだ。
「嬉しいけど嬉しくないっ! いやーーー!!」
「嫌よ嫌よも好きのうちーー!!」
顔面に遠慮なしのスクリューパイルドライバー・爪付き。ばりっ、と派手な音が響いた。
すぽっ。
七志の頭がカボチャになる。どこかで見たデジャヴ。
「はい、ダンシン、ダンシン!」
超高速カクカク、腰のスピードが音速を超える! 「ぎゃーー!!」
カボチャが頭を離れると、泡を吹いた七志が気絶したままベッドへ突っ伏した。
「麻衣菜様、お気をつけ下されませ。男はみなオオカミですぞ。七志様といえど、このようにプッツンなさるのです。」
「うん。ごめん。」うっうっ、我が身を掻き抱いて麻衣菜は小さく震えていた。